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黒髪の女性に手を引かれる私の手は幼く小さい。月光を吸い込んでしまうような長い黒髪が夜風になびく。この人は誰だろう。髪を追いかけるように私は必死で足を動かす。歩幅が小さく、ときどき前のめりにつまづきそうになる。女性の手の位置ぐらいに私の目の高さがあるから、私はおそらく五歳ぐらい。ああ、私、亡くなったお母さまと手を繋いで走っている。これは夢ね! たとえ、夢でもお母さまと会えて嬉しい。
私はお母さまの顔をもっとよく見ようと前に前に走る。
だけど、お母さまは息を切らしながら「何も見ないでとにかく走って!」と危機的状況が迫っているような声で言う。お母さまの顔は見えない。私の記憶にお母さまの顔がないから? そうよね。お母さまの顔を思い描こうとしても上手くいかない。もっと言えば、お母さまの長い髪は黒いけれど私はお父さま似と言われてきたから、もしかしたら黒髪じゃないのかもしれない。
シュン。
私のかかとに、鋭いなにかがかすめた音がする。跳ねた土が靴下にかかって、じっとり気持ち悪い。背後に迫る何かとの距離がとても近いと分かる。
怖い。いつ後ろから手を伸ばされるのか分からない。私の髪が夜風に煽られる。本当にただの風? 生暖かい誰かの息遣いが吹きつけたのかもしれない! とてもじゃないけど、振り向くことはできない。目をつぶって、自分の足に速く速く! と命じることしかできない! 追いつかれたら間違いなくやられる。
ざっざと、背後から砂利を蹴る音の数が増え続けている。追手は複数いる。足がもつれた。「あっ」
そのまま転んだ。両手でかばおうとして肘を強く打った。痛い。
「逃げて!」
お母さまの顔を見上げたけれど、その顔は涙でぼやけて見えない。痛くて私は泣いていた。
「アミシア。これを持って逃げて」
お母さまの首元で赤く光るルビーの首飾りが見えた。泣き腫らす私の首にお母さまは無雑作に巻きつける。
「お母さま?」
お母さまの口元が悲し気に微笑む。私は首を振るばかり。
(私を一人にしないで……!)
声にならなかった。私は別れを直感する。
「振り向かないで!」
お母さまが私を突き飛ばした。
「あっ」
転びかけたが、踏みとどまった。だけど、その瞬間に刃物が肉を斬りつける音が聞こえた。怖くてとても振り返ることができなかった。
「うぅ、に、逃げて!」
お母さまの身体に叩きつけられる刃物の音が断続的に聞こえる。お母さまの短い悲鳴が何度も上がる。
「わああああああああああ」
私は走った。そして、ぼうっと目覚める。
冷や汗をかいているわ。悪い夢ね。心の奥でお母さまに会いたいと無意識に願ってしまったのかもしれないわ。でも、何かが欠けている……そんな気がする。でも、それがなんなのかは分からない。
お母さまが誰かに殺されたことは聞かされている。私とお母さまがどういう状態で夜に外出していたのか知らないけれど、私だけが助かったらしいの。だから、お父さまは私が嫌いなのよね。
今日は教会敷地内でのバザーの日。貴族が慈善活動を行うことは特別じゃないけれど、今日のは特別。聖女が活躍する日。悔しいから私もなにかできることを探してみようかしら。
自室から廊下に出る。バザーの日は憂鬱よ。聖女さまさま、クリスティーヌさまさま。もてはやされるのは聖女だけなんだもの。そうだ。慈善活動するなら、なにか配ってみるのもいいかもしれない。なにを配ろうかしらね。パンとかどうかしら。私のことを悪く思ってる人たちもびっくりするでしょうね。思い立ったらすぐに行動に移さないと。侍女のコラリーに頼もう。
廊下を意気揚々と弾んで歩いていると、お父さまと幼い頃の私二人で前後に立っている肖像画が目に入った。壁に何年もかけてある。少し色があせたように見えるのは気のせいかしら。そういえば、お母さまの肖像画は一枚もないの。クリスティーヌの肖像画はむかつくぐらい、あちこちにあるんだけどね。
――おかしい。嫌われている私でさえ肖像画の一つはこのお父さまとの一枚があるのに。
この先の廊下の突き当りには、お母さまの部屋がある。開かずの間になっていて、誰も中に入ったことがない。使用人はおろか、私もクリスティーヌも入ることを許されていない。
空しくなって開かずの間のドアノブを見つめた。鍵はお父さまが持っている。あれだけお父さまが愛した人なんだもの、肖像画がないわけがないわ。きっと、あるとしたら、あの開かずの間。だけど、今の私にお父さまが鍵の場所を教えるとは思えないわ。
私はお母さまの顔をもっとよく見ようと前に前に走る。
だけど、お母さまは息を切らしながら「何も見ないでとにかく走って!」と危機的状況が迫っているような声で言う。お母さまの顔は見えない。私の記憶にお母さまの顔がないから? そうよね。お母さまの顔を思い描こうとしても上手くいかない。もっと言えば、お母さまの長い髪は黒いけれど私はお父さま似と言われてきたから、もしかしたら黒髪じゃないのかもしれない。
シュン。
私のかかとに、鋭いなにかがかすめた音がする。跳ねた土が靴下にかかって、じっとり気持ち悪い。背後に迫る何かとの距離がとても近いと分かる。
怖い。いつ後ろから手を伸ばされるのか分からない。私の髪が夜風に煽られる。本当にただの風? 生暖かい誰かの息遣いが吹きつけたのかもしれない! とてもじゃないけど、振り向くことはできない。目をつぶって、自分の足に速く速く! と命じることしかできない! 追いつかれたら間違いなくやられる。
ざっざと、背後から砂利を蹴る音の数が増え続けている。追手は複数いる。足がもつれた。「あっ」
そのまま転んだ。両手でかばおうとして肘を強く打った。痛い。
「逃げて!」
お母さまの顔を見上げたけれど、その顔は涙でぼやけて見えない。痛くて私は泣いていた。
「アミシア。これを持って逃げて」
お母さまの首元で赤く光るルビーの首飾りが見えた。泣き腫らす私の首にお母さまは無雑作に巻きつける。
「お母さま?」
お母さまの口元が悲し気に微笑む。私は首を振るばかり。
(私を一人にしないで……!)
声にならなかった。私は別れを直感する。
「振り向かないで!」
お母さまが私を突き飛ばした。
「あっ」
転びかけたが、踏みとどまった。だけど、その瞬間に刃物が肉を斬りつける音が聞こえた。怖くてとても振り返ることができなかった。
「うぅ、に、逃げて!」
お母さまの身体に叩きつけられる刃物の音が断続的に聞こえる。お母さまの短い悲鳴が何度も上がる。
「わああああああああああ」
私は走った。そして、ぼうっと目覚める。
冷や汗をかいているわ。悪い夢ね。心の奥でお母さまに会いたいと無意識に願ってしまったのかもしれないわ。でも、何かが欠けている……そんな気がする。でも、それがなんなのかは分からない。
お母さまが誰かに殺されたことは聞かされている。私とお母さまがどういう状態で夜に外出していたのか知らないけれど、私だけが助かったらしいの。だから、お父さまは私が嫌いなのよね。
今日は教会敷地内でのバザーの日。貴族が慈善活動を行うことは特別じゃないけれど、今日のは特別。聖女が活躍する日。悔しいから私もなにかできることを探してみようかしら。
自室から廊下に出る。バザーの日は憂鬱よ。聖女さまさま、クリスティーヌさまさま。もてはやされるのは聖女だけなんだもの。そうだ。慈善活動するなら、なにか配ってみるのもいいかもしれない。なにを配ろうかしらね。パンとかどうかしら。私のことを悪く思ってる人たちもびっくりするでしょうね。思い立ったらすぐに行動に移さないと。侍女のコラリーに頼もう。
廊下を意気揚々と弾んで歩いていると、お父さまと幼い頃の私二人で前後に立っている肖像画が目に入った。壁に何年もかけてある。少し色があせたように見えるのは気のせいかしら。そういえば、お母さまの肖像画は一枚もないの。クリスティーヌの肖像画はむかつくぐらい、あちこちにあるんだけどね。
――おかしい。嫌われている私でさえ肖像画の一つはこのお父さまとの一枚があるのに。
この先の廊下の突き当りには、お母さまの部屋がある。開かずの間になっていて、誰も中に入ったことがない。使用人はおろか、私もクリスティーヌも入ることを許されていない。
空しくなって開かずの間のドアノブを見つめた。鍵はお父さまが持っている。あれだけお父さまが愛した人なんだもの、肖像画がないわけがないわ。きっと、あるとしたら、あの開かずの間。だけど、今の私にお父さまが鍵の場所を教えるとは思えないわ。
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