感染系口裂け女をハントせよ

影津

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 先生はガスコンロに鍋をセッティングし、水と砂糖を入れて、あっと叫ぶ。

「なんですか?」

「箸を忘れた。まあ、いいか、僕らが食べるものじゃないし」と先生は手で混ぜ始める。火をつけて煮詰め始めた。気泡も立たないうちに、どたばたと口裂け女か、客か分からない人が走ってきた。商品棚の陰に隠れていても必ず見つかってしまう。

「よし、歩きながら行くぞ。十分煮込んで、固めるのに五分はかかる」

「十五分、逃げ回るってことですか」

 私は、そんな無茶な作戦に肝を冷やす。

「いや、違う。十五分、君と僕で鍋を守らねばならん!」

 十五分? 長いよ。

 お姉さんが呼んでくれた救急車のサイレンが聞こえる。これで、十分ぐらいでしょ? 救急車の人がどうなるかはあんまり想像したくないけど。

「土のう袋があるだろ? これを噛まれることなく奴らの頭にかぶせろ。奴らの口を塞げば感染の危険はない」

「そんな、簡単に言われても」

 誰かを殺さずにすむなら、それにこしたことはないけど。とにかく鍋を守りながら移動する。塗料コーナーに来た。

 ドタバタバタバタバタ、キュッ!

 誰かの靴底が滑った音。口裂け女だああ! すみちゃんのお母さんだ。一番乗りだよ?

「先生、来ましたあああああ!」

「うーん、なかなか煮えないなあ」

 先生はのんきに鍋を揺らす。商品棚にある、筆を取って鍋を混ぜ始める。

「落ち着け、その母親とは何度も対峙してきた。君ならできる」

「そんな、人任せな」

 すみちゃんのお母さんに私はペンキの缶を投げつけた。

 ゴン! いい音だけど、足止めできない。ペンキの缶×5……。

「ぐばああ」

 案外効くんかい。あ、すみちゃんの関西弁を思い出したよ。すみちゃんのお母さん、ほんとにごめんね。

 トドメにゴキジェット。両手持ち噴射。

 シュコーシュコー。

 地味。

 うぐぐぐとくぐもった声を上げてすみちゃんのお母さんは床に転がった。

「もっとたくさん浴びせろ! これぐらいじゃ死なん!」

「死なれても困りますよ先生!」

「大丈夫だ。さっきググッたがゴキジェットで人は死なんらしい。将来の健康にどう影響するのかは知らないがな」

 やっぱり駄目じゃん。

 シュコシュコー。缶二本同時噴射でもけっこうな量を散布した。まいてるこっちまで気分が悪くなってくる。エタノールの臭いで酔いそう。げほげほほほっ。これ、我慢大会か何か?

「先生……ぐえほっう。お、おっさんみたいな咳出ちゃった。先生! すみちゃんのお母さん、もう動いてませんよね?」

 先生は鍋で砂糖水がとろみを帯びてきたのを確認し、小指につけて舐める。子供がつまみ食いをしたときのように顔をほころばせて叫ぶ。

「美味い!」

「ちょっと先生まじめに聞いて下さい!」

「よし、これが固まれば「べっこう飴作戦」を開始できる! そのご婦人は眠りについたか? アーメンポマード成仏せよ!」

 先生が役に立たない……。ここは、私がしっかりしなきゃ。うつ伏せに倒れているすみちゃんのお母さん。死んじゃった? 仰向けに寝かせるの、ちょっと怖いな。噛まれないかな。

 恐る恐る首元に触れて脈を取ってみる。裂けた口に気をつけながら頭から土のう袋もかぶせてと。

 うーん、大人の首って太いからすぐに脈がとれると思ったんだけどな。首回りが太くてよく分からない。それに、自分の鼓動もさっきから早くて。あー、もう。息してるかどうか、確かめないと。

 土のう袋をかぶせたまま仰向けにして、鼻から息が吐かれているか手で探ってみる。

 すると、「ふん!」って、すごい鼻息をして私に覆いかぶさってきた! 土のう袋の中から私が見えるはずないのに!

「ぎゃあああ! やっぱりこうなる! 先生、ゴキジェット効いてないです!」

 今度は私が床に引き倒されて危うく馬乗りにされそうになる。

「せんせええええええええ!」

「この、口裂け女め、いい加減にしろ!」

 先生はべっこう飴の鍋を床に置き、代わりにペンキ缶を二つ取った。すみちゃんのお母さんの頭を挟むようにして殴った。

 ごいん――。

 鈍い金属音。再び倒れるすみちゃんのお母さん。

「せ、先生……」

「大丈夫。これは正当防衛。PTAも訴えられまい」

 そうじゃなくて。

「先生、白の口裂け女を倒したら、みんな元に戻りますよね? きっと」

 誰もそんな保証はできないことは分かっているけれど、聞かずにはいられない。すみちゃんのお母さんをこんなにボコボコにして言うのもなんだけど。でも、こんな状況、早く終わらせないと。

「分からんが、戻ることもあるだろう。感染源はたった一人なんだ。そうそう、狼の群れは狼のリーダーを倒せば従わせることができるというじゃないか」

 うーん、でもこっちは口裂け女だしなー。え? 今突き当りの木材コーナーで誰か動いた。

「あ、すみちゃんだ」

 私と先生が倒したすみちゃんのお母さんを目撃されてしまった。それに、コメリの男性店員も口裂け男になっている。

 すみちゃんは表情筋のすべてを使って、慟哭する。とても同級生の女の子の声とは思えないおぞましい野生の声。例えるなら、ジャングルで生まれ落ちて人間と今まで接触したことがないような野生の声。

「お、怒ってるよね。すみちゃん、ごめんなんて言っても許してくれないよね?」

 ああ、こういうとき、どう謝ればいいんだろう。私達、恐怖に駆られてとんでもないことをしでかしている。怖かったらお化け屋敷の人を殴っていいわけじゃないよね。そりゃそうだよ。相手は人なんだから。

「先生、すみちゃんだけはその缶で殴るのやめて下さいね」

「ロエリくん。この戦いは聖なる戦いなのだ」

「いつから、そんな規模が大きくなったんですか? コメリに来てから規模大きくなってますよ!」
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