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しおりを挟む幽霊当主こと花ヶ崎御蔭は、どこか底の見えない笑みを浮かべ、その身体で玄関扉を塞いでいた。
見えないふりは……今更無理。もうバッチリ目合っちゃったし。
俺は腰を低くしつつ、おずおずと問いかける。
「な、何の御用でしょうかぁ…」
「狐、探すんでしょ?」
「えっ」
も、もしかして手伝ってくれるつもりで!?
期待にバッ!と姿勢を正すと、彼は一層笑みを深くして、
「君の徒労、見てようかなって」
「……」
ですよね。
*
玄関を出た俺の後ろを、花ヶ崎御蔭が続く。
気分は憂鬱。足取りは最初より随分重くなってしまっていた。
絶対に邪魔される。狐神を発見できても大声出して追い払うとか、狐神を捕まえることが出来てもわざと逃がすとか…この人なら確実にやる…!!
早めに撒かないと。一緒に行動していたら、いつまでたっても狐神を捕らえられずに……、
──期限は3日。死にたくなければ、死ぬ気で狐神を捕獲しろ
あばばばばば。
思い出し恐怖が不整脈を誘発させる。
な、なんとかして離れないと…!俺の未来には、輝かしき平穏な暮らしが待っているんだ…!
チラ…と目線だけで振り返ると、彼はそこらに落ちている手ごろな木の枝を拾い、手持ち無沙汰に振っている。
何か退屈そうだし、今走ればもしかして…?でも幽霊だしな。壁などをすり抜けられてしまったらあっという間に追い付かれる。そして彼の前から逃げ出した事がバレれば、俺は明らかに不敬で処刑で血まみれだ。
うん、やめよう。いのちだいじに。
というか、この人、いつ成仏するんだろう。
あ、いや、そもそもまだ死んでなかったんだっけ。『まだ』っていうのも何だか不謹慎な気がするけど…。
成仏の可能性がないのなら、彼が屋敷から去るのはいつだろうか。
──どうして自分の身体がある場所ではなく、この屋敷に居続けるんだろう。
「ねえ、散歩中?」
「へっ!?」
唐突に話しかけられて、ビクッ!と大袈裟に肩が揺れた。
ま、まずい、油断してた…!
「ちっ、違います、狐を探して、て…」
身を竦めながら当たり前のことを答えると、彼はどこか珍しいものでも見るようにパチパチと数度瞬きをした。
「あーそっか…。君一般人だった。……ついていき甲斐がないから、ちょっとそこの池に10分顔浸けてきてよ」
「それ死ぬやつ!!」
「──どうして一人で喋っているの?気でも狂ったの?」
凛とした声に視線を向けると、そこには昨夜見た瑠璃宮様付きの使用人が一人。木桶を片手に立っていた。
確か、俺の前で瑠璃宮様の体調を真っ先に案じていた美女だ。歳は同じくらいだろうか。…だが、しっかりしていて、頭も良さそうな顔つきの彼女は、俺よりも断然大人びた風に見える。
そんな人からの怪訝な目に、うぐっ、と息が詰まった。
…当たり前だが、俺を慰めるために話しかけたわけでは決してないだろう。ここは早く立ち去るに限る。
俺は彼女に向って素早く頭を下げると、そのまま流れるように背を向け──、
「ぐえっ!?」
「なぁんで逃げんの?面白いじゃん」
後ろから思いきり襟首を引かれた。インスタントに喉を負傷。
だめだ。俺には今この幽霊当主が憑いている。彼が側にいるだけで、俺の気力の低下、運気の低下、思考力の低下、恐怖による動きの鈍化、無駄な精神力の消耗、などなど…、負の効果が目白押しなのである。
それでもまだ逃亡を諦めまいとするが、死にかけの幽霊のくせに力が強い御当主様により、バタバタ暴れる俺の足はその場で砂埃を上げるだけの存在となった。無力…!!
幽霊に翻弄される俺の動きは、客観的に見たら物凄く気味が悪いものだったのだろう。
声をかけてきた彼女は、まるで自身のその行動を後悔するかのような引いた顔で俺を見ていた。
お願いだから、そのまま帰ってくれませんか?
しかし願いは届かず、逃亡を諦めてハァハァ息を乱す俺にも、彼女は果敢に告げる。
「旦那様に大御狐神様を探すよう言われていたみたいだけど、あなたみたいな無能に動かれると私達もいい迷惑なの。大御狐神様のことはこちらに任せて、屋敷で大人しくしていなさい」
「えっ、……ぁ、えっと、で、でも、俺が捕まえないと、瑠璃宮様に──」
バシャッ
突然、顔に水をかけられた。
うわ、と咄嗟に手を前にやり庇ったものの、全てを防ぐことは出来ず濡れてしまう。
それは、彼女が持っていた木桶…の中の水と、柄杓によって浴びせられたものだった。
何故そんなことをされたのか、咄嗟に理解が及ばず混乱する俺へ、彼女の鋭い眼光が刺さる。
怒りの感情を帯びたそれに、びくりと反射で肩が揺れた。
「気安く旦那様の御名を口にしないで。あなたが呼んでいいものじゃない。立場をわきまえなさい」
「……す、すみません」
瑠璃宮様のお名前って呼んじゃ駄目だったんだ!は、初めて知った…!
そんな感想を口に出せるわけもなく。怒っている彼女をこれ以上刺激しないよう、俺はとにかく謝罪だけを口にして黙り込む。
…しかし、そんな俺の猪口才な逃げすらも許してはくれないらしい。
「この水、何に使うものか分かる?」
何でもない質問にすら、緊張感が動悸を速めさせる。
ど、どういう意図の質問…?もしかして、何か試されてる?間違えたら池に突き落とされでもするのか??
彼女の表情変化は乏しく、感情は読み取りづらい。しかし質問されて無視するわけにもいかず、俺は必死に頭を捻った。
水の使い道…、俺にかけてくる以外の…。
「……花に水やり、とかですか…?」
バシャッ
本日二回目。不正解ですね。わかります。
「御神木のお清めに使うの。あなたの尻拭いよ」
「……すみません…」
俺が火をつけたことで、彼女の仕事を増やしてしまっていたようだ。これは嫌われて怒られるのも仕方がない…。
髪から滴り、地面に落ちる雫の痕を見つめながら、俺は彼女の怒りが収まるのを待った。
「何も言い返さないんだ?」
「…!」
俯く俺の顔を横から覗き込み、そう声をかけてきたのは御当主様だ。
いつも通りの、何を考えているか分からない笑みで彼は続ける。
「昨夜俺に声を張った時みたいに、この女にも言ってやればいいのに」
げ…。俺のちょっとした反抗をしっかりばっちり覚えられている……。
──何でこんなことするんですか!!おっ、俺に何か恨みでもあるんですか!?
あの時気にしてない風だったけど、案外根に持たれてるのか?分からない…。恐ろしい。
でも、この人と彼女じゃ、そもそもの前提条件が異なる。
だって御当主様は諸悪の根源っていうか…それなりに責める理由があったっていうか…。
一方目の前の彼女は、放火犯(俺)の後始末で仕事を増やされてしまっているだけの、完全なる被害者だ。
「…あ、あれは、貴方だから…言えて、…」
ボソボソと答えた後に、あっ、これ失言では??と慌てて自身の口を塞ぐ。しかし言葉はほぼ出切った後だ。一度音となったそれはもう戻ってこない。
ザアッと血の気を引かせつつ、隣の顔色を伺うが…、
あ、れ…?
「ふーん」と首を傾げた彼は、……俺の勘違いでなければ、何故か少し上機嫌に見えた。
「……何のこと?」
「あっ!!ひ、独り言です!!すみませんッ!!」
幽霊当主に向けた言葉が、彼女にも聞こえてしまったようだ。
すぐに誤魔化しはしたが、今日の出会いといい今といい、瑠璃宮様…じゃなかった、名前を言ってはいけないあの方の使用人に、独り言ヤバ男の称号を与えられたのは確実である。
乏しい表情の中、確かに彼女からは、薄気味悪いものを前にした時の動揺が感じられた。悲しい…。
「…とにかく、呪術の素養もないあなたがウロチョロしても邪魔なだけ。分かったら口答えしないで私に従っ──きゃ…!?」
彼女は再び気丈に説教を始めたが、その途中で、──衣服が急にはだけた。
勝手にそうなったのではない。背後から彼女の着物の合わせを無理矢理割り開いたのは、姿の見えない幽霊当主、花ヶ崎御蔭である。
一息に肩まで露わになったその白い肌に、彼女と、そして俺もギョッと硬直する。
いち早く我に帰ったのは、当事者の彼女。慌てて胸元の布をたぐると、少し紅潮した顔でこちらを睨みつけてきた。
「…ッ、あなたの術なの!?一般人のふりをして油断させて、…こんな下劣な…!今すぐやめなさい!」
「えっ!?俺!?ちちちち違います俺じゃないです!!」
「こっちを見るな変態ッ!!」
「うわあごめんなさい!?」
慌てて彼女から目を逸らすが、御当主様は何が目的なのか、着物を引っ張るのをやめていないらしい。彼女の攻防の声とこちらを責める罵声が、その状況を現在進行形で伝えてきていた。
御当主様の姿は彼女に見えていないため、俺が疑われるのは必然。悲しいかな。これがいつもの流れである。
それから数秒して、「あっ」と、何かを見つけたような明るい声が耳に届いた。
「右胸に黒子、位置覚えといて」
「ほ、ほくろぉ…?」
「!!」
御当主様の言葉を復唱した瞬間、バッ!と布が空気を斬る大きな音がした。それを最後に、先程までの身じろぎの音が消えたので、俺はゆっくりと視線を前に戻す。
そこには、乱れた服を胸前に手繰り寄せ、青ざめた顔を俯かせる女使用人の姿。
御当主様はもう女性の胸を見て満足したのか、既に着物からは手を離しているようだった。…だから彼女もすぐに肌を隠せたみたいだ。それにしても…。
小刻みに震える小さなその姿は可哀想で。今まで詰られていた相手だとしても、流石に同情心が湧く。
「あの、…だ、大丈、」
「……ろす」
「え?」
「──テメェを殺す」
青筋の浮いた顔、憎悪を煮詰めたドス黒い瞳、大地を揺るがすおどろおどろしい声で告げられた殺意。
あまりに真っ直ぐで端的なそれに、俺は衝撃で言葉もなかった。
走り去る彼女の背中をぼぇーーっと呆けた目で見ていると、いつの間にか隣へ戻って来た幽霊当主が言う。
「桜介のとこの女は、他の男との不貞疑われたら人生終了だから。ちょっとひん剥いて身体の特徴とか覚えとけば簡単に脅せるよ」
「……へ」
「脅迫材料は探すものじゃなくて作るもの。分かった?」
何も、わからない。
何なんだよ。何処で使えるんだよその技。
……でも、待てよ。
今の彼の言い方的に、…もしかして、助けてくれた…のか?
「結構濡れたねー」と手でパタパタ風を送ってくる幽霊を、ぼんやりと見つめる。
何故か連日殺人予告をされる事態になったこの状況は決して歓迎されるものでは無いが、……でも、もしもそれが、彼女に責められている俺を助けるためにやってくれたことなら。
この人はもしかして、そこまで性格が最悪な人じゃ──
「あ、狐!」
「!? どこに…っ、」
ドン
背中に強い衝撃と、同時に襲い来る浮遊感。視線の先には庭園を彩る立派な池と、水面に移る自分の顔。直後上がる水柱。
前言撤回。
やっぱりこの幽霊当主、最悪だ。
ゴポゴポと水底に沈みながら、俺はその場で悔し涙を溶かした。
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