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38.真贋
しおりを挟むガレオスが撤退の命令を下し、見上げた魔物の城。
その城内では、彼が喪ったものと思っている部下たちと勇者一行が、狭い部屋で半ば呆然としていた。
魔法や拘束具で自由を奪われ、「一応は」捕虜となった形である。
一応、とつくのは、連れてこられた部屋があまりにも普通だった為だ。
乗りこんだ場所と同じ階の一室らしく、格子どころか何の仕掛けもない簡素な部屋である。調度品はおろか、窓にかけるカーテンすらない。その窓自体も採光以外の用途はないようで、天井近くに申し訳程度に存在しているだけだ。他に光源となるようなものはなかったが、日中であることと太陽の位置が幸いして、目が慣れれば互いの表情くらいは判別できるまでになった。
てっきり地下牢のような場所を想像していたレリックは、そのあまりにも平凡な様子に拍子抜けする。本当にただの空き部屋なのだろう。
「これ……どうしたらいいのかな」
手首をさすりつつ、レリックはクロスに囁いた。
その手首にはつい先ほどまで拘束具が嵌められていた。拘束具といっても、実体を持たない魔法の鎖である。他の兵士たちは物理的に拘束されていたようだったが、魔法使いのレリックはそれ相応の特別仕様の拘束具だったようだ。
しかしそれも単に速やかに移動するための方策だったらしく、部屋に放り込まれるや否や拘束は全て解除された。しかも勇者を含め全員が武器を所持したままである。
「見張りもそんなにいる風じゃないし……これ、反撃はご自由にってことかな?」
あえて茶化すような口調でレリックは言う。
閉ざされた扉の向こうに感じる気配はせいぜいが2人分。王国軍の精鋭と勇者が囚われているというのに手薄すぎる。こちらを脅威とも思っていない、あからさまな態度に憤慨するよりむしろ笑えてくる。
「……わかんねぇよ」
暫くの沈黙の後、放り投げるようなクロスの声が返る。
自棄になっての言葉でないことは、その光を喪わない双眸からも見て取れた。彼の中ではまだ炎が燻っている。
「何か対策のひとつでもあったらいいんだけどな」
前向きな言葉ひとつ浮かんでこない、とクロスは乾いた笑みを漏らす。
周囲には憔悴した様子の兵士たちの姿があったが、それに声をかけてやるほどの余裕は今の彼にはない。
クロスのこれまでの経験の中でも、これは最悪の部類だ。先ほどの混乱がまだ尾をひいていることもあって、それらの負の感情を体の中に押し込めておくことが彼にできる精一杯のようだ。
親友の痛々しい表情を暗がりに捉えて、レリックはその肩にそっと手を添えた。
そこにのしかかっているだろう色々なものを、少しでも軽くしてやりたかった。
「……メリルさんは大丈夫ですか」
レリックは視線を巡らし、彼の仲間たちへと声をかける。クロスにそれだけの余裕がない今、その役目は自分が担うべきだとレリックは思っていた。それは長い付き合いの中で自然に染みついたものだ。
「大丈夫よ、ありがとう」
レリックの問いかけに、メリルは微笑んで頷く。
その様子は普段と変わりなく、レリックに安堵よりも先に驚きをもたらした。
「……落ち着かれてますね」
この状況に誰よりも衝撃を受けているのはメリルとフレイだろう、とレリックは思っていた。先代勇者を喪い、嘆きに暮れる姿を見てきたのだ。再び同じ場所に立つだけでも痛みが伴うはずだ。まして彼らは既に一度、魔物の長と対峙している。そこに渦巻く感情は、レリックには想像もつかないものだろう。現れた先代勇者に心を乱されたのは、レリックの比ではないはずだった。
だが、そんなレリックの予想に反してメリルは随分落ち着いて見えた。その隣のフレイも、見たところ動揺らしい動揺は見られない。
「そうでもないけれど……そうね、落ち着いてるかもしれない」
首を振りかけたメリルは、思い直したように口を開く。
「こんなこと言うのはおかしいけれど、ちょっと安心してしまったの。彼が……生きてたから。もう無事ではないと思ってたし……驚いたけれどそれ以上に嬉しくて」
控えめに微笑んだメリルは、周囲を慮ってか、声を潜めて言葉を重ねる。
「ここに来るまではあんなに気持ちが重かったのに、不思議と軽くなってしまって。そのせいで力が抜けてしまったみたいだわ。考えなきゃと思うんだけど」
まだうまく頭がまわらない、とメリル。
そのどこか遠くを見るような眼差しのメリルへ、レリックは同じく声を潜めて問いかける。
「では彼は……その、本当に先代の勇者スノウ・シュネーなんですね」
スノウが現れた瞬間から抱いていた疑問だった。何しろ、レリックはスノウを似姿でしか知らない。彼の人となりも伝聞の域を出ず、あの状況で現れた人物が「彼」だとはどうしても思えなかったのだ。
「ええ、間違いないわ」
レリックの感情を敏感に感じ取ったのだろう。メリルはレリックの目をまっすぐ見つめ返して断言する。
「そうですか……その、別人というか、何者かの変装という可能性は」
それでも、尚もレリックは食い下がった。
メリルの判断を疑ってのことではない。共に旅をしてきたメリルが「本人」だと確信しているのだ。スノウを知らないレリックが疑う余地はない。だが、どうしても確認する必要があった。
あの場でのスノウの登場は不可解すぎた。あれほど生存は絶望視されていたというのに、何の前触れもなく当然のように現れたのだから。しかも、勇者と魔物の長が戦うという決定的な場面である。魔物が偽者を仕立てたのではと勘繰るのも仕方なかった。
「いいえ。それはない……と思う。私たちと別れたときと、何も変わりなかったわ」
メリルは首を振る。その声に僅かな躊躇いが混じったが、レリックは特に気に留めなかった。誰しも執拗に尋ねられれば気後れするものだ。いくらこちらが怪しいと思っていても、メリルにとっては敬愛する「勇者」であり、嫌疑をかけられること自体が不愉快だろうことは理解できる。
生存の喜びに水を差したという後ろめたさも手伝って、レリックは早々に追求の手を引っ込めた。
「わかりました。すみません、変なことを聞いてしまって」
それだけ聞けば十分なのだ。
一番近くにいたメリルたちがそうだと言うならば、あの場で現れた人物は『勇者、スノウ・シュネー』で間違いないのだろう。
その事実に、レリックは胸が重くなる。
いっそスノウが偽者であれば何の問題もないのに。
魔物に与していることもクロスに攻撃をしたことも、これだけの期間無事な姿でいたことも、全て説明がつく。偽者ならば。
だがそれが本物だったとなると、話は一気に不穏な方向に傾くのだ。
即ち、先代勇者の「謀反」と。
奇しくも当代の勇者であるクロスが声高に「裏切り者」呼ばわりをしてしまっている。これが魔物とクロスの間だけであれば如何様にもできるが、ここにいる全員が見聞きしているとなると、完全に封じることは難しい。
レリックとしては、できることならば先代勇者も含めて無事に王都に還りたかった。裏切りが事実であれば許し難いことだが、どこかでその潔白を信じたい気持ちもあるのだ。
彼の肩書きが一人歩きしている可能性は否めない。それでも、稀代の勇者と称えられたスノウならば、何か理由があるのかもしれないと。そして何より、あれほど彼の勇者を慕いその死に心乱された二人を思うと胸が痛む。
それには、まずここから脱出しなければならない。
軽口で「反撃」と言いはしたものの、その実ここから攻撃に転じるつもりなどレリックにはなかった。勿論、攻撃の意思はある。機会さえ巡ってくれば単身突っ込む位の意気込みはある。
だがそれは現実的ではない。
この城にいる魔物の多くは、これまで人間が培ってきた常識を悉く覆すものばかりだ。高い知能と戦闘力を有し、下手な魔法使いよりも強力な魔法を扱う。加えて長とその側近と思われる魔物に至っては何もかもが規格外だ。他の魔物とは明らかに一線を画す力を秘めている。
口にこそ出さないものの、レリックは冷静に判断していた。
囚われの身になってしまった以上、隙を見て逃げる算段をするしかない。いくら相手の気が緩んだとしても、依然魔物側が有利なことは変わらない。反撃に出たところで力負けするのは目に見えている。それならば、逃げ延びてまた仕切りなおすほうがいい。
レリックは己の手首に視線を落とし、手近な街を思い浮かべる。
拘束もされず武装も解かれていない今ならば、うまく隙を見つけて転移させることも可能だろう。痛いのは、こちらについていた魔法使いが死亡してしまったことだ。レリック一人でこれだけの人数をまとめて転移することはできない。数回に分ける必要があるが、そうなれば気づかれる危険性もあった。
さてどうしたものか、とレリックは思案に暮れる。
眉間に皺を寄せ、己の思考に沈んだレリックは、気付かなかった。
レリックが俯いてすぐ、メリルが小さく呟いたことに。
あるいは、誰にも聞かせるつもりのない言葉だったのかもしれなかった。
「でも……彼は魔法は使えなかった。あんなに強力な魔法は……前も」
記憶を喪う、その前も。
違和感を覚えていたのは、何もレリックだけではない。メリルもまた、違和感ゆえに彼を「勇者」とは呼べなくなっていたのだから。
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