上 下
51 / 81

35-3.白の青年

しおりを挟む
 魔物たちの囲いの手前、エルから少し下がった場所で、アイシャは苦い表情を浮かべていた。

「あいつ……」

 何考えてんだ、と舌打ちとともに呟く。
 視線の先には、しきりと首を傾げるスノウの姿がある。己のふるった力に納得がいっていない様子だ。
 周囲には真っ白な蒸気がたち込め、湿気を含んだ温い空気が充満していた。魔法の名残である。
 スノウが放った攻撃は、水で作られた矢だ。帯電によって威力をあげたそれを、エルは単に障壁で防いだわけではなかった。ただ防ぐだけでは、弾かれた力が周囲に散り更なる被害を生むからだ。通常ならば力を吸収させる障壁を張るのだが、エルは火系の魔法によって互いに力を相殺する方法を取った。そのため、周囲にはその副産物である蒸気が充満している。
 当然ながら、エルにとってこの程度の魔法は大した労でもない。ただ咄嗟に相殺する手段を取るあたりにエルの動揺が現れているのだが、そこに気づくのはアイシャくらいのものだろう。
 スノウが現れたことか、それとも魔法を行使したことか。あるいはもっと別の何かに、エルは動揺しているようだった。
 そんな主と勇者、そして不思議そうなスノウを眺め、アイシャは密かにため息をつく。
 脳裏に蘇るのはつい先ほどのやりとりだ。スノウが乗り込んでくる、少し前のことである。
 

 
 
 エルと勇者が激しい剣戟を繰り広げるのを、アイシャは大した心配もせずに眺めていた。
 互いの力は拮抗しているように見えるが、それは意図してそうみせているだけだということは、アイシャの目からもわかりきっていた。
 元々エルの剣の腕前は、そう強い方ではない。ここ最近ようやく重い腰をあげただけあって、力の方はまずまずだ。ただその技量だけは、アイシャも目を見張るほどの上達だった。技量に筋力が追いつけば強くなる。もしかしたら魔法を使わずとも剣一本で勝てるようになるかもしれない。
 そんなことをつらつらと考えながら眺めていたアイシャの感覚に、それはひっかかった。
 咄嗟に足をだすと、真横を通り過ぎようとしていた白い体が跳ねた。

「わ、アイシャ……」

 驚いたらしく、思わずといった様子で口走るのは、白いネコだ。

「たく、あぶねぇな。何してんだお前」

 見上げてくる青い目にそう問えば、白いネコ――スノウは、二、三度と瞬きした。首元で赤いリボンが揺れている。それに何とはなしに違和感を覚えて、ついまじまじとリボンを凝視する。
 
「うん、仲裁にきたんだけど」
「は?」
「だってこのままじゃ話もできないじゃない?」

 アイシャの目をひたと見据えたまま、スノウは不思議そうに首を傾げた。
 その思考のほうが不思議だとアイシャは突っ込みたい気持ちを抑える。違和感を彼方へ放り投げ、混乱する頭を収集しようと眉間を揉んだ。

「時間もないし、いくね」

 悩むアイシャを暫く見上げて、スノウは軽く断りを入れた。
 するりと脇を抜けようとする白い体に、アイシャは慌てる。
 スノウの言わんとすることはわからなかったが、どうやらあの剣戟の間に割り込むつもりであることは理解できた。
 激しい戦闘のど真ん中。危険だ。危険すぎる。
 何より、エルの邪魔をさせるわけにはいかない。そう口にするよりも先に、再び足が出た。

「何言ってんだ、とにかく今は危ないからすっこんでろ!」

 あの様子でわかんないのか、とアイシャは叱る。示す先には、激しく斬り結ぶエルと勇者の姿がある。スノウはそれを目で追って、頷いた。

「ああ……大丈夫だよ」
「いやいや! どうみても危ないだろうが! 防御ひとつできないくせにちょろちょろすんなって!」

 なんとも呑気な答えを返すスノウに、アイシャは呆れる。いくらなんでも、危機意識が低すぎやしないだろうか。己が無力なネコであることをわかっているのか。
 こいつ本気で馬鹿なのか? と睨みつけると、そんなアイシャを見上げて何を思ったのか、スノウは再びこてんと首を傾げた。

「……アイシャって、面倒見いいよなぁ」
「ああ?」
「ううん、何でも。本当に大丈夫だと思うんだ。……でも、そうだね。せっかくだから心配されないようにしようかな」

 独り言のようなスノウの言葉に、アイシャが眉を顰める。
 するとどこからともなく柔らかな風が流れてきた。はっと周囲に視線を走らせたアイシャの耳に、小さく笑う声が聞こえる。

「ちょっと借りるよ」

 聞き慣れたスノウの声。どこか余裕を感じさせるそれが、アイシャのすぐ耳元で聞こえた。

「……っ!」

 ありえない事態に、勢いよく振り向く。
 すると、すぐ傍に見慣れない青年がいた。白金の髪に青玉サファイアの双眸。端正な顔に浮かぶのは、どこか面白がるような笑みだ。
 咄嗟に突き飛ばそうとして、それよりも早く相手が体を離した。その手にはいつの間に握られたのか、アイシャ愛用の剣がある。
 アイシャの背筋に戦慄が走る。
 相手が何者かという疑問よりも、自分がここまでの接近を許したことが信じられなかった。その上、己の愛剣まであっさりと奪われてしまっている。

「そう怖い顔しないでよ。ちゃんと返すから」

 柄に嵌った魔法石を撫でながら、相手が言った。薄く色づいた唇は相変わらず笑みを浮かべている。
 何者だ、と投げかけようとしてアイシャは気づく。
 彼の鋭い聴覚が拾ったのは、聞き慣れた声だった。視覚以外の感覚は、相手が何者かを正確に弾き出している。
 そうしてよくよくみてみれば、この顔は見覚えがある。
 かつてエルの部屋で。



 人の姿を取り戻したスノウを見て、アイシャは納得した。
 以前からスノウの行動が怪しいことには気づいていた。ネコのままでは無理なはずの鍵をはずしていた時から、確信めいたものはあったのだ。
 だから己の愛剣を『借りて』いったスノウの意図にもある程度気づいていた。
 やや強力な魔法を行使して、あそこに割り込むつもりなのだと。
 魔力を取り戻したスノウが、エルに攻撃を仕掛けることは予想していた。長くネコの姿ばかり見ていたが、もともとは人間なのだ。手段があるならば、いつエルの首を狙ってもおかしくはない。
 アイシャの魔法石でいくら増幅したところで、所詮人間の使う魔法である。エルの敵ではない、とアイシャは思っていた。だからこそ、スノウが愛剣を持っていくことを許容したのだ。
 だが、これは予想外だった。
 スノウが幾ら魔物の中に順応しているとはいえ、まさか勇者に攻撃の矛先を向けるとは思ってもいなかったのだ。本気で傷を負わせるつもりがなかったのは、スノウの様子からも見て取れるのだが、繰り出された攻撃は人間にとっては危険なレベルだ。
 人間の、しかも憎い勇者などどうでもよかったが、何よりスノウの行動に驚いた。そして、さらにそれを庇った形のエルの姿にも。
 何がなんだかわからない。
 人間スノウ人間ゆうしゃに攻撃をし、魔物エル人間ゆうしゃを庇うなど、あり得ない光景だ。
 エルのことだから何らかの意図があるのだろう。だが、長年仕えてきたアイシャにも全く予想がつかない。
 この場にいないもう一人の姿を思う。彼がいれば、共に頭を悩ませることができただろう。そもそも自分は頭脳労働向きではないのだ、とアイシャは愚痴をこぼす。調べるのにそんなに時間がかかるものなのか。さっさと調べて戻ってくればいいのに、と混乱も手伝って八つ当たりにも似た怒りがこみ上げる。かつて、これほど彼の帰還を心待ちにしたことがあっただろうか。
 奇しくも、渦中の勇者と同じことに混乱したまま、アイシャは傍観に徹していた。スイへの理不尽な怒りをせっせと積み上げながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

最前線攻略に疲れた俺は、新作VRMMOを最弱職業で楽しむことにした

水の入ったペットボトル
SF
 これまであらゆるMMOを最前線攻略してきたが、もう俺(大川優磨)はこの遊び方に満足してしまった。いや、もう楽しいとすら思えない。 ゲームは楽しむためにするものだと思い出した俺は、新作VRMMOを最弱職業『テイマー』で始めることに。 βテストでは最弱職業だと言われていたテイマーだが、主人公の活躍によって評価が上がっていく?  そんな周りの評価など関係なしに、今日も主人公は楽しむことに全力を出す。  この作品は「カクヨム」様、「小説家になろう」様にも掲載しています。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい

戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。 人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください! チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!! ※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。 番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」 「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824

家ごと異世界ライフ

ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!

処理中です...