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 ヴォルフが城へ来てから数週間が経過した。
 イザークは教え方が上手く、また学べる楽しさも感じていた為か、案外早くヴォルフは読み書きを覚える事が出来た。そのお陰で声が出なくても、自分の名前や言いたい事が随分と伝えやすくなった。
 痩せていた体も栄養のある食事を取るようになったお陰で、少しづつ肉付きが良くなってきていた。

 今日もイザークに色んな事を教えて貰って、部屋に帰ろうとしていたヴォルフは廊下を曲がった所で固い物にぶつかって足を止めた。
 少し打ち付けた鼻をさすりながらヴォルフが視線を上に向ければ、鎧を纏った頬に傷のある男と目が合う。どうやら騎士とぶつかったようだ。


「何でこんな所にガキがいるんだよ」


 不機嫌そうに舌打ちをした頬に傷のある騎士はヴォルフを睨み付けていたが、ふと何か思い出したようにニヤリと口元を歪ませた。


「そういや、あの筋肉バカのザックが子供を保護した、とか聞いたな。しかも、声が出ないんだったか…。ははっ、こりゃぁ…丁度いい…。俺はあいつにムカついていたんだ、よ!」


 不意に頬に傷のある騎士が振り下ろした拳が、容赦なくヴォルフの頬に当たり、ヴォルフは勢いよく後ろに吹っ飛ばされた。
 母親に殴られた時よりも数倍は痛いそれに、ヴォルフはぐっと奥歯を噛み締める。

 痛みに表情を歪めるヴォルフを見る頬に傷のある騎士は、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべていた。それを見て、ヴォルフはスッと体から力を抜く。…苛ついた母親と同じ目だ。長年、暴力を振るわれてきたヴォルフには、頬に傷のある騎士が何を考えているのか直ぐにわかった。母親と同じようにヴォルフでストレスを発散させようとしている。


「おっと…顔はやばかったな。…おらっ!」

「……っ!」


 今度は腹に蹴りを入れられて、ヴォルフは苦しげな息を吐き出した。


「…俺が副騎士団長に選ばれる筈だったのに…あんな筋肉しか取り柄のないバカな奴に…!あんな奴は居なくていいんだよ!誰も必要となんてしてねぇんだ!なぁ!お前もそうだろ!」


 暴力には抵抗しないほうがいい、と知っているヴォルフはただじっとして耐えようとしていた。…しかし、自分を助けてくれたザックを悪く言う頬に傷のある騎士に腹の奥から、今まで感じたことの無いような熱が沸き上がるのを感じた。

 ザックはヴォルフを救ってくれた。優しく力強いザックはきっと騎士達の中で誰よりも副騎士団長という立場に相応しいはずだ。少なくとも、この男なんかよりも…。ザックに太刀打ち出来ないから、ヴォルフに手を上げるような男に、ザックを悪く言われるのは嫌だ。


「おいおい、何だよ…その目は…」


 言い返すことは声の出ないヴォルフには出来ない。この場ではただじっとしているのが正しいのは分かっている。逃げたり抵抗したりすれば、より酷い事になるのは知っていたから。
 それでも、腹の奥から感じる熱はヴォルフをじっとさせてはくれない。…それは、はじめてヴォルフが感じた強い怒りだった。だから、じっとザックの悪口を聞いて耐えるなんて事は出来なくて、ヴォルフは精一杯目の前の男を睨み付けた。


「……ガキが!」


 何度も痛みを感じた。それでも、ヴォルフは睨み続けた。頬に傷のある騎士がやがて去っていくまで、ずっと。

 頬に傷のある騎士が去っていって、ヴォルフは廊下の壁に座った状態でぐったりと寄りかかりながら、きゅっと唇を噛み締める。それは、体の痛みを耐えるためでもあり、心の底から感じる悔しさからでもあった。
 何一つ言い返すことも出来ず、何一つやり返す事も出来ず、自分が弱い存在でしか無いことを嫌という程知った。それが、ただただ悔しくて…。

 少しの間、そうしていたヴォルフは、ゆっくりと立ち上がった。廊下の壁に片手を添えて、ゆっくりと歩き始めると、殴られた頬や蹴られた腹が痛む。しかし、それらをぐっと唇を噛み締めて我慢しながら、ヴォルフは真っ直ぐに前を見据えて、部屋に向かう。

 いつもの倍の時間をかけて部屋の前までたどり着いたヴォルフは、短く息をついてから扉を開けた。


「おぉ、ヴォルフ、お帰り…。って、どうしたんだ!」


 部屋に居たザックがぼろぼろのヴォルフを見て慌てて駆け寄ってきた。


「誰にやられた!?」


 珍しく険しい表情のザックに、ヴォルフは覚えたての文字で紙に伝えたいことを書くと、ぐっとザックに見えるように持ち上げた。
 険しい表情のままそれを読んだザックは、今度は目を丸くして、確認するかのように書かれていた言葉を声に出す。


「……鍛えてほしい…?」


 そう言ってこちらを向いたザックに、ヴォルフはしっかりと頷いた。

 ザックに暴力を振るった頬に傷のある騎士の事を告げるのは簡単だ。
 だが、ヴォルフはそれをしなかった。ヴォルフは恩人であるザックを悪く言い、暴力を振るった男を自分の手で懲らしめてやりたいのだ。だからヴォルフは、告げるのではなく、ザックに強くなるために鍛えて欲しいと頼んだのであった。
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