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 ひっそり。大きな柱の角から片目だけを覗かせる俺。その目線の先に居るのは、先日俺のことをさんざん扱き下ろしていた宰相令息──テオドール・グラニエ、その人である。
 彼が友人との会話を終え、一人になった瞬間を狙って俺は姿を現した。

「おいっ」
「……シャルル・ド・サド……ッ!!」

 親の仇でも見るかのような視線である。少し気圧されそうになったが、腹にぎゅっと力を入れて何とか耐えた。

「話がある」
「僕にはない」

 取り付く島もなく通り過ぎようとするテオドールを俺は慌てて引き留める。咄嗟に掴んだ手は次の瞬間、不快さを隠さない強さで振り払われた。
 正義を溶かして磨き上げたかのような鋭く輝く視線が、真正面から俺を突き刺してくる。悪人だと断じて、その瞳で罰してくる。
 しかし引くわけにはいかなかった。
 俺は、乾いた喉で一言。

「こ……、恋バナッ、だっ!!」
「……は??」


 *

「……こんなところに移動して、脅しのつもりか?相変わらず救いようのない外道ぶりだな。改心の素振りもないとは…。だが諦めた方が賢明だぞ。僕は暴力や権力に屈するようなヤワな男ではない!」
「だから恋バナだって」

 学園内のとある一角。薄暗く人通りも少ない階段下で、テオドールは怪訝な顔で「何の隠語だ!はっきり言え!」と吠えた。隠語じゃない。

 先日ミシェルと話した後、俺はある計画を思いついた。それが上手くいけば、婚約破棄が回避できるどころか、Sムーブが原因で引き起こされた勘違いも解消され、ミシェルにもう絡まれなくなるかもしれないという、一石二鳥どころではない効果が期待できる非常に素晴らしい計画である。

 その内容はというと、

「テオドール、お前ミシェルのこと好きだろ。恋愛的に」
「はっ、…はあ!?」
「でもミシェルは俺のことが好きだってさーー!!」
「………、喧嘩を売っているのか貴様…っ!」
「違う。協力してやるって言ってるんだ。……ミシェルに好かれたいんなら、とっておきの方法がある」

 そう言うと俺はおもむろに、自身の制服のポケットからシンプルな黒い鞭を取り出した。
 差し出したそれを反射的に受け取ったテオドールは、自身の手元を凝視しながら、一瞬思考停止したように固まって、

「……怖っ」
「それはごめん」

 つまり、作戦はこうだ。
 ミシェルの事が好きなテオドールにSムーブを教え、あわよくば2人をくっつける。
 →テオドールはミシェルの真実を知り、勘違い解消、同時に俺に恩が出来る。
 →ついでにミシェルも押し付けることが出来る。
 結果婚約破棄の危機は去り、俺の平和な学園生活も再開…!!
 ……正直、出来過ぎている。だがその代わり、難易度も高い。
 だってまずは、俺に対する好感度が地を這っているこの堅物を説得しなければいけないのだから。

「ミシェルは、他人に虐げられて喜ぶ特殊性癖持ちだ」
「ふざけるな!どこまでミシェルを侮辱すれば気が済むんだ貴様は!」
「じゃあ何でミシェルは俺から離れないんだ」
「何を白々しいことを…!貴様が脅しているからに決まっているだろう!」
「違う。ソレがあるからミシェルは俺に好意を持ってるんだ。……ニコラが嘘を嫌うのはお前も知ってるだろ。今まで婚約破棄されてないってことは、俺がそういうことをしてこなかったってことだ。俺は、こんなことで嘘なんてつかない」
「………っ、」

 発作的なS発言に関しては、嘘ってことにして欲しくもあるけど……。

 ミシェルのことを恋愛的に好きな男は、この学園内にごまんと居る。その中でも特にミシェルへの溺愛ぶりが有名なのが、先日ニコラに俺の婚約破棄を進言していた三人であった。
 そこから今回の取引の相手としてわざわざ俺を嫌悪しているテオドールを選んだのは、コイツが恋愛初心者と知っていたからだ。

 テオドール・グラニエ。この学園でもトップクラスの頭脳を誇る秀才で、性格は四角四面を形にしたような馬鹿真面目。一度熱くなると周りが見えなくなるところが玉に瑕だが、正義感が強く目上の相手にも臆することなく意見するその姿から彼を慕うものも多い。しかし真面目に勉学に励み続けた彼がそれ以外に目を向けることなどなく……。まあ俺も似たようなものだが。
 そんな、今まで勉強しかしてこなかったテオドールが初めて恋に落ちた相手。それがミシェルだったわけである。
 因みにこの情報は、ニコラ関連の用で王城に出向いた際、テオドールの父親である現宰相様から直接聞いた。自由恋愛での結婚を推奨している家だからか、息子の恋愛事情が気になったのだろう。「何だか最近、息子アレが恋してるっぽいんですが」と、その無表情を心なしか明るくして話しかけてこられた時は、思わず心がほっこりしてしまった。

 宰相様は俺の恩人だ。あのドSの巣窟我が家で俺がまともな感性を持てたのは、誰彼構わず、それこそサド家の使用人ドM以外にも暴言を吐き散らしていた幼い俺を、偶々出会った彼が叱ってくれたからに他ならない。
 それまでの『普通』が、『良くない事』として俺の中に刻み込まれた瞬間だった。当時は大人に怒られたショックが大きかったが、成長するにつれ感謝の念はとどまるところを知らない。今の俺があるのは貴方様のおかげです…!

 話が逸れたが、まあ、つまり、例の三人の中で唯一情報が得られて言いくるめやすそうなのがテオドールだと、……失礼にもそう思った次第である。

「ミシェルのどんなとこが好き?」
「……何故貴様にそんな事を言う必要がある!」
「その程度の気持ちか~~」

 わざと煽るような言い方をすると、分かりやすく憤慨して見せたテオドールは質問の答えをくれた。
 良くも悪くも真っ直ぐ育ってきた奴だからこういう耐性がないんだろう。ちょっと心配になるくらいチョロい。

「…僕の発言が気に障ったらしい先輩方から、つまらない嫌がらせを受けていたことがあったんだが、……そんな時ミシェルは、よく知りもしない筈の僕を、身を挺して庇ってくれた。……優しい子だと…思ったんだ」
「わかる」
「わかられた」

 俺がミシェルに好感を持ったのと大体同じような理由だった。そうだよな…嬉しかったよな…。本当に辛い時に味方になってくれる人って、通常の5倍は輝いて見えるよな…。
 まあミシェルからしてみれば、自身の被虐心を満たしたかったのが100%だろうが、今はその真実には蓋をしておく。

「そんな魅力的なミシェルがモテないわけがないだろ?あいつを好きな奴はこの学園中に大量に居る。……でも現時点で、ミシェルと飛び抜けて親しくなれているのは俺だけだ。みんなアピール方法を間違ってるんだよ」
「……それがコレだとでもいうのか…?しかしあの愛らしいミシェルを傷付けることなど、僕には、」
「愛する人に与えてもらうばかりで、その人が求めている事は嫌だからしない…って、それは本気の愛だと言えるか!?」
「!!」
「見たくないのかよ!ミシェルがんでる顔を!」
「……、そ、それは…」

 異様な雰囲気が場を包んでいた。真面目なテオドールは困惑に瞳を揺らす。
 よし、この様子なら押せばいける!と好感触を覚えた俺は、敢えて先程までの勢いを殺して告げた。

「俺ならミシェルのばせ方を教えられる。……まあ、お前が無理なら他を当たるよ。そしたらそいつがミシェルとくっつくかもな。……指咥えて見るだけで満足か?」
「……っ!……だが、貴様などに…っ、」
「一時のプライドと一生の後悔、……賢明なテオドールなら、どっちを選ぶべきかもう分かってる筈だろ」

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