高辻家のΩ

椿

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高辻家のΩ 5

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 起床と同時に分かる身体の怠さと火照る感覚、そして下半身の疼きに悟る。
 発情期ヒートが始まった。

 毎回初日はそんなに酷くないが、もう何度も経験しているこの感覚に気付かないはずも無い。いつもなら朝食の前に部屋を訪れる使用人のサイに報告するか、黙って平気な振りをしていてもやはり自分では分からない部分で様子が異なるのかいつもバレてしまう。しかし今日は、今日だけは俺が発情期だということを誰にも知られてはならない。そして、そのための策は既に準備済みだ。

 俺は自身のスクールバッグから白い錠剤を一粒取り出し、躊躇なくそれを飲み込んだ。

 この薬は、前日に許嫁の岬から受け取った即効性の強力な発情抑制剤である。俺の家は、特に『高辻家のΩ』に関してオーガニック思考の古臭い考えが続いているので、基本的にこういう時薬剤を使用することはない。発情期ってのは寧ろ家にとって喜ばしい状態なわけだしな。無理矢理抑え込む必要も無いのだ。だから岬に用意してもらった。

 この薬は一粒約5時間で効果が切れるらしい。故に計画としては、そのタイミングを放課後に合わせられるように調節した上で薬を服用して、それまで怪しまれないよう何とか圭太を引き留めて事に及ぶ、それだけだ。シンプルイズベスト!
 この計画を岬に話したら、何とも筆舌に尽くしがたい微妙な顔をしていた。俺が成功すれば岬も高辻家からは解放されるわけだから、「頑張って来い!」と激励される気満々だったので、あの妙に乗り気じゃなさそうな雰囲気は肩透かしだったな。なんだよ。盛り上がってんのは俺だけか??いえーーい!!
 まあ多分、俺の不確定要素がありまくる杜撰な計画を心配して呆れてるんだろうけど。あいつ行き当たりばったりの行動とか嫌いだもんな。


 流石即効性の抑制剤と言うべきか、すーっと短時間で熱の引いていく身体に感動する。これを使えば発情期でも楽に過ごせそうなのに…。まあ考えても仕方がないが。
 一応匂いに敏感な弟とは時間をずらして家を出よう、と既に普段通りに戻った体でゆっくりと登校準備を進めていると、

「要様」

 自室の外から声がかかる。



 *

 ドタバタと制服姿で廊下を駆ける。向かう先は一週間に一度必ず訪れている離れの一室だ。
 辿り着いたそこの襖を、俺は合図の一つも無しに勢いよく開け放った。身体を動かしたことだけが原因ではない忙しい鼓動が喧しくて、誰かを気遣える余裕が無かったのだ。

「──岬!?」
「…かなめ…」

 和室の中心、変わらず敷かれている一組の布団の上で岬は苦し気に蹲っていた。熱っぽく吐かれる荒い息と紅潮する皮膚、何かに耐えるように断続的に震える身体は、フェロモンを感じ取れない同じΩの俺にも分かる彼の発情期の兆候を示していた。
「それではごゆっくり」と、立ち尽くした俺の背後で静かに襖が閉じられる。


 ……嘘だろ。


 俺か岬が発情期になった時は、二人一緒の部屋に閉じ込められる。しかし今までも発情期だからといって今まで岬を襲ったことも岬から襲われたこともなく、まあ何度かは身体が辛すぎて互いに抜きあったりとか…いやそれは今どうでもよくて!!
 問題は、片方が発情期になった時強制的にもう片方も拘束されるということで、……それはつまり学校にも行けないことを示していた。
 この部屋で岬の発情期が終わるまで過ごしていたら、俺の発情期も終わる。圭太を発情期のフェロモンで誘惑できない。性行為にこぎつけるのは無謀に等しい。そして今後俺にもう二度とこんなチャンスは無いのだ。

 最悪のシナリオである。

「何で今っ、発情期ヒートは来週になるとか言ってなかったか!?」
「……っ、そ、だけど」

 生理現象なのだ。岬に言っても仕方がないのはわかるが、詰め寄らずにはいられなかった。
 赤く潤む瞳と、滲んだ汗で額に張り付く黒檀のような艶のある髪が、その整った岬の相貌と相まって壮絶な色気を醸し出している。フッ、フッ、と食いしばった歯の隙間から吐く息は勿論演技であるはずも無い。

 抑制剤で今日一日だけでも抑え込めないか?いやそれでももう使用人には見られてる。発情期が無かったことにはならない。
 ……もう無理なのか?どうしようもないのか?…何か、他の策は、

 その時、震える岬の指先が、俺の制服の袖をほんの少し摘まんだ。彼は一瞬泣き出しそうに顔を歪めて、そしてすぐにそれを隠すように俯く。

 そして、

「…強制的にΩを発情させる薬、飲ん、だ…っ、」
「……は?」

 脳が理解を拒んだからか、一瞬反応が遅れた。

 …今何て言った?
 強制的にΩを発情させる薬を飲んだって?岬が?

 ……そんな、そんな、

「そんな薬あるなら、最初から俺にくれとけよ!?!?」
「アホーーッ!!やるかーーッッ!!法外なやつだからクッソ高いんだよ!!」

 それがあれば別に発情期じゃ無くたってβ誘惑出来ますやん!!と目先の欲望に目が眩んだ俺へ、岬の暴言が飛んだ。クッソとか言った…あの言葉遣いも綺麗だった岬が。それほど余裕が無いんだろう。そして大声を出したのが自分だからか、今度は岬の方がやけっぱちに「あんあんらめえ!!締め付けすごおぉい!!」と叫ぶ。…お前も相当の大根役者だよ。でも多分誤魔化せてると思うよ。

「…っ、ふぅ゛、…それに、発情後の副作用も酷いらしい…。人に勧められるような、ものじゃない…」
「何で、そんな薬、」

 本気でわけが分からなかった。岬が一時的にでも発情したなら、それが発情期だと誤認されるのは明白。そしてそれが俺達の計画の頓挫に繋がると、岬が考えられない筈も無い。

 何でだ。俺が圭太とヤれば、あれだけ岬が嫌がっていた縛りは無くなるのに。

 疑問に満ちた俺の視線を受けて、しばしの沈黙の後、裾を握る指にギュッと肌が白くなるくらい強く力を込めた岬は顔を俯せたまま告げた。

「……お前と、…っ、要と、許嫁じゃなくなるから…」
「え?」
「要が高辻家から勘当されたら、…家の繋がりが、無くなる。…許嫁じゃない俺は、要と何の関係も無くなるっ…」
「……、…いや、待てよ、だって岬は最初からそれを望んで、」

 グン、と急に片腕へかかった力に、油断していた俺は堪らずよろけて膝をつく。すかさず掴まれ、やや強引に引かれた襟元に息苦しさを感じる前に、
 ──そのすべてを目の前の唇が奪っていった。
 はっ、と動揺に開いた口内へ、熱く湿った舌が割り込む。俺は、岬にキスをされていた。

 距離が近過ぎてぼやける視界と、混じり合ってどっちの物か分からなくなる前髪、漏れる湿度の高い吐息、もう随分嗅ぎ慣れた岬の匂い。まだ、ここまではいい。ここまでなら、今までも似たような状況になったことはある。
 だけど、呼吸を全てのみ込むんじゃないかと錯覚するくらい深く押し付けられた唇は、上顎をゆっくりとなぞる柔い舌は、まだ目の前のこの許嫁とは経験したことのないものだった。
「抜き合いはしておいて?」と言うのはナシだ。あれは言わば作業のようなもの。たまたま近くで都合が良い存在が互いしか居なかっただけ。でもキスこれは違うだろ。…いや、少なくとも違うと、今までの俺は思っていた。

 ゾク、と痺れるような感覚が背筋を走って喉を揺らした直後、燻る熱を孕んだ岬の唇が細い糸を引いて名残惜しそうに離れる。はっ、はっ、と二人して真っ赤な顔で見つめ合って、そして、岬はまるで懺悔でもするかのように告げた。

「──好きなんだよ…っ!…一緒に過ごすうちに、要の色んなとこ知っていくうちに、要の事がっ、…っ、好きに、なったんだよ!!
 だからっ、俺はお前の許嫁っていう、要の一番近くに居られる権利を失いたくない…っ」
「…っ、」

 ぐやじいーー!なんでお前なんかにいぃ!と何だか失礼な事を言いつつ遂にハラハラと泣き出してしまった岬は、その涙の合間に何度も謝罪を織り交ぜる。「ごめん、本当はこんな事やるつもり無かった」「ごめん、絶対にダメだって分かってた」「ごめん」「本当にごめんなさい」胸を締め付けるようなそれは、俺に岬を責めようという気力すらなくさせる。

 完全に想定外だった。岬に嫌われていないだろうことは分かっていたけど、逆に特別好かれてるとも思っていなかった。まさか、あれだけ嫌悪していた家の道具に成り下がってでも、と天秤にかけてしまうくらい俺の事を想ってくれていたなんて。慣れないくせに、土壇場でこんな無計画な暴挙に出るくらい大きな葛藤を抱えていただなんて。…近くに居たのに、ずっと気付けていなかった。
 俺にも多少なりとも責任はある。岬だけが悪いんじゃない。

 ──でも、今は困る。このままだと弟は、江雪は自由になれないままだ。


「岬!!」
「!!」

 怒られるとでも思ったのか、ビクッと肩を揺らした岬が、目いっぱいに涙を溜め込んだその瞳からまた一粒滴を落とした。俺はそれを服の袖でやや乱暴に拭ってやって、

「…おっ、俺と駆け落ちしよう!許嫁じゃなくても、一緒に居よう!それならいいか!?」
「…かけ、おち、…二人で?」
「ふたっ、…………弟の江雪はセーフ???」
「………、」
「うそうそうそ!!二人で!!勿論二人で駆け落ち!!!」

 江雪の名前を出した瞬間、少し明るくなっていた岬の表情がスンと一気に掻き消えたので、咄嗟に訂正する。
 …江雪も連れ出すつもりだったけど、まあこう言っておいて直前に「自立するまでだから!」とかでゴリ押しすればいいか…。そんな最低に不誠実なことを頭の隅で考えつつ、俺は続けた。

「だから、岬と駆け落ちするためにも俺は今日学校に行かなきゃいけない!分かってくれるよな!?ちゃんとこれは発情期じゃなくて、薬で一時的にこうなってるんだって伝えるんだ!出来るよな!?」

 矢継ぎ早な俺の言葉に、ぼんやりと熱に浮かされているような顔をし出した岬は「うん、うん、」と素直にコクコク頷いて、聞き終わった最後に「…よかったぁ」と気の抜けたふにゃりとした笑みを見せる。珍しいそれに多少心臓の奥が疼いた気もしたが、考えるのは後だ。

 よ、よかったぁ。
 いやホント。すんなり納得してくれて良かった…。顔を引き攣らせて笑いながらも、とりあえずは安堵する。まだ計画は終わっていない。

 それから、部屋の外で待つ使用人達に二人で岬の現状を説明し、岬は大事を取って病院へ送られることとなった。俺も付き添うように言われたが、俺は発情期じゃないしそんな怪しい薬も飲んでないから!と言い張って、苦しむ許嫁を放置するという酷い男のレッテルを張られながらも無事学校へ行けることが決定した。

 教室に到着したのは丁度3限目が終わったあたり。何も知らずに「今日遅かったな。何かあったのか?」と俺の席まで来て笑う圭太を、俺は座ったまま見上げて、
 直後、ガシッと腕を掴んでこちらへ引き寄せた。
「うわ!?」とバランスを崩して堪らず机に手を付いた圭太に、俺はズイと顔を近づけて至近距離で鼻を突き合わせる。

「放課後、話あるんだけど」

 目が据わりでもしていたのか、圭太はやや気圧されたように「お、おう」と返事をした。


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