魔法使いが死んだ夜

ねこしゃけ日和

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 四人目は『ドクター』ことロバート・ジョンソンだ。

 ロバートの部屋は整理されていて服が散乱していたり食べ終わった皿がそのままにされていることもなかった。

 眼鏡をかけたこの医者は子供達に人気がありそうな優しい雰囲気を纏っている。

「すいませんがいつ頃帰れるか分かりませんか? 患者さんが待っているもので」

「申し訳ありません」とローレンスは頭を下げた。「今のところいついつまでと明言することはできない状況でして」

「そうですか……。まさかシモンさんが殺されるなんて。私にできることがあればなんでも言ってください。とは言っても疑われているこの状況だとかえって迷惑でしょうけど」

「お気持ちだけいただいておきます。なにか必要でしたら担当の者をお呼びください」

「なら手紙を出させてもらえませんか? 出さないといけない薬や私が診られない場合に紹介できるお医者さんなどを指示したいのですが」

「……申し訳ありませんが外部との連絡は禁止となっております」

「そうですよね……」

 ロバートは肩を落として溜息をついた。

 無理もない。彼は医者なんだ。いなければ人命に関わることもあるだろう。

 心配する私をよそにシャロンは室内を見渡してから最後にロバートを見つめ、目を細める。

「良い男ね。嫌いじゃないわ」

 ロバートは首を傾げた。

「こちらは? どちらかのお子さんですか?」

 私は「こちらの方はミスシャロン・レドクロス様です」と紹介する。

 それを聞いてロバートを目を丸くした。

「レドクロス? それってあの『終末の魔女』ですか?」

 一体この人はどれだけ二つ名を持っているんだろうか……。

 シャロンは自慢げに胸を張る。

「破壊魔法の研究にはまっていた時はそう呼ばれたこともあったわね」

「驚いた……。ならやはり不老不死に辿り着いたんですね」

 ロバートは言葉を失い、シャロンの足下で膝を突いた。そして震える手でシャロンの肩に触れた。どうやら感動しているらしい。

「そ、それがあれば一体どれほどの人が助かるか……。お願いします。不老不死になる方法を教えてくれとまでは言いません。その過程でいくつもの治癒魔法を見つけたはずだ。その中の一つでもいい。是非私に教えてください」

 感涙するロバートをシャロンは微笑を讃えて見つめた。

「あなたが犯人でなかったらね」

 ロバートはシャロンから離れつつかぶりを振る。

「私は人殺しなんてしていません。考えたことすらない」

「あなたが手を汚してなくても協力した可能性はあるわ」

「あり得ない! なぜ私がそんなことをする必要があるんです?」

「それを今から調べるのよ。疑いを晴らして患者の元に戻りたいのなら協力してちょうだい。それと、次に許可なく私に触れたら三つ折りにするわよ」

 シャロンの殺気にあてられ、ロバートは椅子へと戻った。

「……すいません。感動のあまりつい取り乱してしまいました」

「分かったならいいわ。では質問に答えて。出身と経歴は?」

「出身は東北です。ロックフォレストという文字通り岩と森ばかりの地域です。人口が少ないのでインフラの整備も遅れていて医者も少ない。しかも国境も近いのでたびたび戦地になってきた歴史もあります。私自身、幼少期に戦争を体験しました。医者になりたかったのは妹の体が弱かったからです。医者になれば助けられると思っていました」

 ロバートはやるせない笑顔を見せた。それを見て私とローレンスは気まずくなる。

 東北はたびたび戦地となるため、インフラを整備しても破壊されてきた。そもそもが天然の要塞であるため、それなら限られた予算を都市部や当時盛り上がっていた南部の開発費に回した方がいい。そんな政策が三十年前に行われた。

 今では東北にもそれなりの予算が回ってきたが、やはりネルコ内では遅れた地域に変わりなかった。

 見捨てられた土地。そう表現する地元民も多いと聞く。

 落ち込む私達と違い、シャロンはあまり気にしてなさそうだ。おそらく昔はそんなの当たり前だったんだろう。

「あなた自身は軍に行こうとは思わなかったの?」

「……もちろんイガヌは憎いですが、どうせなら殺すより生かす方に回りたかった。だから今は故郷からは離れましたが東北のローズウッドという街で医者をしています。自分には魔法の適正があったのでそれも活かせればと思ってましたし、薬なら医者がいない土地でも人を直せると思い、その開発も同時並行で進めてきました」

「なら持ってきたのは薬なのね」

「ええ、まあ……」ロバートの歯切れが悪くなる。「始めに言っておきますが、私は順位なんてどうでもよかった。ただ薬の開発費と病院などのインフラに予算を回してほしいだけです」

「なるほど。できたのは求めていたものと違ったわけね」

 ロバートは驚いていた。

「な、なぜそれを?」

「今あなたが言ったじゃない。薬の開発費がほしいって。病気を治せる薬を開発したのならそんなこと言わないわ。おそらくもっと攻撃的な薬ができてしまった。例えば毒とかね。不思議はないわ。薬と毒は表裏一体だから。そしてできればその毒を使って研究費を回収したいと思ったんでしょう?」

 ロバートは全てを見透かされていたらしく、圧倒されながら苦笑した。

「……やはりあなたは偉大な魔女だ」

 ロバートは鞄からピルケースを取りだし、そして中身を見せた。そこに一つの錠剤が入っている。

 ロバートは小さく嘆息した。

「これはあなたが言っていた通り偶然できてしまったものです。向精神薬の開発は急務でした。なにせ戦場で生き残った兵隊達が祖国に戻ったあと自殺して亡くなっているのですから。そういう人に加え、人生に絶望した人を助けようと考え、開発を進めていました」

 ロバートの言っていることは真実だ。戦場でのショックが安全な土地に戻っても残ってしまい、そのせいで自殺する。そんな悲劇が繰り返されていた。

 私の同期でも自ら命を絶った者がいた。せっかく生き残ってもあれじゃあ意味がない。

 シャロンは知見がありそうだった。

「心の病というやつね。ストレスによってエーテルの流れが狂ってしまう」

 ロバートは頷いた。

「ええ……。私達はその流れを正常に戻そうとした。その過程でこれはできてしまったんです」

 ロバートは俯いて続けた。

「……これは飲むと嘘がつけなくなる薬です。私は『ロイヤル』と呼んでいます」

 私とローレンスは驚愕していた。

「つまりは自白剤か!」

「軍が開発を進めていたが全く成功しなかったと聞く。それができたとなれば、対スパイにとってこれ以上ない効果を発揮するぞ」

 スパイの存在については周知の事実だった。我々ネルコも東のイガヌや南の大国ゴリガリにスパイを送っている。

 ネルコとゴリガリに国境を接する小国ハムスなどはスパイによる情報のおかげで国が成り立っていると言われているほどだ。

 それほど情報の必要性は高い。そしてスパイを炙り出すことができれば戦況は一気に好転する。情報を抜き出し、嘘を伝えることができるからだ。今や情報は兵器と言っても差し支えない。自白剤の存在は政治の駆け引きにも大活躍するだろう。

 興奮する私達をよそにロバートは落胆し、シャロンはくだらなそうにしていた。

「……できればこういうものはない方がいいと思うのですが、これがなければここに来ることができなかったのも確かです。万能薬でもできれば胸を張って王に直訴できたのですが……」

「できたのは悪魔の薬というわけね。ふうん。自白剤なんてなくても締め上げる方が手っ取り早そうだわ」

 シャロンはロバートの鞄を指さした。

「薬はこれだけ? 他にはないの?」

「ええ。『ロイヤル』は作るのが大変でこれ一錠しか持ってきてません」

「そう」

 シャロンはなにやら怪しんでいたが、私にはなにを考えているのか分からなかった。

 ロバートは膝の上に肘を置き、手を組んだ。

「敵国のスパイには拷問が行われるという噂を聞いています。そんなことをするくらいならこの薬で終わらせた方が健全なんじゃないかと……。もちろんどちらもない方がいいのですが……」

 拷問で死ぬスパイもいる。それなら裏切って生きる方がいいと思うのも仕方がない。

 しかしそれは民間人の考え方だ。我々軍人にとっては国を裏切ることはそれこそ死ぬことより重い。ある意味毒より悪魔的な薬だった。

 ロバートはばつが悪そうに笑った。

「ただこれはまだ試作品で、一錠につき一つの質問しかできないんです。将来的にはもっと多くの質問ができるようにする予定ですが」

 それでも充分だ。量産化できればかなりの効果を生むだろう。

 シャロンはクスクスと笑って尋ねた。

「たとえばだけど、今あなたがそれを飲むことはできる?」

「……え?」

 ロバートは驚いていた。まさか持ってきたたった一粒を自分が飲まされるとは考えていなかったようだ。

「驚くことないでしょう? 殺人犯でないなら飲めるはずよ」

 あまりにも冷酷な指示に私とローレンスはゴクリとつばを飲む。

 しかしロバートはよほど身の潔白に自信があるのか頷いた。

「飲めます。私はシモンさんを殺してませんから」

「ふうん。まあいいわ。一つしかないならここで使うのはもったいないものね」

 どうやら冗談だったらしく、シャロンは肩をすくめて続けた。だが目の奥ではなにやら思索しているようだった。

「昨日の夜、食事のあとはなにを?」

「ロビーで話してました。軍の関係者が何人かいたので、東北の実情を知ってもらいたかったんです」

「魔法使いとは?」

「イヴリンさんと多少話したくらいです。他の人に色々と聞きたいこともあったんですが、次の日に聞けばいいだろうと思いました。なのでまさかあんなことになるとは……」

「なにか異変を感じなかった?」

「いえ。特には」そう言ってからロバートはなにかに気付いた。「あ。そう言えば深夜に誰かが鍵を閉めた音が聞こえた気がします。隣から聞こえたのでシモンさんだと思っていたんですが……」

「時間は?」

「十二時を少し回っていたと思います。もしかしたら犯人なのかもしれません。私はてっきりロビーになにか取りに行ったのではと思っていましたが。あちらの方がお酒やちょっとした食べ物も種類が豊富ですから」

「中から? それとも外?」

「どうでしょう……。多分外だと思いますけど……」

「戻って来る音は聞いてないの?」

「ええ。残念ながら……」

 それが本当ならシモン・マグヌスが殺されたのは深夜十二時頃ということになる。

 だが出て行ったのが犯人だとして、どうやって鍵を部屋の中に戻したんだ?

 ただの聞き間違いか? それともなんらかのトリックが使われた? 

 それともやっぱり魔法か? いや、それだとシャロンがドアの鍵穴を見た時に分かるはずだ。ならその人物はたしかに鍵を閉めている。

 部屋に鍵が置いてあったとすれば使えるのはマスターキーだけだ。しかしマスターキーを取り出すのは不可能だろう。

 シャロンは核心に迫った。

「ところで犯人は誰だと思う?」

「え?」

「参考までに聞いておこうと思って。あなたも暇つぶしに推理していたんでしょう?」

「……それはまあ、多少は……。そうですね。おそらくですがなんらかのギミックが使われたと思っています。魔法だけならすぐにバレてしまう。バレないようにするには魔法を内包した技術が必要です。ですから筆頭はサイラスさんで、時点はヴィクトリアさんでしょう。アーサーさんはないと思いますが、イヴリンさんはあり得ますね。新しい魔法を生み出すのはいつだって若者ですから」

「どうやって殺したと?」

「そこまでは分かりませんが、例えば密室を作り出すだけならそれ専用の機械があれば事足りると思うんです。中に入って彼を外へ落とし、窓を閉める。そして鍵を置いてドアから出て、外から魔法の機械で鍵を閉める。これが一番あり得そうですね」

「たしかにそれなら魔法痕は残っても微かでしょうね」

「ええ」

「でも証拠が残るわ。そんな機械があったらすぐ見つかるはずよ」

「分解したのかもしれませんし、なにかに紛れ込ませているのかもしれません。ロビーかどこかに隠しておけば少なくとも誰の物かは分からないでしょう」

「ないわね。それは二流の考え方よ。使われた魔法を見ればすぐに術者が分かるわ」

「ならまだ見つかってないだけの可能性が高そうですね。盲点となる隠し場所が存在するのでは?」

「そちらの方がまだ現実的ね」シャロンはローレンスの方を向いた。「魔法使い達の部屋は調べたの?」

「はい。事件があってからすぐに。しかしこれといって怪しい物は出てきませんでした」

「身体検査は?」

「それもしましたが……」

「そう。ならなにかに変換したのかもしれないわね。でもそれだと魔法痕が残る。でも兵達を欺いてから別の方法でわたしに勘付かれないよう工夫すればどうにかなるわ。どちらにしても機械を使ったという可能性はあるわね」

 機械か。たしかにそれがあれば外から鍵をかけることも可能かもしれない。しかしそんなものをどこに隠すんだ?

 ああ。だからサイラスが怪しいと睨んでいるのか。彼が持ってきたのは『マジックギア』だ。あれが外から鍵を開けられるとなればたしかに盲点となる。

 この医者、中々の切れ者だ。普通はそこまで考えられない。

 そしておそらくここまでの推理をシャロンは当然のように分かっている。分かった上で相手がなにを話すか見ているわけだ。

 シャロンはまた問う。

「聞いておきたいのだけど、もし自殺させる薬や食べ物があったとして、それは解剖すれば分かるのかしら?」

「……ある程度なら可能だと思います。ですが体内に入ったエーテルは本人のものと混ざり合ってしまいますし、食べた時間によるかと。ですがなにを食べたかはすぐ分かるはずです。死ねば消化は止まりますし、そうでなくても固形物なら胃に残ります。ディナーで出てきたものはすぐ調べられるはずですし、それ以降に食べた物を特定するのはさほど難しくありません」

「薬や液体の場合は?」

「血液検査が必要になるでしょうが、それもきちんと調べれば分かると思います。でも人を自殺に追い込む薬があるなんて信じられません。あったとしても窓から飛び降りればそこが開いているはずですよ」

 その通りだ。自殺すると窓が閉められない。外からでも閉めるだけなら可能だが、鍵は内側からする必要がある。

 シャロンは小さく微笑んだ。

「そうね。それは最初から分かっていたわ。自殺に見せかけるなら当然遺書も用意するはずだから」

 私はハッとした。そんな当たり前のことになぜ気付かなかったのだろう。

 遺書もなしにこんな場所で自殺すれば他殺だと言っているようなものだ。ならわざわざ自殺に見せかける必要性なんてない。

「以上よ」

 そう言って立ち上がるシャロンにロバートは尋ねた。

「あの、本当にこの事件が終われば魔法を教えてくれるんですか?」

「ああ。そういう約束だったわね」

 シャロンは忘れていたと言わんばかりだった。

 ロバートは懇願するように告げた。

「私は犯人じゃない。それは証明されるはずです。ですから」

「分かってるわ。ただ、あなたに使えたらの話だけど」

 シャロンは意味深な笑みを浮かべてそう言うと部屋から去って行った。
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