路地裏のアン

ねこしゃけ日和

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 一人になって小白はご機嫌だった。
 周りに人がいないことを確認すると帽子を脱いで耳を解放する。そして庭の更に奥へと歩いて行った。
 しばらくするとツタが巻き付いた背の高い柵にぶつかった。小白が引き返そうとすると近くに少しだけ開いている柵状の扉を見つけた。
 小白はそこまで行くと足下になにかを見つけて屈んだ。ねこの足跡だった。それが柵の外に向かって並んでいる。
「……もしかして迷子になってるかもしれん」
 小白はそう呟くと扉の隙間に体を滑らせて外に出た。
 庭とは違い、裏山の地面は柔らかかった。小白は腐葉土のもふもふした感触に肉球があったらこんな感じなのかもと楽しみながら足跡を追う。
 足跡は右へ左へ上へ下へと続いていき、五分ほど経つとぴたりと途切れた。
 そこでようやく小白は顔を上げ、そして気付いた。
「……もしかして迷子になったかもしれん」
 薄暗い森の中はどこを見ても木と草と岩と土しかなかった。風の音と鳥の鳴き声が森の中に反響する。どこを見ても同じ光景で自分がどこから来たか分からなかった。
 不安を感じた小白はとりあえず来た道を戻ってみたが、縦横無尽に動き回っていたせいで中々屋敷に辿り着かない。
 あまり時間をかけると真理恵が心配する。そう思った小白は益々焦り、森の奥へと迷い込んでいった。
 するとなにかが動くのを小白の目と耳が察知する。気配の方向を見てみると遠くにねこの尻尾が消えていくのが見えた。
 光明が見えた小白は少し気楽になり、持ち前の瞬発力で追いかけた。あれが屋敷のねこなら帰り方を知っているかもしれない。
 小白は山の中を走り抜け、そして開けた場所に辿り着いた。そこは登山客が一休みできるよう設けられた展望台だった。
 展望台に出ると小白は辺りをきょろきょろと見回す。
 すると小白の背後で声がした。おじさんの声だった。
「おやおや。野犬にでも追いかけられたと思いましたよ。ホッホッホ」
 小白は両手で耳を隠しながら振り向いた。するとそこにいたのは蝶ネクタイの首輪を着けた小太り三毛猫だった。
 小白はホッとして耳から手をどける。
「お前が屋敷のねこ?」
「わたくしですか?」三毛猫は紳士のように明るく言った。「いえ。違います。ははあん。それはきっと牧師さんのことを言っているんですね」
「ぼくしって?」
「あなたが今仰ってたねこのことです。広い庭に住む黒ねこ。背中の白い模様が十字架のようでしてね。だからそう呼ばれているんです。あまり我々と会うことはありませんが」
「ふうん。じゃあお前は?」
「わたくしですか? 飼い主の付けた名前もありますが、他にあだ名があって、わたくしはそちらの方を気に入っています。皆さんわたくしのことを議長と呼ぶんです」
「ぎちょー」
「ええ。ねこの会議で議長を任されることが多いですから。それにしても驚いた。あなたは人なのにねこの言葉が分かるんですね。こんなのは初めてです」
「うん。うちはねこだから」
「なるほど。ねこの言葉が分かる人はねこか否か。ふふふ。これは良い議題になりそうだ。いえ。こちらのお話ですが」
 小白はむっとした。
「うちは言葉が分かる人なんじゃなくてねこ。生のねこ。少なくともそうなる」
「ほほう。なら議会に出席する資格はあるかもしれませんな。それもまた議題になる」
 議題を見つけて議長は嬉しそうに笑う。そして思いついた。
「そうだ。お嬢さん。よければ今度の会議に出てみますか? 他のねこ達も喜びますよ」
「それは、うちがねこだから?」
「ええ。それほど綺麗な形の耳はそういません」
 小白は照れながら褒められた耳を触った。
「うちもそう思う。なかなかいい耳。中の毛もふわふわだし」
「ええ。ええ」議長は二度頷いて提案する。「だからどうでしょう?」
 誘われて小白は少し考えた。
「アンもいる?」
「アン? はて。どんなねこですか?」
「赤いねこ。赤くて小さい」
「そんなねこいたかな…………」
 議長は記憶を遡ったが、該当するねこはいなかった。
「まあそのねこがこの町に住んでいるのなら来るかもしれません。興味があるなら昼に二丁目の空き地に来てみてください。両隣が空き家で雑草や捨てられた家電なんかも多いステキな場所ですよ」
「それはステキかもしれん」
「でしょう? ではわたくしはこれで。また議題を探さないといけないので」
「あ。まって」
 小白は走り出そうとする議長を引き留めた。そして立ち止まった議長に口を尖らせ、もじもじしながら言った。
「よかったらでいいけど……。屋敷に戻る道を教えて……」
 それを聞いて議長は大きく瞬きしてからホッホッホと笑った。
「なぜねこは迷うのか? これもまた良い議題になりそうです」
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