47 / 81
33.城へ
しおりを挟む
騒々しく飛び立つ鳥の姿を目にして、クロスは遠くを仰いだ。
鳥たちを脅かす原因らしきものは、クロスの視界には入らない。
濃密な枝葉が空を覆い隠さんばかりに広がっているだけだ。
「始まったな」
ひとつ息をついて声に出さず呟く。
鳥を脅かした原因に、彼は心当たりがあった。その方角は西、『城』の正門があるとみられている場所だ。
ガレオス大佐率いる王国軍が『城』へと攻撃を開始したのだろう。
あの下では今まさに人間と魔物との熾烈な戦いが始まっている筈だ。
「――あちらが北の門です」
すぐ近くで響いた落ち着いた声音に、クロスは我に返る。
視線を向けると、暗い色合いの外套を着た青年と目が合った。
黒鷺部隊を率いるザラク少尉だ。外套の下から部隊の由来でもある漆黒の甲冑が覗いている。
若々しい面立ちはクロスたちとそう年齢差はないように感じられた。
クロスたちは黒鷺部隊に合流していた。
彼らは、甲冑こそ纏ってはいないもののザラクと同じ色合いの外套を羽織っている。
当初合流するはずだった本隊の方には、それらしく装った兵士を数人置いた。魔物側にまっとうな指揮官がいるのならば、勇者たちは本隊にいると騙されてくれるだろう。
「あれも魔物なんだよな?」
首を傾げて尋ねたクロスに、メリルが頷く。
門だと示された先では、四足の獣が所在なげに寝そべっていた。
その大きさ故か、門が幾分小ぶりに見える。正門ではないのだから元々小さめなのかもしれない。
獣の耳がぴくりと動く。まさかこちらに感づいているとも思えないが、右へ左へと動く耳に警戒が走る。目を凝らせば、少し離れた奥の位置に同じように寝そべる獣が見えた。こちらは寝入っているのかぴくりともしない。
「かろうじて魔物の範疇かしらね。戦闘力はさほど高くないわ……でも」
「……まあ侮ると痛い目みるだろうね。アレはともかくその奥が」
警戒して低く囁き返すメリルの言葉の先を、レリックが引き継ぐ。
溜息をついて、外套のフードを深くかぶりなおした。
「そうですね。あの程度なら確かに問題ありませんが、門を突破した先が問題でしょう」
ザラクもまた、疲れたような溜息をついて言う。
その魔物自体にさほど脅威がないことは、長期間観察を続けてきたザラクもわかっていた。問題なのは、黒鷺部隊が奇襲を受けたばかりであるという点だ。
奇襲されたという事実が、こちらの行動が筒抜けだったことを表している。黒鷺部隊の手の内は粗方バレていると考えておくべきだろう。そして恐らくは、王国軍が正面とこの門から侵入を果たそうとすることも見通されている筈だ。
「ここから突入すれば、みすみす罠にかかりに行くようなものってことだよ」
いまいち合点のいかない様子のクロスへ、レリックが簡潔に説明した。外からでは分からないが、閉ざされた門の先には敵が待ち構えているに違いないのだ。
「じゃあどうするんだよ? 城壁よじ登っても、入れそうな隙間はないぞ」
クロスは城壁を仰いで唸る。窓らしき穴は幾つか開いているが、それもかなり上方である。
「もうひとつ、門のような場所があります」
ザラクは城を示して言った。
「ただ、これは未確認の情報です。城の背面で魔物が出入りするのを見たと、部下が申しておりましたが……門自体の視認ができないところをみると、恐らく魔法の類で隠されているのではないかと」
ザラクの歩きにしたがって、勇者たちと複数の兵士が緑陰の中を移動する。
クロスたちについて歩くのは黒鷺部隊の精鋭十数名だ。
勇者一行に同行するにあたり、ザラクが選び抜いた人選である。残りの兵士は近くの森で待機している。
黒鷺部隊の任務は、内部での撹乱だ。常ならばあらかじめ潜入し、騒ぎに乗じて火をかけたり馬を放すなどの工作をするのだが、今回の場合はそう簡単にはいかない。
相手は人外、しかも城の内部構造は不明。兵士は人間との戦いに慣れてはいても、対魔物の経験はほぼない。乗り込むには相当の覚悟が必要だった。
だが、勇者に同行するとなれば話は少し変わる。彼らは対魔物の『専門家』だ。同じ行動をするとしても、その彼らと共にあるというだけで兵士の意識は大分変わるものだ。
その証拠に、勇者一行のうしろを行く兵士たちはどの顔も決意と闘志に燃えている。
「あのあたりです」
暫く進んだところで、ザラクは城壁を示す。
茂みの向こうには、特に何の変哲もない石の壁がそびえていた。
現在地は東側、城の背後にあたる。ザラクたちの調査では、出入り口らしきものは見当たらなかったらしい。そのため当初は、こちら側に陣を張っていたのだとザラクは説明した。
「ちなみに、魔物が現れたのはあちらの奥からです」
ザラクは東に広がる森を示す。
奇襲された際、東の森の奥から魔物たちが姿を現したのだと語った。その一件で森の中にも出入り口があることがわかったものの、巧妙に隠されているらしく発見には至らなかった。
森を一瞥した後、クロスは伸び上がって城を眺めた。どこをどうみても、石の壁しか目に入らない。
「さっぱりわかんねぇな」
ほんとにここか? と視線で訴えるクロスに、ザラクは頷いてみせた。
「あそこに少し崩れたような跡があります。恐らくそこが出入り口ではないかと」
ザラクの指さす先には、城壁に積み上げられた石垣のようなものがある。形のそろわない大小様々な石がぞんざいに積み上げられ、あたかも城壁の「作りかけ」のように見えた。
「石が並んでるだけだぞ」
やはりどう見ても入口があるように見えなくて、クロスは首を傾げる。
確認したわけではないので、とザラクは申し訳なさそうに視線を落とした。
確かに、示された石垣にはそれらしい気配は見受けられない。乱雑な石組みには隙間らしきものは見えるが、それも人が通れるような大きさではなく、ネズミ程度の大きさでも門として利用できるかどうか怪しかった。
クロスはひとつ頷いて、そんな石組みを見つめる。
「よし、いこう」
ここまで来たのだ。いまさら四の五の言っている場合ではないことは、クロスにもよくわかっている。
確かでなくとも試してみる価値はある。現状それしか道はないのだ。
罠とわかっている城門に突っ込むのは、確認してからでも遅くはない。
クロスは聖剣の柄に手をかけ茂みから身を乗り出したところで、ふと動きを止める。
『作りかけ』のそこに、よくみれば何かが横たわっている。
見慣れない獣だ。恐らく魔物の一種だろう。先ほどの門にいた魔物よりは幾分小柄で、牧羊犬のような大きさである。
「……生きてんのか?」
ぴくりともしないが、万一「寝ているだけ」であれば厄介である。
念のため先に確かめておくかとクロスが踏み出しかけたところで、フレイが声をかけた。
「見てて」
フレイは静かに矢を番える。
放たれた矢は、過たず獣の体に鋭く突き刺さる。鈍い音と衝撃で僅かに体が揺れたものの、自ら動き出す様子はない。
「大丈夫みたいだね」
言って、フレイはクロスを見上げる。
「では私たちが」
頷いたクロスを見遣って、ザラクが背後の部下に合図をする。
ザラクは周囲を警戒しながら、部隊の兵士二人を先頭に、魔法使いを従えて城壁に近づいた。
ひととおり安全を確認して、ザラクがクロスに合図を送った。
全員が城壁の傍に集まったところで、魔法使いが入り口と思われるあたりを調べ始める。石組に手を伸ばし、何かを探るようにかざしていく。
暫く調べる風だったが、ややあって小さく呻いて手を引っ込めた。
「どうした」
慌てたようなザラクの問いかけに、魔法使いは緩く首を振る。
「申し訳ありません、動揺致しました。強力な魔法がかけられていたようです」
己の手を握り締める様子から、その魔法に妨害を受けたものと思われた。
「つまり無理ってことか?」
クロスが簡潔に問いかける。魔法使いはそれにも首を振って答えた。
「いえ、問題ありません。どうやら大部分の魔法が壊れているようです。今の反応が最後だと思われますので……後は扉自体の封印のみですから」
フードから僅かに顔を覗かせて、口元を自信ありげに歪めて見せる。
魔法使いは再び弾かれた場所に手をかざした。よくみれば、その手のひらは熱いものに触れた時のように赤みが差している。
そのままゆるゆると扉の場所を探っていく。特に変った反応がみられないところをみると、魔法使いの言葉どおりあれが最後の抵抗だったらしい。
ふと魔法使いの手が止まる。
小さく呪文を詠唱すると、石組みが僅かに動いた。少しずつ隙間が開いていく。
やがて、石がごろごろと崩れ落ち、人一人通れるくらいの穴が開いた。
中は暗く湿っている。幾つもの木箱や甕、樽が所狭しと置かれており、生き物の気配はない。貯蔵庫のようでもある。
覗き込むと、奥にうっすらと木製の扉が見えた。古びた扉からは僅かに光が漏れている。
見張りや待ち伏せの影はないと見取って、部隊の兵を先頭に中に入る。
ザラクの後に足を踏み入れたクロスは、思わず顔を顰めた。
中は想像以上に広い空間だった。
そこに、錆びた匂いが充満していた。
先を行くザラクが、剣の先で床を示す。
そこには真新しい水溜りがある。この暗がりでもはっきり分かるほどに、その色は赤い。
先頭の緊張がそのまま背後のレリックやメリルたちにも伝播する。
彼らはまだ足を踏み入れていないため、血臭には気付いていない様だ。ただならぬ様子にそれぞれが武器を握る手に力を込める。
クロスもまた剣をしっかりと構え暗闇を見渡すが、動く影はない。
入る前と同じく人の気配はしなかった。
慎重に足を進めると、倒れた人影が見えた。ただし、その首から上はない。
ここから侵入を目論んでいるのは、黒鷺部隊の中でもクロスたち一部だけのはずだ。それ以外の人間が侵入するとは考えにくい。
よく見れば、死体には人とは異なる身体的特徴がみられる。人型の魔物であるようだ。
となると、これは『仲間割れ』ということだろうか。
クロスは首を傾げ、ザラクを窺う。
ザラクの方もよく分からないらしく、首を振られた。
長く観察してきたという彼らですら分からないのなら、今しがた合流したばかりのクロスに分かるはずもない。
なんにせよ、ここまできてしまったのだ。仲間割れをしていようが、この先に何があろうが、やることは決まっている。
木製の扉の前までくると、緊張した面持ちの先頭の兵士と目が合った。
扉に手をかけたその指が小刻みに震えている。
その動きに連動して木製の扉からちらちらと光が漏れた。どうやら鍵はかかっていないらしい。
微かに揺れる相手の目を見つめ、クロスは力強く頷いてみせる。
自分が迷うわけにはいかない。
迷うな、と自身に言い聞かせ、クロスは剣を構えなおす。メリルやフレイもまた、それぞれの武器を構える。
もう、引き返すわけにはいかないのだ。
いざ、戦いへ。
鳥たちを脅かす原因らしきものは、クロスの視界には入らない。
濃密な枝葉が空を覆い隠さんばかりに広がっているだけだ。
「始まったな」
ひとつ息をついて声に出さず呟く。
鳥を脅かした原因に、彼は心当たりがあった。その方角は西、『城』の正門があるとみられている場所だ。
ガレオス大佐率いる王国軍が『城』へと攻撃を開始したのだろう。
あの下では今まさに人間と魔物との熾烈な戦いが始まっている筈だ。
「――あちらが北の門です」
すぐ近くで響いた落ち着いた声音に、クロスは我に返る。
視線を向けると、暗い色合いの外套を着た青年と目が合った。
黒鷺部隊を率いるザラク少尉だ。外套の下から部隊の由来でもある漆黒の甲冑が覗いている。
若々しい面立ちはクロスたちとそう年齢差はないように感じられた。
クロスたちは黒鷺部隊に合流していた。
彼らは、甲冑こそ纏ってはいないもののザラクと同じ色合いの外套を羽織っている。
当初合流するはずだった本隊の方には、それらしく装った兵士を数人置いた。魔物側にまっとうな指揮官がいるのならば、勇者たちは本隊にいると騙されてくれるだろう。
「あれも魔物なんだよな?」
首を傾げて尋ねたクロスに、メリルが頷く。
門だと示された先では、四足の獣が所在なげに寝そべっていた。
その大きさ故か、門が幾分小ぶりに見える。正門ではないのだから元々小さめなのかもしれない。
獣の耳がぴくりと動く。まさかこちらに感づいているとも思えないが、右へ左へと動く耳に警戒が走る。目を凝らせば、少し離れた奥の位置に同じように寝そべる獣が見えた。こちらは寝入っているのかぴくりともしない。
「かろうじて魔物の範疇かしらね。戦闘力はさほど高くないわ……でも」
「……まあ侮ると痛い目みるだろうね。アレはともかくその奥が」
警戒して低く囁き返すメリルの言葉の先を、レリックが引き継ぐ。
溜息をついて、外套のフードを深くかぶりなおした。
「そうですね。あの程度なら確かに問題ありませんが、門を突破した先が問題でしょう」
ザラクもまた、疲れたような溜息をついて言う。
その魔物自体にさほど脅威がないことは、長期間観察を続けてきたザラクもわかっていた。問題なのは、黒鷺部隊が奇襲を受けたばかりであるという点だ。
奇襲されたという事実が、こちらの行動が筒抜けだったことを表している。黒鷺部隊の手の内は粗方バレていると考えておくべきだろう。そして恐らくは、王国軍が正面とこの門から侵入を果たそうとすることも見通されている筈だ。
「ここから突入すれば、みすみす罠にかかりに行くようなものってことだよ」
いまいち合点のいかない様子のクロスへ、レリックが簡潔に説明した。外からでは分からないが、閉ざされた門の先には敵が待ち構えているに違いないのだ。
「じゃあどうするんだよ? 城壁よじ登っても、入れそうな隙間はないぞ」
クロスは城壁を仰いで唸る。窓らしき穴は幾つか開いているが、それもかなり上方である。
「もうひとつ、門のような場所があります」
ザラクは城を示して言った。
「ただ、これは未確認の情報です。城の背面で魔物が出入りするのを見たと、部下が申しておりましたが……門自体の視認ができないところをみると、恐らく魔法の類で隠されているのではないかと」
ザラクの歩きにしたがって、勇者たちと複数の兵士が緑陰の中を移動する。
クロスたちについて歩くのは黒鷺部隊の精鋭十数名だ。
勇者一行に同行するにあたり、ザラクが選び抜いた人選である。残りの兵士は近くの森で待機している。
黒鷺部隊の任務は、内部での撹乱だ。常ならばあらかじめ潜入し、騒ぎに乗じて火をかけたり馬を放すなどの工作をするのだが、今回の場合はそう簡単にはいかない。
相手は人外、しかも城の内部構造は不明。兵士は人間との戦いに慣れてはいても、対魔物の経験はほぼない。乗り込むには相当の覚悟が必要だった。
だが、勇者に同行するとなれば話は少し変わる。彼らは対魔物の『専門家』だ。同じ行動をするとしても、その彼らと共にあるというだけで兵士の意識は大分変わるものだ。
その証拠に、勇者一行のうしろを行く兵士たちはどの顔も決意と闘志に燃えている。
「あのあたりです」
暫く進んだところで、ザラクは城壁を示す。
茂みの向こうには、特に何の変哲もない石の壁がそびえていた。
現在地は東側、城の背後にあたる。ザラクたちの調査では、出入り口らしきものは見当たらなかったらしい。そのため当初は、こちら側に陣を張っていたのだとザラクは説明した。
「ちなみに、魔物が現れたのはあちらの奥からです」
ザラクは東に広がる森を示す。
奇襲された際、東の森の奥から魔物たちが姿を現したのだと語った。その一件で森の中にも出入り口があることがわかったものの、巧妙に隠されているらしく発見には至らなかった。
森を一瞥した後、クロスは伸び上がって城を眺めた。どこをどうみても、石の壁しか目に入らない。
「さっぱりわかんねぇな」
ほんとにここか? と視線で訴えるクロスに、ザラクは頷いてみせた。
「あそこに少し崩れたような跡があります。恐らくそこが出入り口ではないかと」
ザラクの指さす先には、城壁に積み上げられた石垣のようなものがある。形のそろわない大小様々な石がぞんざいに積み上げられ、あたかも城壁の「作りかけ」のように見えた。
「石が並んでるだけだぞ」
やはりどう見ても入口があるように見えなくて、クロスは首を傾げる。
確認したわけではないので、とザラクは申し訳なさそうに視線を落とした。
確かに、示された石垣にはそれらしい気配は見受けられない。乱雑な石組みには隙間らしきものは見えるが、それも人が通れるような大きさではなく、ネズミ程度の大きさでも門として利用できるかどうか怪しかった。
クロスはひとつ頷いて、そんな石組みを見つめる。
「よし、いこう」
ここまで来たのだ。いまさら四の五の言っている場合ではないことは、クロスにもよくわかっている。
確かでなくとも試してみる価値はある。現状それしか道はないのだ。
罠とわかっている城門に突っ込むのは、確認してからでも遅くはない。
クロスは聖剣の柄に手をかけ茂みから身を乗り出したところで、ふと動きを止める。
『作りかけ』のそこに、よくみれば何かが横たわっている。
見慣れない獣だ。恐らく魔物の一種だろう。先ほどの門にいた魔物よりは幾分小柄で、牧羊犬のような大きさである。
「……生きてんのか?」
ぴくりともしないが、万一「寝ているだけ」であれば厄介である。
念のため先に確かめておくかとクロスが踏み出しかけたところで、フレイが声をかけた。
「見てて」
フレイは静かに矢を番える。
放たれた矢は、過たず獣の体に鋭く突き刺さる。鈍い音と衝撃で僅かに体が揺れたものの、自ら動き出す様子はない。
「大丈夫みたいだね」
言って、フレイはクロスを見上げる。
「では私たちが」
頷いたクロスを見遣って、ザラクが背後の部下に合図をする。
ザラクは周囲を警戒しながら、部隊の兵士二人を先頭に、魔法使いを従えて城壁に近づいた。
ひととおり安全を確認して、ザラクがクロスに合図を送った。
全員が城壁の傍に集まったところで、魔法使いが入り口と思われるあたりを調べ始める。石組に手を伸ばし、何かを探るようにかざしていく。
暫く調べる風だったが、ややあって小さく呻いて手を引っ込めた。
「どうした」
慌てたようなザラクの問いかけに、魔法使いは緩く首を振る。
「申し訳ありません、動揺致しました。強力な魔法がかけられていたようです」
己の手を握り締める様子から、その魔法に妨害を受けたものと思われた。
「つまり無理ってことか?」
クロスが簡潔に問いかける。魔法使いはそれにも首を振って答えた。
「いえ、問題ありません。どうやら大部分の魔法が壊れているようです。今の反応が最後だと思われますので……後は扉自体の封印のみですから」
フードから僅かに顔を覗かせて、口元を自信ありげに歪めて見せる。
魔法使いは再び弾かれた場所に手をかざした。よくみれば、その手のひらは熱いものに触れた時のように赤みが差している。
そのままゆるゆると扉の場所を探っていく。特に変った反応がみられないところをみると、魔法使いの言葉どおりあれが最後の抵抗だったらしい。
ふと魔法使いの手が止まる。
小さく呪文を詠唱すると、石組みが僅かに動いた。少しずつ隙間が開いていく。
やがて、石がごろごろと崩れ落ち、人一人通れるくらいの穴が開いた。
中は暗く湿っている。幾つもの木箱や甕、樽が所狭しと置かれており、生き物の気配はない。貯蔵庫のようでもある。
覗き込むと、奥にうっすらと木製の扉が見えた。古びた扉からは僅かに光が漏れている。
見張りや待ち伏せの影はないと見取って、部隊の兵を先頭に中に入る。
ザラクの後に足を踏み入れたクロスは、思わず顔を顰めた。
中は想像以上に広い空間だった。
そこに、錆びた匂いが充満していた。
先を行くザラクが、剣の先で床を示す。
そこには真新しい水溜りがある。この暗がりでもはっきり分かるほどに、その色は赤い。
先頭の緊張がそのまま背後のレリックやメリルたちにも伝播する。
彼らはまだ足を踏み入れていないため、血臭には気付いていない様だ。ただならぬ様子にそれぞれが武器を握る手に力を込める。
クロスもまた剣をしっかりと構え暗闇を見渡すが、動く影はない。
入る前と同じく人の気配はしなかった。
慎重に足を進めると、倒れた人影が見えた。ただし、その首から上はない。
ここから侵入を目論んでいるのは、黒鷺部隊の中でもクロスたち一部だけのはずだ。それ以外の人間が侵入するとは考えにくい。
よく見れば、死体には人とは異なる身体的特徴がみられる。人型の魔物であるようだ。
となると、これは『仲間割れ』ということだろうか。
クロスは首を傾げ、ザラクを窺う。
ザラクの方もよく分からないらしく、首を振られた。
長く観察してきたという彼らですら分からないのなら、今しがた合流したばかりのクロスに分かるはずもない。
なんにせよ、ここまできてしまったのだ。仲間割れをしていようが、この先に何があろうが、やることは決まっている。
木製の扉の前までくると、緊張した面持ちの先頭の兵士と目が合った。
扉に手をかけたその指が小刻みに震えている。
その動きに連動して木製の扉からちらちらと光が漏れた。どうやら鍵はかかっていないらしい。
微かに揺れる相手の目を見つめ、クロスは力強く頷いてみせる。
自分が迷うわけにはいかない。
迷うな、と自身に言い聞かせ、クロスは剣を構えなおす。メリルやフレイもまた、それぞれの武器を構える。
もう、引き返すわけにはいかないのだ。
いざ、戦いへ。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-
ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。
自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。
そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。
安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。
いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して!
この世界は無い物ばかり。
現代知識を使い生産チートを目指します。
※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる