路地裏のアン

ねこしゃけ日和

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 真広が帰ってくる少し前。
 一人になった小白は家中を探索していた。なにかワクワクすることはないかと思った小白だったが、この古い二階建ての家はあまりにも普通だった。
 真広と真理恵の部屋は入ると怒られると思ったので他の部屋を開けてみたが、埃っぽいだけでこれといって面白そうなものはなかった。
 ただ小白はこの日当たりの悪い家を気に入っていた。廊下を歩いているとそこだけ軋む場所を見つけ、何度か踏んでみる。ギシギシと音が鳴ると少し楽しくなった。
 廊下をドタドタと走ってみると音が籠もってなんだか面白い。風呂場に行くとひんやりして気持ちが良かった。
 面白いものはなかったが、面白い家だと小白は思った。
 他にもなにかないかと小白は掃き出し窓を開けた。狭い庭には小さな花壇があり、そこには花が植えられていた。花には蝶が止まっていて、小白はベランダに座って足をブラブラさせながらそれを眺めていた。
 すると小白の耳がぴくりと動いた。なにかが動く音がした。それは人では聞こえないほど微かな音だった。
 小白はつっかけに足を突っ込んで音が聞こえる方に歩いて行った。音は塀の向こうから聞こえた。小白がつま先立ちで塀の穴から外を覗くとそこには子ねこがいた。
 明るい茶色の毛をした子ねこが塀の土台の石に体をこすりつけている。
 それを見て小白は嬉しそうに耳をピンと立て、目を見開いた。
 小白はしばらく子ねこを見ていた。そして子ねこが近づくと小さな声で話しかける。
「ねえ」
 子ねこは立ち止まり、小白に気付いて顔を上げた。大きな目で小白を観察している。
 小白はそれが嬉しくて尋ねた。
「どうやったらねこになれるの?」
 聞かれた子ねこは小白の耳を見て自分の耳をぴくりと動かした。そして顔を二回洗うと踵を返してから振り向き、「にゃー」と鳴いた。
 子ねこが歩き出すと小白は「待って」と言って外に出ようとする。
 だが帽子をかぶってないこと気付いて耳を押さえながら慌てて家に戻った。野球帽をかぶり、靴を履いて勢いよく外に飛び出す。
 路地裏に出ると子ねこが角を左に曲がったところだった。
 小白は急いで子ねこを追った。裏路地から出ると車が一台だけ通れる道が現れる。子ねこはその道の一番端っこを素早く歩いていた。
 道路はひび割れ、ブロック塀は黒ずみ、ポストは色褪せる。昭和の雰囲気が残る寂れた町を六つの小さな足が軽やかに踏んでいく。
 子ねこは道を渡り、古いクリーニング屋を右に曲がり、空き家に入ると荒れ果てた庭から外に出ていった。
 小白は楽しそうに子ねこを追いかけ、エアコンの室外機を足場に塀を登った。
「どこまで行くの?」
 小白はそう尋ねるが子ねこは前を向いて歩くだけだ。
 そのうち何段もある長くて細い階段まで来るとそれを下り、途中で右に曲がると薄暗く木が生い茂る山肌に作られた道に辿り着いた。
 そこを進むと小さな神社が現れる。神社の正面には階段があるが、子ねこはそれを無視して横切った。
 小白は誰もいない静かな神社に肌寒さを感じ、苔の生えたお稲荷さんを見ながらも子ねこを追いかける。
 途中、小白はふと帰れるだろうかと思って後ろを振り向いた。あるのは木や草花だけで他にはなにもない。
 不安になった小白が前を向くと子ねこは随分前に行っていて、小さな坂を登ると姿が見えなくなった。
 小白は慌てて走り出すが坂の上に辿り着いても子ねこの姿はどこにもない。
「あれ? どこ?」
 小白の中にあった不安が一気に膨らむ。それでも前に進むと右手に朽ち果てた空き家が見えた。
 小白は恐る恐る中を覗いた。壁が朽ちてはいるがところどころ雨は防げる。風は周りの木々がせき止めていた。中は意外にも綺麗だった。埃っぽさもあまりない。ガラクタが多少あるが、危なそうなものはなかった。
「すごい。住める」
「住むなよ」
 後ろから声がして小白は素早く振り向いた。
 そこにいたのは同い年くらいの男の子だ。短パンにTシャツを着て小白を睨んでいる。
 小白が警戒してると男の子は入ってきて近くにあった折りたたみの椅子に座り、尋ねた。
「お前だれ?」
「お前こそだれ?」
「オレ? オレはここを使ってるんだ。誰も知らないし、来ないから」
「ふうん」
 小白は興味なさそうだった。それを見て男の子はムッとする。
「で、お前だれだよ?」
「だれでもいい。赤ねこ探してるだけだから」
「赤ねこ?」
 男の子は眉をひそめた。小白は頷く。
「うん。見つけてねこになる方法を聞く」
「なに言ってんだお前? ねこになんてなれるわけないだろ?」
「そんなことは知らん。うちはなる」
 男の子は呆れて顔をしかめ、そして苦笑した。それから自分の方が年上だと思い、その通り振る舞った。
「オレは新木蒼真。お前は?」
「……小白」
「コハクな。まあいいよ。ここにいても。でも誰かに言うなよ?」
 小白はこくんと頷いて聞いた。
「赤ねこは?」
「だからなんだよそれ?」
「赤いねこ。本当は茶色だけど。でも赤に近い」
「さあ。見てないけど」
 小白はむうっとした。蒼真は不思議そうにしつつ背負っていたリュックから水筒を取りだして飲んだ。一息つくとまた尋ねる。
「お前なん才?」
「五才」
「いっしょだ。でもだったらお母さんが心配するだろ」
「しない。お母さんは遠くにいるから」
「え? 死んだってこと? じゃあオレといっしょだ。お父さんは?」
「おらん」
「そっか……。オレはお父さんだけいるんだ」
「……知らんしいらん。うちはねこになるから」
「またねこかよ……」
 蒼真は呆れているが小白は意見を曲げなかった。
「ねこはつよいから。一匹でも生きていける。人間とはちがう」
 小白が力強くそう言うので蒼真は閉口し、そして変に納得した。
「……まあ、そうかもな」
「そう」
 小白はこくんと頷いた。すると壊れた壁の向こうに子ねこを見つけた。道の先を左に曲がっているのが見えた。
 小白は「あ。いた」と言うと急いで走ろうとした。
 だが足下にあった木の箱に躓いてしまう。その弾みだった。かぶっていた帽子が取れ、小白はその場でへたり込む。
 小白の姿を見た蒼真は目を丸くして固まった。その頭に立ち上がった小白が猫パンチをお見舞いしたから更に動転した。
「なんで!?」
「知らん!」
 小白はそう言うと帽子をかぶって逃げるように出て行った。
 一人になった蒼真はポカンとしたまましばらくさっきの光景が本当かどうか考え、そして呟いた。
「…………もうねこじゃん」
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