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高辻家のΩ 3
しおりを挟む「三谷圭太ッス。…えっと、すげえ中途半端な時期の転校で一緒に過ごせる期間は短いけど、仲良くしてくれたら嬉しいです!」
黒髪の短髪でそこそこ鍛えられた体躯をした好青年は、そう言ってクラス中の注目を集める黒板の前でニカッと人懐っこく笑って見せた。
高校三年の冬という微妙過ぎる時期に転校してきた男子生徒、三谷圭太。それだけでも話題性抜群なのに、明るそうで顔もイケメンとなればクラス、いや学年中の興味の対象になることは必然だろう。
例に漏れず色めきだったクラスメイト達により、その転校生は早速質問攻めにあっていた。
何処に住んでたの?から始まり、趣味は?恋人いる?などのマシンガンのような問いに、三谷は「早い早い!聞こえねーから!」と気のいい笑顔で応じている。
その途中、ある一人の生徒が喧騒に乗じて「第二の性別は?」とぶっ込んだ事を聞いた。デリカシーに欠けた問いだが、ピクリ、と思わず耳を澄ましたのは俺だけではない。
それを如実に示すほんの一瞬の沈黙の後、険しい顔をした担任教師から「そういうデリケートな質問をふざけ半分でするのは、」と苦言が呈された。しかし、その教師の注意を遮ったのは、他ならない質問を受けた側の転校生だ。
彼は「いや別に大丈夫っすよ」と全く気にしていない風にカラッと笑って、
「俺βなんで」
おれ、べーたなんで。
──…来た。
来た、きた!キた!!キタキタキタァアア!!!
まだ『高辻家のΩ』の事を知らない、βの転校生!!!
ひと心地ついた後、「それじゃあ誰か、放課後に三谷の校内案内を頼みたいんだが──、」と話を切り出した担任がそれを言い終わる前に、俺はピンと伸びた腕を真っ直ぐ頭上へと掲げた。
指先が揃い、背筋も伸びたその挙手の何と美しい事だろう。これは他の誰より目を奪われてしまっても仕方がないな。などと自画自賛しながらドヤ顔で静止していると、一瞬固まっていた風に見えた担任がぎこちなく言葉を絞り出す。話遮っちゃってごめんね。
「…え、…っと、高辻?」
「はい。俺が三谷君へとこの校内を完璧に案内し尽します。ヤりたいんです。ヤらせてください」
「な、何か字が…、ほ、他の人は~…?」
チッ!早いもの勝ちで決まる程甘くなかったか!
担任の呼びかけに、バババッ!とクラスのほぼ全員が勢いよく手を上げた。
…やはり、こんな爽やかで気さくなイケメン、お近づきになりたい奴は星の数程居るに決まっているのだ。手を挙げた皆心なしか目が血走っているようにも見えた。後方からは「高辻君にそんな事させられません!」といった風に、さも気を遣っているかのような台詞で俺を下げようとするものまで居る。小賢しい…っ!
だがしかし俺もこればかりは譲れない。文字通りこれからの生活、もとい性活がかかってるのだから。
「こんなに希望者が居るわけだから、ジャンケンとかで、」
「先生」
「ジャンケンで…、」
「先生!」
「い、いや、だからな高辻、」
「先 生 !!」
手を挙げたまま真顔で圧をかける俺に、担任は少しだけたじろいでいるようにも見えた。珍しさに驚いているだけかもしれないが。まあ普段特に自己主張なく大人しくしてるからな、俺。ボッチだしな、俺。…な、泣いてないんだからね!
その人望の無さからか、クラスメイトらの「先生頑張れ!」「負けるな先生!」というような声援が胸に刺さる。そんなにダメか俺!?く…っ、ライバルを蹴落とすのに躊躇がねえなお前達!
そんな硬直状態を終わらせたのは、鶴の一声ならぬ転校生の一声だった。
「あのー…、先生。よくわかんないんすけど、俺、高辻君?にお願いしたいです。一番手上げるの早かったし」
ニッ、と邪気のない笑みを見せた彼は、担任が「いや、でもな、…高辻は…、」などと歯切れ悪く渋っているのも構わずに、俺の席まで歩み寄る。
純粋な友好の印として差し出された手は、キラキラと陽射しのように輝いて見えた。
「よろしく!」
卒業間際にして現れたβの転校生。見るからにクラスメイトから一線引かれているだろう俺にも含みなく笑いかけてくれる、この底抜けなお人好し感。
…彼に決めた。いやもう一目見た時から決めていました!!俺の初めてを(勝手に)捧げるのに最適な存在は、今、三谷くんを除いて他にない!!
となると、怪しまれないように自然に距離を詰めて、何とか他のクラスメイト達のように遠巻きにされないようにしなければ!!
ヤってやる…!俺は絶対にヤってやる…っ!
迸る熱い野望を限界まで取り繕い、「こっちこそよろしく」と硬い握手を交わした俺は、偶然こちらを見ていたらしい同じクラス所属の許嫁に勝利のウインクをしておいた。当然のように彼からは冷めた半眼が返ってきたが。
*
「じゃあ最後は三階な。今は多分文化部が部活で使ってると思うけど、覗き見るぐらいなら大丈夫なはずだから」
「高辻君は何か部活やってんの?」
「いや、俺は家から禁止されてるから何も。あと名前、君付けじゃなくて呼び捨てでいいよ」
「お!じゃあ要、俺の事も圭太でいいよ!改めてよろしくな」
てっきり高辻と呼ばれるものだと思っていたから、慣れない距離の詰められ方に少しだけ呆気に取られてしまった。…これが陽キャ。俺の想像の一歩二歩先を常に進む人間玄人…っ!
まあ距離が縮まるのは俺も本望だからありがたい限りなんだけど。
「圭太は部活入る予定とかあんの?」
「いやあ、流石に今入ってもなーって感じだし…」
それもそうだよな。後数か月で卒業だもんな。俺の処女もな。
あ、でも…、と圭太は続ける。
「…美術部とかあったりする?」
「美術部?あるよ。丁度この階の美術室が部室なはず。美術に興味あるんだ」
俺の問いに、圭太は少し目線を下に逸らしてから照れたように指で頬を掻いた。
「似合わない、よな?前の学校でも、よく言われてたから」
「いや別に似合わないことはないけど」
確かに背も高いし、それなりにちゃんと筋肉もついているから運動部向きの身体ではあると思う、けど。
俺は、頬を掻く彼の右手を指す。
「手のペンだこ、最初は勉強のかと思ってたけど、もしかして絵でそうなったとか?似合わないとか意外とか以前に、俺は絵でも運動でも、そんな風に何かに熱中できるのって素直に尊敬するわ。自分があんま長続きしないタイプだからさ」
唯一続いてるのは、家を潰す計画を練ることぐらいか?でもそれは別に楽しくてやってるわけじゃないしな。……あ、岬とのトレカもあった!良かった。俺、趣味の一つも無いのかと思って焦った…。
1人で冷汗を浮かべてふう、と息を吐いた俺に、やや虚を突かれた風に目を瞬かせる圭太が呟いた。
「ペンだこは、初めて指摘されたかも」
「え゛!?……も、もしかしてキショかった?」
「いや!全然そんなことはないけど!」
圭太はその後、急にガシッ!と勢いよく俺と肩を組んで「要って良い奴だな!」と言って眩しく笑った。至近距離で浴びる直射日光はもはや熱い。…これが陽キャ(以下同文)。
というかこれくらいで良い奴認定されるとか、チョロすぎないか??多分余程圭太を運動部に進めたい奴じゃない限りクラスメイト全員絵の事肯定してくれるぞ。まあこれが最初の校内案内人特権、というかタイミングが良かっただけだな。感謝感謝。黙っておこう。
そして、ペンだこ云々は握手の時に指の長さや太さをチェックしてあそこの大きさを想像してたから気付けた、とかも絶対に言えないな。墓まで持って行きます。
「いつもどういうの描いてる?俺このトレカの絵柄好きだったりするんだけど、圭太もこういうの描けんの?」
「トレーディングカードを持ち歩く男子高校生…って、これ描いてる人俺知ってる!絵柄に透明感あってすげえ綺麗なんだよな!流石にここまでのは難しいけど、いつかこういうの描けたらな―とは思ってる!」
おお、本当に絵を描くのが好きなんだな。随分と楽しそうな表情で話す。
他人に警戒心を抱かせず、違和感なく懐にもぐりこめるのは才能に近いものがあるんだろう。計算など微塵も感じさせない、圭太の幼い子供のように無邪気な笑顔が自然に俺の内側を柔らかくくすぐって、思わず笑みがこぼれた。
「もしかして絵の大学とか行くのか?」
「あ、や、そういうんじゃないけど!一応まだ、趣味の範囲。まあでもいずれ活かせればとは思ってたりする、かな」
「そっか、いいな。…じゃあ美術部見学させて貰おうぜ」
「え、それって突然行って大丈夫なやつ?」
「多分?大丈夫じゃん?俺も入ったこと無いけど」
俺の適当な見立てに「何だそれ」と吹き出した圭太。それにつられて笑いそうになっていたところで、
突如、背後から何者かに腕を引かれる。
「──ぇ、」
存外強い力は、その衝撃で肩に乗っていた圭太の腕を解き、そして俺の身体を傾かせた。浮遊感は一瞬。背後ですぐに俺の背中を支えてくれたのは、
「兄さん、もう下校時間過ぎてるけど」
「江、雪」
体勢を崩した俺を真上から覗きこむ麗しい弟の姿に、俺は思わず顔を引き攣らせた。
帰る準備をしてわざわざ俺を探しに来てくれたのだろう。その兄を慕う健気な行動は、いつもだったら勿論大歓迎なのだが、……今はマズイ、非常にマズイ。
「要の弟さん?」
「あ、…えっと、」
「──ぃで、」
俺が不安定な姿勢を正しきった後、しかしそれでも俺の腕を掴んだままで居る江雪がボソリと何かを呟いて、
そして、煮詰まった嫌悪と蔑みが混じる冷たい視線で圭太を睨んだ。
「──人間以下の雑魚の分際で兄さんに触るな」
「……ざ、ざこ?」
「江雪ぅううーーッッ!!!」
急いで江雪の口を手で塞ぐがもう遅い。
初対面の人間に急に暴言を吐かれた圭太は咄嗟に現状を処理できないのか、ポカンと眼を瞬かせていた。
「そういう事言っちゃだめって兄さんいつも言ってるよねえ!?」
「むぐぐ……、でも兄さん、コイツβだよ。『高辻家のΩ』である兄さんを目にすることすら烏滸がましい下賤で卑しい存在なのに、そんな至上の幸福にすら満足できず下劣な欲望のまま兄さんに近付、」
「おおお難しい言葉知ってるんだな偉いけど今すぐにその口を塞げええぇ!!?」
Ωを商売道具として扱っている我が家で、Ωの序列は最上、次点でα、…そして、まるで羽虫か家畜のように思われているのがβである。弟はそんな高辻家の思想に染まりきっているので、β性の人間の事をまるで蛆虫か何かみたいに忌み嫌っていた。
世界中で大多数を占めてる性別だよ!?そして下劣な欲望を持って近づいたのは寧ろ俺の方です!!
…終わった。
弟を見てマズイと思ったのは、βに対する暴言の他に俺が『高辻家のΩ』だということを明かされる可能性があったからだ。そして江雪は見事その両方をしっかりばっちりやり遂げた。
きっと今は圭太も『高辻家のΩ』が何を意味するかは分からないだろうけど、その音を認識されたなら中身が知れるのも時間の問題だ。
家の事が分かれば、少なくとも良い印象は持たれない。それに、弟がβに対してここまで嫌悪感を露わにしているのだから、俺も同じ風にβを嫌悪してるものだと思われても仕方がないだろう。いや確かに昔は俺もそうだったけどさあ…。
……嘘だろお…、折角のチャンスだったのに…。
未だ呆然とこちらを見る圭太を既に居ない者として扱う弟は、「一緒に帰ろ」と笑って大分強引に俺の腕を引いた。
俺は置き去りにされる圭太に向かって「最後まで案内出来なくてごめん!まっすぐ行ったところに美術室あるから!」と叫んでから、弟に引き摺られるままその場を後にした。きっとこれが圭太との最後の会話になるんだろう。……やべ、途中まで順調だと思っていただけにショックがデカい。
圭太の姿が見えなくなったところで足を止めた弟は、現在進行形で失敗を憂いている俺の顔を覗き込んだ。そして、柔らかく微笑んだかと思うと、
「掟は守らなきゃ。兄さんはβと関わったら駄目なんだから」
ね?と小首を傾げる姿は天使のように愛らしく美しいが、その台詞は掟嫌いの俺には到底受け入れがたい。しかし今の俺にそれを指摘する気力は無く、何をしたいのかぐりぐりと首元に頭を擦りつけてくる江雪を好きにさせたまま大きなため息を吐くだけに留めた。
江雪の絹糸のように細い髪がすぐそこでチラつく。俺の肩に埋まるそれを数秒ジッと眺めた後に、「うりゃ」と弟の頭を押さえつけるように首を傾けた。更に後頭部に手を添え、身動きが取れないように固定する。江雪は突然の俺の行動に「に、兄さん??」と少し戸惑っているようだったが無視だ。さっきの件についてのちょっとした仕返しである。
形の良い丸い頭を撫でて、触り心地の良いサラリとした髪を何度も掬った。頭皮の温かさが手の平を伝って江雪の体温を感じさせる。擽ったそうに笑う吐息が肩にかかって、それが愛おしくて俺は知らず口角を上げていた。
同時に、決意が固まる。
俺は決めた。多少無理やりにでも三谷圭太に俺を抱かせることを。発情期の時だったら平時よりは成功率が上がるだろう。その日まで静かに待とう。俺から離れてはにかむ弟を見ながら、そんなことを考える。
多分明日には圭太にも俺の家の事が伝わって距離を取られるだろうけど、むしろその方が変な遠慮や罪悪感が無くて楽かもしれない。
と、思っていたんだけど…。
「要、おはよ!」
「あぁ、おは………………、お゛っっっ!?!?」
「おおっ?」
どした?と少し戸惑ったように笑う圭太に、俺は驚き過ぎて開いた口が塞がらない。きっと周囲も俺と同じ気持ちだろう。現に、俺が教室に入るまで圭太と話していたらしいクラスメイト達は、俺の方へと移動する圭太を制止しようとでもしていたのか中途半端に腕を伸ばしたまま青褪めている。奥に見えた岬は、持っていた本をゴトンと机の上に落として固まっていた。
うん。だよね。俺に挨拶する人なんてこのクラスに岬以外居ないもん…!!言っていて悲しすぎるが事実なので仕方がない。
シンッ…、と一瞬で静まり返った教室で、俺は渇いて張り付く喉から何とか言葉を捻り出す。
「…えっ、と、…俺の家の話とか聞かなかった?」
「え?ああ、」
圭太はきょろきょろと周りを確認してから、少しだけ声を顰めて「『高辻家のΩ』ってやつ?」と囁く。うん多分その気遣い今は全く意味を成してないと思うけどありがと。
もう知ってんじゃん。なのに、何で普通に話しかけて来るわけ…?
経験したことのない出来事に、疑問と混乱ばかりが頭を埋め尽くす。俺が余程分かりやすい顔をしていたのか、それとも元々察しの良い奴だからか、圭太はまるで心を見透かしたみたいに言った。
「家とか関係なく、俺が要と仲良くなりたかったから」
裏表を感じさせないまっすぐな声と、太陽みたいに明るく温かい笑顔に、……俺は不覚にも泣きそうになった。
生まれてから18年の間、ずっと一人しか友達が居なかった奴にはきっと刺激が強すぎたのだ。
急に息を吹き返したかのような激しい動悸と、チカチカと火花の散る眩暈に襲われる身体を固めて、俺は初めて言われたその言葉を何度も何度も頭の中で反芻する。
「迷惑、だったか?」
反応のない俺に不安になったのだろう。おずおずと窺う圭太に、俺は激しく首を振った。
ああ、全身から湧き上がるこの感情を、たった一言で表してしまってもいいのだろうか。
「…っ、すっっっげえ嬉しい!!」
そう告げた自分が、どんな表情をしていたのか分からない。多分笑っていたのだと思うが、自分の想いを正確に言い表す言葉がもっとあるんじゃないかともどかしく思う悔しさだったり、始めての事に対する不安、鼻の奥がツンとするような温かな衝動、そして勿論胸を弾けさせる程の純粋な喜びも、全てが入り混じった複雑な感情がどう表に出ているのか、俺には想像すら出来なかった。
俺の答えを聞いた圭太は、一瞬だけ呆然とこちらを見つめて、直後少し照れたように笑う。
ああ良かった。言葉通り伝わったらしい。
無意識に安堵の息を吐いたその後も「結局美術部入ることにしてさー、」と当然のように続く会話に、俺は身体の内に閉じ込めきれない歓喜でやはり肩を揺らすのだった。
まあ俺の事を抱いてもらうのは決定事項だけどな!!
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