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二章
18【エリアスside】
しおりを挟む手当たり次第に斬りつけた沢山の使用人が、床に赤い線を描きながら歪なダンスを披露する。密集した人間の体臭と、独特のムッとした血臭が充満する異様な大広間の中心で、返り血を全身に浴びた俺は楽しそうに手を叩いていたそうだ。
齢5歳の出来事。
初めてその魔族が表に出てきた時であり、
──エリアスが『呪われた第一王子』と恐れられるようになったきっかけの事件である。
物心がつくずっと前から、俺の中には一匹の魔族がいた。
頭の中で見えない誰かの声が響くのなんて日常で、疑問に感じた事もない。その声は俺が成長するにつれて大きく、そしてはっきりと聞き取れるようになっていき、件の事件が起きた頃には会話すら可能だった。みんな言わないだけで同じだと思っていた。
それが異常だと分かったのは、事が全て終わった後である。
怖い顔をした国王陛下はすぐに俺を離れへと隔離し、極力人との接触を避けるよう命じた。
わけもわからず困惑する俺に唯一全てを教えてくれたのは、俺の中にいる魔族だ。
まとめるとこうだった。
その魔族は、血を飲んだ生き物を操ることが出来るという強力な異能を持っていること。
俺には、俺の父親でもある国王陛下とその魔族の血を受け継ぎ、母の胎を介してこの世に生まれ落ちた、名も知らぬ半魔の兄がいること。
魔族はその時己の体を持ち得なかったため兄の体を乗っ取る気でいたが、父の妨害で知らぬ間にその兄の行方が分からなくなってしまったこと。
代わりに他の子供を寄越すよう父と一方的に契約を結んだこと。
父はどこかから連れてきた半魔の子供を差し出したりもしたらしい。しかし計画を邪魔した父への怒りが収まらず目先の復讐に囚われた魔族は、実の息子を乗っ取って後悔させてやろうと思い──そして、今の俺があること。
魔族は俺の頭の中で「あの時の絶望顔といったら!」なんて父を貶して高笑いをしていたが、元々望んだ半魔の肉体ではなかったからか、この身体は中途半端な仕上がりになっているようだった。
完全に肉体の主導権を握る事は難しいのだろう。魔物に触れるとその力に引っ張られて表に出てくることは出来ても、人に触れるとすぐに戻ってしまう。乗っ取りといっても、そんな甘い支配だった。
しかし、俺の自意識や身体が成熟しきっていない幼少期は、些細な刺激でも入れ替わりやすく…。病気で身体が弱ったり精神が不安定になった時など、魔族はいつでも虎視眈々と俺を乗っ取る隙を窺っていた。
だからこその隔離で、軟禁だった。
しかしそんな中でも態度を変えず会いに来てくれていたのは、近衛騎士の、もう随分前に引退した元団長だ。
歳は取っていたがその実力はまだ衰えることなく健在で、「肉体と精神が弱いままではいけない」と、俺に剣を教えてくれた。
明るくて、世話焼きで、ちょっと頑固で、でもどこか愛嬌溢れる心優しい人だった。勇者の本を読み聞かせてくれたのもこの人だ。元々冒険者だったようで、その当時の話を聞くのも好きだった俺は、稽古の終わりによく彼を引き留めて話をせがんだ。帰ろうとしているところなのに、少しだって嫌な顔をせず頷いてくれるその人が、…俺が1人になりたくないのを全部わかったみたいに受け入れてくれるその人が、大好きだった。
魔族は偶に表に出てきて、彼を傷つけようとしていたらしい。そういう時は記憶が不自然に飛ぶからすぐに分かる。しかし彼はいつも危なげなく元の俺に戻してくれていた。
触れられるのは手だったり、顔だったり、足を持って逆さにされていたこともあった。
…でも1番嬉しかったのは、抱きしめられて目を覚ます瞬間。
直接鼓膜を叩く心音と、全身を包み込む程よい圧迫感、大きく吸い込んだ鼻いっぱいに満ちる嗅ぎ慣れた匂い。…そして、誰かがすぐ触れ合える距離に居てくれる安心感に、俺はいつもちょっとだけ泣きたくなるんだ。
それから丁度5年が経ったある日、
目を覚ますと、騎士に背中を刺されているその人が居た。
視界に飛び込んでくる受け入れがたい現状と、噎せ返るような濃い血臭に、たまらずその場で嘔吐する。そんな俺の腕を今も取り押さえるように掴んでいたのは、近衛騎士のトップ──現役の騎士団長。話だけはよく聞いていた。今しがた目の前で刺された、あの人の実の息子である。
子供の細い腕など何周も出来そうな程の大きな手に、ぎり…っ、と強い力が込められる。痛みで顔を上げるとその先には、激情を煮詰めた深い憎悪の目があった。
元団長は、俺の中の魔族に操られてしまっていた。命じられるがまま魔族を離れから連れ出して、まるで護衛でもするかのように他を切り裂き血を捧げる。そうして被害が広まったのだ。止めるためには、全力で戦うしかなかった。
急ぎ応急処置をされているその人を、何も出来ない俺はただ呆然と眺める。
怪我、大丈夫かな。俺のせいでこうなったのに、あの人が誰かに恨まれたりしてないかな。……俺の事、嫌いになってないかな。
ほぼ同時に思った。
でも、それより前。一番最初。血を流すその人を目に入れた瞬間、俺が真っ先に感じたのは、
──あ、この人もう弱いんだ。
そんな落胆だ。
そう思った自分に吐き気がした。酷く悍ましいと思った。醜いと思った。
心まで魔族になってしまうようで、恐ろしかった。
離れは更に厳重さを増した。
力づくでは出れないように檻で囲まれた部屋。直接俺の手が届くようなその中には何人たりとも侵入は許されず、食事を持ってくる使用人や、形式上の教育係と檻を挟んで事務的な会話を交わすのみ。前は顔を出してくれていた両親も、来る頻度は格段に減っていた。
少しでも安心して貰おうと明るい口調や笑顔は絶やさなかったが、決して合うことのない視線と心の通わないやり取りに、いつでも胸は重石で潰されているようだった。あからさまに怯えた態度を取られるよりも、激しく怒りをぶつけられるよりも、自分が誰にも受け入れられていないと明確に分かるそれが、何より辛かった。
しかしこの隔離は自分で望んだ事でもあったのだ。
だってもう、俺を元に戻してくれる人はいない。こんなのどうってことないと、笑って許してくれる人もいない。
絶対的な安心はあの日、俺の中で消え失せた。
それからは魔物を最初から出さないように、あの人から教わった稽古を1人でこなし続けた。身体を動かしている間と寝ている間は、何も考えなくてよくて楽だったのだ。
魔族の声は勿論消えてなどいなかった。奴とももう長い付き合いだ。その性格だって嫌という程知ってしまっている。プライドが高く、直情的で嗜虐気質。小さなことも根に持つタイプで、特に自分を貶した相手にはたとえ自身がどんなリスクを負ってでも必ず仕返しをしようと考えるような陰湿さがあった。
魔物は俺を使ってこの国を乗っ取り、自身の主人である魔王に捧げたいとよく言っていた。話好きなのか、とにかくペラペラとよく喋るやつだった。
俺は、その計画だけは絶対に阻止したかった。どうにかして誰かに兄を見つけ出してもらい、王に据えられないか考えるようになったのもこの頃だ。
魔族は俺の反抗心を知りながら、それを否定することはなかった。大方半魔の兄に触れることで俺の身体を乗っ取り、同時に兄の事も操る気でいるんだろう。もしかしたら兄を乗っ取ろうとしている可能性だってある。
そうはさせない。もし兄を王に据えたら、皆が不安にならないよう、俺はこの魔族ごとどこか遠い場所に行くんだ。
……自分が外で暮らす想像も、この檻の中では出来ずにいたけど。
そして、運命の分岐点は唐突に訪れた。
来客の知らせなどありもしない、いつも通りの昼下がり。稽古をする俺の前に姿を現したのは、まるで天使と見紛うほどの美しい少年だった。
触れた端から崩れてしまいそうに華奢な体。毛先まで手入れが行き届いた、滑らかで神聖な長い銀髪。眩しいとすら思える瑞々しい肌。どこか人間離れした美貌。その全てに、息をすることさえも忘れ、視線が惹きつけられる。
不意に、その白く細長い指が冷たい鉄の檻に添わされた。薄く開いた唇から静かな吐息が漏れて、粘膜色の妖しい虹彩が伏し目がちにこちらを射抜く。たったそれだけの仕草は、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう程艶やかだった。警護のためか彼の背後に控えていた騎士達など、業務そっちのけで彼に意識を奪われているのは明らかだ。
恐らく歳は近い。しかしまだ成長途中の筈のその姿からは、人に好意よりも先に劣情を抱かせるような、匂い立つ色香を感じた。
彼は教会の新しい神子。
今日国王陛下への挨拶に出向いたらしいその神子は、神託を賜れるという類稀なる力を見込まれ、俺の今後について神のお告げはないかと問われたそうだ。その要望に応えるため、神子は一目俺の姿を見ようとここまで来たのだと……後ろの、どこか蕩けた目をした一方の騎士が説明してくれた。
神子はにこりと美しく微笑んで、無駄な会話もないまま立ち去ろうとする。
俺は咄嗟にそれを引き留めていた。
そして聞いた。どうやったら兄を探し出すことが出来るのかを。神託とやらで居場所が分かれば、誰かに連れてきてもらえるかもしれないと考えたのだ。
兄の存在すら知り得ない周りの騎士達は、何のことだ?と怪訝に首を傾げる。
しかし、振り返ったその神子は至極真面目な顔をして、
「この檻の外に出たら、会えるんじゃないですか?」
今思い返したら、それは神託でも何でもなかったのかもしれない。
それでも、視界が開けたのは本当だった。
準備に数年かけてやっと出立の準備が整う。癪だが魔族の知恵も借りつつ、俺は沢山の人の目を掻い潜り、
──生まれて初めて王城を飛び出した。
その先で依頼を受けて、気の良い冒険者に出会って、魔物が、出てきて、
『エリーにもオレが居る!!何を怖がってるのか分からないけど…っ、1人じゃない!!』
そう言って貰えて本当に嬉しかった。……でも、魔族に代わってしまえば、もう今後一生元には戻れないかもしれない。そうなればまた、誰かを傷付けてしまう。尊厳を失わせるような事を簡単に強いてしまう。
俺は本当に誰からも望まれない存在になってしまう。
どうせ彼も駄目だ。すぐに血を飲まれて操られる。もしかしたらなんて期待するな。血塗れの姿なんて2度と見たくない。
もう誰も信じてない……!
『信じろ!!オレは勇者だ!!』
その言葉で思い出した。
俺も子供の頃、誰かを傷付けるだけじゃなくて進んで助けられるような、そんな勇者になりたかったんだ。
彼を助けたかった。
今までやった事全部が裏目に出て、失敗してきて。でも、踏み出したその一歩を「すごい」と肯定してくれた目の前の勇者を、……「すごい」と言われた自分を、俺はもう一度、信じてみたいと思ったんだ。
次に目を覚ますと、血塗れでも何でもない勇者が俺を力強く抱きしめてくれていて。
助けられてよかった。無事でいてくれてよかった。戻してくれてよかった。色々な感情が混じって溢れて、止まらなくなって、礼も言えないままにしがみついた。
それは久しぶりに感じる安堵だった。
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