白薔薇の誓い

田中ライコフ

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氷解

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「アダマス様は、どうして御自分をそこまで卑下なさるのですか」
「別に卑下など……。事実を述べたまでだ」
「事実ではありません。アダマス様はそんな嘲笑を受けるお方ではないはず」
 フォルカの言葉に、アダマスは胸に赤い激情が生まれるのを感じた。
「下手な慰めはよせ! ろくに話もしたことのないお前に、私の一体なにが分かる!」
 アダマスの声には怒気が含まれていたが、それを受け止めたフォルカは冷静だった。
「確かに私はアダマス様のことをよく存じておりません。ですがそんな私にでも、分かることがあります」
 フォルカは膝を折り、アダマスと目線を合わせる。
「アダマス様。あなたの瞳は曇りなく、美しい」
「な……」
「これはアダマス様の心を慰めるための世辞ではございません。人というのは、瞳にどのような人間かが如実に現れるのです」
 濃藍色の目はアダマスを写し、離そうとしない。フォルカの瞳はアダマスになにかを伝えようとしていた。
「私は貧民街で多くの時間を過ごしました。あの場所は罪を犯した人間にとって、最適の隠れ場……私はそこで多くの淀んだ目を見てきたのです」
「そんなものは……お前の思い込みだろう」
「いいえ、アダマス様。思い出してみてください。あなたを嘲る者がどんな目をしていたのか。そしてあなたが大切に想ってきた人が、どんな目をしていたのか」
 言われるままにアダマスは思い描く。
母や自分を侮辱した貴族たちは、一様に醜く歪んだ目をしていた。そして大切に想ってきた人の瞳は皆、フォルカのように澄んだ目をしていた。瞳の色に差はあれど、皆、今日の空のように清らかだった。
「アダマス様」
 精悍な声がアダマスに語りかける。
「あなたの瞳は清らかで美しい。御自分を大切にされて、穢れた言葉で曇らせないでください。あなたはもっと高貴なお方のはず。私はそう、信じております」
「フォルカ……」
 かつてこれ以上に自分のことを思い、必死で伝えようとしてくれた人間はいただろうか。アダマスの胸に感情の波が押し寄せ、言葉がなにも出てこない。フォルカはそんなアダマスに薄く微笑みかけ、頭を下げた。
「アダマス様のようなお方にこのような苦言、申し訳ありません。どのような処罰でも受ける覚悟は出来ております」
「処罰など……! お前にそんな苦言を言わせたのは私なのだ。お前はなにも悪くない」
 アダマスは慌てて顔を上げるよう命じる。
 顔を上げたフォルカの目は先程までの精悍なものとは違い、優しさが含まれていた。
「その……礼を言おう。お前のおかげで大切だった者たちの瞳を思い出すことが出来た。私はその者たちに恥じぬように生きたいと思う」
「はい。きっと……その方たちもそれを望んでおられるでしょう」
 フォルカは立ち上がると一度礼をし、ゆっくりとアダマスの側から離れていく。どうやら仕事が残っているようだ。
 アダマスは黙ってその背を見送ると、テーブルに飾られた花に目を向ける。離宮から離れることのないアダマスが、花を見たのは久しぶりのことだった。
「こんなにも……美しかったのか」
 昔、離宮の庭に咲き乱れていた花をアダマスは記憶している。だが記憶の中の花はこれほど美しくはない。どれももっと薄ぼやけた、庭の飾りでしかなかった。
 この花が王宮で育てられた、特別な花だからだろうか。いや、そうではない。飾られているのは不要という烙印を押された花たちなのだ。貴族たちにとって間引きされた花など、ゴミと同じだろう。
 特別なのは、これはフォルカが自分のためにと用意した花だということだ。打算的なものでなく、本当にアダマスのことを思って用意された、温もりにあふれた花。
「本当に変わった男だ」
 外に出るまでは心は陰鬱としていたのに、今では眼前に広がる空のようにすがすがしい。
 フォルカを信じていいのだろうか。アダマスはそう自問する。
 フォルカは信用に値する男だとは思う。だが雇われた庭師はかつての友のように、いつかは自分の元から離れてしまうだろう。そうなるのが分かっているのに、心を許してもいいのか。一時の心の安寧と引き換えに、また別れの辛さを味わうことになるのだ。
「愚問、だな」
 アダマスはくすりと笑みを浮かべる。
 わざわざ己に問い掛けなくとも、答えは簡単なことだった。信じていいのか、ではなく心はすでにフォルカを信じはじめている。
 フォルカの優しさと言葉を信じたからこそ、贈られた花が美しく見えるのだ。
 アダマスは、庭の手入れに精を出すフォルカの背をじっと見守る。
 不思議とフォルカに庭を弄られることが嫌ではなくなった。きっとフォルカなら貴族の機嫌を伺うための庭にはしない。アダマスはそう信じる。
 フォルカの手によって庭を咲き乱れる花たちを、アダマスは早く見てみたいと思った。
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