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「別に貴様に屈したわけではない!僕はあくまでミシェルのために、」
「うんうん」

 ぶつぶつと言い訳を連ねるテオドールを引き連れ、俺は帰宅のために馬車で揺られていた。
 テオドール、陥落。
 いや陥落はまだか。でも最難関の第一関門『勧誘』を突破できたとなれば、あとは流れに身を任せるだけである。

 使用人が開けた玄関扉をくぐると、いつものごとく従者のクロードが出迎えた。

「おかえりなさいませ!シャルルさ…っ、いらっしゃいませテオドール様」
「……今何か後ろに隠しただろ」
「いいえ」
「じゃあ手に持ってるの見せろ!」
「……かしこまりました」

 客人の前で猫を被るクロードに促すと、……彼の手から出てきたのは小さな緑色のカエルだった。

「うわああカエルッッ!!!!」
「っ何だ!引っ付くな貴様っ!!」

 咄嗟に飛び上がり、隣に立っているのがテオドールだと理解しながらも全力でしがみついてしまった。どうにか盾にしたくて。

 俺がこの世で一番苦手とする生き物、それがこのカエルだった。苦手になった原因はわかりきっている。昔クロードが悪ふざけでバケツいっぱいにカエルを集め、何も知らない俺に「目瞑ったまま手入れてみてください」とか言って、カエルだらけのそこに手を突っ込ませたのである。今でも忘れない。腕に触れるあの何とも言えない湿った肉の感触と、目を開けた瞬間見えた蠢きを。立派なトラウマです。

 俺を突き放そうと腕を突っ張るテオドールに全力で反抗していると、いつもなら楽しそうな顔をして逃げる俺を追いかけまわしてくるはずのクロードが、今回はつまらなさそうにカエルを逃がしているのが見えた。その後、彼はまるで何事もなかったかのように「客室へご案内いたします」と微笑む。
 あれ、もしかしてテオドール客人が居るから酷いこと出来ない的な!?よ、良かったーー!テオドールを招いたことによる唯一のメリットだよこれ!

 その時、何かに気付いたらしいテオドールが口を開いた。

「君は...!以前シャルル・ド・サドに虐げられていると言っていた従者じゃないか!」
「あれは嘘です」
「なっ何故嘘をついたんだ…!?」

 俺と同じ反応してる。しかし流石のクロードも客人の前で分別を弁えられているのか(いるのか?)、俺の時のように「嫌がらせのため」だとは答えなかった。
 証言時の弱者然とした態度から180度異なる飄々としたクロードに、テオドールは困惑しきっているようだ。ちょっと可哀想になるな…。

 その後移動した客室。俺はクロードに、練習に付き合ってくれる使用人を連れてくるよう言った。
 ……そして現れたのが、

「父です」
「執事長です」
「お前自分の父親を練習台に差し出すとかヤバいな!?」
「例の人質に取られているご両親……!」
「あれも嘘です」
「なっ何故嘘をついたんだ…!?」

 クロードの実の父親でもある執事長は、落ち着き払った態度で緩く首を振ると「私から自発的に申し出たのです」と静かに告げる。
 そんな父親に一瞥もくれないまま、クロードは淡々と続けた。

「父は、あらゆる『育成』に関する理不尽に特に喜びを見出す癖の持ち主なので」
「未来のSを生み出すことに貢献出来るなど、身に余る光栄です。是非踏み台に、……いえ、この醜いオスブタを踏みつけていい子にして欲しいブヒ」
「地獄か??」

 何を期待したのか呼吸を荒くし始めた執事長に、テオドールは横で絶句していた。この反応、やけに安心する。
 クロードは「練習台としては不足ないかと。おい後足で二足歩行とか偉そうだな」なんて言って執事長の足を蹴っていた。お前実の父親に対して何てことを……。
 しかしもしかするとクロードは、この親にドSになるべくして育てられてしまった被害者なのかもしれない。執事長、喜んでるし。

 そんなわけで教師俺、生徒テオドール、練習台執事長の3人で始まった恋愛指南改め調教訓練。
 ……それは苛烈を極めた。

 パシン、と軽い音が空気を揺らす。

「──弱いッ!!そんな責めで何処の田舎ブタが満足するとお思いですか!?」
「すっ、すみませ、」
「謝罪など不要!もう一度!」
「はい…っ」
「頑張れテオドール!」

 もう一度パシンッ、と響く高めの打音。

「…っ、甘ったれた素人のミルク臭さがプンプン香ってきますね!これでは勃つものも勃ちません!シャルル様、どうかこのヒヨコにお手本を…!」
「えっ、…そ、そうだな、えっと…、……例えば、今からお前をこの鞭で打つからなって分からせるみたいに、こう、見せつけたりして…」
「……はぁん…っ♡」
「執事長くらいになるともうここで8割は妄想補完してくれるから、あとは強過ぎず弱すぎずの力加減で、…こうっ」
「ありがとうございますぅっ!!♡」
「虫以下が偉そうに人語を喋るな」
「ブッヒィィンッッ!!♡」
「……う、ぅあ、あぁああ!!何で俺はこんなことをーーっ!!」
「何故貴様がダメージを受けている!?」
「テオドール様!シャルル様を見習ってもう一度鞭をっ!さあっ!!」

 夕食の時間が近づいた頃、主に俺とテオドールの精神に限界が来たため、本日の調教訓練はお開きとなった。っていうか俺、実質教師役じゃなくてほぼほぼ応援係だったな…。執事長の方が普通に教師役として適任だった。やっぱりMの心情はMが一番分かるんだね。
 呼び出したクロードにお茶の準備を頼む。直後「お手洗いに……」と移動したテオドールは大丈夫だろうか。ふらふらしながら執事長に連れられていったけど…。初回からハードル高すぎたか。主に精神面の。
 因みにドSのクロードを教師役にしなかったのは、以前ミシェルからきっぱりと「好みじゃない」と聞いていたからである。それでも俺は二人凸凹が合わさる感じでお似合いだと思うけどねっ!
 今回は一応、ミシェルの好みに寄せて訓練を行っていた。テオドールには今までの俺の役割を変わってもらって、ミシェルが「もうテオドール様が居るからシャルル様はいいや」となるのが理想だし。

 テオドールが戻ってくるのを待つため席に着くと、その拍子に不注意で目の前のティースプーンを落としてしまった。小さくない金属音に、準備を進めていたクロードも当然こちらに意識を向けたようだ。彼の視線とカーペットに転がったそのスプーンの存在をしっかり知覚した後、不意に口が動く。

「拾えよ。犬みたいに床に這いつくばって口に咥えながらな」
「はあ?誰にモノ言ってんスか??お 前 が 拾 え よ」
「ぇ、あ、はい……。え!?俺主人!!」
「Sムーブ勉強になりま~っす」
「……どうしよう…、俺このまま一生友達出来ないかも…」
「『かも』じゃなくて『出来ない』んですよ。何分不相応な願い持ってるんですか。滑稽です」
「そこは「俺が友達だ」って言ってくれるところっ!!」
「え?俺友達じゃないですよ?雇用契約にそんな一文なかったじゃないですか」
「雇用契約に書いてなきゃダメなの!?」
「それに、友達とか……烏滸がましいですよ」
「あっ、……もしかして身分のこととか気にして…?そっ、そんなの友情には関係な、」
「俺と友達になりたいとか烏滸がましいんですよこのパシリ!焼きそばパン買って来い!」
「烏滸がましかったの俺ぇ!?」

「……元気だな、シャルル・ド・サド……」
「あ、テオドール」

 漸く戻ってきたらしい。疲れた顔をした彼はのろのろと席に着くと、紅茶を一口飲んで息をついた。お疲れ様……。俺も真似するようにカップに口をつけ、ほっと一息。

「よく喋るんだな」
「……俺のこと?」
「それ以外に誰が居る」

 ク、クロードとか……。
 嘲るような言い方に俺が少しムッとしていると、テオドールはまた紅茶を一口飲んで続ける。

「植物か置物のような奴だと思っていた。いつも俯いたまま動かないから」

 その発言に、俺は少しだけ目を見開く。
 テオドール、俺の事知ってたんだ……。いや、勿論ニコラの婚約者だからって理由が大半だろうけど、…何というか、眼中にも入っていないと思っていたから純粋に驚いた。
 ……っていうか、何か、普通に話せてる…?
 疲れで反抗する元気がなくなってしまったのか、最初より大分険が取れたように感じられるテオドールの様子に、俺は少しだけそわりと体を揺らしてしまう。
 だって、…だって何かこれ、普通の友達みたいじゃない…??友達家に招くあれみたいじゃない??

「その従者はクビにした方がいいんじゃないか?」
「でもコイツ、この家解雇されたら絶対路頭に迷うから……」


 *

 迎えの馬車に乗る直前、振り返ったテオドールは、どこか言い辛そうに数度口をまごつかせる。何かを言おうとしているのが分かり、俺はそれをじっと待った。そして数秒後、

「……一応教わった身だからな。感謝はしておいてやる。……ありがとう。次もよろしく頼む」

 まさかそんなことを言われるとは思わず、ぽかんと放心する俺。しかしテオドールは俺の返事など元より聞く気がないのか、さっさと馬車に乗り込もうとしている。

 咄嗟に、腕を掴んだ。
 彼の瞳が丸く瞬くのが見えたが、今度は手を振り払われなかった。
 話すのを待ってくれているその沈黙に、じわじわと体が熱くなる。

「ぁ、のっ、……前っ、酷いこと言ってごめん!!」
「……、僕も同じようなことを言ったから、あいこだ。悪かった」


 その後軽く別れの挨拶をして、馬車が見えなくなった頃に隣のクロードにぽつりと告げる。

「……テオドールって甘いものとか好きかな?次いい感じのお菓子とか用意しといてよ」
「………」
「なんで無視すんの!?……クビにした方がいいとか言われたの気にしてる?辞めさせないから安心しろよ。お前が俺の事大好きなの分かってるし!」

 無言のデコピンが飛んできた。

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