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43 狩られる側の吸血鬼
しおりを挟む入院期間が終わって大学にも問題なく通えるようになった俺だが、以前の生活と大きく異なる点が1つ。それは、従兄弟である二久君の存在である。
彼はまるで入院期間中と同じように、来る日も来る日も俺に付きっきりだった。大学に行くのにもわざわざ車で送り迎えをしてくれて、出かける際も「心配だから」と横を歩かれるか、そもそも「代わりに俺が」ってな感じで家から出してもらえない。
これ半分軟禁状態なのでは?
講義終わり、ぼーっとした頭でまるで人ごとのようにそんなことを考えていると、突然背後から影が差した。
「空」
「……、一颯」
腕を掴む一颯と、それによって引き止められる腕を掴まれた俺。いつかとは逆の立ち位置に、少しだけ縁のようなものを感じる。
一颯は腕を掴むその手を離さないまま、神妙な顔で俺を見つめた。
「ちょっと話したいんだけど、時間ある?」
「…ごめん、…二久君が迎えに来てるから、」
「……、」
二久君が迎えに来てくれているというのは本当だったが、一颯を避けている自覚はあったので、探るような目を向けられて思わずウッ、とたじろいでしまう。
直後、タイミングがいいのか悪いのか、ズボンのポケットに入れていたスマホから着信音が鳴り響いた。電話をかけてきているのは、ここ数日で俺のスマホの着信履歴を占領している二久君である。
「ぁ、」
「…ごめん、ちょっと貸して」
「一颯!?」
画面に表示される従兄弟の名前を見て少し固まってしまっていた俺の横から、一颯がスマホを掠め取った。
そうして、あろうことか勝手に応答のボタンを押すと、
「はい」
『……誰だ』
「ご無沙汰しています。空の幼馴染の、小早川一颯です」
「い、一颯、」
『…クォーターの』
微かに聞こえた二久君の言葉に驚かされる。二久君は一颯が吸血鬼だってことを知っているんだ。そこまで考えて、それもそうかと自分で納得する。二久君は吸血鬼を見分ける目を持っているし、話すところは見たことが無いけど、二人には何度も顔を合わせる機会があったはずだから。
しかしそれならばより一層、一颯が二久君に攻撃されるんじゃないかと気が気じゃ無くなっていく。
「空と少し話がしたいんですが」
『許可しない。空に代われ』
「来栖さんの銃の射程圏内で構いません。俺が少しでもおかしな動きをしたら撃って下さい。…それならいいですか」
自身の命を取引の条件に出すような事をした一颯に、何を言っているんだ!?と咄嗟にその発言を取り消させようとするが、俺が何かを言う前に口の前に翳された手で発言を制される。
『……、吸血衝動の発現は?』
「…ありました。もう、終わってま、」
『──まさかとは思うが、空の血を吸ったか?』
ゾッ、と身体が凍てつくような低くおどろおどろしい声に、俺達は二人して顔を青褪めさせた。
「……、」
『答えろ』
俺は、言葉を詰まらせる一颯の冷たい拳を包む。
言っちゃだめだ。正直に俺の血を吸ったことがあると言えば、二久君は迷わず一颯を排除しようとする。
冷汗を流しながら必死にその意思を目で訴えかけると、一颯は小さく頷いた。
「…吸っていません。自分の血を舐めたら治まりました」
『……、…30分だ、それ以上は待たない。今から場所を指定するからそこで話せ』
ブツ、と一颯の返答を聞かないままに電話が切れる。
一瞬間があって、一颯は詰めていた息を大きく吐き出した。
「……、はあぁ~、…緊張したぁ」
「お、俺も緊張したよ!!何してんの!?」
「空、最近元気なかったから。それに、何か避けられてるような気もしてたし」
「!」
一颯は少しだけ気まずそうにはにかんで、
「えっと、仕返しとか?」
「ち、違う!!」
「…じゃあ、俺の事が怖くなった?」
「──、」
一瞬面食らったように息を呑んで、その後に慌てて言葉を紡ごうとして。しかしそれは、やけに大きく響いたメッセージアプリの音に阻まれる。
送り主は二久君。そこには場所を指定する文字が映し出されていた。
*
大学の広い駐車場の一角で、俺と一颯は向かい合って立っていた。やや離れた場所には二久君の黒い車が停まっている。中に乗っているはずの二久君の姿は此処からじゃ良く見えなかったが、そこで銃を構えて一颯を狙っているのを想像すると怖すぎる…。
俺は少しでも盾になれれば、と心なしか一颯と重なるように身体を動かした。
「それで、何があったの」
俺の事を理解して受け入れてくれようとする一颯の声に、心が温かくほぐれる様な心地がする。優しく促され、俺は最近起こった怒涛の出来事についてポツポツと話し始めた。
「──なるほどね。
……その上司の言う通り、空は吸血鬼が怖くなった?」
一通り俺の話を聞いてくれてからのその問いに、今度は狼狽えることも無くゆっくり首を振る。
もう自分の中でその答えは出ていた。
「違う。──怖いのは自分なんだ。
まともで、優しい吸血鬼達を一瞬で狂わせる自分の、…黄金律の血が心底怖いんだ。
……一颯のことも。ずっと苦しんでたのも知らずに、のうのうと生きてた自分が申し訳なくて、…今更だけど、合わせる顔が無い、とか、思って…。ごめん…」
「謝って欲しくない。空は何も悪くないから」
すぐさま真剣な表情で返されて、一颯の変わらない優しさに胸が締め付けられる。
故白さんが吸血鬼だと知った時も怖かった。故白さんが、じゃない。前までは大丈夫だったとしても、もしも次俺の血を吸ったら、理性を失わせてしまうんじゃないかって、故白さんが望んでいないことを強制的にやらせてしまうんじゃないかって。自分のせいで、故白さんが絶望に苦しむのが怖かった。
「…前に、故白さんの前で吸血鬼との交流について『苦しむから関わらないより、得られる幸せの方を大事にしたい』って言ったんだ。あの時故白さんには呆れた顔をされたけど、俺は本気でそう思ってた。
……でも今、同じことは死んでも言えない。寿命も、吸血も、俺は苦しむ側じゃない。苦しませる側だった。
…ガイドの仕事は好きで、続けたかったんだ。…けど、そこで俺は、吸血鬼達にとって迷惑な存在にしかならない。……故白さんに、とっても」
離れればいい。関わらなければいい。そしたら誰も苦しませることはない。俺だって、身の危険は減る。
だから、それが一番いいことだって分かっている。…分かっているんだ。
「『故白さん』は迷惑込みで空を雇ったんだよ。ならそれは雇用主の責任で、空が悩むことじゃない」
「……へ??」
強気に告げられた一颯のその言葉に、思わず気の抜けた声が漏れる。
「あと、俺含め、襲ってきた吸血鬼のことも擁護する必要ないから。痛い思いや怖い思いをするのに、空が『苦しむ側じゃない』なんてそんなわけが無いだろ。寧ろ、何襲い掛かって来てんだって怒ってもいいくらいだよ」
一颯はフン、と胸を張って続けた。
「本能の事で、どっちが悪いとか言い出したらもう成り立ちから否定することになるけど、それならどっちもどっちだ。一方的に襲われたら嫌だし怖いのは当たり前。肉食獣に捕食される草食動物が、襲わせてすみませんなんて思うはずないし。空が思い悩むような事じゃない。
……って言っても、多分そっちに心を傾けちゃうのが空らしいけど」
それはまた極端なような…、と思っていると、一颯はまるでそんな俺の心を見透かしたように最後の一言を告げて微笑む。そしてその後、チラリと二久君の居る方向に視線を向けて、
「…正直、俺は来栖さんのやっている事は妥当だと思ってるよ。空の身の安全を考えるなら、空の上司の判断も最善だと思う。……でもそれは他人の、大人の意見だ。
空はそれでも吸血鬼と関わっていきたい気持ちがあるんだろ?だから悩んで、苦しんでる。『故白さん』と関わるのも諦めたくないんだよな」
心中を言い当てられた気がして、息を呑む。それと同時、頭の中で自分の冷静な部分が余計な夢を見せまいと必死に言い訳を並びたてた。
俺は黄金律なんだ。利用価値と厄介さを天秤にかければ、厄介さの方が多くを占めるに決まってる。沢山の人に迷惑をかける。どれだけ自分も傷つくのかわからない。俺の我儘だけで、何とか出来るような問題じゃ──、
「いくら周りに否定されてもさ、もう、出会っちゃったもんは仕方ないんだもんな」
「──、」
俺を見て嬉し気に、そして少し切なさを感じさせるように目を細めた一颯。彼のその言葉に、ドクリと心臓が大きく鳴った気がした。
そうだ。今あるこの感情は、誰がどうやったって形を変えることはない。それはもう、仕方のないことで。
喉奥がグッと狭まって、反射的に顔が歪む。堪らずじわりと熱くなる視界を閉ざして、俺はその瞼の裏に今までの記憶を映した。
俺は吸血鬼専門のガイドの仕事が好きだ。誰かの曇り顔を晴らすことが出来る、笑顔に出来るあの仕事が好きだ。
俺は故白さんが好きだ。普段は不愛想で、態度も悪いしつっけんどんだけど、初対面の俺を身を挺して逃がそうとしてくれたり、危険が降りかかった時は絶対に庇って、助けに来てくれた。落ち込んでいると、不器用ながらも心を配ってくれようとしてくれるのが嬉しかった。
お客さんも無く事務所で一緒に暇をつぶしている時、ふと俺の目の前で故白さんが座ったまま船を漕いでいるのを見ると、まるで気を許されているみたいに思えて口角が上がるのを抑えきれなかったりした。
『空』と時々意味も無く俺の名前を呼ぶあの低い声が、ごく偶に見せる穏やかな飴色の視線が、後から思い出したら胸が酷く締め付けられるくらいに、好きだ。
最後に見た、平静を装いつつも何かを諦めたような虚ろさが混じる故白さんの表情がチラつく。そんな顔見たくなかった。
出来ることなら、俺が何とかしてあげたいのに。
悔しそうに歯を食いしばる俺を見て、一颯はフッと笑うように息を吐いた。
「…あのさ、俺も確かに苦しかったよ。何度も空から離れようとした。…その度に引き戻されて、……ずっと、苦しかった」
「っ、」
「でも、」
一颯は言葉を失う俺の手を両手で握り込んで、その黒眼でまっすぐ俺の視線を縫いとめた。
確実に気持ちが伝わるように、一言一言、ゆっくりと想いが音となって紡がれる。
「それ以上に、やっぱり俺は空の隣に居られるのが嬉しかった。『一緒に居たい』って手を取ってもらえるのが嬉しかった。
今もそうだ。それだけは、嘘にしたくない。
だからさ。…全員が全員、俺と同じわけじゃないだろうけど──、」
ギュウ、と一度手を握る力を強めたかと思うと、一颯は後腐れなくそれを解いた。
そうして、次いで口を「あ、」と大きく空けて、一颯自身の腕を押し付けるような真似をした後、彼はニコッと明るく笑う。
「俺の口に強引に腕突っ込んだ強気の空は、どこ行ったんだよ」
一陣の風が、暗く濁っていた目の前の霧を、全て吹き飛ばしてくれた気がした。
*
スマートフォンの画面に映る着信履歴をボンヤリと眺める故白は、明確な意思を持って翳された親指を画面上に振り下ろすことなくその動きを止めた。もう幾度となく繰り返されるそれを、「いい加減にしろ」と指摘してくる者はここには居ない。
故白がふう、とやや大きめの息を吐くのと、静寂を切り裂く軽快なインターホンの音が鳴り響いたのはほぼ同時だった。
今日は特に依頼は無かったはずだが。怪訝な顔で内側から玄関扉を見やるが、まあ連絡なしの依頼が全くないわけではないし、そもそも依頼ではなくセールスなんかの可能性もある。それを見極めるためにもインターホンのモニターを確認するのは必須だ。
面倒臭え…と呟きつつも、故白は持っていたスマホをそのままソファーに放り、重い腰を動かしてモニター画面の方へとのそのそ足を進めた。
鈍い動きで移動しているにもかかわらず、諦め悪く煌々と光り続ける画面と止まらない音に、「セールスっぽかったら居留守」と多少苛立ちを込めながらその液晶を覗き込んで、
「…は?」
予想外の人物に、玄関の扉を開けるまで少々時間を要したのも仕方がない事だろう。
「客人に愛想笑いの一つも無いなんて、サービス業の店主にしては致命的だと思うんですけど」
「……、お前、」
「もう顔を忘れたんですか?その年齢で記憶力脆弱過ぎませんか」
小生意気な顔で扉を開けた俺を睨みつけたのは、真面目そうな黒髪に、着崩しなど一切ない様子でブレザーの制服を纏った青年。
「……弟」
「黄金井陸です。中に入れてください」
「は?」
「悩み相談をさせて下さい。『何でも屋』、なんですよね。ここ」
「……、」
有無を言わさないまっすぐな目に、故白は少しだけたじろぐ。
正確には吸血鬼専門の店なわけだが、そもそも吸血鬼を知らないこの弟にそれを説明するのは随分と骨が折れそうだ。説明して追い返すのと、とりあえず中に入れて適当に話を聞いて帰ってもらうの、故白はその二つを天秤にかけて、…どちらも面倒だが、追い返す方がよりクソ面倒そうだと結論付ける。
はああ、と盛大に顰めた顔で分かりやすくため息を吐き出しながら、故白は乱暴に頭を掻いた。
*
「お茶菓子とか無いんですか?」
「茶ァ出しただけありがたいと思え」
「僕、客なんですけど」
「ガキから金とるつもりはねえよ」
「……、」
「それ飲んだらさっさと帰れ」
湯気が立ち上る緑茶が1つ、目の前に用意されていた。
ソファーの肘置きに頬杖をついて半眼でそっぽを向く故白に、テーブルを挟んだ対面に姿勢よく腰かけた陸はその黒目を数度瞬かせて、
「お茶菓子とか無いんですか?」
「図々しいのは兄譲りですかオラァ!!」
苛立ちを露わにしながら、故白は自分で食べるはずだったポテトチップスを袋のままテーブルに投げつけた。
つるりとしたテーブルの上を滑って丁度目の前で止まった『お茶菓子』を見た陸は、その後にそれを投げた故白の顔をジッと見つめる。
「あ゛?嫌なら食うなよ」
「いただきますけど。
…空は、貴方の前で図々しいんですね」
「は?」
「いえ。空と似ていると言われることが殆ど無かったので、少し驚いただけです」
バリ、と容赦なく菓子袋の封を開けた陸は、恨みがましい故白の視線をものともせず、一人でパリパリその中身を味わう。そろそろ味にも新鮮味が感じられなくなっただろうという頃、陸は唐突に切り出した。
「何故、急に空を解雇したんですか?」
顔を上げた故白の視界に、パリ、とこれ見よがしに菓子を咀嚼する憎たらしい顔がうつり込む。しかしその一枚を最後に、陸はずっと腕に独り占めしていた菓子袋をテーブルの上へと戻した。
見覚えのある真剣な黒曜が、故白を射貫く。
「辞めたくないって言ってて、貴方も空が必要だって、…辞めさせる気はないって僕に言ったのに」
「大人の事情があんだよ」
「それって何ですか。あの時僕が挙げた解雇理由より納得出来るものだったんですか?」
何故だか、その強い意志の込められた黒目を直視できず、故白は目線をテーブルへと落とした。
「……何だよ。結局はお前の理想通りになってんだからいいじゃねえか」
「誤魔化さないで下さい」
3回はたっぷり深呼吸が出来るくらいの沈黙があって、それを終わらせたのは故白だ。
「──要らなくなった」
「…は?」
「だから、もうあいつは必要なくなった。返すよ、ブラコン弟君」
「……何それ」
強く握りしめた陸の拳が揺れるのを見て、怒ったか?なんて呑気に考えながら、故白はハッ、と見下したように冷たく笑う。
「つーか、アルバイトの解雇理由なんていちいち細かく考えて、」
「──そんな顔で言われても、全然説得力ないんだよ」
「……は?顔?」
鏡でもない限り自分の顔を見ることはできない。
故白は陸に言われた意味を確認するように自身の顔をぺたぺたと両手で触るが、陸はその様子を何故か可哀想な人を見るような目で眺めていた。
「……空は、貴方に解雇されてからずっと元気がないです」
以前、空が弟相手に強く出れないことが不思議だったが、今ならその理由が良くわかる。
眩しいほどに純粋なコイツの正しさは、痛みを伴って胸を焼く。こちら側に疚しい気持ちがあるのなら尚更だ。
「ずっとそのままでいるつもりですか?」
ああ、俺に正しさを突き付けて来るその澄んだ目が、今は酷く痛い。
陸が事務所を去った後、テーブルの上で空になった湯呑と菓子袋をそのままに、故白はソファーに仰向けに寝転がっていた。少し前に放り投げていたスマホを手さぐりに引き寄せて、再び眼前に翳す。やや陰り始めた外と連動して薄暗くなる室内で、明るいその電子画面が故白の顔を無機質に照らした。
着信履歴の一番上にあった『永兎』の文字をジッ、と数秒見つめた後、故白はその親指を軽く画面に落とす。
耳を近づけないと聞こえないくらい小さな電子音が、故白の手の中で控えめに奏でられた。
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