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九章 雲となり雨となるとき

雲となり雨となるとき【3】

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 帰宅すると、ジムに行くと言っていた諏訪くんが先に帰っていた。


「結婚祝い、喜んでくれてたよ」

「ああ、さっき赤塚……じゃなくて清水からお礼のメッセージがきたよ」

「そっか。っていうか、赤塚のままでいいんじゃない?」

「まぁそうだな」


 ふと、ソファを見ると私が好きな作家の文庫本が置いてあり、私の視線に気づいた彼が微笑んだ。


「昨日、志乃がおすすめしてくれただろ? ジムの帰りに本屋で買って、帰ってきてからずっと夢中で読んでた。もう少しで読み終わるところだ」

「じゃあ、水を差しちゃったね。邪魔してごめんね」

「そんなことない。志乃が最優先事項だよ」


 私の目を真っ直ぐ見て微笑む諏訪くんに、胸の奥がキュンと震える。まだ夕日が街を染める時間帯だというのに、昼夜を問わない彼の甘さは今日も変わらない。


「諏訪くんって、恥ずかしげもなくそういうこと言えちゃうよね」

「だって、志乃にもっと俺を好きになってほしいからな」

「……っ」

「付き合ってても、まだまだ俺の想いの方が大きい。だから、志乃がもっと俺に夢中になってくれるように必死なんだ」


 私の頬に手を添えた諏訪くんが、甘い笑みで私を見つめてくる。けれど、その中には鋭く光るものが見え隠れしていた。


 キスの予感に瞼を閉じれば、数瞬して唇が塞がれた。触れるだけの優しいくちづけに、私の中で幸福感が広がっていく。


 だからこそ、唇が離れると寂しくなって、遠のいた温もりに追い縋るように彼を見上げた。
 ふっと困ったような顔をした諏訪くんが小さく笑う。頬に置かれたままの手が動き、愛おしげに撫でられた。


「もう一回しようか」


 私の願いを察したのか、優しく囁いた彼の顔が近づいてくる。再び瞼を下ろせば、唇にキスが落とされた。


 きっとまた、すぐに離れてしまう。
 そんな予想をした私が寂寥感を抱くよりも早く、温かいものが唇に触れた。それが舌だと気づく前に、唇をペロリと舐められる。


 驚いて開けてしまった目を丸くすれば、今度は唇を食まれた。やわやわと感触を楽しみ、それを繰り返される。


 その行為に翻弄されているうちに、半ば強引に唇がこじ開けられた。


「……っ、ん、っ」


 漏れた吐息が口腔の力を緩ませ、あっという間に熱い塊を受け入れさせられていた。
 舌で歯列をゆっくりとたどられ、口内を探るようにうごめく。同時に動かされた骨張った手は、私の髪や頬を労わるように撫でてくる。


 呼吸の仕方がわからなくなった私は、これまでとは違うキスに戸惑いを隠せない。
 反して、心も体も拒絶していないことは明らかで。心臓はバクバクと鳴り響き、緊張で体が上手く動かせないのに、胸の奥からは喜びが突き上げてくる。


 触れてくる手が優しい。熱を持った唇は強引だからこそ、そのギャップに思考がついていかない。


 少しばかりの優しさを残しつつも、容赦なく口腔を暴こうとする。その現実に脳芯がクラクラと揺らめき、息が苦しくなり始めたとき、舌を捕らえられた。


 目尻から零れる涙が頬を伝う。
 酸素が足りないせいか、思考がとろけていくせいか、息が苦しいのに……。嫌とは思っていないことはわかっていて、縋るように諏訪くんの服を掴む。


「んんっ……!」


 刹那、絡まったばかりの舌を吸うようにされ、くぐもった声が漏れ出た。


 長く深いキスに、脳が酩酊する。思考はまともに機能せず、彼の行為を受け止めることしかできない。
 呼吸もままならなくなって限界を感じれば、ようやく唇が解放された。


「ごめん……。止められない、かも……」


 わずかな涙が滲んだ視界に、諏訪くんが映る。
 熱を孕ませた双眸で私を見つめてくる彼は、背筋が粟立つほどに色気を醸し出し、その艶麗な面差しに息を呑んだ。


 下腹部に得体の知れないものがズクン……と響く。ジクジクとした正体のわからない感覚に困惑していると、腰をするりと抱き寄せられた。


 布を隔てただけの体温が伝わってくる。
 じん、と痺れるように体が震え、感じたばかりの感覚が〝疼き〟だと知った。


「……うん。止めなくて、いいよ」


 羞恥と不安が声を小さくさせたけれど、諏訪くんは聞き取れたようだった。
 端正な顔が驚きでいっぱいになり、程なくして優しい笑みを湛える。直後、体が宙に浮き、彼にお姫様抱っこの状態で移動させられた。


 連れて行かれたのは、これまで入ることがなかった諏訪くんの寝室。それがふたりの間で暗黙の了解みたいになっていたのは、彼が私を気遣ってくれていたから。


 シンプルなモノトーンカラーの部屋は静寂に包まれ、お互いの呼吸音すら鮮明に聞き取れる。
 そんな中、大きなベッドに下ろされた。

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