勘違いしないで

椿

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side:織機千鶴

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 突然だが俺には殺したい人間が2人いる。
 1人は人の彼氏に手を出すようなビチグソ外道人間。
 もう1人は、

『付き合うとは言いましたけど、……勘違いしないで下さいね。俺男とヤるのとか無理なんで。そういうの、期待しないでもらっていいですか』

 折角してもらった告白に、そんなドブ塗れのカスみたいな返しをした過去の自分。
 ……何かもう、恥の炎で灰も残さず一息に焼け死んでくれ。

 そういうのを期待しないで下さいねだぁ…???
 馬鹿野郎。

「寧ろこっちの方がギャンギャンに期待してるっつーの…っ!!あ゛ーー……っ、与さん…っ!」

 ドピュ…ッッ!!

 はあっ、はあっ、と息を乱しながら、自身の手に無駄撃ちされた白濁をしばし呆然と眺める。
 呼吸が落ち着いてきた頃、ティッシュで拭ったそれを適当に放り投げて俺はベッドに倒れ込んだ。そのまま、そこに寝そべっている等身大サイズの与さん人形(自作)をぎゅ…、と抱きしめる。下半身丸出しの間抜けな格好で。

 ……ああ、またやってしまった。



「与さんとセックスしたい」
「まーたいつもの発作かぁ」

 大学構内のラウンジにて、唐突な俺の台詞に、幼馴染であり腐れ縁の羽柴糸はしばいとがスマホから目線を逸らさないまま言った。俺の悩みを病気扱いするな。……まあ確かにある種病的な…いや、血的なものが原因ではあるけど…。

 俺、織機千鶴の生まれた生家は、……何というか、捻くれた性格の者ばかりで構成されている、生粋の天邪鬼家系だった。父も、母も、ついでに両親の祖父母やその先祖まで、とにかく素直にものが言えない。
 その精製された血を受け継いだ俺も例に漏れずで、根本にある弱い心を誰にも踏み荒らされまいとするあまり、まるでハリネズミの棘みたく鋭い言葉や態度で周りを攻撃してしまっていた。これはもう理屈ではない。敢えて言うなら血の呪いである。家族全員が、そうやって間違った優位性を保つことで自身を形作ってきていたのだ。
 当然、遠巻きにされるばかりで俺に仲のいい友達は出来なかった。
 しかしそんな俺を見た両親は、自身らが苦しんだ事を俺に経験させてはいけないとでも思ったのか、ことあるごとに俺に「素直になりなさい」と言い聞かせるようになる。すると今度は、捻くれた態度はそのままに、飾らない言葉で正論を並べ立てる無礼千万な男が誕生した。
 当然友達は出来なかった。というか孤立した。
 それを見た両親達は「もうお手上げです」と言わんばかりにポンと優しく肩を叩いてきた。なんだその生暖かい視線は。

「だけどそんな俺にも転機が」
「おっと、馴れ初め回想入っちゃう感じ??」

 手芸を始めたのは単純に遊び相手が居なくて暇だったから。それと、何もしていないと余計なことばかり考えてネガティブスパイラルに陥るので、無心になれる趣味が欲しかったというのもある。親が服飾関係の仕事をしていたことで、布の切れ端や糸やミシン、他にも種々の道具や素材は買わずとも揃っていたし、凝り性な性格もあって俺は順調に手芸の世界へとのめり込んでいった。
 高校に上がって手芸部に入ろうと思ったのは、俺の中での一種の挑戦だった。同じ趣味を持っている相手なら俺も色々教えたりとか役に立てるし、もしかすると仲良くなれるかもしれない。そんな淡い期待を持って赴いた手芸部の入部希望者の集い。
 そこで俺は、後の俺の愛しのピグミーマーモセット兵藤与さんと出会うことになる。

 第一印象は、情けなさそうなヤツ。後輩に馬鹿にされてもヘラヘラ笑ってるし、何か女子部員の尻に敷かれてるみたいだったし。「俺、数合わせみたいなもんだから」とか平気で言って、手芸にそこまで興味がなさそうなのも嫌だった。案の定、部長のくせして刺繍もまともに出来ない下手くそさだったし。
 思わず正直に「ヘタクソ」と言ってしまって、直後、あ、やばいこの人先輩だ、と思い直る。失態を取り繕うように改善点を教えると、俺がやる手本をまじまじと見ていた与さんは「教えてくれてありがとな!」と目を輝かせ、その後のろのろとその真似をして「初めて出来たんだけどっ!」と、まだまだ不格好な、しかし確かに俺の教えたやり方が見えるその完成品を笑って俺に見せてきた。
 今までにない反応に、俺はちょっとだけ戸惑う。……あとは、まあ、別に手芸にそんなに興味が無かったのだとしても、仲良くなれる人は居るのかも……、なんてことを思ったりした。

 当時手芸部に入った一年は俺だけで、先輩達は皆優しかった。家族と幼馴染の糸以外で久々にまともな会話が出来ている気がして、ここが俺の居場所になるのかもしれない、なんて浮足立つのも仕方がない。
 だから、入部からひと月程が経っていたある放課後、

「でも正直オリハタ君さぁ、」

 部室に入る前にそんな声が聞こえて、嫌な既視感に背筋が冷える。ドアノブにかけようとしていた手を咄嗟に止めて、俺はその場で立ち尽くしたまま聞き耳を立てた。こういう時の話題は大体俺への愚痴だと分かっていたから。悲しい自己防衛である。
 優しい先輩達を信じたい気持ちと、今までの経験則による不安が交互に心を染めて、胸をぎゅ、と鈍く締め付ける。
 そして、やはりと言うべきか。続けて聞こえてきたのは、今まで溜め込んでいたのであろう不満だった。

「言い方キツいよね」「顔綺麗だからまだ許せるけどさあ」「空気凍ってるの分かってないのかな」「読めないんでしょ、空気とか」「人の気持ち考えられないんだろうね」「っていうかどうでもいいんじゃない?私達の事とか。絶対ナメられてるもん。コイツら何言っても怒らないしーみたいな」「我慢してんの!」「……何かしんどいねー」

 受け入れてくれたんだと、馴染めているんだと一方的に思っていたけれど、それは先輩達の努力と我慢の上に成り立っていた勘違い。優しさに甘えるばかりで、何にも気付けずにいた自分の厚顔さが憎かった。
 この場では女性の声しか聞こえなかったが、一番俺と接してくれて、一番俺が辛く当たっていただろう部長もきっと彼女達と同じような事を思っているに違いない。だってあの人は、率先して俺に話しかけてくれるぐらい特別優しいから。特別、我慢もしている筈なんだ。
 俺に向けてくれていたあの笑顔が嫌悪に歪められるのを想像して、じわり、と視界がぼやけた。

 その時、

「不器用なだけじゃん?ちょっとキツいこと言った後、絶対『あ、まずい!』みたいな顔するし」

 先輩の、与さんの声だった。
 部室に居たのか。背筋が冷たくなる。もう聞きたくないのに、足が地面に張り付いたみたいに動かなかった。
 どうしよう、もし、あの人にまで──、

「えーうそ、する?」
「するする!結構可愛いから今度見てみなよ。千鶴君、基本あんま喋んないけどそれも言葉選んでるからだろうし、実はすげえ気遣ってんじゃないかな。俺は好きだけどなー。はっきり言えるのもカッコいいじゃん。あ、あとほらこれ見ろ!千鶴君のおかげで上達した俺の刺繍!!」
「まだガタガタじゃん」
「違う!ガタガタだと分かるレベルになったの!」
「まあ確かに~?あたちん前まで線だったもんね」
「……下手な俺を即見捨てて放置するお前らより、根気強く丁寧に教えてくれる千鶴君の方が100倍優しいでーす」
「それはそう」
「ごめんだって面倒臭いんだもん」

「俺は千鶴君が入部してくれてから、手芸楽しいなって思えるようになったからさぁ。一方的に感謝してんだよ」


 与さん。
 きっと何気なく言ったのであろう貴方の言葉が、どれだけ俺を救ったか分かりますか。


「はい好きになっちゃいましたと。次次。巻いて。時間押してっから」
「もっと心して聞け」
「もはや耳にタコの根性焼き暗記レベルなんだけど」

 与さんへの恋心を自覚してから、彼限定で俺の捻くれ度合いは加速していた。今まではそれなりに正直に接せていたけど、……やはり血には抗えない。好きな人の顔を見ると、どうしても素直になれずに余計な一言ばかり言ってしまう。
 一応各種イベントにあやかってアピールをしてみたりもしたが、誕生日を把握するのに一年かかったし、張り切って買ったプレゼントも渡せずじまい。連絡先は聞いていたけど連絡しようとすると緊張して、長期休み期間は遊びに誘えたことも、ましてや一緒に遊べたことなんてない。クリスマスは手芸部みんなでプレゼント交換をするということでチャンス!と思ったが、与さんのために編んだマフラーはくじ引きの結果他の先輩に当たってしまった。バレンタインにもチョコは持って来ていたのに、与さんに見られて「お!貰ってる~!」なんて言われてしまえば頷くしかなくて、家で一人で食べた。両親からは生暖かい目で見られた。だから肩をポンとするな!!

 ……あれ、今更だけどもしかして俺、まともなアピール出来てない……???

 元々ネガティブな理由で始めた手芸は、与さんの事を思う度に段々と楽しいものへ変わっていった。悩み事がある時も大体は与さん関連の事だったから、与さんの事を考えながら手を動かしているといつの間にか気持ちが楽になる。比例するように与さんを模したぬいぐるみや概念グッズは増えていったが。

 卒業式の日までに何回もこの気持ちを伝えようとは思っていた。でも、正面から目が合うと好きが溢れて、それ以外何も考えられなくなる。そのくせ素直にもなれないから、結局最後まで告白は出来なくて……。

 そんな、勇気の無い俺を、
 ──与さんは、好きだと言ってくれて。


『そういうの、期待しないでもらっていいですか』


 シネッ!!!!俺ッッ!!!!


 思い出し黒歴史にガンッ!ガンッ!と机に頭を打ち付ける俺に、隣の糸はもう慣れているのか目線すら寄越さない。

「馬鹿だねー。何でそんなこと言っちゃったの」
「…………がっついたら、怖がらせるかもだし」

 手芸部の先輩達の話から、与さんの恋愛対象が女性だということは知っていた。俺はどちらかというと女顏っぽいから嫌悪感が無かったのかもしれないけど、そんな奴が恋人になったからって急に男を出して来たら流石の与さんも引くだろうし、……だからっていってあんなこと言った手前、もう今更シたいですなんて……しかも俺が与さんを抱きたいだなんて言えるわけがないし!!
 俺がこんな事を考えているなんてバレたら嫌われるかもしれない……っ!!

「あの人に嫌われたらマジで生きていけない……。与さんは俺の全部だから、世界中の何よりも大事に大事に扱って……ホットミルクとか、飲ませて、ふかふかの毛布に包んで、安全な場所に……、」
「だけど~?」
「滅茶苦茶のドロドロに甘やかして合意で四六時中ヤりたい。想像したら勃起してきた」
「本当におもしれー男だよお前」

 与さんの家は知らないし、行ったことないし、俺の家にも招いたことすらないのに、架空の同棲妄想だけはいつでも高解像度だ。
 ……家、とか、駄目だろ。そんな。破廉恥ですよ。気安く人を上げないで下さい与さん。
 俺の家は………、先輩グッズで溢れてるから、絶対に見せられないんだけど……。

「こんなキレーな顔しといて童貞なんだもんなー」
「は?当たり前だろ。与さんに挿れさせていただくブツをどんな病気持ってるか分からない有象無象の体液で穢してたまるか。俺は与さんに童貞を捧げるんだ」
「重ーー。きちぃーー」

 そういう女は寄ってくるけど、目当ては大体俺の顔だけで、この捻くれた内面や口の悪さに触れたら皆離れていく。あ、違った、みたいな顔をして。でも与さんは違う。与さんは全部知った上で俺を好きだって………え?与さんが俺の事を好き??どんな確率の奇跡??そう思ったら何かこの世にある殆どの悩みどうでも良くなるな。

「与さんに愛されてる俺、無敵」
「今日も飛ばしてんね、ちづ」

 俺の事を子供の頃から変わらない愛称で呼んだ幼馴染は、漸くスマホを伏せてまともにこちらを見たかと思うと、足をブラつかせながら続ける。

「俺はどっちかっつーと『大事にしたい』より『困らせたい』派だけどなあ。あたちゃん先輩って皆に平等に優しいって感じだから、……何つーか、俺の事だけ考えて悩んで欲しいし、特別扱いして欲しくなるよね」

 最後にヘヘッと人懐っこく笑った糸を、俺は心底恐ろしい物を見る目で眺めた。コイツ……なかなか理解わかってやがる。でも与さんに対してそんな事を望む人間はこの世に二人と要らないんだよ。

「消えてもらうしかない」
「俺だってこの地球で一生懸命生きてる命っ!」

 恨みを込めた暗い目をジッと逸らさないで居ると、糸は何かに気付いた風にして俺の後ろを指さした。

「あ、あたちゃん先輩」
 ガタッ!!
「うっそぴょーん」

 バシン!!と中途半端に立ち上がったままの姿勢で糸の頭を思いっきり叩く。「ギャ!!」と痛そうな声を上げていたが自業自得だ。どちらかというと振り向いた先に与さんが居なかった俺の心の方が痛い。

「お前二度と与さんの、」

「──俺?」

 ………幻聴か????今俺の横から愛しの与さんのお声がした気が????
 澄んだ声の方向にぎぎぎと顔を動かすと、キョトンとした表情でこちらを見る与さん(実体)の姿があった。

 光ッッッ!!!!!
 急に視界に入れてしまった俺だけの太陽の眩しさに、堪らずギュッ、と限界まで目を細める。

「千鶴君、今俺の名前、」
「は??勘違いしないでくれます????近所の愛くるしいピグミーマーモセットの話ですけど????」
「そ、そっか、ごめん聞き間違い。えっと、相変わらず羽柴君と仲良いな?」
「別に仲良くないです勘違いしないでくださいだからコイツとは話さないでくださいってば!!」

「あたちゃんせんぱーい!♡」と恐れ多くも与さんに触れようとしている糸の手を全力で叩き落とし、与さんにも注意喚起を欠かさない。俺が居なければ与さんとの接点も無かった筈の糸だが、与さんから溢れ出る魅力のせいかこの彼も高校時代から与さんに良く懐いていた。俺が居なければ接点も無かったくせに(2回目)。

「……で、何の用ですか」
「あ、そうだった!千鶴君、サークルとかもう決めた?もしまだ決めてないなら、良かったら俺が入ってるとこ、」
「入ってあげてもいいですけど」
「く、食い気味っ」
「えー俺も入ろっかなー!掛け持ちOKっすよね?」
「う、うんそれは大丈夫だけど、二人共まだサークル名すら聞いてな、」
「糸お前は駄目だ!先輩もヘラヘラ笑いかけないで下さい!!」
「いひゃひゃ、ごえんごえん……!」

 頬を軽く引っ張ると、与さんは痛がりながらへにゃへにゃと笑った。可愛い。
 というか……さ、触っちゃった。頬っぺたマシュマロかってくらい柔らかかったんですけど。この感触、永遠に残しておきたい。洗いたくない。でも与さんの前ではいつでも清潔感のある俺でいたい。ふわっとしてた。もう一回触ってもいいかな。少し勃ちそう。どうすればいいんだ……っ!

 この一瞬の思考を全て読んだかのような糸は、うわっ、と引いた眼差しをこちらに向けていた。貴様は早く去ねっ!!

「サークル、入ってくれてありがとう。千鶴君」
「べっっ……つに、先輩がいるから選んだとかそういうんじゃないですから。純粋にそのサークル活動に興味があるだけで」
「まだ何のサークルかも言ってない筈なんだけどな……」

 「創作サークルね」と与さんが笑う。はいトキメキ散弾銃によるキュン死。今日も無事心臓射貫かれてメロメロです。現場からは以上です。
 正直どんなサークルでも与さんが居るならそれだけで都だ。ああ、本当に同じ学校に付いて行ってよかった……。かつ、これで同じサークルにも入るってことは、これからも与さんと沢山一緒に居れるって事だろ?……なんだここが桃源郷か。

「今度新歓あるんだけど、千鶴君どうする?」
「……先輩は?」
「うん?俺は行くけど」
「じゃあ行きます」
「あ、もしかして不安だった?知らない人居ないの心細いもんな!大丈夫、俺がついてるゼッ☆」

 ……なに…その……はあ…なにそれ……。ついてるぜって……なに……むり……愛しさが留まるところを知らない…。動き続ける点P。このPはピグミーマーモセットのP……。ずっとついてて下さい一生ついててください。

 緩んで崩壊しそうになった顔を、俺は頬の内側を噛んで一生懸命引き締める。

「……違いますけど。ハブられてる先輩と一緒にしないで下さい」
「ハブられてないよ!?」

 与さんに吸い寄せられてる虫のチェックもしないとな。




 *


「はあっ、はあっ、与さん……っ!与さん、出すよ……、ぁ、でるでる…っ!!」

 放たれた精液は与さん人形(自作)の顔にかかり、まるで本人に顔射しているかのような錯覚をおこす。俺はそれに見惚れながら、管に残った液をも全て出し切るように夢中で自身を擦った。

 そして、ややあってはーー…っ、と落ち着いた後、自身の欲で汚れた人形を見て多大な罪悪感が一手に襲いくる。
 ……ごめんなさい。後でちゃんと洗います。

 ああもう、与さん本人に何も出来ないからって、こうやって彼に似せた人形を好き勝手扱って自慰行為……。異常性壁にも程がある。なんて汚い奴なんだ俺は。こんなの絶対に与さんに知られるわけにはいかないし、間違っても本人に顔射するなんてことは……やめろ、想像して勃つな馬鹿。そこはいつでも正直か馬鹿!

 抑えなきゃ、我慢しなきゃだ。俺は与さんに嫌われたくない。こんな醜い衝動を、あの優しい人に見せるわけにはいかない。




「千鶴君は次何飲む?」

 これは無理。勃起でよし。

 目を見開いて無言でガン見する俺に、与さんは「?」と少し戸惑ったようにはにかんだ。可愛さ5000億点か???

 新歓が始まってすぐ。まだ一杯しか酒を飲んでない筈なのにもかかわらず、既に少し頬が赤く普段より目元がトロンとしている与さんは可愛くて正直ちょっとエロい。
 そもそも今日は視界に入れた時からエロかった。何かちょっと気怠げないつもと違う雰囲気で、俺を誘うフェロモンでも出てんのかってぐらい色気の振り撒き方がエグくて……いや、自分の目が曇っているだけかもしれないけど。というか絶対そうだけど。

 でもこれ、酔った先輩介抱するとかでワンチャンあり……?いやいやアホかそんなの強姦と同じだし。
『ちょっと強引なくらいが関係を進展させることもあるって!俺達付き合ってるんだし!やっちゃえやっちゃえ!』
 俺の中の悪魔が…っ!天使!止めてくれ!
『そんなの駄目!合意がないままじゃ与さんの信頼を失うことになる!目も酔いも醒めた後に介抱してあげた恩を売って確実に肉体関係を迫るのがベストだ!』
 そうだそうだ!!……ん??違う!!天使も倫理観ヤバい!!!

 落ち着け。俺が最初に『男とヤるの無理』って言ったんだろ。………本当に過去改変したい。
 強姦は駄目だとして、ま、まあ抱き寄せるぐらいは許されるだろ。与さんの火照った身体……ほかほかの与さん……はあ……はあ…。
 注文表を見ている与さんの肩にさりげなく手を回そうとしていると、その更に奥の優男風の顔をした先輩と目が合った。……そういえばさっきコイツ、俺の与さんの手をベタベタ厭らしく撫でまわしていたな。
 殺意に塗れた視線を向けると、彼はそれを鼻で笑い飛ばした後に「僕次何飲もうかな~」なんてわざとらしく与さんと肩を組んでみせた。それも物凄く自然な動作で。
 イラッッ!!心の炎がメラリと勢いを増して、顏が引き攣る。すかさず「俺が頼みます」と割り込んで、不埒な優男先輩の腕はベシベシと跳ね除けておいた。
 やっぱり害虫居た!!!

 そのすぐ後に、近くに座っていた初対面の女の先輩から「彼女さんどんな子なの?」などとプライベートな質問をされて大変不快だったが、逆に良い機会かも……と考えを改めて回答する。

「いないです」
「えー!そうなのー!?」
「婚約者なら居ます」

 優男先輩への牽制と、後は単純に与さんへの求愛の台詞だったのに、さ、流石に婚約者とか言うのは調子乗ったかな……とか照れ臭くなりながら与さんを見たら、全然こっちの話とか聞いてなかった。酒一気してる!何で!!
 周囲からのヒューー!!という祝福の喧騒に反して、俺の心は冷え切っていた。

 飲み会終わり、飲み過ぎてヘロヘロになっている与さんを襲うのを我慢しながら、そして狼から守りながら家まで送った。
 自宅に帰りついてから、酔ってパーソナルスペースが狭くなっていた与さんを思い出して抜いた。帰路で繋いだ手の感触を思い出しながら、与さんに触れていた方の手で扱く興奮は凄まじくて……。勿論、出した後に我に返って自己嫌悪するまでがセットだったが。




 *


 その日俺は、いつもの大学のラウンジで机に顔を突っ伏して死んでいた。隣でスマホゲームに興じている糸は、忙しなく手を動かしながら告げる。

「終わったな。水かけんのは流石にねーわ。あたちゃん先輩俺が貰っていい?」
「ふざけんな冗談でも言うなそんな地獄みたいなこと死にたくなるから。……でも正直濡れてキョトンとした先輩見て興奮した…」
「お前さあ。ほんっとお前さあ。反省しろ??」
「反省してる」

 でもさ、恋人いるのに女との浮気勧めてくるとか何??普通そういうの嫌じゃないの??嫉妬しないの??俺の事好きじゃないの?………別れたいとかじゃ、ないよな…?

 鼻の奥がツンと痛み、重力に従って垂れてきた鼻水をズビッと啜る。

「もー泣くなよおーー」
「ないてないし……」
「早く電話とかして謝れば?あたちゃん先輩の顔見えなかったら素直になれるんだろ?」
「それじゃ誠意に欠けてる……。直接会いにいく」

 与さんの顔を見るとドキドキして素直になれない。俺の血がそうさせる。……いや血で誤魔化すな。ただ単に俺の性格の問題だ。
 好きで好きで仕方がないのに。大切にしたいのに。何でそれが出来ないんだ。あの時もカッとなって水ぶっかけるんじゃなくて、もっと冷静に話を聞けばよかった。与さんも何か理由があってあんなことを言ったのかもだし……。

 変えたい。変わりたい。
 ちゃんと目を見て、与さんに好きって言いたい。


 ……と思ってたのに、謝罪のためにかけた電話口では何かはあはあ言っててエロいしさああああ!!!筋トレらしいけど、いつもこんなエロい声で筋トレするんですか与さん??ボイス購入可ですか与さん???

 どこかバタついた様子で出て来た与さんは薄っすらと汗をかいていて、上気した頬と少しだけ浅い呼吸も相まって完全に事後。汗のせいだろうか、心なしか家の中からもむわっと湿度の高い空気が香って来る気すらする。さっきまで自慰をしていましたと言われた方が納得出来る艶やかさだ。
 何ですか性の権化ですかもしかして俺を試しているんですか与さん。
 俺の股間は軽率に「御用で?」と返事をしていた。お前ーーー!お前お前お前ーーーっっ!!こうなる前に誰か止められる奴はいなかったのか!!対与さん時の勃起許可チェック毎回ガバガバだな!!

 与さんは無防備なところがあるから、とにかく絶対にして欲しくない事を(主に先日の4年の先輩方との絡みを思い返しながら)言い含めて……、……あの、えっと、触ったのは許して欲しい。俺にだって定期的に与さん供給は必要だし……はいただ触りたかっただけですごめんなさい。
 他の男と密着するのは駄目、手先すら触らせるのも駄目。そんな余裕のない俺の我儘にも与さんは快く頷いてくれたのでホッとした。
 同時に与さんを窮屈に縛ることでしか安心できない自身の幼稚さを再認識させられて、自己嫌悪に顔が歪む。

 ……因みに帰ってから3回抜いた。




 *


 夜、近所迷惑など考えないままに与さんの家のインターホンを連打し、当然の如くうんともすんとも言わない扉に言いようのない絶望感を味わう。

 ……最悪だ。
 飲み会。確かにあの赤毛のチャラい危険人物が与さんを誘ってたけど、そのすぐ後に俺が浮気は駄目だって言ったし、……まさか与さんがそこに行くとは思ってなかった。油断した。

 今頃はもう、与さんは先輩2人に……、

 ガンッ!!と思い切り扉を殴ってから、俺はその震える手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。


 電話越しに与さんが言っていた『ずっと千鶴君に抱かれたくて』が本当なら、俺の罪の度合いが跳ねあがる。与さんに要らない我慢をさせて、不安にさせて……。そんな俺のせいで与さんは、2人がかりで好き勝手身体を暴かれてしまうんだ。
 はあ、本当にもう死ねば良いのに、俺。生きる価値も無いクソゴミ雑魚。それなのにゴキブリ並みの生命力。誰か一思いに強力な殺虫剤とかのプールに沈めてくれ。いや誰が俺みたいなやつのために犯罪者になってくれるんだよ。勝手に腹切っとけよ。この期に及んで更に人への迷惑を更新しようとするとかガチ中のガチ生ゴミ……。

 こんなことならちゃんと知り合い作っとくんだった。俺の電話に出た先輩の家なんて知らないし、そもそも名前すら曖昧だ。一応警察に電話してみたが、聴かれた情報に何の返答も出来ない俺の様子に、悪戯電話かと一蹴されてしまった。唯一の頼みの綱の糸(顔が広い)もバイト中なのか電話は繋がらないし。サークルの同学年とはまだ連絡先の交換なんてしてないし……というか前に与さんの前で交換を促されたけど浮気と思われたくなくて咄嗟に拒否ったし……。
 詰んだ。警察と糸、2か所の電話だけでもう詰んだ。しかも成果なし。何??もう呼吸すら烏滸がましいんだけど。

 ……与さん、嫌がってるかな。怖い思いしてるかな。
 ……もしも万が一、俺の妄想上の与さんみたいに、何されても「いいよ」って受け入れてめちゃくちゃ感じてたらどうしよう。
 いつもなら興奮するその脳内映像も、今は寧ろヒヤリ、と背筋が冷える感覚があった。どうやら俺には寝取られ適性はなかったみたいだ。心底どうでもいいことが判明した。

 それからどれくらい時間が経っただろうか。与さんの部屋の前で座り込んでいた俺は、聞こえた足音にバッ!と弾かれたように顔を上げる。

 薄暗い中でもはっきり見えた与さんの顔に、傷心は全く見て取れなかった。寧ろどこかスッキリと、爽快感すらあるように思える。

 頭が真っ白になった。




 *

 強引に家に押し入って、嫌がる与さんを無理矢理ベッドに押し倒す。あの2人に触られたところを隈無く上書きしたくて、与さんを取り戻したくて必死だった。その合間にも酷いことも沢山言って、与さんを傷付けて泣かせてしまう。
 何泣いてんだよ。こっちだってショックだし泣きたいよ。何考えてんの与さん?本当に俺のこと好きなの?それなら何で他の人に抱かれてそんな平気そうなんだよ。

 途中、件の先輩からの着信を取ろうとしていた与さんに苛立って、俺は横からそれを奪い取った。

「何の用ですか気持ち良かったよとかいう事後報告ですか死ね」
『うおっ、後輩。……えっと、与は無事か?』
「それ教える義理あります?」
『イエ~イ後輩君~!大好きなアタエ君寝取られた感想どう~~?』

 第一印象の落ち着いた雰囲気とは全く異なるフブキ先輩の声もする。与さんに警戒心を持たれないように猫被ってやがった。姑息な真似を。絶殺。
 過ぎる怒りにミシ、と与さんのスマホが軋んだ音を立てた。

『揶揄うな吹雪!おい後輩、俺ら与に手出したりしてねえからな。もし何か修羅場になってんなら与がヤベェと思って……それだけだ。じゃーな、泣かすなよ』

 それきり通話は切れて、俺は呆然と与さんを見つめた。

 俺の勘違い。
 一気にストンと肩の力が抜けて、俺はそのまま与さんを抱きしめた。
 ……そして、縋るように掻き抱いたその最中に考える。
 今回は勘違いだったとしても、これは今後また絶対に起こらないとは言えない出来事だ。俺に愛想を尽かせた先輩が他に靡くことも十分あり得る。それが物凄く怖かった。
 ちゃんと与さんを不安にさせないように、少しでも気持ちが伝わるように、抱きしめたまま言葉を募るが、それは無情にも与さんに引き剥がされる。


 その顔を正面から見たら、途端に言葉が出て来なくなる。素直になれなくなる。
 それでも、誠意を見せたくて、

「……か、勘違いしないでください。俺はアンタの事なんて別に、……好きじゃ、な、……く、ないんです、から……っ」

 俺なんか真夏の腐った生ゴミです。本当に馬鹿情けない。ダサい。何だよ好きじゃなくないって。好きとだけ言えばいいのに。……与さんにも、きっと呆れられて──、

 そんな自己嫌悪に塗れた思考は、俺だけを見て嬉しそうに笑う与さんによって全て消え失せた。


「うん、俺も大好き。……だからさ、俺が千鶴君から離れるとか、
──そんなあり得ない勘違いしないで?」


 ちょん、と鼻に触れた指から、一瞬で全身に幸福が伝播する。
 やっぱり、与さんに愛されている俺は無敵になれるみたいです。

 ……あ、もしかしてこれが脳イキ??


おわり
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感想 1

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みんなの感想(1件)

りじゅ
2022.12.28 りじゅ

ツンデレ攻めが読みたくて探していたらこの作品を見つけました。千鶴のツンデレ度、最高すぎです!愛しい!!与を前にすると、とんでもないツンデレ発言しちゃうとことか、もう全てが可愛い!!椿様の文才が恐ろしいです、とにかく面白くてあっという間に読んでしまいました!!素敵な作品をありがとうございます。2人の後日談なんかがありましたら、是非読みたいです🫶

椿
2023.02.28 椿

ご感想ありがとうございます!🥰「ツンデレ攻めが読みたくて」!?!?ツンデレ攻め好き同志様がここにいらっしゃった…!😭🤍
勢いだけで書いちゃってますが、そう言っていただけて嬉しいですー!!元気いただきました🥰

解除

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子爵家の私生児であるマクシミリアンは、その美貌と言動から魔性の男と呼ばれていた。しかし本人自体は至って真面目なつもりであり、純愛主義の男である。そんなある日、第三王子殿下のアレクセイから突然呼び出され、とある令嬢からの執拗なアプローチを避けるため、自分と偽装の恋人になって欲しいと言われ​─────。 アルファポリス先行公開(のちに改訂版をムーンライトノベルズにも掲載予定)

王子様の愛が重たくて頭が痛い。

しろみ
BL
「家族が穏やかに暮らせて、平穏な日常が送れるのなら何でもいい」 前世の記憶が断片的に残ってる遼には“王子様”のような幼馴染がいる。花のような美少年である幼馴染は遼にとって悩みの種だった。幼馴染にべったりされ過ぎて恋人ができても長続きしないのだ。次こそは!と意気込んだ日のことだったーー 距離感がバグってる男の子たちのお話。

絶対にお嫁さんにするから覚悟してろよ!!!

toki
BL
「ていうかちゃんと寝てなさい」 「すいません……」 ゆるふわ距離感バグ幼馴染の読み切りBLです♪ 一応、有馬くんが攻めのつもりで書きましたが、お好きなように解釈していただいて大丈夫です。 作中の表現ではわかりづらいですが、有馬くんはけっこう見目が良いです。でもガチで桜田くんしか眼中にないので自分が目立っている自覚はまったくありません。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました!(https://www.pixiv.net/artworks/110931919)

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