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しおりを挟むふ、と意識が覚醒する感覚。薄く目を開けると、優しい朝日が部屋を満たしているのが分かった。眩しさに唸りながら一度布団へと顔を埋めたが、もう起きる時間だ。追加で二、三度往生際悪く寝返りをうってから、もぞりと上体を起こす。
乾燥で霞む目をしばたたかせて、最初に視界に飛び込んできたのは白い狐だった。
「……?…ぁっ、きつね…っ!?」
わたわたと這いずって手を伸ばし、慌てて捕まえるが、
…抱きしめたそれから感じたのは、嗅ぎなれた実家の匂い。
まだ寝ぼけていたみたいだ。これはいなすけ。
視界が明瞭になると同時、きゅるるっと腹が鳴った。
よし、今日も頑張ろう。
*
朝食の後、狐神が罠にかかっているかを確認するため、俺は御蔭さんと手分けをして昨日の場所を巡っていた。
あれ?
その内の一つ、この騒動の原因でもある燃えた御神木の前に人影。
もしや先日の女子…!?と一気に緊張感が身体を駆け抜けたが、どうやら違う。
佇むのは着物姿の少年。
背丈から考えて、年は12、3程か。柔らかそうな黒髪と、成長途中の華奢なその身体は、この敷地内では初めて見る姿だった。
凛と芯の通った姿勢の良さ、そして悠然と落ち着きのある立ち姿からは、年相応の幼さを感じさせない。纏う空気はどことなく清涼で、まだ煤けた匂いが強いこの場所であっても深く息を吸いたくなる。
こちらの気配に気づいたのか、彼がゆっくりと振り返った。
視線が合う、その刹那、
──俺は手に持つ虫取り網を振り下ろしていた。
「きっ、狐捕ったーーー!!!」
少年の頭にスッポリと網が被る。俺はそれを外されないよう、下方向の力を込めながら、この後はどうすれば!?と全力で頭を回転させていた。
狐神だ。化けて出たんだ。それは確信だった。
だってこんな場所に子供なんて居るはずがないし、それに、普通の子供とは明らかに雰囲気が──、
「捕らわれてしまった」
「シャベッタァ!?」
何と、狐は人に化けると言葉まで解すらしい。
驚きすぎて、網を少年の頭に残したまま飛び退いてしまった。手から遠のいた持ち手に気づいた俺は、慌ててそれを掴み直す。
あ、あぶなー!この一瞬に逃げられなくて良かった…!
「あのっ、御神木…、い、家?身体?燃やしちゃってごめんなさい!わざとじゃなくて…、でも本当にごめん!!」
相手が喋れると分かり、今なら話が通じるんじゃないかと思った俺は、まずはじめに誠心誠意謝った。同じ人間の姿をしていたから自然とそんなことが出来たのかもしれない。
自分のしでかしたことをきちんと清算して、それから、
「君の力が必要で、ここに居てくれないと困るんだ!お願い。捕まえさせてください」
逃げられないよう網を頭に被せた無礼極まりない状態ではあったが、俺はその場で深く頭を下げて懇願する。
すると、頭上に近い位置から、くす、と柔らかな吐息の音。
目線を上げると、網の奥でチラリと覗いた少年の口元が、確かに微笑んでいた。
「お兄さんにそんなことを言われてしまったら、むしろ自分から捕まりにいきたくなってしまうな」
「……へ」
成長期前の透き通った声で紡がれる言葉。
会話のやり取りが成立している。分かっていたことだが、それを実際に体験すると少なからず驚きの感情はあって、
少年の動きに咄嗟に対応できなかった。
彼は自身の顔に被っている網の輪を掴み、ぐっと上に引き上げる。
「勘違いさせて申し訳ないけれど、僕は狐ではないよ。
──それでも、捕まえて可愛がってくれるのかな?」
網に阻まれていた顔が、日光の下に惜しみなく晒された。
先ほど振り返った瞬間に視線が合ったりもしたが、はっきりと顔を見たのはきっとこれが初めてだった。
人形のように愛らしい、とは正にこの人のことを指したものだ。
試すような笑みと共に、細く滑らかな黒檀が揺れる。くすみひとつない白い肌は、ハラリと額にチラつく濃色との対比でより儚く透き通って見えた。
目も、鼻も口も、毛の一本一本に至るまで、全てが上等な工芸品に相当するかの如く端正な作りをしていて、配置だって左右鏡合わせに整っている。
まるで非の打ちどころのない、人間離れした精巧な美の完成形がそこにはあった。
思わず呆然と息を呑んでしまっていた俺だったが、彼の言葉が漸く頭にまで届いたその瞬間、我に返る。
そして、自分がやってしまったことの重大さにザッと全身から血の気を引かせた。
見知らぬ人間を虫取り網で捕獲してしまった。
「しっ、失礼致しましたあッッ!!」
ズザザァッ!と飛び退く勢いで距離をとり、直角以上に腰を折る。もしかしたらいっそ地に伏せるべきだったのかもしれない。
まずい!狐神じゃなかった!完全に狐神かと!
客人?御三家の中の誰かの親族?使用人…はない。明らかに育ちの良さが全身から迸っている。元お嬢様(らしい)母がそんな感じだったから、そういうのには敏感なんだ俺は。
何にせよ、どこかの当主と関係があるのは確実…!
本当にまずい!!余罪が増える!!
「そんなに畏まらないで。僕とお兄さんの仲じゃないか」
「どっどんな仲!?」
弾かれたように顔を上げた俺に対して、少年は、からかいが成功したことを喜ぶような、子供らしい無邪気な笑みを浮かべていた。
「きょ、今日は、どなたかへの御用で…?」
おそるおそる。語りかける言葉は自然と敬語だった。
彼は俺の問いにその小さな頭を軽く振ると、すぐそばの、黒い幹しか残っていない御神木を見て言った。
「焼け跡を見に来たんだ。そうしたら側に罠が置いてあって、見知った気配だったから気になった。そのすぐ後にお兄さんと会えたんだよ。これは運命かな?」
最後の歯の浮くような台詞の返答に困る。
何故俺にそんなことを言うんだという純粋な戸惑いと、御神木を燃やした張本人が自分だと言う負い目もあって中々に気まずかった。
運命ってそういう意味?もしかして俺が木燃やしたって知ってる??こんな子供にまで悪名知れ渡っちゃってる??
そんな中、不意に一歩距離を詰められて、驚いた俺は同じだけ後退ってしまう。
それでもまだ近い、こちらを下から覗きこむ少年の目が、ふ、と優しく弧を描いた。
「貴方に任せておけば大丈夫そうだ」
「え?」
何を?
しかしそれを聞き返すより早く、身を翻した彼は俺に背を向け歩き出す。最後に「あ、そうだ」とだけ思い出したように振り返って、
「母君のお加減はどう?」
「えっ??ぁ、だ、大丈夫そう、です…?」
「そう、良かった」
えっ?何で急にお母さんの事?
というか何で、俺の母が今具合を悪くしていることを知って──
怒涛に押し寄せる疑問は、「またね。お兄さん」と終了を示唆する言葉で封じられ、
後には、狐につままれたような顔をした俺だけが残されていた。
*
「狐神、いない…」
結局他の罠にも引っかかっていなかったし、花ヶ崎のお屋敷と共有地も見てみたが、狐神の姿は確認できなかった。
どうしよう。今日がダメなら、もう俺に残された時間は明日だけ。
やっぱり昨日、狐神があんなに近くに出現してくれたのは珍しいことだったのか…。こんなことなら御蔭さんの翻弄姿を喜んでないで、意地でも何か、狐神を長く惹きつけていられるような行動を起こすべきだった…!
やだな。死にたくないな。
カタカタ細かく震えながら、縋るような気持ちで御蔭さんを見上げると、「ん?僕には期限とかないし」と明るい笑顔で突き放された。
これは罰だ。あの日笑った俺への罰…。
「にしても、時間かかりすぎだよね」
「こっ、これは時間がかかっているのではなく、寧ろ期限の方が短いと見るべきでっ、」
「いや君じゃなくて」
?
理解できていない俺に説明するように、彼は続ける。
「妖退治のプロが揃いも揃って。いくら神格を持った妖狐でも、こんな狭い結界内に居る獣一匹捕まえるのに何日かけてんだって話。……特に桜介。あんなヒスってたくせに、何の力もない君に任せきりなんて正気じゃない」
「き、期限を破らせて、俺の処罰を正当化するためじゃ…」
「それこそ早く自分で捕まえて、『優吾くんが三日で捕まえられなかった』って状況にすればいい。ンで、偉ぁい宗主サマが忘れた頃に君とはさよなら。最初はそのつもりだったんだろうけど、…何か状況変わったかな」
え、待って。俺以外の人が狐神捕まえた場合も俺って殺されるの?それ知らなかったんですけど。そのルールもうちょっと詳しく聞きたいんですけど。
「匂うなぁ。骨まで揺すってしゃぶれる弱みの匂い」
悪い笑みを浮かべる御蔭さんを他所に、俺は自分の置かれた状況の厳しさを受け入れられず放心していた。
どのくらい時間が経ったか、御蔭さんから額を木の棒で小突かれてハッと我に返る。
「早く捕まえたいんなら、虎徹くんに視てもらう?」
「……こて、…あ!鳳条様ですね」
鳳条虎徹様は、御三家の一つで『探知』の役割を担っている家の当主。妖の居場所を正確に察知する能力を持っていて、妖討伐効率化のための必須人材といえるだろう。
もしも彼に協力を頼めるのだとしたら、これほど心強い事はない。
一切かかわりがないから、どんな人なのかよく知らないけど、……瑠璃宮様みたいに怖くなかったらいいな…。
「鳳条様って、どんな方なんですか?」
「ん?パシリ」
「はい??」
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