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古くヒンヤリとした石の階段を降りていくと煉瓦で作られた空間があった。
元々は戦で亡くなった戦士の死体を一時的に保管するために作られたここにシモン・マグヌスの骸が横たわっている。
死体の置かれた石のベッドは硬そうだった。蝋燭の明かりが影の形を細かに変えていて、なんだかそれに意味があるようにすら思えてくる。
少し緊張していたが、死体の顔には白い布がかけられているし、冷たい安置室のおかげで腐敗した匂いもない。
死体の横にはこの城の常勤医である壮年の男が立っていた。眼鏡をかけ、無精髭を生やした小難しそうな背の高い男だ。
ローレンスは私達に「ハリソン先生です」と紹介した。
ハリソン先生は面倒そうに白衣のポケットに手を突っ込んだまま口を開いた。
「遅かったな。できればさっさと解剖医に診せたいんだが?」
「これが終わればすぐです」
ローレンスにそう言われハリソン先生は頭の後ろをボリボリと掻いた。そしてシャロンを見下ろす。
「できればこっちの嬢ちゃんも解剖してえな」
「笑えない冗談ね」とシャロンは落ち着いて言った。
「冗談じゃない。聞いたぜ。医者が目指す究極の目的地とも言える存在がすぐそこにいるんだ。法が許すなら誘拐でもなんでもしたい気分だぜ」
「どうも医者にモテるわね。そんなこと、たとえ法が許してもわたしが許さないわ。ホルマリン漬けにされたくないならさっさと説明してちょうだい」
冷たくあしらうシャロンにハリソン先生は肩をすくめて死体を見下ろした。
「最近は科学の進歩もあって死体を見れば色々と分かるようになっててな。と言ってもいつ死んだか。どう死んだかくらいだが」
「いつ死んだの?」
「死亡推定時刻は死体発見の五時間前。つまりは深夜の一時頃だ。これは筋肉の硬直具合を見れば分かる。当時の気温や条件と当てはめるとそれくらいが妥当だろう」
シャロンは頷いた。
「なるほど。死因は?」
「高所から落とされた可能性が高い」
「落とされた? 落ちたんじゃなくて?」
「おそらくだがな。死体は頭から落ちている。自殺の場合が中々そうはいかないもんだ。やってみれば分かるけど、本能的に助かろうとして足や胸から落ちちまう。俺の見立てじゃ背後から突き落とされて、訳の分からないまま地面に激突したってところだな。夜中だと地面も見えない。状況が分からず呆けていたら死んだんだろうよ」
「そう……」
考えるシャロンをよそにハリソン先生は手元のリストを淡々と読み上げた。
「目立った遺留品は頭の下にあったハンドタオル。血を吸って真っ赤になってたよ。見るかい?」
シャロンがかぶりを振って私はホッとした。
「そうかい。まあ、あれのおかげで貴重な文化遺産が汚れなくて済んだよ」
そう言ってからハリソン先生はなにか思い出したような顔になった。
「そうそう。顔に変な破片が突き刺さってたんだ。たしかそこのシャーレに……あった。これだ」
ハリソン先生が見せたシャーレの中には爪くらいの白い破片が三つ入れてある。ところどころ赤いのは血だろう。
「破片……。なにかしら?」
「さあね。仏さんは石畳で見つかったんだろう? なら掃除かなにかに使ったんじゃないか? それか誰かがカップでも割ったか。だが陶器にしては薄いな」
シャロンは破片をじっと見つめ、その中の一つを指さした。
「これ、もらえるかしら?」
「どうだろうな。俺のもんじゃねえから」
シャロンはローレンスの方を向いた。ローレンスは難しそうな顔をする。
「……一応証拠になるかもしれないものですから」
「そうね。でもこの小さな破片なら問題はないんじゃない?」
シャロンは一番小さな破片を指さした。私はこういうことには詳しくないが、爪の先ほどしかないこれに重要性はまったく感じなかった。
それはハリソン先生も同じようだ。
「まあ、これくらいならいいんじゃねえか?」
「……先生が仰るなら」
「だとよ。あとで小瓶に入れてやるよ。俺もこれがなんだか気になってたんだ。死体の周りは見たけど似たようなものは見当たらなかったしよ。もしかしたら顔をなにかで殴られて、その時についた破片かもしれねえな。殴られたショックで気を失っていたなら無防備に死んだのも頷ける」
期待されたシャロンだったが、それほど自信があるわけではなさそうだ。
「簡単に調べてみるだけよ。手がかりになるかは半々ってところね」
「へえ。不老不死の魔女でもそんなもんかい」
「魔法は万能というわけではないの。しっかりとした法則があって、理から外れたことはできないわ」
「ならあんた自身はどうなんだ?」
ハリソン先生は皮肉めいた笑いを浮かべた。私とローレンスもシャロンを見つめた。
シャロンは左手を腰に当て、右手を胸に当てると少し前に屈んで不敵に微笑んだ。
「乙女には秘密があるものよ」
シャロンが質問をさらりと躱すとハリソン先生は小さく嘆息した。
「おっかねえなあ。おい」
それが全てだった。
最後に私達はシモン・マグヌスの顔を見せてもらった。
損傷はあるが個人が特定できないほどじゃない。ローレンスもその部下達もこの死体がシモン・マグヌスであると証言している。
固まったその顔は恐怖に歪んでいて、あまり長い間見られるものじゃなかった。
一体彼は死の間際になにを見たのだろうか?
そんなことを気にしながら、私達は安置室を後にした。
元々は戦で亡くなった戦士の死体を一時的に保管するために作られたここにシモン・マグヌスの骸が横たわっている。
死体の置かれた石のベッドは硬そうだった。蝋燭の明かりが影の形を細かに変えていて、なんだかそれに意味があるようにすら思えてくる。
少し緊張していたが、死体の顔には白い布がかけられているし、冷たい安置室のおかげで腐敗した匂いもない。
死体の横にはこの城の常勤医である壮年の男が立っていた。眼鏡をかけ、無精髭を生やした小難しそうな背の高い男だ。
ローレンスは私達に「ハリソン先生です」と紹介した。
ハリソン先生は面倒そうに白衣のポケットに手を突っ込んだまま口を開いた。
「遅かったな。できればさっさと解剖医に診せたいんだが?」
「これが終わればすぐです」
ローレンスにそう言われハリソン先生は頭の後ろをボリボリと掻いた。そしてシャロンを見下ろす。
「できればこっちの嬢ちゃんも解剖してえな」
「笑えない冗談ね」とシャロンは落ち着いて言った。
「冗談じゃない。聞いたぜ。医者が目指す究極の目的地とも言える存在がすぐそこにいるんだ。法が許すなら誘拐でもなんでもしたい気分だぜ」
「どうも医者にモテるわね。そんなこと、たとえ法が許してもわたしが許さないわ。ホルマリン漬けにされたくないならさっさと説明してちょうだい」
冷たくあしらうシャロンにハリソン先生は肩をすくめて死体を見下ろした。
「最近は科学の進歩もあって死体を見れば色々と分かるようになっててな。と言ってもいつ死んだか。どう死んだかくらいだが」
「いつ死んだの?」
「死亡推定時刻は死体発見の五時間前。つまりは深夜の一時頃だ。これは筋肉の硬直具合を見れば分かる。当時の気温や条件と当てはめるとそれくらいが妥当だろう」
シャロンは頷いた。
「なるほど。死因は?」
「高所から落とされた可能性が高い」
「落とされた? 落ちたんじゃなくて?」
「おそらくだがな。死体は頭から落ちている。自殺の場合が中々そうはいかないもんだ。やってみれば分かるけど、本能的に助かろうとして足や胸から落ちちまう。俺の見立てじゃ背後から突き落とされて、訳の分からないまま地面に激突したってところだな。夜中だと地面も見えない。状況が分からず呆けていたら死んだんだろうよ」
「そう……」
考えるシャロンをよそにハリソン先生は手元のリストを淡々と読み上げた。
「目立った遺留品は頭の下にあったハンドタオル。血を吸って真っ赤になってたよ。見るかい?」
シャロンがかぶりを振って私はホッとした。
「そうかい。まあ、あれのおかげで貴重な文化遺産が汚れなくて済んだよ」
そう言ってからハリソン先生はなにか思い出したような顔になった。
「そうそう。顔に変な破片が突き刺さってたんだ。たしかそこのシャーレに……あった。これだ」
ハリソン先生が見せたシャーレの中には爪くらいの白い破片が三つ入れてある。ところどころ赤いのは血だろう。
「破片……。なにかしら?」
「さあね。仏さんは石畳で見つかったんだろう? なら掃除かなにかに使ったんじゃないか? それか誰かがカップでも割ったか。だが陶器にしては薄いな」
シャロンは破片をじっと見つめ、その中の一つを指さした。
「これ、もらえるかしら?」
「どうだろうな。俺のもんじゃねえから」
シャロンはローレンスの方を向いた。ローレンスは難しそうな顔をする。
「……一応証拠になるかもしれないものですから」
「そうね。でもこの小さな破片なら問題はないんじゃない?」
シャロンは一番小さな破片を指さした。私はこういうことには詳しくないが、爪の先ほどしかないこれに重要性はまったく感じなかった。
それはハリソン先生も同じようだ。
「まあ、これくらいならいいんじゃねえか?」
「……先生が仰るなら」
「だとよ。あとで小瓶に入れてやるよ。俺もこれがなんだか気になってたんだ。死体の周りは見たけど似たようなものは見当たらなかったしよ。もしかしたら顔をなにかで殴られて、その時についた破片かもしれねえな。殴られたショックで気を失っていたなら無防備に死んだのも頷ける」
期待されたシャロンだったが、それほど自信があるわけではなさそうだ。
「簡単に調べてみるだけよ。手がかりになるかは半々ってところね」
「へえ。不老不死の魔女でもそんなもんかい」
「魔法は万能というわけではないの。しっかりとした法則があって、理から外れたことはできないわ」
「ならあんた自身はどうなんだ?」
ハリソン先生は皮肉めいた笑いを浮かべた。私とローレンスもシャロンを見つめた。
シャロンは左手を腰に当て、右手を胸に当てると少し前に屈んで不敵に微笑んだ。
「乙女には秘密があるものよ」
シャロンが質問をさらりと躱すとハリソン先生は小さく嘆息した。
「おっかねえなあ。おい」
それが全てだった。
最後に私達はシモン・マグヌスの顔を見せてもらった。
損傷はあるが個人が特定できないほどじゃない。ローレンスもその部下達もこの死体がシモン・マグヌスであると証言している。
固まったその顔は恐怖に歪んでいて、あまり長い間見られるものじゃなかった。
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