80 / 81
番外編:エピローグのその後で
しおりを挟む「ありえない……なにこれ……ほんと何これ……」
ぶつぶつと呟く声が聞こえる。まるで世界の終りのような絶望しきった声音がしきりと嘆いている。
それにため息をついて応じたのは、白金の髪を持つ青年だ。名をスノウ・シュネー。パールディア王国の誉れ高き5代目勇者である。
彼は簡素な旅装に身を包み、その腕の中に一匹のネコを抱いていた。
「いつまで言ってるんだ」
「永遠に言い続けるよ。ほんと意味わかんない……」
「気持ちはわからなくもないが……仕方ないだろう」
わかる、と単純に同調できないのには理由がある。スノウには、それに類似した経験がない。あくまで想像できる範囲での理解を示すしかないのだ。因みに、今後も経験する予定も意思もないので、相手の心情を正しく理解する日は永遠にこないと思っている。
勿論、口にはしない。
「わかってるけど! 納得できないんだってば! 原因も理由もわかんないし、解決のめども立たないし、何よりなんだってネコなの!」
堰を切ったようにまくしたてるのは、スノウの腕の中にいるネコだ。
赤錆色の長い毛並みに、豊かな尾。深紅の瞳は心なし潤んでいるようにも見える。
ただのネコが言葉を話すわけはない。このネコはとある魔物が変じた姿だ。
魔物の名はエル・バルト。つい先ほどスノウたち勇者一行が後にしてきたばかりの、魔物の城。その城主である。
「それはまあ……前かけた魔法の影響か?」
「……そうとしか思えないよね。でなきゃネコの説明がつかない」
スノウの言葉に、長く息を吐いた後、エルは落ち着いた声で応じた。
「やっとネコから解放されたと思ってたのに……なんでだろ……悪いことはしてないんだけどなあ」
「……悪いこと、ね」
スノウの腕の中で哀愁漂う様子で嘆いている姿は、一見非力なネコだ。本人の性格もあってとてもではないが恐怖は抱きにくい。ただ、その本性が魔物の中でも最強と言われる竜族と聞けば、多少なりとも構えはする。
「疑ってるの? 知ってるでしょ、俺がどんなやつだったかは」
「ああ。城から碌に出ないひきこもりだって聞いたな」
「……あいつら……」
エルの側近から聞きえた情報を開示すれば、エルはどこか遠い目をした。声に含まれているのは怒りというより諦念だ。表情のわかりにくい獣の姿だというのに、エルは存外感情表現が豊かである。
「確かにひきこもりの上にヘタレじゃ、悪事なんて出来ないな」
「一言余計だよ。否定はしないけどね」
「そもそもお前の言う『悪事』とは何だ?」
「あれ、若干馬鹿にされてる気がする。こんななりだけど魔物だよ? わかってる?」
「わかってる。だから聞いてるんだ」
「ほんとかなあ……なら答えるけどね、君の『悪事』の定義と多分同じだよ。これでも暫くは『勇者』してたんだから、人間にとっての悪事の意味くらいわかってるよ」
「そうだったな。となると……ヘタレは治らないものなんだな」
「結局そこに行き着くあたりに悪意を感じるんだけど」
引っかくぞ、と凄むエルだが、愛らしいネコの姿なので少しも恐怖を感じない。
スノウが軽くあしらってエルの耳の辺りを撫でれば、エルは不満げな唸り声を漏らす。それでも逃げようとしないのは、エルなりの譲歩なのだろう。
そんな漫才めいたやりとりをしていると、不意にスノウの外套が引っ張られた。思わず振り向けば、外套の端を摘まんでいるフレイと目が合う。
「ね、スノウ。……ほんとに、その、……なの?」
酷く言いにくそうなその様子に、スノウは意味がつかめず首を傾げる。
「……どうした?」
「あの、そのネコ……あいつ、なの?」
それで漸く、フレイが腕の中のエルについて話しているのだと気づく。自分のことと理解してか、エルもまたひょいと頭をフレイへと向けた。
「ああ、どうやら本人だ。なあ、エル」
「不本意だけどね」
小さな牙の並んだ口から零れるのは愛らしい鳴き声などではなく、流暢な言葉だ。しかもその声は人型の時と変わりない。
「! ほんとだ! 話もできるんだね!」
フレイはぱっと顔を輝かせる。周囲に花が舞うような勢いで喜びを表す彼に、思わず目を見張る。
スノウの記憶の中にあるフレイは、子供らしさの薄い、大人びた少年だった。子供と侮る周囲にしきりと反発し、早く大人になりたいと切望していた弓の名手。
「ねえ、じゃ、じゃあさ僕も、その、抱っこ……」
テンションそのまま勢いこんだものの、段々と尻すぼみになっていく。内心の葛藤を表すかのように、不安定に視線が泳いでいる。
そういえば、とスノウは思い出す。
かつての仲間が連れていたネコの使い魔。それをフレイはどこか羨ましげにみていたような。
そこまで思考した時、ぱしん、と腕を叩かれて我に返る。どうやら固まってしまっていたらしい。
視線を落とすと、真紅の咎めるような目とぶつかった。先ほどの腕への衝撃は、彼の長い尾によってもたらされたもののようだ。
「いい加減放して貰える? 視界が高すぎてちょっと疲れたんだよね」
「……ああ、そうだな。俺もそろそろ腕が疲れてきた」
エルの意図を察して、スノウは苦笑する。
エルを両手に抱えなおすと、後ろ足と尾がぶらりと宙に投げ出された。
「フレイ、代わってくれると助かる」
「っ、うん!」
慌ててフレイが腕を伸ばし、エルの引き渡しが完了する。その間、エルは本物のネコ以上にネコらしく振舞っていた。暴れることなく、フレイの腕の中に納まってその肩口に懐く。
「わあ、ふわふわだ」
フレイはエルの毛並みに頬を寄せて、はしゃいだ声をあげた。頬を紅潮させ、年齢相応のあどけない笑みを浮かべる。
おそらくいまこの時ばかりは、エルが魔物であることや複雑な関係性は彼の念頭にないだろう。
エルもそのあたりを察しているのか、喋る素振りはない。どうやらフレイが満足するまではネコに徹するつもりらしい。
お人好しは相変わらずかと内心呟いて、スノウはちらりと周囲を見回す。
フレイから二歩ほど離れた位置をメリルが、そこから更に数歩離れた後方をクロスとレリックが歩いている。彼らは互いに会話したり、周囲を眺めたりと、平素と変わらぬ態度をとっているが、その実注意はすべてこちらに向いていることをスノウは気付いていた。
それも当然だった。
この場にいる全員が、エルが魔物だということを知っている。共に行動している経緯も、事情も知っている。
正真正銘「勇者」であるスノウは、かつて魔物の長として敵対していたこと。
名実ともに「魔物の長」であるエルは、かつて勇者として彼らと共に旅をしていたこと。
共に意図していたことではなく、当人たちにとっては不幸な事故でしかなかった。
すべてがあるべきところに正しく収まったのが現状だというのに、スノウは居心地の悪さを覚えていた。たかだか数ヶ月の出来事がこれまでの十数年積み上げてきたものに違和感を抱かせるとは、我が事ながら想定外の事態である。
このように当事者ですら未だに混乱しているのだから、周囲の混乱具合は想像に難くない。端的に言って、双方どちらの扱いにも困っているはずだった。
「あ……そうだ、ごめん。嫌だった?」
毛並みを優しく撫でて、はっとしたようにフレイが腕の中へ尋ねる。どうやら、ようやく相手がエルだという認識が戻ってきたらしい。
強者といわれる者ほど、矜持は高い傾向がある。また強弱は大抵の場合生きる時間、または経験値に比例するものだ。これは魔物にも人にも、変わりなく見られる傾向だ。
幾ら現在の見目がネコであろうとも、その生きてきた時間は人間の比ではない。加えて本性が竜となれば、その矜持たるや想像に難くなく。
怒り狂っても可笑しくない、と思うのが「普通」であり「常識」だ。
「ううん、全然。気持ちいいよ」
けれども、あっさりとそう答えたエルは、大して気にしている様子もない。
声音は穏やかに甘く、フレイを見上げる真紅の双眸は凪いでいる。今にも喉を鳴らさんばかりにフレイに擦り寄る姿は、飼い猫が甘えているかのようだ。
そうやって、大人びた少年を甘やかしているエルの対応に、スノウは笑みを零す。
お人好しで、優しい魔物。
それが彼の本質だと理解してしまっているから、誰もが彼を邪険に扱えない。敵だとわかっていて尚、王都へ同行することを拒絶できなかった。
「……いや、違うか」
スノウは小さく声を落とす。確かにそれも理由ではあるだろう。だが、彼らが拒絶できなかった最大の理由はスノウが誘導したからだ。
まさかの事態に混乱するその場を収めてきたのは、スノウであった。エルの側近と自身の仲間達を説き伏せたのも、スノウ。そして、エルに原因究明という目的をちらつかせて旅に同行するよう勧めたのもスノウだった。
勇者としての自覚も覚悟も、スノウは持ち合わせている。そうあるために己に課してきたことは少なくなく、18歳という年齢には不相応とも思えるその在り様が、彼が稀代の勇者といわれる所以でもあった。
けれど、不意に目の前に現れた姿に。
勇者として生きるなら、絶対に相容れないはずの相手に、手を伸ばした。
己と対極の位置にいながら、最も近い相手。何を期待していたわけでもない。何を得たかったわけでもない。
ただ、手を伸ばした。
「……何をしてるんだろうな」
エルとフレイのやりとりに、周囲の仲間たちは何も言わない。けれども悪く思っている様子はなく、むしろ良い意味で見守っているようだ。
彼らが馴染む日はそう遠くはないだろう。
僅かに波紋を描く己の心を自覚して、スノウは短く呟く。
覚悟も自覚もあるはずなのに、時折心が惑う。大きなものではないものの、自分でもわからないそれ。
理由が分らず、困惑した眼差しでスノウは彼らを眺めていた。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
やさしい魔法と君のための物語。
雨色銀水
ファンタジー
これは森の魔法使いと子供の出会いから始まる、出会いと別れと再会の長い物語――。
※第一部「君と過ごしたなもなき季節に」編あらすじ※
かつて罪を犯し、森に幽閉されていた魔法使いはある日、ひとりの子供を拾う。
ぼろぼろで小さな子供は、名前さえも持たず、ずっと長い間孤独に生きてきた。
孤独な魔法使いと幼い子供。二人は不器用ながらも少しずつ心の距離を縮めながら、絆を深めていく。
失ったものを埋めあうように、二人はいつしか家族のようなものになっていき――。
「ただ、抱きしめる。それだけのことができなかったんだ」
雪が溶けて、春が来たら。
また、出会えると信じている。
※第二部「あなたに贈るシフソフィラ」編あらすじ※
王国に仕える『魔法使い』は、ある日、宰相から一つの依頼を受ける。
魔法石の盗難事件――その事件の解決に向け、調査を始める魔法使いと騎士と弟子たち。
調査を続けていた魔法使いは、一つの結末にたどり着くのだが――。
「あなたが大好きですよ、誰よりもね」
結末の先に訪れる破滅と失われた絆。魔法使いはすべてを失い、物語はゼロに戻る。
※第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編あらすじ※
魔法使いであった少年は罪を犯し、大切な人たちから離れて一つの村へとたどり着いていた。
そこで根を下ろし、時を過ごした少年は青年となり、ひとりの子供と出会う。
獣の耳としっぽを持つ、人ならざる姿の少女――幼い彼女を救うため、青年はかつての師と罪に向き合い、立ち向かっていく。
青年は自分の罪を乗り越え、先の未来をつかみ取れるのか――?
「生きる限り、忘れることなんかできない」
最後に訪れた再会は、奇跡のように涙を降らせる。
第四部「さよならを告げる風の彼方に」編
ヴィルヘルムと魔法使い、そしてかつての英雄『ギルベルト』に捧ぐ物語。
※他サイトにも同時投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
[完結]私を巻き込まないで下さい
シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。
魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。
でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。
その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。
ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。
え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。
平凡で普通の生活がしたいの。
私を巻き込まないで下さい!
恋愛要素は、中盤以降から出てきます
9月28日 本編完結
10月4日 番外編完結
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる