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44-3.ふたりの事情
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未だ混乱冷め遣らぬ様子の側近を見遣り、スノウはため息を零す。
混乱するのも当然だろう。
今まで城主と仰いでいた相手の『中身』が別人、よりによって敵である勇者なのだ。しかも肝心な城主本人はその勇者の体に収まっている。
それだけでも混乱必至な事態だというのに、その状態のままで結構な時間を過ごしてしまっていた。それが、周囲の動揺に拍車をかける要因となっている。
「信じられないとは思うよ。けど本当に嘘でも冗談でもないし、何の裏もない。
ただこの事実が判明した以上、今すぐに『勇者スノウ・シュネー』をそちらに返すわけにいかなくなったからさ」
その言葉は、アイシャではなく目の前に佇むレリックに向けてのものだ。
「まあ俺が言っても信用ないのはわかってるけど……どう証明しようもないからなあ」
思いきり「裏切り者」と叫ばれていたスノウである。彼らの中に猜疑心がある現状では、何を言ったところで上滑りしていくだけだろう。下手をすれば新たな油を注ぎかねない。
とはいえ、それを払拭するだけの材料も手立てもスノウにはないのだ。
中身が別人である証拠など、スノウ自身の記憶ひとつ。
しかも入れ替わった状態でそこそこ日数が経過していた。それこそ、当初の違和感がぼやける程には。
それを本来は魔物であるスノウが、人間のレリックやクロスに説明したところで信憑性があるとは思えない。
「どうしても信じられないなら……そうだね。エルから何か証明してよ。俺じゃ彼らを信用させられないし」
隣へと話を振ると、エルは渋面になる。
「証明?」
「なんでもいいよ、入れ替わる前の……こう、どこのお店に入ったとか。愛用の品とか」
悩む素振りのエルへと、スノウは色々挙げてみる。
だがエルの反応は捗々しくない。眉間に皺を拵えたまま、首を振る。
「……急に言われても浮かばない」
「それはそうかもしれないけど、もうちょっと頑張って。俺だって頑張って二人を納得させたんだからさ」
スノウが示す『ふたり』は言わずもがなアイシャとスイである。
レリックたち三人を連れてくるまでの間、スノウは半ば必死になって己の側近へと説明した。
元々、スノウの気配に違和感を覚えていたらしい二人は、スノウが『勇者スノウ・シュネー』ではないということについては納得するのは早かった。
曰く「こんな勇者がいてたまるか」。
やはりというかなんというか、そう思われていた事実に流石のスノウも少し泣きたくなった。
だが、本来の『エル・バルト』であるという点においては彼らは頑なに信じようとしない。
先入観を取り払ってしまえば、彼らならばすぐに分る筈だというのに。中身と器の齟齬、そこから生じる別種の気配に気付かないはずがないのだ。
ところが彼らは一様に現実から目を逸らした。
そのためスノウは必死に、後半は自棄になって過去の出来事を蒸し返した。その場にはクロスと『スノウ』の勇者二人もいたが、そんなことは構っていられなかった。
そして話題がアイシャの失態とスイが城に来た時の話になって漸く、二人は目の前の相手が正真正銘、城主だと認めたのだ。苦虫を千匹ほど噛み潰したような表情で。
そんな遠くもない過去を思い出しているスノウの前で、エルは困り顔で言う。
「そうは言っても……俺は殆ど戦いのことばかりだったからな」
それ以外のことにあまり興味がなくて、と淡々と理由を口にした。
思わず、スノウは言葉に詰まる。
稀代の勇者。その負い切れない荷物を捨てたい、と幾度も考えたことを思い出す。けれどそのたびに戒めた。必死に手にしただろうその居場所を、記憶のない自分が簡単に捨てる訳にはいかないと思ったから。
そのスノウの想像通り、『スノウ』は相応の代価を払って勇者の座を手に入れていたのだろう。それこそ、魔物討伐以外のものへの興味が薄くなるほどに。
「あー……じゃあほら、旅の間のこう、ちょっとした出来事とか」
何はともあれ、エルの中身が『スノウ』なのだと証明できなければ始まらない。
そう考え、スノウは再度エルに提案する。
そこへ、ぽつりと小さな呟きが落ちた。
「……いつから?」
その頼りない響きに振り向くと、フレイの栗色の双眸と目が合う。
「いつから入れ替わってたの?」
表情は揺らがないものの今にも泣き出しそうな声に、スノウは僅かに目を細めた。
フレイは「騙された」と感じているのだろう。それも無理はない。
見回すと、スイやアイシャからも興味深げな視線を寄越される。
エルとスノウが入れ替わっていることは話したものの、詳細は『スノウ』の関係者が揃ってからと保留していたのだ。どこから話したものかと頭を悩ませつつ、スノウは口を開いた。
「そっか……まだ説明してなかったなあ。
メリルとフレイは知ってるけど、実は記憶喪失だったんだよね。えーと、この城に来る前だから……3ヶ月くらい前かな」
「え」
スノウの告白に声をあげたのはクロスとレリックだ。あんぐりと開いた口を見るに、どうやら彼らも初耳だったようだ。てっきりメリルたちが話していると思っていたが、そうではなかったらしい。
「記憶喪失だったのですか?」
思わずといった様子でスイが尋ねてくる。魔物たちには敢えて隠していたのだから、その驚きは尤もだろう。
「3ヶ月前って……ちょうどエル様が」
アイシャがぽろりと零した独り言を拾って、スノウは笑みを拵える。
ずっと抱いていた違和感。これまではわからなかったが、今となっては理解できる。
「記憶喪失になったんでしょ?」
首を傾げて同意を求めたのは、赤い髪の魔物だ。瞠目する魔物ふたりを視界の端に捉えたまま、スノウはエルから視線を逸らさない。
エルはそんなスノウに対し、あっさりと頷いて見せた。
「ああ。森の中に倒れてたらしい。アイシャが迎えに来たが、それまでの記憶がなかった」
どうやら、エルもスノウが『記憶喪失』であることは薄々勘付いていたようだ。大して驚く素振りもなく、開き直ったのか随分簡単に己の情報を開示してくれた。
「俺も似たような感じだよ。目が覚めたら何にも覚えてなかった。所持品から身元が割り出されて……後はまあ皆の知るとおり。
だからね、フレイ。最初はほんとに、俺は『勇者』なんだと思ってたんだ。何かの間違いだろうって疑ってはいたけど、魔物だとは思ってもいなかった。……記憶が戻ったのはついさっきだよ。間抜けな話だけどこの騒ぎでやっと思い出したんだ」
確かに、幾度となく自分の存在を疑ってはいたのだ。話に聞く『スノウ』と己があまりにもかけ離れていたから。
これまでのことを思えば、フレイには申し訳なさばかりが先にたつ。
彼の尊敬してやまない勇者が別人だったと、しかも憎き魔物だったと知った彼の胸中は酷いものだろう。
スノウのお粗末な弁解など、なんの慰めにもならないに違いない。それでも、スノウは弁解せずにはいられなかった。彼らの憎しみの対象になるのが魔物として在るべき姿だとわかっていても敵にはなりたくないと思ってしまった。
魔物にとっては彼らは敵だが、スノウにとっては彼らは仲間だった。たとえ、それがスノウの一方的な感情で終わるかもしれなくても。
フレイは表情をぴくりとも動かさず、スノウを見つめていた。
栗色の瞳にはゆらゆらと様々な色が揺れていた。彼自身、どう判断していいかわからないのだろう。
「つまり俺たちが入れ替わったのは3ヶ月前。別人っていうのはあながち間違いじゃなかったかな。もっと早く思い出していたら、お互いよかったんだろうけれど――まあ、そっちは結構前から思い出してたみたいだけどね?」
沈黙を続けるフレイを正視できず隣へと話を向けると、エルは軽い調子で同意する。
「ああ……といっても少しずつだが。大体一ヶ月くらい前には粗方戻っていたな」
それを聞いてアイシャが飛び上がる。
「ちょっ、そんなに前からですか! 何故仰って下さらなかったんです!」
「悪かったな。確信が持てなかったし、第一言ったら混乱するだろ?」
『本物』の確認ができるまでは迂闊に言うわけにいかない、と冷静なエルにアイシャは言葉を詰まらせる。
「そ、それはそうですが……」
「……何かお役に立てたかもしれません」
項垂れる魔物二人を見遣り、スノウは小さく苦笑いを漏らす。
稀代の勇者といわれる『スノウ・シュネー』。
彼が如何に素晴らしい人物だったか、短い間ではあったが痛いほど耳にしてきた。記憶のない自分は、それらを過大評価、或いは伝聞にありがちな尾鰭だと思っていた。だがこうして改めて考えると、それは全くの間違いではなかったのだと理解できる。
真実を知る者ですら思わず慕わずにはいられない、その魅力。
城主の姿をした目の前の相手は、ただの『人間』だと理解しているはずだというのに。
なるほどこれは、まさしく稀代の勇者である。
「元に戻れるのですよね? その、負担は」
何とはなしに魔物たちのやりとりを眺めていると、控えめにメリルが尋ねてきた。幾分落ち着いたらしく、翡翠の双眸は穏やかに凪いでいる。
「うん、大丈夫。ちゃんと元に戻せるよ。ただ……肉体にかかる負荷とかについては、正直あまり自信はなくて」
メリルの様子にふと共に旅をしていた頃の感覚が蘇り、スノウの口をついて出たのはいつもの弱音だった。
「これも恐らく魔法の類なんだけど……あ、俺ね、魔法使えるようになったんだよ」
「――ええ、見てましたから」
「そ、そうだよね。ええと、魔法自体は解けるんだ。問題は、あまり使われてない魔法だから影響が予測できない部分が多くてね。安全に処理するには、片っ端から資料を調べる必要があるんだ」
一朝一夕では探し切れないかもしれない、とスノウは肩を落とす。
「それで残ると……」
メリルの言葉に頷く。本当は、まだまだ不安材料はある。
精神を無理やり引き剥がされている状態なのだ。考えたくないことだが、肉体へかかる負荷だけではなく精神面への影響も考慮せねばならない。
数日寝込む可能性は高いし、最悪、精神崩壊してもおかしくないのだ。その場合、確率的に壊れるのは『人間』のほうであることは口が裂けてもいえなかった。
スノウは不穏な思考を軽く頭を振ることで追い出し、視線をクロスへと向けた。
「とにかく早く帰ってくれないかな。でなきゃ6代目……クロスだっけ。君まで死んだことにされちゃうよ? また仇討ちだ何だと攻め込まれても困るし……戦争なんて俺はもう懲り懲りなんだよ」
「戦いは嫌なのか?」
クロスは少し不思議そうな口ぶりでスノウに問いかける。
魔物にとって、戦うことは本能だ。生きるために必要なものであり、最大の娯楽。それは、人間と魔物の数少ない共通認識である。
クロスは正しくスノウの中身を『魔物』と認識しているようだった。記憶を失っていた間のスノウを知らない分、信じ切れないとはいえ割合すんなりと受け入れられたのだろう。
それを感じ取って、スノウは力いっぱい頷いた。
「当たり前だよ。死にたい奴なんかいないだろ。少数派な自覚はあるけどね。少なくとも俺は戦いなんて嫌いだし、できるだけ回避したい。だから無事に帰すと約束した訳で……まあそれを言い出したのは俺じゃないけどさ」
隣を見遣ると、エルは魔物二人とまだなにやら揉めている。こちらの会話も聞こえないはずはないだろうに、それどころではない様子だ。
相談してくれたら、という魔物二人の訴えるような言葉に、エルは困り顔で宥め役にまわっている。
どうみてもじゃれあっているようにしか思えない光景に、スノウは長々とため息をついた。
「大丈夫、『勇者』はちゃんと無事に帰すから。こんなでも俺は一応ここの城主なんだし、約束は守るよ」
だから納得して先に戻ってくれ、というスノウに、メリルは首を振った。
混乱するのも当然だろう。
今まで城主と仰いでいた相手の『中身』が別人、よりによって敵である勇者なのだ。しかも肝心な城主本人はその勇者の体に収まっている。
それだけでも混乱必至な事態だというのに、その状態のままで結構な時間を過ごしてしまっていた。それが、周囲の動揺に拍車をかける要因となっている。
「信じられないとは思うよ。けど本当に嘘でも冗談でもないし、何の裏もない。
ただこの事実が判明した以上、今すぐに『勇者スノウ・シュネー』をそちらに返すわけにいかなくなったからさ」
その言葉は、アイシャではなく目の前に佇むレリックに向けてのものだ。
「まあ俺が言っても信用ないのはわかってるけど……どう証明しようもないからなあ」
思いきり「裏切り者」と叫ばれていたスノウである。彼らの中に猜疑心がある現状では、何を言ったところで上滑りしていくだけだろう。下手をすれば新たな油を注ぎかねない。
とはいえ、それを払拭するだけの材料も手立てもスノウにはないのだ。
中身が別人である証拠など、スノウ自身の記憶ひとつ。
しかも入れ替わった状態でそこそこ日数が経過していた。それこそ、当初の違和感がぼやける程には。
それを本来は魔物であるスノウが、人間のレリックやクロスに説明したところで信憑性があるとは思えない。
「どうしても信じられないなら……そうだね。エルから何か証明してよ。俺じゃ彼らを信用させられないし」
隣へと話を振ると、エルは渋面になる。
「証明?」
「なんでもいいよ、入れ替わる前の……こう、どこのお店に入ったとか。愛用の品とか」
悩む素振りのエルへと、スノウは色々挙げてみる。
だがエルの反応は捗々しくない。眉間に皺を拵えたまま、首を振る。
「……急に言われても浮かばない」
「それはそうかもしれないけど、もうちょっと頑張って。俺だって頑張って二人を納得させたんだからさ」
スノウが示す『ふたり』は言わずもがなアイシャとスイである。
レリックたち三人を連れてくるまでの間、スノウは半ば必死になって己の側近へと説明した。
元々、スノウの気配に違和感を覚えていたらしい二人は、スノウが『勇者スノウ・シュネー』ではないということについては納得するのは早かった。
曰く「こんな勇者がいてたまるか」。
やはりというかなんというか、そう思われていた事実に流石のスノウも少し泣きたくなった。
だが、本来の『エル・バルト』であるという点においては彼らは頑なに信じようとしない。
先入観を取り払ってしまえば、彼らならばすぐに分る筈だというのに。中身と器の齟齬、そこから生じる別種の気配に気付かないはずがないのだ。
ところが彼らは一様に現実から目を逸らした。
そのためスノウは必死に、後半は自棄になって過去の出来事を蒸し返した。その場にはクロスと『スノウ』の勇者二人もいたが、そんなことは構っていられなかった。
そして話題がアイシャの失態とスイが城に来た時の話になって漸く、二人は目の前の相手が正真正銘、城主だと認めたのだ。苦虫を千匹ほど噛み潰したような表情で。
そんな遠くもない過去を思い出しているスノウの前で、エルは困り顔で言う。
「そうは言っても……俺は殆ど戦いのことばかりだったからな」
それ以外のことにあまり興味がなくて、と淡々と理由を口にした。
思わず、スノウは言葉に詰まる。
稀代の勇者。その負い切れない荷物を捨てたい、と幾度も考えたことを思い出す。けれどそのたびに戒めた。必死に手にしただろうその居場所を、記憶のない自分が簡単に捨てる訳にはいかないと思ったから。
そのスノウの想像通り、『スノウ』は相応の代価を払って勇者の座を手に入れていたのだろう。それこそ、魔物討伐以外のものへの興味が薄くなるほどに。
「あー……じゃあほら、旅の間のこう、ちょっとした出来事とか」
何はともあれ、エルの中身が『スノウ』なのだと証明できなければ始まらない。
そう考え、スノウは再度エルに提案する。
そこへ、ぽつりと小さな呟きが落ちた。
「……いつから?」
その頼りない響きに振り向くと、フレイの栗色の双眸と目が合う。
「いつから入れ替わってたの?」
表情は揺らがないものの今にも泣き出しそうな声に、スノウは僅かに目を細めた。
フレイは「騙された」と感じているのだろう。それも無理はない。
見回すと、スイやアイシャからも興味深げな視線を寄越される。
エルとスノウが入れ替わっていることは話したものの、詳細は『スノウ』の関係者が揃ってからと保留していたのだ。どこから話したものかと頭を悩ませつつ、スノウは口を開いた。
「そっか……まだ説明してなかったなあ。
メリルとフレイは知ってるけど、実は記憶喪失だったんだよね。えーと、この城に来る前だから……3ヶ月くらい前かな」
「え」
スノウの告白に声をあげたのはクロスとレリックだ。あんぐりと開いた口を見るに、どうやら彼らも初耳だったようだ。てっきりメリルたちが話していると思っていたが、そうではなかったらしい。
「記憶喪失だったのですか?」
思わずといった様子でスイが尋ねてくる。魔物たちには敢えて隠していたのだから、その驚きは尤もだろう。
「3ヶ月前って……ちょうどエル様が」
アイシャがぽろりと零した独り言を拾って、スノウは笑みを拵える。
ずっと抱いていた違和感。これまではわからなかったが、今となっては理解できる。
「記憶喪失になったんでしょ?」
首を傾げて同意を求めたのは、赤い髪の魔物だ。瞠目する魔物ふたりを視界の端に捉えたまま、スノウはエルから視線を逸らさない。
エルはそんなスノウに対し、あっさりと頷いて見せた。
「ああ。森の中に倒れてたらしい。アイシャが迎えに来たが、それまでの記憶がなかった」
どうやら、エルもスノウが『記憶喪失』であることは薄々勘付いていたようだ。大して驚く素振りもなく、開き直ったのか随分簡単に己の情報を開示してくれた。
「俺も似たような感じだよ。目が覚めたら何にも覚えてなかった。所持品から身元が割り出されて……後はまあ皆の知るとおり。
だからね、フレイ。最初はほんとに、俺は『勇者』なんだと思ってたんだ。何かの間違いだろうって疑ってはいたけど、魔物だとは思ってもいなかった。……記憶が戻ったのはついさっきだよ。間抜けな話だけどこの騒ぎでやっと思い出したんだ」
確かに、幾度となく自分の存在を疑ってはいたのだ。話に聞く『スノウ』と己があまりにもかけ離れていたから。
これまでのことを思えば、フレイには申し訳なさばかりが先にたつ。
彼の尊敬してやまない勇者が別人だったと、しかも憎き魔物だったと知った彼の胸中は酷いものだろう。
スノウのお粗末な弁解など、なんの慰めにもならないに違いない。それでも、スノウは弁解せずにはいられなかった。彼らの憎しみの対象になるのが魔物として在るべき姿だとわかっていても敵にはなりたくないと思ってしまった。
魔物にとっては彼らは敵だが、スノウにとっては彼らは仲間だった。たとえ、それがスノウの一方的な感情で終わるかもしれなくても。
フレイは表情をぴくりとも動かさず、スノウを見つめていた。
栗色の瞳にはゆらゆらと様々な色が揺れていた。彼自身、どう判断していいかわからないのだろう。
「つまり俺たちが入れ替わったのは3ヶ月前。別人っていうのはあながち間違いじゃなかったかな。もっと早く思い出していたら、お互いよかったんだろうけれど――まあ、そっちは結構前から思い出してたみたいだけどね?」
沈黙を続けるフレイを正視できず隣へと話を向けると、エルは軽い調子で同意する。
「ああ……といっても少しずつだが。大体一ヶ月くらい前には粗方戻っていたな」
それを聞いてアイシャが飛び上がる。
「ちょっ、そんなに前からですか! 何故仰って下さらなかったんです!」
「悪かったな。確信が持てなかったし、第一言ったら混乱するだろ?」
『本物』の確認ができるまでは迂闊に言うわけにいかない、と冷静なエルにアイシャは言葉を詰まらせる。
「そ、それはそうですが……」
「……何かお役に立てたかもしれません」
項垂れる魔物二人を見遣り、スノウは小さく苦笑いを漏らす。
稀代の勇者といわれる『スノウ・シュネー』。
彼が如何に素晴らしい人物だったか、短い間ではあったが痛いほど耳にしてきた。記憶のない自分は、それらを過大評価、或いは伝聞にありがちな尾鰭だと思っていた。だがこうして改めて考えると、それは全くの間違いではなかったのだと理解できる。
真実を知る者ですら思わず慕わずにはいられない、その魅力。
城主の姿をした目の前の相手は、ただの『人間』だと理解しているはずだというのに。
なるほどこれは、まさしく稀代の勇者である。
「元に戻れるのですよね? その、負担は」
何とはなしに魔物たちのやりとりを眺めていると、控えめにメリルが尋ねてきた。幾分落ち着いたらしく、翡翠の双眸は穏やかに凪いでいる。
「うん、大丈夫。ちゃんと元に戻せるよ。ただ……肉体にかかる負荷とかについては、正直あまり自信はなくて」
メリルの様子にふと共に旅をしていた頃の感覚が蘇り、スノウの口をついて出たのはいつもの弱音だった。
「これも恐らく魔法の類なんだけど……あ、俺ね、魔法使えるようになったんだよ」
「――ええ、見てましたから」
「そ、そうだよね。ええと、魔法自体は解けるんだ。問題は、あまり使われてない魔法だから影響が予測できない部分が多くてね。安全に処理するには、片っ端から資料を調べる必要があるんだ」
一朝一夕では探し切れないかもしれない、とスノウは肩を落とす。
「それで残ると……」
メリルの言葉に頷く。本当は、まだまだ不安材料はある。
精神を無理やり引き剥がされている状態なのだ。考えたくないことだが、肉体へかかる負荷だけではなく精神面への影響も考慮せねばならない。
数日寝込む可能性は高いし、最悪、精神崩壊してもおかしくないのだ。その場合、確率的に壊れるのは『人間』のほうであることは口が裂けてもいえなかった。
スノウは不穏な思考を軽く頭を振ることで追い出し、視線をクロスへと向けた。
「とにかく早く帰ってくれないかな。でなきゃ6代目……クロスだっけ。君まで死んだことにされちゃうよ? また仇討ちだ何だと攻め込まれても困るし……戦争なんて俺はもう懲り懲りなんだよ」
「戦いは嫌なのか?」
クロスは少し不思議そうな口ぶりでスノウに問いかける。
魔物にとって、戦うことは本能だ。生きるために必要なものであり、最大の娯楽。それは、人間と魔物の数少ない共通認識である。
クロスは正しくスノウの中身を『魔物』と認識しているようだった。記憶を失っていた間のスノウを知らない分、信じ切れないとはいえ割合すんなりと受け入れられたのだろう。
それを感じ取って、スノウは力いっぱい頷いた。
「当たり前だよ。死にたい奴なんかいないだろ。少数派な自覚はあるけどね。少なくとも俺は戦いなんて嫌いだし、できるだけ回避したい。だから無事に帰すと約束した訳で……まあそれを言い出したのは俺じゃないけどさ」
隣を見遣ると、エルは魔物二人とまだなにやら揉めている。こちらの会話も聞こえないはずはないだろうに、それどころではない様子だ。
相談してくれたら、という魔物二人の訴えるような言葉に、エルは困り顔で宥め役にまわっている。
どうみてもじゃれあっているようにしか思えない光景に、スノウは長々とため息をついた。
「大丈夫、『勇者』はちゃんと無事に帰すから。こんなでも俺は一応ここの城主なんだし、約束は守るよ」
だから納得して先に戻ってくれ、というスノウに、メリルは首を振った。
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