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番外編~ハロウィン
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☆ハロウィンと勇者☆
「トリック・オア・トリート!」
早朝からハイテンションなクロスが、頭からシーツを被って現れた。
どうやら宿に備え付けのベッドから剥いだらしい。
「え、クロス?」
どうしたの、と驚きを隠さずに首をかしげるのは、マグを手にしたメリルだ。因みに彼女は毎朝の鍛錬を欠かさず、この日も夜明け前には起きていたりする。
「ああ……今日はハロウィンか……」
メリルの正面で同じくマグを手にしていたレリックは、どこか遠い目をして呟く。
ここのところ怒涛の忙しさで、そんなイベントも忘れていた。
「ハロウィン?」
「あれ、メリルさんご存知ありませんか?お菓子をくれなきゃ悪戯するぞって趣旨の……まあ子供が喜ぶイベントですよ」
子供、の部分を強調してレリックはメリルに説明する。
「へぇ……王都は面白い行事があるのね。私の故郷ではなかったわ」
「そうなんですか。てっきり何処でもやってるものかと思ってましたよ」
ふふ、と笑いあって、マグを傾ける。
「おい! トリック……」
一人置いてけぼりにされたクロスが憤然と言い募る。レリックの皮肉は上滑りしていったようだ。
「あーはいはい。ほれ飲め」
シーツのオバケに、レリックは自分のマグを差し出す。
「ん?」
「菓子じゃないけどそれで勘弁しろよ」
クロスに押し付けたマグからは甘い香りが立ち上っている。クロスはシーツをずらし、マグに口をつけた。
「……う、あっめぇ……」
「ホットチョコレートだからな」
美味いだろ、とレリックが笑う。ちなみに砂糖は20杯入れた、と更に胸を張る。
その発言にメリルが目を瞠り、クロスは「お前の味覚は崩壊してる!」と騒ぎ立てた。
「……何の騒ぎ?」
目をこすりながらフレイが現れる。いつもはまだ眠っている時間だったが、さすがに目が覚めたらしい。
「え、えっと……清々しい朝だなって」
慌ててシーツを脱ぎ捨てて、クロスが取り繕う。頬に僅かな赤みが差している。レリックの言葉を聞いてはいたらしい。
「ふーん……? あ、ホットチョコレート? 僕にもちょうだい」
漂う香りに気づいて、フレイはメリルに近づく。
メリルは笑って自分のマグを差し出した。受け取ったフレイは香りに嬉しそうに微笑んで、
「……にっがぁ……」
顰め面になった。
「メリル、これ砂糖入れた? すごく苦いよ」
「砂糖は入れるものなの?」
メリルはさらりと言ってのける。
それに絶句する一同。砂糖をいれないホットチョコレートなど、ただのカカオ飲料だ。カカオ自体には甘味はない。苦味ばかりである。
「二人とも、味覚おかしいぞ……」
シーツを握ったまま、クロスが呟いた。
★ハロウィンと魔物★
一方こちらは銀の森にある『城』。
城主であるエルは、アイシャ、スイと共に今後の対策について話をしている最中である。
一通りああでもないこうでもないと議論したあと、ふとエルが視線を窓の向こうに向けた。
「……エル様?」
そのまま暫く動かない主に、スイが問いかける。
「そうか……」
外を眺め、エルがぽつりと呟いた。
そのどこか遠い呟きに、スイとアイシャは無言で視線を交わす。
「どうかされましたか?」
アイシャが尋ねるのへ、エルは視線を戻すとため息をついた。
「ああ、問題だ」
問題、と聞いてアイシャの顔に緊張が走る。
「何か……侵入者ですか?」
咄嗟に周囲の気配を探るが、アイシャの知覚能力はさほど高いものではない。自覚はしているのですぐに隣のスイに視線で問うが、スイは緩く首を振った。
「違う。……ところで、菓子と悪戯、どちらが良い?」
「……は?」
思わずぽかんとしてしまうのはこの場合仕方ないだろう。
エルの表情は真剣そのものだったし、重々しい口調も常と変わらない。目から入る情報と耳が伝える内容の落差に、一時的に固まるのは当然だった。
「……あの……? 仰る意味がわからないのですが」
困惑も露にアイシャが問いかければ、スイも隣で大きく頷いた。スイが行動のみで反応することは珍しく、無表情ではあるが彼なりに混乱しているようだ。
「そうだな、簡潔に言おう――菓子を寄越さないと悪戯するがいいか?」
笑みを浮かべて、エルが言った。それはもう極上の笑みで。
ここ暫く目にしなかったエルの楽しげな表情に、二人は再び硬直する。
「……ええっと」
先に我に返ったのはアイシャの方だった。口を無駄に開閉しながら言葉を捜す。
「菓子って、その」
「できれば甘いものがいいな」
回りきらない頭で、それでも懸命にアイシャが応対する。
食べ物に好き嫌いがあまりないアイシャだが、甘いものと聞いても砂糖しか思いつかない程度には混乱している。
「甘いもの……あの、悪戯ってあの」
その言葉に、エルは更に笑みを深くした。真紅の双眸をちらりと不穏な輝きが掠める。
「悪戯は悪戯だ。さぁ、どうする?」
悪辣としかいいようのない表情と台詞は、完全に悪魔のそれだ。真剣に身の危険を感じて、アイシャの背中を冷や汗が流れた。
それ、きっと悪戯のレベルじゃない。
理性が述べた抗議は、結局言葉になることはなかった。
「これで!これでどうですか!」
叫ぶようにいいながら壷らしきものを差し出したのは、ファザーンである。常に冷静に振舞おうと努力しているその顔は引きつり、若干涙目ですらある。
手のひらに収まるほどの壷を差し出されたエルは、首を傾げて壷を受け取る。無造作に突っ込まれたままの匙をすくい上げ、ぺろりと舐めた。
「甘い」
その感想に、エルの周囲が色めき立つ。
そこは数ある部屋のうちのひとつで、重厚な机と椅子が並ぶ部屋である。大広間ほどの広さはないが、少人数なら収容できる程度の大きさだ。四天王のみの集まりや、エルの執務室が使用できない時などに代用されていた。
現在、そこにはアイシャを除く四天王と各副官の姿がある。
彼らは一様に席につかず、固唾を呑んでエルの傍に詰め掛けていた。その視線はファザーンが差し出した壷に集中している。
「蜂蜜だな」
「はい、絶品です!」
顔を輝かせて言うファザーンを見遣り、エルは柔らかく笑う。
「だめだ」
その宣告に一瞬でファザーンが青ざめる。
エルの手がついと伸びて、思わず身を引くファザーンの額に添えられた。
「っ、お、お待ちくださいっ、次は」
ファザーンの必死の声に被せるようにして、ぽん、とはじけるような音がした。
一瞬の後には、ファザーンの頭に漆黒の耳が生えている。毛の長い大きな耳。
そこに手をやって、ファザーンは声にならない悲鳴を上げた。
ずりずりと後ずさるその腰部分には、漆黒のふさふさとした尾が揺れている。尾は勢いをなくし、ファザーンの気持ちを代弁するかのように力なく垂れている。
その場の全員が、表情を強張らせた。
「次は誰だ?」
にこりと笑みを浮かべるエルに、沈黙が落ちる。
よく見れば、その場の幹部たちは揃いも揃って奇妙な格好をしていた。
メーベルは純白の衣装に身を包み、背中に張りぼての翼らしきものをつけている。塗られてもいない指先が困惑気味に弄んでいるのは、金色の輪っかだ。普段、露出の高い服を好み、それこそ魔女のような装いの彼女は、どういうわけか天使か聖女めいた恰好をしていた。
一方、魔女然としているのは普段から魔法を得意とするスイだ。襟の立った外套は踝まで届くほどに長く、その下に纏う衣服もまたずるずると長い。水色の頭にはつばの広い尖った帽子。片手に箒を持つその姿は、今にも空を飛びそうである。
そして、彼らの副官たちもまたそれぞれ奇妙な格好に身を包んでいた。頭から巨大なかぼちゃを被った者、全身を包帯に包んだ者、髑髏のような仮面を被り鎌を持つ者……さながら祭り会場である。
自ら進んでしている格好でないことは、彼らの空気でわかる。
それぞれが困惑の表情で主を眺め、そのうち、かぼちゃ頭が意を決したように身じろぎした。
「お待たせしました!」
その時、威勢の良い声とともにアイシャが飛び込んできた。衣服こそ常と変わらないが、その頭にはどういうわけか長いウサギのような耳が生えていた。
「甘いものか?」
アイシャの姿を認めて、エルがこてんと首を傾げた。
「ええ。だから悪戯はこの辺にして貰います」
ずかずかとエルの前に立ったアイシャは、鼻息も荒く宣言してエルに袋を押し付ける。可愛らしい包装紙の中から転がり出たのはさまざまな形をしたクッキーだ。
「苦労しましたよ、今日がハロウィンだったから良かったですけど!」
「ハロウィン?」
アイシャの言葉に首を傾げたのは魔女姿のスイである。
「ああ、人間共の祭りだよ。仮装して菓子を貰いまくるっつーな」
正確ではないものの、その認識は間違いではない。
そもそもハロウィン自体が魔物の間であまり認知されていないのだ。だからこそ誰もがエルの言葉の真意を測りかねて、こんな事態に陥っているのである。
エルの『悪戯』はアイシャやスイだけに留まらなかった。顔を合わせるたびに仕掛けてくるので、仕舞いにはそれぞれの副官までもが巻き込まれ、一人当たり幾度となく『悪戯』された結果がこの祭り会場なのだ。
勿論、彼らもただ甘受していたわけではない。エルの言葉から「甘いもの」を渡すことで悪戯を回避できると解釈し、あの手この手で「甘いもの」を貢いでいたのだが。
「どうですか、甘い菓子でしょう?」
いつの間にか「菓子」の部分を聞きこぼしていたようだ。
「ああ。残念だか悪戯は諦めるとしよう」
アイシャの言葉に、エルは楽しそうに笑って悪戯の終了を告げた。
その言葉に安堵したのは、アイシャだけではない。エルを除く全員が目に見えて肩から力を抜いた。
「しかし、よくこんなものが手に入りましたね」
ぱりん、とクッキーを割るエルを見遣り、スイが言う。
クッキー自体は入手困難というわけではないが、その包装紙が珍しい。かぼちゃのデザインが入った、全体的に可愛らしい包装紙だ。人間の子供が好みそうだと呟いたスイに、アイシャが軽く頷く。
「人間の街で買ってきたからな」
「……はい?」
スイが視線を向けると、アイシャはあっさりと言う。
いわく、エルの『悪戯』に遭ってから慌てて砂糖をとりに行ったこと。ところが砂糖がみつからず、仕方なく街に出たら何やらお祭り騒ぎだったこと。みなが皆仮装していたのでアイシャのうさぎ耳も魔物らしい色合いも全く目立たなかったこと。
「で、そこのおっさんと意気投合して酒を奢って貰ってたら、ハロウィンだって聞いてな」
ハロウィンについて話を聞き菓子を買って帰ってきた、とアイシャは締めくくった。
「……色々と突っ込みたいところがありますが……とりあえず、一度死んできてくれませんか」
「はぁ? なんでだよ!」
「この惨状を御覧なさい。貴方がのんきに飲んでないで早く戻ってくればこんなことには」
「解決したのはオレだろ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を尻目に、クッキーを齧ったエルは「美味い」と目を細める。
ファザーンがそんなエルを不思議そうに眺めていると、エルがゆるりと手招きをした。
「はい、なんでしょうか」
「食べろ」
言って、エルはクッキーをファザーンの手の中に落とした。当惑するファザーンへ、エルは笑って言う。
「悪戯されてはたまらんからな」
ファザーンは束の間ぽかんとしていたが、ややあって同じように笑みを浮かべる。
「私がエル様に? お菓子をくれないと悪戯するぞ、ですか」
「ああ。だからこうして先に菓子をやってる」
エルに渡されたクッキーを齧り、ファザーンは小さく声を上げて笑った。それにあわせて頭上の耳が上機嫌に揺れる。左右に振られる尾をファザーンは自覚していないようだった。
そのうちメーベルを含め副官たちもエルに呼ばれ、アイシャが調達してきたクッキーは彼らに振舞われることとなった。
当のアイシャが気付いたときにはクッキーは一枚も残っておらず、「悪戯してやる!」と凄んだアイシャだったが、周到に準備していたらしいエルに先手を打たれ、てのひらに飴玉を落とされることとなった。
「なんだかな……」
手の中の飴を見つめ、一連の騒動を思ってアイシャは溜め息をついた。
飴は思いのほか美味しかった。
「トリック・オア・トリート!」
早朝からハイテンションなクロスが、頭からシーツを被って現れた。
どうやら宿に備え付けのベッドから剥いだらしい。
「え、クロス?」
どうしたの、と驚きを隠さずに首をかしげるのは、マグを手にしたメリルだ。因みに彼女は毎朝の鍛錬を欠かさず、この日も夜明け前には起きていたりする。
「ああ……今日はハロウィンか……」
メリルの正面で同じくマグを手にしていたレリックは、どこか遠い目をして呟く。
ここのところ怒涛の忙しさで、そんなイベントも忘れていた。
「ハロウィン?」
「あれ、メリルさんご存知ありませんか?お菓子をくれなきゃ悪戯するぞって趣旨の……まあ子供が喜ぶイベントですよ」
子供、の部分を強調してレリックはメリルに説明する。
「へぇ……王都は面白い行事があるのね。私の故郷ではなかったわ」
「そうなんですか。てっきり何処でもやってるものかと思ってましたよ」
ふふ、と笑いあって、マグを傾ける。
「おい! トリック……」
一人置いてけぼりにされたクロスが憤然と言い募る。レリックの皮肉は上滑りしていったようだ。
「あーはいはい。ほれ飲め」
シーツのオバケに、レリックは自分のマグを差し出す。
「ん?」
「菓子じゃないけどそれで勘弁しろよ」
クロスに押し付けたマグからは甘い香りが立ち上っている。クロスはシーツをずらし、マグに口をつけた。
「……う、あっめぇ……」
「ホットチョコレートだからな」
美味いだろ、とレリックが笑う。ちなみに砂糖は20杯入れた、と更に胸を張る。
その発言にメリルが目を瞠り、クロスは「お前の味覚は崩壊してる!」と騒ぎ立てた。
「……何の騒ぎ?」
目をこすりながらフレイが現れる。いつもはまだ眠っている時間だったが、さすがに目が覚めたらしい。
「え、えっと……清々しい朝だなって」
慌ててシーツを脱ぎ捨てて、クロスが取り繕う。頬に僅かな赤みが差している。レリックの言葉を聞いてはいたらしい。
「ふーん……? あ、ホットチョコレート? 僕にもちょうだい」
漂う香りに気づいて、フレイはメリルに近づく。
メリルは笑って自分のマグを差し出した。受け取ったフレイは香りに嬉しそうに微笑んで、
「……にっがぁ……」
顰め面になった。
「メリル、これ砂糖入れた? すごく苦いよ」
「砂糖は入れるものなの?」
メリルはさらりと言ってのける。
それに絶句する一同。砂糖をいれないホットチョコレートなど、ただのカカオ飲料だ。カカオ自体には甘味はない。苦味ばかりである。
「二人とも、味覚おかしいぞ……」
シーツを握ったまま、クロスが呟いた。
★ハロウィンと魔物★
一方こちらは銀の森にある『城』。
城主であるエルは、アイシャ、スイと共に今後の対策について話をしている最中である。
一通りああでもないこうでもないと議論したあと、ふとエルが視線を窓の向こうに向けた。
「……エル様?」
そのまま暫く動かない主に、スイが問いかける。
「そうか……」
外を眺め、エルがぽつりと呟いた。
そのどこか遠い呟きに、スイとアイシャは無言で視線を交わす。
「どうかされましたか?」
アイシャが尋ねるのへ、エルは視線を戻すとため息をついた。
「ああ、問題だ」
問題、と聞いてアイシャの顔に緊張が走る。
「何か……侵入者ですか?」
咄嗟に周囲の気配を探るが、アイシャの知覚能力はさほど高いものではない。自覚はしているのですぐに隣のスイに視線で問うが、スイは緩く首を振った。
「違う。……ところで、菓子と悪戯、どちらが良い?」
「……は?」
思わずぽかんとしてしまうのはこの場合仕方ないだろう。
エルの表情は真剣そのものだったし、重々しい口調も常と変わらない。目から入る情報と耳が伝える内容の落差に、一時的に固まるのは当然だった。
「……あの……? 仰る意味がわからないのですが」
困惑も露にアイシャが問いかければ、スイも隣で大きく頷いた。スイが行動のみで反応することは珍しく、無表情ではあるが彼なりに混乱しているようだ。
「そうだな、簡潔に言おう――菓子を寄越さないと悪戯するがいいか?」
笑みを浮かべて、エルが言った。それはもう極上の笑みで。
ここ暫く目にしなかったエルの楽しげな表情に、二人は再び硬直する。
「……ええっと」
先に我に返ったのはアイシャの方だった。口を無駄に開閉しながら言葉を捜す。
「菓子って、その」
「できれば甘いものがいいな」
回りきらない頭で、それでも懸命にアイシャが応対する。
食べ物に好き嫌いがあまりないアイシャだが、甘いものと聞いても砂糖しか思いつかない程度には混乱している。
「甘いもの……あの、悪戯ってあの」
その言葉に、エルは更に笑みを深くした。真紅の双眸をちらりと不穏な輝きが掠める。
「悪戯は悪戯だ。さぁ、どうする?」
悪辣としかいいようのない表情と台詞は、完全に悪魔のそれだ。真剣に身の危険を感じて、アイシャの背中を冷や汗が流れた。
それ、きっと悪戯のレベルじゃない。
理性が述べた抗議は、結局言葉になることはなかった。
「これで!これでどうですか!」
叫ぶようにいいながら壷らしきものを差し出したのは、ファザーンである。常に冷静に振舞おうと努力しているその顔は引きつり、若干涙目ですらある。
手のひらに収まるほどの壷を差し出されたエルは、首を傾げて壷を受け取る。無造作に突っ込まれたままの匙をすくい上げ、ぺろりと舐めた。
「甘い」
その感想に、エルの周囲が色めき立つ。
そこは数ある部屋のうちのひとつで、重厚な机と椅子が並ぶ部屋である。大広間ほどの広さはないが、少人数なら収容できる程度の大きさだ。四天王のみの集まりや、エルの執務室が使用できない時などに代用されていた。
現在、そこにはアイシャを除く四天王と各副官の姿がある。
彼らは一様に席につかず、固唾を呑んでエルの傍に詰め掛けていた。その視線はファザーンが差し出した壷に集中している。
「蜂蜜だな」
「はい、絶品です!」
顔を輝かせて言うファザーンを見遣り、エルは柔らかく笑う。
「だめだ」
その宣告に一瞬でファザーンが青ざめる。
エルの手がついと伸びて、思わず身を引くファザーンの額に添えられた。
「っ、お、お待ちくださいっ、次は」
ファザーンの必死の声に被せるようにして、ぽん、とはじけるような音がした。
一瞬の後には、ファザーンの頭に漆黒の耳が生えている。毛の長い大きな耳。
そこに手をやって、ファザーンは声にならない悲鳴を上げた。
ずりずりと後ずさるその腰部分には、漆黒のふさふさとした尾が揺れている。尾は勢いをなくし、ファザーンの気持ちを代弁するかのように力なく垂れている。
その場の全員が、表情を強張らせた。
「次は誰だ?」
にこりと笑みを浮かべるエルに、沈黙が落ちる。
よく見れば、その場の幹部たちは揃いも揃って奇妙な格好をしていた。
メーベルは純白の衣装に身を包み、背中に張りぼての翼らしきものをつけている。塗られてもいない指先が困惑気味に弄んでいるのは、金色の輪っかだ。普段、露出の高い服を好み、それこそ魔女のような装いの彼女は、どういうわけか天使か聖女めいた恰好をしていた。
一方、魔女然としているのは普段から魔法を得意とするスイだ。襟の立った外套は踝まで届くほどに長く、その下に纏う衣服もまたずるずると長い。水色の頭にはつばの広い尖った帽子。片手に箒を持つその姿は、今にも空を飛びそうである。
そして、彼らの副官たちもまたそれぞれ奇妙な格好に身を包んでいた。頭から巨大なかぼちゃを被った者、全身を包帯に包んだ者、髑髏のような仮面を被り鎌を持つ者……さながら祭り会場である。
自ら進んでしている格好でないことは、彼らの空気でわかる。
それぞれが困惑の表情で主を眺め、そのうち、かぼちゃ頭が意を決したように身じろぎした。
「お待たせしました!」
その時、威勢の良い声とともにアイシャが飛び込んできた。衣服こそ常と変わらないが、その頭にはどういうわけか長いウサギのような耳が生えていた。
「甘いものか?」
アイシャの姿を認めて、エルがこてんと首を傾げた。
「ええ。だから悪戯はこの辺にして貰います」
ずかずかとエルの前に立ったアイシャは、鼻息も荒く宣言してエルに袋を押し付ける。可愛らしい包装紙の中から転がり出たのはさまざまな形をしたクッキーだ。
「苦労しましたよ、今日がハロウィンだったから良かったですけど!」
「ハロウィン?」
アイシャの言葉に首を傾げたのは魔女姿のスイである。
「ああ、人間共の祭りだよ。仮装して菓子を貰いまくるっつーな」
正確ではないものの、その認識は間違いではない。
そもそもハロウィン自体が魔物の間であまり認知されていないのだ。だからこそ誰もがエルの言葉の真意を測りかねて、こんな事態に陥っているのである。
エルの『悪戯』はアイシャやスイだけに留まらなかった。顔を合わせるたびに仕掛けてくるので、仕舞いにはそれぞれの副官までもが巻き込まれ、一人当たり幾度となく『悪戯』された結果がこの祭り会場なのだ。
勿論、彼らもただ甘受していたわけではない。エルの言葉から「甘いもの」を渡すことで悪戯を回避できると解釈し、あの手この手で「甘いもの」を貢いでいたのだが。
「どうですか、甘い菓子でしょう?」
いつの間にか「菓子」の部分を聞きこぼしていたようだ。
「ああ。残念だか悪戯は諦めるとしよう」
アイシャの言葉に、エルは楽しそうに笑って悪戯の終了を告げた。
その言葉に安堵したのは、アイシャだけではない。エルを除く全員が目に見えて肩から力を抜いた。
「しかし、よくこんなものが手に入りましたね」
ぱりん、とクッキーを割るエルを見遣り、スイが言う。
クッキー自体は入手困難というわけではないが、その包装紙が珍しい。かぼちゃのデザインが入った、全体的に可愛らしい包装紙だ。人間の子供が好みそうだと呟いたスイに、アイシャが軽く頷く。
「人間の街で買ってきたからな」
「……はい?」
スイが視線を向けると、アイシャはあっさりと言う。
いわく、エルの『悪戯』に遭ってから慌てて砂糖をとりに行ったこと。ところが砂糖がみつからず、仕方なく街に出たら何やらお祭り騒ぎだったこと。みなが皆仮装していたのでアイシャのうさぎ耳も魔物らしい色合いも全く目立たなかったこと。
「で、そこのおっさんと意気投合して酒を奢って貰ってたら、ハロウィンだって聞いてな」
ハロウィンについて話を聞き菓子を買って帰ってきた、とアイシャは締めくくった。
「……色々と突っ込みたいところがありますが……とりあえず、一度死んできてくれませんか」
「はぁ? なんでだよ!」
「この惨状を御覧なさい。貴方がのんきに飲んでないで早く戻ってくればこんなことには」
「解決したのはオレだろ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を尻目に、クッキーを齧ったエルは「美味い」と目を細める。
ファザーンがそんなエルを不思議そうに眺めていると、エルがゆるりと手招きをした。
「はい、なんでしょうか」
「食べろ」
言って、エルはクッキーをファザーンの手の中に落とした。当惑するファザーンへ、エルは笑って言う。
「悪戯されてはたまらんからな」
ファザーンは束の間ぽかんとしていたが、ややあって同じように笑みを浮かべる。
「私がエル様に? お菓子をくれないと悪戯するぞ、ですか」
「ああ。だからこうして先に菓子をやってる」
エルに渡されたクッキーを齧り、ファザーンは小さく声を上げて笑った。それにあわせて頭上の耳が上機嫌に揺れる。左右に振られる尾をファザーンは自覚していないようだった。
そのうちメーベルを含め副官たちもエルに呼ばれ、アイシャが調達してきたクッキーは彼らに振舞われることとなった。
当のアイシャが気付いたときにはクッキーは一枚も残っておらず、「悪戯してやる!」と凄んだアイシャだったが、周到に準備していたらしいエルに先手を打たれ、てのひらに飴玉を落とされることとなった。
「なんだかな……」
手の中の飴を見つめ、一連の騒動を思ってアイシャは溜め息をついた。
飴は思いのほか美味しかった。
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ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
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