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09.10年越しの
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同じだけの時間を経ている。
でも、それが同じな訳がない。
だから、同じ形になる筈がない。
************************************************
「なぁ、ライムンド」
「申し訳ありませんが主君。聞きたくありません」
蟠る胸の内を吐露しようとしたエルメスの試みはライムンドの無慈悲かつ取り付く島も無い強固な拒絶によって一刀両断に切って捨てられた。
侯爵邸から1日半費やした強行軍の後、辺境伯を襲う襲撃者を退け、辺境伯令嬢を拉致犯より救うという三面六臂の活躍を成し遂げたエルメスとライムンドはセリオの達ての願いで辺境伯邸で一晩の休息を得ていた。
勿論、其々個室をと勧められはしたが、護衛を兼ねてという建前で固辞し、こうして二人同じ部屋で顔を突き合わせている。通された部屋は客間と言うには随分と豪奢で明らかに賓客としての扱いを受けているのが見て取れる。用意された夕食も贅の限りを尽くしたものと言っても過言でなかったし、案内された風呂は天然の温泉を利用した贅沢極まりないものだった。
セリオは宣言通り、破格の待遇でもって饗してくれるつもりのようだ。
エルメスはベッドに寝転びながら自身の胸の内に蟠る疑惑についてずっと考えている。
前世の妻と凡そ同年齢かつ同名の少女を拐かした連中が自領に逃亡を試みていたという状況。正直、只の偶然にしては出来すぎている。前世でも同じように辺境伯令嬢の拉致犯が抜け道を通って侯爵領に逃げ込み、そこでラール家一門に令嬢を売り渡し、その後、令嬢が養女となり、エルメスに嫁いできたという可能性は正直否定出来ない。寧ろ、その線が濃厚だろう。ということはエルメスはここで前世の妻との再会を遂げなければならなくなってしまう。
――――一体、どんな顔をして会えというのだろう。
そこまで考えて、エルメスは深く嘆息した。
正直、もう自分が自分で解らない。あれだけ嫌っていた女にどうしてこんなにも執心しているのだろう。顔を見たのなんて下手をすれば指折り数えてしまえる程度だったようにも思うのに。それでも。例え形だけ、名前だけであったとしても一応、10年の間夫婦ではあったのだ。その女が目の前であんな酷い終わり方を遂げたのだ。傷にならない方が可怪しいだろう。
――――そう自分に言い訳して思考を放棄するよう目を閉じた。
何やら身悶えながらベッドの上を転がるエルメスを横目で見ながらライムンドは大きく溜息をつく。
エルメスが考えていることなどライムンドにはお見通しだ。大方、前世の奥方への罪悪感を未練と勘違いして勝手に取詰めているのだろう。全く難儀な主だ。
ライムンドが懸念しているのはそんなしょうもないことなんかじゃない。もっと重要なことだ。下手をすればこの帝国そのものを揺るがしかねないレベルの危機的なものだ。
全てはこの帝国の建国神話に端を発する『女神の祝福』に起因する。
初代皇帝は元は1人の貧しい木こりだったという。
木こりは女神が住むという泉の辺りで木を切った際、父祖より譲り受けた唯一の仕事道具である鉄の斧を誤って泉へと投げ落としてしまったらしい。悲嘆に暮れる木こりを哀れに思った泉の女神は『金の斧』『銀の斧』『鉄の斧』の何れかを返してやろうと言った。木こりは『金の斧』『銀の斧』を固く固辞し、『鉄の斧』を返して貰えたことを酷く喜んだ。女神は木こりの心根の良さに甚く感激し、全ての斧を渡すに至った。という、何処かで聞いたお伽噺のような顛末だったらしいがこの国の女神と木こりはそれだけでは終わらなかった。
女神は木こりに『鉄の斧』をそのまま返すだけでは忍びないと思い、鍛え上げて『鋼の斧』にして返した。木こりは女神の心遣いに感謝し、女神の危機には命に変えても力になると誓った。そして、女神が住まう泉の在る森が戦火に呑まれるとなった際、木こりは女神に貰った『鋼の斧』を携えて単身戦場に赴き、敵を制圧せしめたと言う。そして女神の下に戻り、女神から女神の分身とされる乙女を授かり、その乙女と共にこの帝国を興したとされている。
その際、女神は初代皇帝と興された国をこう言祝いだ。
「お前の血筋が続く限り、私の加護とお前の才、お前の美徳を持った子を約束しよう。それが私がお前に与える愛だ」
以降、初代皇帝の血統には国宝である『3本の斧』を象徴する髪色と『女神の祝福』を持って生まれる者が出るようになったという。曰く。
金の髪を持つ皇統血族は『金の男』『金の乙女』の名を授かり、『豊穣』の加護と『幸運』という才と『仁恕』の美徳を約束される。
銀の髪を持つ皇統血族は『銀の男』『銀の乙女』の名を授かり、『安寧』の加護と『叡智』という才と『献身』の美徳を約束される。
黒の髪を持つ皇統血族は『鋼の男』『鋼の乙女』の名を授かり、『繁栄』の加護と『武勇』という才と『誠実』の美徳を約束される。
皇統血族に未だ彼ら『祝福の子』が生まれ続けるのは女神の愛が尽きぬ証左でもあるのだ。
つまり、『銀の男』である辺境伯セリオとその娘である『銀の乙女』を狙うということは言わばこの帝国から『安寧』を奪おうとしているも同義なのだ。
そしてそれ以上に厄介なのが狙った相手が他でもない『銀の梟』である辺境伯セリオであるということだ。この帝国の総てを知り得、闇すらも見通すが故についた『銀の梟』なのだ。この国の情報の一切合財を掌握する男を出し抜いて危機的状況に陥れることが出来るものなどそうは居ない。どう考えても何某かの力が働いている。とそこまで考えてはたと気がついた。
「――――コレってどう考えても侯爵家家門、巻き込まれてますよね?主君の記憶が定かなら前世の時点で既に」
思わずそう呟いてライムンドは頭を抱えた。
翌朝、比較的早い時間に、セリオから声がかかった。
「朝食の前に私の娘と甥を紹介させていただけますか?二人共貴方々にぜひ感謝を述べたいというもので」
セリオが傍らに居た子供二人の肩を軽く押して自身の前に立たせる。
「ゼフィロス辺境伯家が娘、ルナアリア・アルゲンティア・カエルラと申します」
「サルトゥス大公家が一子、フムス・カリュプス・ルブルムと申します」
揃いで誂えられた白磁人形のように左右に並んだ子供たちは各々実に立派な貴族の礼と共に名乗った。
特に美しい所作で披露されたカーテシーは齢10を数えるか数えないかだとは到底思えない程優雅で堂々とした貴婦人のそれだった。
エルメスはその所作に覚えがあった。足が悪い所為で妙にグラついていて不安定だった所以外は全く同じだ。
――――ああ、この少女は俺の妻だ。
遂に、確信を得てしまった。
見て見ぬ振りしてしまいたかったのに結局それは叶わなかった。
――――ああ、お前はこんなに幼かったのか。
前世では年齢すら知らなかったのだがそれは決して言い訳にはなるまい。
そうと気づいてから改めて現在の妻の姿を確認する。
『銀の男』である父親と同じく『銀の乙女』に相応しい光り輝く銀髪にあどけないがそれでいて何処か大人びた顔。前髪は眉に掛かるくらいで切りそろえられ、愛らしい額を隠している。長くて量の多い睫毛に縁取られた瞳は深く澄んだ海のような青色を湛え、こちらを真っ直ぐ見つめている。優雅に組まれた手は若々しい艶とハリがある。血の気が通っているのが確かに解るのに白磁器のように白く透き通った肌には『青い血』とはこういうことかと納得せざるを得ない。年の頃に見合った小さく腕の中にすっぽりと収まりそうな体格はエルメスの眼にはとても愛らしく映った。
――――まるで天人のようだ。
「なぁ、ライムンド」
「昨日に続いて再度申し上げます。申し訳ありませんが主君。聞きたくありません」
「俺は――――恋をしてしまったようだ」
聞きたくないと渾身で拒否したというのに構わず熱に浮かされたような顔で世迷い言を述べた主に殺意が湧き上がるのをライムンドは止められない。至極気持ちの悪いものを見たかのように歪む己の顔を制御するのも無理だ。実際、現在進行系で見ているのだ。我慢できよう筈もない。この男は一体何を言っているのだ。
「なぁ、どうしたら良い?こんな気持は初めてなんだ。胸が――――苦しい」
(――――ああもういいから黙れ!!聞かれたらどうするつもりだ!!)
ライムンドは恥も外聞も身分も投げ捨てて今直ぐこの愚かな主を殴りたくて殴りたくて仕方ない。恋に溺れた男は盲目になるとは言うがこれは大概だろう。しかも相手は10歳。この主は既にそのくらいの子供が居て可怪しくない年齢だろう!いや、今まで散々遊び倒してきたんだ!!絶対いる!!止めろ!!正気に戻れ!!しっかりしろ!!この幼女趣味!!小児性愛!!
ライムンドが心のなかでこれ以上無いほどエルメスに対して叱咤と罵倒を繰り返しているとは露知らず、ルナアリアの一挙手一投足から目が離せないでいた。
「丁寧な挨拶をどうもありがとうございます。私はメルクリウス侯爵家のエルメス・グラクルス。これは私の部下でライムンド・ラソン・コンシエンシアといいます。どうぞよろしくお願いします。サルトゥス小大公。ゼフィロス辺境伯令嬢」
視線自体は一向にルナアリアから外せないでいる癖に貴族然とした顔で自然に挨拶を交わす主の外っ面の良さにライムンドはこのときばかりは心底感謝した。流石にこのタイミングでこの幼女趣味が不穏当なことを考えているのがバレたら目も当てられない。
「暴漢に襲われたお父様をお助けくださっただけでなく、不注意から拐かされた私までフムスお兄様と共に助け出してくださったとお聞きしました。メルクリウス小侯爵様のご厚意に感謝致しております」
「いえ、ご令嬢を助けたのは私ではなく、サルトゥス小大公ですよ。令嬢を助ける勇ましい姿に、私はただ見惚れていただけですからね」
「とんでもない。私の不注意をメルクリウス小侯爵にお助け頂いたお陰で無事だったのですから。私からも深く感謝の意を伝えさせて頂きたく思います」
「感謝というお話でしたら、是非お二方とも私の友人になっては頂けませんか?恥ずかしながら友と呼べるような間柄のものがあまり居ないもので」
「「はい、喜んで」」
声を揃えて返事をした子供らの優しさと懐の深さに涙を禁じえないライムンドだが早速距離を縮めようとしている主の魂胆が透けて見える現状にもう既に気が気じゃない。ハラハラしっぱしでいい加減心臓が痛くなってきた。
「令嬢は小大公をお兄様とお呼びになるんですね」
「はい、従兄なんです。幼い頃から一緒に遊んで頂いていたのでお恥ずかしい話ですがもう癖になってしまっていて」
「従妹というのもありますが、10年来の幼馴染なので気安く見えるかもしれません」
「それはなんとも微笑ましい。私も気安くありたいものです」
「気安くですか?では……小侯爵様のことをおじさまとお呼びしてもよろしいですか?」
「ええ、友達というより何だか姪みたいですけれど」
(――――そうだな、血縁でもない15も年嵩の男はおじさまと呼ばれて然るべきだ)
エルメスが当たり前の事実を受け止め、勝手に心理的ダメージを負っている横でフムスとルナアリアが何やらこっそり耳打ちしあっている。フムスの耳元に向かって背伸びをするルナアリアと僅かに腰を屈めてルナアリアの方へ首を傾けるフムスがとても微笑ましい。良いことを思いついたとばかりに二人同時に微笑んだ。
「それでですね、おじさま。唐突で大変申し訳無いのですが是非お願いしたいのです」
「身内ばかりの式なのですが私達共通の恩人で友人でもある小侯爵にも見届けて貰えたらと思いまして」
「「皇太子殿下と従妹には私達たちから話しておきますので」」
「「どうか、私達の合同婚約式への参列をお願いしたく存じ上げます。小侯爵」」
ルナアリアの輝くような笑顔とフムスの面映い嬉しそうな顔と二人固く握りあった手がとても幸せそうで印象的だった。
「なぁ、ライムンド」
「再々度申し上げます。申し訳ありませんが主君。聞きたくありません」
「――――コレって失恋なのか?自覚して直ぐ失恋ってのはよくあることなのか?」
ああもう!!聞きたくないと言っているのに!!ライムンドの米神にはそれはそれは立派な青筋が浮かんでいた。今にもキレそうな程に。
************************************************
罪過帳に幼女趣味&小児性愛が追記されました。
何故、私は唐突にイソップ寓話の粗筋を書く羽目になっているのだろう……
でも、それが同じな訳がない。
だから、同じ形になる筈がない。
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「なぁ、ライムンド」
「申し訳ありませんが主君。聞きたくありません」
蟠る胸の内を吐露しようとしたエルメスの試みはライムンドの無慈悲かつ取り付く島も無い強固な拒絶によって一刀両断に切って捨てられた。
侯爵邸から1日半費やした強行軍の後、辺境伯を襲う襲撃者を退け、辺境伯令嬢を拉致犯より救うという三面六臂の活躍を成し遂げたエルメスとライムンドはセリオの達ての願いで辺境伯邸で一晩の休息を得ていた。
勿論、其々個室をと勧められはしたが、護衛を兼ねてという建前で固辞し、こうして二人同じ部屋で顔を突き合わせている。通された部屋は客間と言うには随分と豪奢で明らかに賓客としての扱いを受けているのが見て取れる。用意された夕食も贅の限りを尽くしたものと言っても過言でなかったし、案内された風呂は天然の温泉を利用した贅沢極まりないものだった。
セリオは宣言通り、破格の待遇でもって饗してくれるつもりのようだ。
エルメスはベッドに寝転びながら自身の胸の内に蟠る疑惑についてずっと考えている。
前世の妻と凡そ同年齢かつ同名の少女を拐かした連中が自領に逃亡を試みていたという状況。正直、只の偶然にしては出来すぎている。前世でも同じように辺境伯令嬢の拉致犯が抜け道を通って侯爵領に逃げ込み、そこでラール家一門に令嬢を売り渡し、その後、令嬢が養女となり、エルメスに嫁いできたという可能性は正直否定出来ない。寧ろ、その線が濃厚だろう。ということはエルメスはここで前世の妻との再会を遂げなければならなくなってしまう。
――――一体、どんな顔をして会えというのだろう。
そこまで考えて、エルメスは深く嘆息した。
正直、もう自分が自分で解らない。あれだけ嫌っていた女にどうしてこんなにも執心しているのだろう。顔を見たのなんて下手をすれば指折り数えてしまえる程度だったようにも思うのに。それでも。例え形だけ、名前だけであったとしても一応、10年の間夫婦ではあったのだ。その女が目の前であんな酷い終わり方を遂げたのだ。傷にならない方が可怪しいだろう。
――――そう自分に言い訳して思考を放棄するよう目を閉じた。
何やら身悶えながらベッドの上を転がるエルメスを横目で見ながらライムンドは大きく溜息をつく。
エルメスが考えていることなどライムンドにはお見通しだ。大方、前世の奥方への罪悪感を未練と勘違いして勝手に取詰めているのだろう。全く難儀な主だ。
ライムンドが懸念しているのはそんなしょうもないことなんかじゃない。もっと重要なことだ。下手をすればこの帝国そのものを揺るがしかねないレベルの危機的なものだ。
全てはこの帝国の建国神話に端を発する『女神の祝福』に起因する。
初代皇帝は元は1人の貧しい木こりだったという。
木こりは女神が住むという泉の辺りで木を切った際、父祖より譲り受けた唯一の仕事道具である鉄の斧を誤って泉へと投げ落としてしまったらしい。悲嘆に暮れる木こりを哀れに思った泉の女神は『金の斧』『銀の斧』『鉄の斧』の何れかを返してやろうと言った。木こりは『金の斧』『銀の斧』を固く固辞し、『鉄の斧』を返して貰えたことを酷く喜んだ。女神は木こりの心根の良さに甚く感激し、全ての斧を渡すに至った。という、何処かで聞いたお伽噺のような顛末だったらしいがこの国の女神と木こりはそれだけでは終わらなかった。
女神は木こりに『鉄の斧』をそのまま返すだけでは忍びないと思い、鍛え上げて『鋼の斧』にして返した。木こりは女神の心遣いに感謝し、女神の危機には命に変えても力になると誓った。そして、女神が住まう泉の在る森が戦火に呑まれるとなった際、木こりは女神に貰った『鋼の斧』を携えて単身戦場に赴き、敵を制圧せしめたと言う。そして女神の下に戻り、女神から女神の分身とされる乙女を授かり、その乙女と共にこの帝国を興したとされている。
その際、女神は初代皇帝と興された国をこう言祝いだ。
「お前の血筋が続く限り、私の加護とお前の才、お前の美徳を持った子を約束しよう。それが私がお前に与える愛だ」
以降、初代皇帝の血統には国宝である『3本の斧』を象徴する髪色と『女神の祝福』を持って生まれる者が出るようになったという。曰く。
金の髪を持つ皇統血族は『金の男』『金の乙女』の名を授かり、『豊穣』の加護と『幸運』という才と『仁恕』の美徳を約束される。
銀の髪を持つ皇統血族は『銀の男』『銀の乙女』の名を授かり、『安寧』の加護と『叡智』という才と『献身』の美徳を約束される。
黒の髪を持つ皇統血族は『鋼の男』『鋼の乙女』の名を授かり、『繁栄』の加護と『武勇』という才と『誠実』の美徳を約束される。
皇統血族に未だ彼ら『祝福の子』が生まれ続けるのは女神の愛が尽きぬ証左でもあるのだ。
つまり、『銀の男』である辺境伯セリオとその娘である『銀の乙女』を狙うということは言わばこの帝国から『安寧』を奪おうとしているも同義なのだ。
そしてそれ以上に厄介なのが狙った相手が他でもない『銀の梟』である辺境伯セリオであるということだ。この帝国の総てを知り得、闇すらも見通すが故についた『銀の梟』なのだ。この国の情報の一切合財を掌握する男を出し抜いて危機的状況に陥れることが出来るものなどそうは居ない。どう考えても何某かの力が働いている。とそこまで考えてはたと気がついた。
「――――コレってどう考えても侯爵家家門、巻き込まれてますよね?主君の記憶が定かなら前世の時点で既に」
思わずそう呟いてライムンドは頭を抱えた。
翌朝、比較的早い時間に、セリオから声がかかった。
「朝食の前に私の娘と甥を紹介させていただけますか?二人共貴方々にぜひ感謝を述べたいというもので」
セリオが傍らに居た子供二人の肩を軽く押して自身の前に立たせる。
「ゼフィロス辺境伯家が娘、ルナアリア・アルゲンティア・カエルラと申します」
「サルトゥス大公家が一子、フムス・カリュプス・ルブルムと申します」
揃いで誂えられた白磁人形のように左右に並んだ子供たちは各々実に立派な貴族の礼と共に名乗った。
特に美しい所作で披露されたカーテシーは齢10を数えるか数えないかだとは到底思えない程優雅で堂々とした貴婦人のそれだった。
エルメスはその所作に覚えがあった。足が悪い所為で妙にグラついていて不安定だった所以外は全く同じだ。
――――ああ、この少女は俺の妻だ。
遂に、確信を得てしまった。
見て見ぬ振りしてしまいたかったのに結局それは叶わなかった。
――――ああ、お前はこんなに幼かったのか。
前世では年齢すら知らなかったのだがそれは決して言い訳にはなるまい。
そうと気づいてから改めて現在の妻の姿を確認する。
『銀の男』である父親と同じく『銀の乙女』に相応しい光り輝く銀髪にあどけないがそれでいて何処か大人びた顔。前髪は眉に掛かるくらいで切りそろえられ、愛らしい額を隠している。長くて量の多い睫毛に縁取られた瞳は深く澄んだ海のような青色を湛え、こちらを真っ直ぐ見つめている。優雅に組まれた手は若々しい艶とハリがある。血の気が通っているのが確かに解るのに白磁器のように白く透き通った肌には『青い血』とはこういうことかと納得せざるを得ない。年の頃に見合った小さく腕の中にすっぽりと収まりそうな体格はエルメスの眼にはとても愛らしく映った。
――――まるで天人のようだ。
「なぁ、ライムンド」
「昨日に続いて再度申し上げます。申し訳ありませんが主君。聞きたくありません」
「俺は――――恋をしてしまったようだ」
聞きたくないと渾身で拒否したというのに構わず熱に浮かされたような顔で世迷い言を述べた主に殺意が湧き上がるのをライムンドは止められない。至極気持ちの悪いものを見たかのように歪む己の顔を制御するのも無理だ。実際、現在進行系で見ているのだ。我慢できよう筈もない。この男は一体何を言っているのだ。
「なぁ、どうしたら良い?こんな気持は初めてなんだ。胸が――――苦しい」
(――――ああもういいから黙れ!!聞かれたらどうするつもりだ!!)
ライムンドは恥も外聞も身分も投げ捨てて今直ぐこの愚かな主を殴りたくて殴りたくて仕方ない。恋に溺れた男は盲目になるとは言うがこれは大概だろう。しかも相手は10歳。この主は既にそのくらいの子供が居て可怪しくない年齢だろう!いや、今まで散々遊び倒してきたんだ!!絶対いる!!止めろ!!正気に戻れ!!しっかりしろ!!この幼女趣味!!小児性愛!!
ライムンドが心のなかでこれ以上無いほどエルメスに対して叱咤と罵倒を繰り返しているとは露知らず、ルナアリアの一挙手一投足から目が離せないでいた。
「丁寧な挨拶をどうもありがとうございます。私はメルクリウス侯爵家のエルメス・グラクルス。これは私の部下でライムンド・ラソン・コンシエンシアといいます。どうぞよろしくお願いします。サルトゥス小大公。ゼフィロス辺境伯令嬢」
視線自体は一向にルナアリアから外せないでいる癖に貴族然とした顔で自然に挨拶を交わす主の外っ面の良さにライムンドはこのときばかりは心底感謝した。流石にこのタイミングでこの幼女趣味が不穏当なことを考えているのがバレたら目も当てられない。
「暴漢に襲われたお父様をお助けくださっただけでなく、不注意から拐かされた私までフムスお兄様と共に助け出してくださったとお聞きしました。メルクリウス小侯爵様のご厚意に感謝致しております」
「いえ、ご令嬢を助けたのは私ではなく、サルトゥス小大公ですよ。令嬢を助ける勇ましい姿に、私はただ見惚れていただけですからね」
「とんでもない。私の不注意をメルクリウス小侯爵にお助け頂いたお陰で無事だったのですから。私からも深く感謝の意を伝えさせて頂きたく思います」
「感謝というお話でしたら、是非お二方とも私の友人になっては頂けませんか?恥ずかしながら友と呼べるような間柄のものがあまり居ないもので」
「「はい、喜んで」」
声を揃えて返事をした子供らの優しさと懐の深さに涙を禁じえないライムンドだが早速距離を縮めようとしている主の魂胆が透けて見える現状にもう既に気が気じゃない。ハラハラしっぱしでいい加減心臓が痛くなってきた。
「令嬢は小大公をお兄様とお呼びになるんですね」
「はい、従兄なんです。幼い頃から一緒に遊んで頂いていたのでお恥ずかしい話ですがもう癖になってしまっていて」
「従妹というのもありますが、10年来の幼馴染なので気安く見えるかもしれません」
「それはなんとも微笑ましい。私も気安くありたいものです」
「気安くですか?では……小侯爵様のことをおじさまとお呼びしてもよろしいですか?」
「ええ、友達というより何だか姪みたいですけれど」
(――――そうだな、血縁でもない15も年嵩の男はおじさまと呼ばれて然るべきだ)
エルメスが当たり前の事実を受け止め、勝手に心理的ダメージを負っている横でフムスとルナアリアが何やらこっそり耳打ちしあっている。フムスの耳元に向かって背伸びをするルナアリアと僅かに腰を屈めてルナアリアの方へ首を傾けるフムスがとても微笑ましい。良いことを思いついたとばかりに二人同時に微笑んだ。
「それでですね、おじさま。唐突で大変申し訳無いのですが是非お願いしたいのです」
「身内ばかりの式なのですが私達共通の恩人で友人でもある小侯爵にも見届けて貰えたらと思いまして」
「「皇太子殿下と従妹には私達たちから話しておきますので」」
「「どうか、私達の合同婚約式への参列をお願いしたく存じ上げます。小侯爵」」
ルナアリアの輝くような笑顔とフムスの面映い嬉しそうな顔と二人固く握りあった手がとても幸せそうで印象的だった。
「なぁ、ライムンド」
「再々度申し上げます。申し訳ありませんが主君。聞きたくありません」
「――――コレって失恋なのか?自覚して直ぐ失恋ってのはよくあることなのか?」
ああもう!!聞きたくないと言っているのに!!ライムンドの米神にはそれはそれは立派な青筋が浮かんでいた。今にもキレそうな程に。
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罪過帳に幼女趣味&小児性愛が追記されました。
何故、私は唐突にイソップ寓話の粗筋を書く羽目になっているのだろう……
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