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十章 七転び八起きも、あなたの傍でなら

七転び八起きも、あなたの傍でなら【7】

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 * * *


 暦は、三月下旬。桜の木がつぼみを膨らませ、桜の名所に並ぶ木々は八分咲きになるというところ。


 今日で、エスユーイノベーションを退職することになった。
 手が空いたタイミングでひとりひとりに声をかけ、感謝を伝えていった。木野さんは涙を浮かべながらも、「応援してるからね!」と笑みを浮かべていた。


 重役室にも向かい、鵜崎副社長と翔にも感謝を告げる。
 副社長は私たちの関係をとっくに聞かされていたようで、「これからも翔をよろしく」なんて微笑まれてしまい、どんな顔をすればいいのかわからなかった。


 翔は「今日までお疲れ様」と社長としての労いをくれ、私はもう一度頭を下げて重役室を後にし、ミーティングルームの片付けをしている人に会いに行った。


「篠原さん、少しお時間よろしいですか?」

「ええ」

「今日まで本当にお世話になりました。短い間でしたが、色々とご指導いただきありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました。副社長もおっしゃっていたように、うちとしては貴重な戦力を失くすことになりますが、新しい職場でも頑張ってください」


 篠原さんはきっと、お世辞は言わない。だから、認めてもらえていたんだと知り、つい笑みが零れた。


「最後だから、個人的なことを話していいかしら」

「は、はい……!」


 唐突に敬語じゃなくなったことに驚きつつも、慌てて首を縦に振る。これまでとは違う態度を前に戸惑う私に反し、彼女は真剣な面持ちだった。


「私、甘ったれた人間が嫌いなの。自分の足で立とうとしなかったり、人に頼ってばかりだったり……。周囲にどうにかしてもらおうとする人には嫌悪感を抱くのよ。正直、あなたはそういう人だと思ってた」


 当時の私は、そんな風に思われていても仕方なかったのかもしれない。篠原さんには嫌われていると感じていたけれど、ようやくその理由がわかって妙に納得できた。


「社長と同居していることも最初に聞いていたから、余計にそう感じたのもあると思うわ。社長の家でのんきに料理をしていたあなたに苛立ったのも事実よ」


 彼女の言葉を素直に聞けたのは、きっと話し方が優しいからに違いない。それに、今はそう思われていないというのは、さっきの会話からも伝わってきている。


 だから、私も篠原さんから視線を逸らさなかった。


「でも、あなたは違った」


 不意に表情を和らがせた彼女が、申し訳なさそうに息を小さく吐いた。


「きちんと努力して、自分の足で立とうとする人だった。社長から『あいつは努力できる奴だ』って聞かされたときは信じられなかったけど、今のあなたを見ているとそれがとてもよくわかる。……社長があなたを選んだ理由もね」


 目を見開いた私の中に、考えることを避けていた不安が過る。


「あの……篠原さんと社長って……」


 それを確かめたくて口を開けば、吹っ切れたような笑顔を向けられた。


「安心して。私はもう随分前に振られているの。あなたがうちに来たときはまだ未練があったけど、それももうないわ。だって、高校時代の初恋相手をずっと想っている人の心に入り込む隙なんてないもの」


 翔と篠原さんが、どんな話をしていたのかはわからない。けれど、第三者から彼の想いを聞かされたことが気恥ずかしくて、一瞬で頬に熱が集中した。


「以前の職場でのことも少しだけ聞いたわ」


 そんな私に構わず、今度は神妙な声が落とされた。彼女の表情はどこか硬く、それでいて真っ直ぐだった。


「卑怯な人たちなんかのために、自分の意志を曲げてはダメよ」


 どう答えればいいのかわからなくて、ただ大きく頷く。篠原さんは柔らかく微笑み、次いで眉を寄せた。


「社長の家で会ったとき、ひどいことを言ってごめんなさい」

「いいえ。おかげで背中を押してもらえました」


 素直な謝罪を受け入れると、彼女は「ありがとう」と瞳を緩めた――。

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