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第8章 後ろめたい心

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 そうだ、明日は旅立ちの一日前。
 大事な日だ。

「モカは大丈夫だろ。練習、完璧だったし」
「ルオンちゃんは大丈夫じゃないの?」

 隣で一緒に倣っているのだから俺が散々だったのを見てただろうに。

 ……それはアレか? 嫌みか?

 などと、少し前の俺だったらそう思っていただろう。
 あるいはいつかの馬車みたいに機嫌を悪くして、もう話しかけてくんなオーラを発してしまっていたかもしれないが。

 だが、そこに少しも嫌味が入ってないという事を今の俺は知っていた。
 伊達に同じ場所で一週間も時間を過ごしてきたわけではない。同じ部屋でみっちりかっちり寝食を共にすれば、大体その人間の考えている事が分かってくるものだ。

 彼女は、モカは……、何と言うか物言いがストレートなのだ。
 思った事を、変に隠したり遠回しに伝えるんじゃなくて、本当にそのままの意味で伝えてくる。

 俺は、じっとしてられない性格などで周囲に男友達が多かった方なのだが、それでも女子との付き合いがなかったわけではない。
 村にいた普通の女子の事も知ってる身からすれば、「何それ!」と思うような暗号みたいな言動ばかりでの彼女達と違って、モカはただ素直な事を言っているだけなのだ。

 初めの頃はそれで反応に困っていたのだが、一週間もした今ではもう慣れてしまった。

「何か式典の前に不安でもあるの?」
「ああ、とっても不安で大丈夫じゃない。あんまじっとしてるのが好きじゃないってのもあるけど、式典とか表彰式とかってかたっ苦しい儀式は、緊張しちゃうんだよな。何か見られてるって思うと、うまくやんなきゃって思っちゃってさ」
「そっかー。ルオンちゃんは真面目さんなんだね。プレッシャーに弱いタイプなんだ」
「まあ、そうかもな」

 ここで、強がっていてもしょうがない。
 すでに知れている事だし、と素直にそう述べれば、モカは納得の声を返してきた。

 注目されるのなんて、人生で数えるほどしかなかった。
 暴れイノシシを倒した時の村の表彰か、小隊行動でやらかした時の訓練生時代ぐらいなもんだ。
 今回の事は、立場とか理由とかが全然違う。

「そういえば、式の時に巫女付きの星衛士ライツさんも選ばれるんだったよね」
「あー、そうだったな」

 そう、モカの言う通り巫女の就任式の後に行われるのが旅に同行する、巫女付きの星衛士ライツの任命式だった。

 基本は、星衛士ライツ達の中で最も成績の優秀な者が自動的に選ばれるらしいが、巫女にも任命権というものがあるようなのだ。

 それは……、これだと思った人間が護衛士の中にいて、巫女がその護衛士を巫女付きにしたい場合に、その任命権を使えば巫女付きに出来るというもの。

 素人に決めさせるなどとんでもないという考えもあるのだが、一応ちゃんとした理由はある。

 それは、自分の命を預ける存在なのだから、当の巫女に選ぶ権利がないというのはおかしいという事だ。 自由を愛する神様の意思を汲んで選ばれた巫女は、そもそも自分の行動を自由に決められる存在でなければならない。
 だから己の身を護る存在も自由に決めさせる……という事だ。

 まあ、だからといってそれを俺達が無理に使う必要はないのだ。
 顔も知らない星衛士ライツの良し悪しなど分からないから、知っている者達に任せるのが自然な流れだった。

 特別な感情などなかった。
 だが、モカは違うようだ。

「どんな人になるんだろうね……。モカ達を助けてくれたあの人かな」

 そんな風に、想像の世界をさ迷っている。
 モカの言うあの人。……と、言えば当然あの人なのだろう。
 偽星衛士ライトを倒し、何故だが俺を引っ叩いてくれたあの男だ。
 
 ……本気か?
 ……あいつが何したか分かってて言ってるのか?

 何とも言いようのない複雑な気持ちが胸の内に湧き起こって来て、ただでさえ底辺だったやる気がさらに萎えていくのを感じる。

「まったく、何なんだよあいつ。出会い頭に人の顔を殴るなんて、意味わかんねぇし」
「あの人は、訳もなくそんな事する人じゃないと思うんだけどな……。ほらルオンちゃんのことだってちゃんと助けてくれたし」

 拳を作って肩を怒らせるがそんな落ち着きのない俺と違って、モカは冷静だった。
 擁護するような言葉を聞いて心の中で、ひっそりと恨んでしまう。

「どうだかっ! あんなの俺一人でやっつけられたんだ。大きなお世話なんだよっ」
「ルオンちゃんには無理だったと思うよ。不意打ちみたいな感じだったし。甘いもの食べる?」
「すがすがしいほど前後の文脈絡がないな。内容どうやって飛んだんだよ。おかげで反論しそこなったんだけど。まあ、怒ってる時に甘い者食べると良いって話は知ってるけど……」

 モカに差し出されたお菓子をぱくり、甘かった。そして上手い。
 そして噛むと、何だかいい匂いがするし。
 饅頭だったが、柑橘系の果物でも入っているのか、さわやかな風味がしてくどくなく食べやすい。

 俺でも分かる菓子の凄さだ。そんじょそこらの菓子とはわけが違う。
 モカの意外な試みは功を成した、少し溜飲が下がる。

「う、美味しいなこれ。さっき運んできたのについてたのか? お茶も二つ用意してくれたのか。冷めちゃわない内に飲むじゃわないとな」

 せっかく余分に運んできてくれた物なのに、悪い事をする所だった。お茶の入ったカップにも手に付ける。
 後でお礼を言っておかなければならないだろう。

「甘い物で忘れちゃうなんてルオンちゃんって単純だね」
「台無し!」

 何をしにお菓子を進めてきたのか分からないモカの言葉に思いっ気突っ込みを入れるが、前ほどの怒りは戻っておなかった。

 菓子と紅茶の甘やかな味のハーモニーは、ささくれだっていた心を瞬く間に穏やかにしていく。

 うん、絶妙だ。

「こんな事で簡単に気分が変わっちゃうなんて、ルオンちゃんってすっごく良い子なんだね」
「それは遠回しに誉めてるようで馬鹿にしてるのか? 言い換えただけじゃないのか? その言葉。聞きようによってはとんでもない悪口に聞こえるからなっ。ここにいるのが俺で良かったよ」

 ……本当にな。別の人間だったら怒り再燃ところか、フルバーストしてたぞ。

 火に油を注ぐような発言に、モカの対人関係がものすごく心配になる。
 他の人達はいったいどうやってモカに付きあっているのだろう。

「大丈夫だよ。その人がどういう事で怒るのかとかは、しばらくお話すればだいたい分かるから」
「へ、そうなのか…。すごいな」

 しかし、モカも一応考えなしに発言してるわけではなかったらしい。その事を知って少しほっとする。
 それが分からるようにならなければ、彼女も色々とあけすけな発言をするような人間にはならなかったのだろう。

 ……ん、でもそれって俺はけっこうズケズケ言われても怒らない奴だって思われてるって事か?
 ……それって良い事なんだろうか。

「ルオンちゃんは優しいね。きっと、良い巫女様になれるよ」
「……な、何だよいきなり。そんな事ないよ。俺なんて、モカみたいに女らしくないし、料理とか裁縫とかできないし、見ての通り、態度も言動もがさつだし……」

 本当は俺だって分かっているのだ。
 何であの星衛士ライツの少年が怒ったのか。

 ……俺が巫女らしくないから怒ったんだろうな、きっと……。

 一人で凶悪な犯罪人に立ち向かうような人間が巫女だなど、信じられないし巫女だとは思いたくないだろう、普通なら。

 けれど、そんな俺の手を握って、モカは真剣に言葉をつくしてくれる。

「ううん、ルオンちゃんは絶対に良い巫女様になるよ。モカが保証する」

 何言ってるのだろう。俺が良い巫女? ありえない。
 モカもさっきの俺の言葉聞いただろうに
 なのになんでそんなこと言えるのか。

 あの事件の後、俺は聞いていたのだ。
 手を上げ少年の事を、他の人間から少しだけ。

 あの後、駆けつけてきたらしい一人の星衛士ライツの少年の会話を聞くに、どうやら俺を助けてくれた人もやはり星衛士ライツだった事が分かった。
 その日は非番で休みだったのに、事件の事を聞いてわざわざ駆けつけてきてくれたというらしいと言う事も。

 それがいざ現場に来たら、俺が……巫女の一人がこんな残念な奴だったと知って、あいつはがっかりしたのだろう。

 あいつはあの時……俺を引っ叩いた時、「自分の立場をなんだと思ってるんだ」と言った。
 巫女は自ら敵と戦おうとしたりしないし、危険な場所に飛び込んでいったりしない。
 きっと、あまりにも巫女とかけ離れた俺の行動が、きっと許せなかったのだ。

 もしも、巫女付きの星衛士ライツになれたら……。
 きっとその地位を目指すものならば誰だって考える事だ。

 自分が護るその人はどんな人なんだろうとか、どんな素敵な人なのだろうとか。
 
 手に取る様に分かる。
 なぜなら俺がそうだったからだ。
 巫女だからきっと素晴らしい人に違いない。
 訓練時代の俺はいつもそんな事を考えて過ごしていたからだ。

 あいつもきっと同じなのだなのろう。自分の仕える巫女様はきっとすごい人だろう。そんなすごい巫女様の役に立ちたい。いや、役に立ってみせる。……そう思ってずっと頑張ってきたはずなのだ。

「俺は巫女なんかじゃない、偽物なんだ」

 本物の巫女はモカ一人で、俺は何かの間違いで選ばれてしまっただけ。
 そう考えるとしっくりくるし、そうでなければならないと思う。
 そうでないとしたら……今まで頑張って来た星衛士ライツ達があまりにも可哀相だ。

「ルオンちゃん…」

 モカが何か慰めの言葉でも言おうとしたのか声を出すが、扉をノックする音がそれを止めた。

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