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30.カディス
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勇者含めた王国軍がカディスに到着したのは、太陽が中天にかかる時分だった。
カディスは銀の森に点在する街の中では比較的大きな部類に入る。煉瓦の家が立ち並び、街の中心部は石畳が敷かれ、洗練された景観を備えていた。度重なる魔物の襲撃でどことなく疲弊した空気が漂ってはいるものの、街の往来は変わらず活気に満ちている。
クロスとレリックは、尉官数名と共に町長の元を訪ねた。
街の滞在許可を得るためである。本来ならば、王国軍の旗の力は絶大であり、滞在に許可など必要ない。けれどこの街が現在一番に魔物の害を被っている街だと思えば、一言断るべきだという気になる。何しろ、せいぜい滞在したところで一日二日とはいえ、その間の物資は街から調達せねばならないのだ。
簡単な挨拶を済ませ、具体的な話をまとめる。町長は特に反対することもなく鷹揚に頷いて、最後に人懐こい笑みを浮かべた。
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞいくらでもご自由にお使いください」
「ありがとうございます」
安堵して、クロスは心からの礼を述べる。
「私たちでできることがあれば遠慮なくおっしゃってください。前の勇者さまの時はあまりお手伝いできませんでしたから……」
その言葉に、クロスとレリックは視線を交わした。
「こちらにお見えになったのですか?」
「ああ、いいえ。先をお急ぎのご様子でしたので」
会ってはいないのだと町長が言う。
「なんとも残念なことです。勇者様があのようなことに……惜しい方を亡くしました」
残念でならないと、しきりに首を振る。
それに当たり障りない相槌を打って、クロスは町長の屋敷を辞した。
勇者一行と尉官含め数名は街の宿に、残る兵士は街の郊外に野営することになった。クロスは事の次第を伝えに戻るという尉官たちに、メリルとフレイへの言付けを頼み、レリックと共に先に与えられた宿へと向かった。
大通りから歩き始めてすぐ、レリックは隣の親友へと声をかける。
「なあ、ちょっとやり過ぎじゃないか?」
「何が?」
そう不思議そうに問い返すクロスは、必要以上に顔を隠している。
顔の上半分をすっぽりと被ったフードで隠し、口元を草臥れた色合いのストールのようなもので覆っている。外からはクロスの鼻部分しか見えないという徹底ぶりだ。
それもそのはず、クロスの顔は国中に知れ渡っているのだ。しかも勇者到着の知らせは、あっという間に街に広まっていた。あれだけの規模の兵士が現れればそれも当然だろう。
「それじゃ逆に不審者だぞ」
レリックの方は、対照的に軽装である。
フードも被らず、ごく普通に素顔を晒していた。初めて訪れる街を好奇心と共に観察し、更に目が合った女性には愛想よく手など振っている始末である。
「……お前は気楽だな」
それをフードの下から胡乱そうに眺め、クロスが這うような声で答えた。
「そりゃ、僕は有名人じゃないし。それにさ、少しは気楽に構えてなきゃやってられないだろ。お前も神経質になりすぎだよ」
それは自分もだけど、とは胸のうちで呟いて、レリックはクロスのフードに包まれた頭を軽く小突いた。
「仕方ないだろ。あんなに出回ってるとか思わねえし!」
カディスの街では、あちこちで勇者の似姿を見ることができた。他の街ではせいぜい、宿や酒場、人の集まる場所に掲示してあるのが普通で、本人を前にしてもすぐにわかる者は少なかった。しかし、ここカディスでは、町長の屋敷にたどり着くまでの間に両手では足りないくらいの似姿に出会うことになったのである。
銀の森に程近く、魔物被害に悩まされているとなれば、新しい勇者にかかる期待も相当なものがあることは想像に難くない。しかも勇者一行は王国軍を率いて魔物討伐にかかるという噂が王都から流れてきている。勿論、そう仕向けたのは王国軍であり勇者たちでもあるのだが、それによってカディスの期待は高まる一方であった。
「大丈夫だって、犯罪者じゃないんだからさ。堂々としていればいいだろ。むしろ必要以上によくしてくれるし、顔出ししてた方が得だと思うけどな」
どうせ目立っている訳だし、とは口の中で呟くにとどめた。やたらと顔を隠すクロスが目立っていないはずもなかったが、必死な様子の親友を思い、指摘するのはやめておく。
一方クロスは、レリックの言葉に不機嫌そうな表情を崩さないまま、フードを更に深く被りなおす。
「そんな気分じゃない」
勇者だと胸を張る気分にはなれないのだ、とクロスがごちる。
「……ああ、まぁその気持ちもわかるけどね」
肩を竦めて、レリックは同意を示す。
その原因にレリックは心当たりがあった。むしろ自分も同じ気持ちだと言ってもいい。
というのも、街に入ってすぐ別部隊から連絡があったのだ。王国軍より数日早く隣街ローディウスに到着した『白翼部隊』である。指揮官のガレオス大佐いわく、行軍は概ね順調であり魔物の妨害は思っていた程ではなかったという。当初の計画通り「城」に近づき総攻撃に向けての準備をする――その予定だった。
ところが勇者一行がカディスに到着する前日の夜、事件は起きた。
「まさか奇襲なんてね」
予想もしなかったよ、と軽い口調の割りにレリックの表情は険しい。
聞く所によると一昨日の夜に『黒鷺部隊』――魔物の城近辺に展開しているザラク率いる部隊が、奇襲攻撃を受けたというのだ。
全滅の事態は避けられたが、半数の兵を失ったらしい。
何より、精神的ダメージの方を思うとレリックは気分がふさぐ思いだった。彼らがどれだけ魔物の生態に精通していたかはわからない。メリルたちから生の声を聞いていた筈のクロスやレリックですら、衝撃を隠せないのだ。もし彼らがこれまでのようなただのケダモノ相手だとしか思っていなかったとすれば。
ガレオスは最後にこう結んでいた。
『最早こちらの動向は掴まれていると思った方がいいだろう』
撤退も攻撃も、クロスの判断にに委ねられている。しかし撤退などできないのが現状だ。いくら裁量があるとはいえクロス個人の判断ではない。王国軍としての判断、ひいては国としての判断となる。色々なしがらみの手前、下手な決断はできない。
「考えたら頭いてぇ。こんな格好悪いとこ連中に見せられないだろ」
だから隠れるしかない、とクロスは更にこそこそとした様子で通りを歩いていく。その不審すぎる態度が、余計注目を集めていることに本人だけがいまだ気づいていない。
「じゃあなるべく早いとこ宿に行こうか」
レリックは殊更軽い口調で相づちを打ちながら、思う。
選択肢がないことは、クロスもよくわかっているのだ。
撤退か攻撃かと問われたら、撤退を選ぶことはできない。だからこそもっともらしい"理由付け"にクロスは難儀しているのだろう。即ち、攻撃を選ぶ、自分と他人を納得させるだけの理由を。
ガレオスからの情報を聞いた時の、メリルの反応がレリックの脳裏に蘇る。
驚愕を隠し切れなかったレリックやクロスと違い、メリルは淡々としたものだった。軽く眉を顰めて、驚きよりも納得に近い表情を浮かべていた。メリルが見てきた「現実」は、彼女に納得しうるだけの材料を与えたのだろう。
それだけで、これまでの情報とメリルのそれがいかに隔てられているかがわかろうというものだ。
それを思えば尚更「撤退」でいいじゃないかとレリックは言いたくなる。どんな結果であれ、命がなくては意味がない。そう声高に叫ぶだけの勇気も力も、彼の親友は持ち得ているはずだ。
地面を見つめて黙々と歩く親友をみつめ、レリックは重い息をつく。
その決して逞しいとは言い難い双肩に、似合わない重荷が乗っているような気がした。
「予定通り、夜明けを待って開始する」
宿での簡素な食事の後、クロスはそう切り出した。
何を、などと聞く必要がないことはこの場の誰もがわかっていた。まだ片付いていない机の上、己のマグを手のひらで弄びながら、クロスは世間話でもするような口調で言う。
「幾つかの計画変更はあったけど、あちらの方は準備万端。おれ達も夜半すぎには移動するつもりだ。用意は大丈夫だよな?」
本来ならクロスたちが到着するより以前に行われるはずだった『白鷺部隊』による幾つかの作戦は、奇襲を受けたことにより中止となっていた。クロスの元にはその変更の旨と、ローディウスを発ち既に「城」近くで部隊を展開しているとの連絡がきている。こちらに駐留する王国軍も、夜半すぎには移動を開始する手筈である。
三人が力強く頷くのを見遣って、クロスはさらに言葉を重ねた。
「おれ達は本隊に合流する……予定では」
勇者一行と共に在った王国軍。ここにガレオスの騎兵隊『白鷺部隊』を加えたものが『本隊』だ。こちらも総指揮官はクロスであるが、事実上の指揮はガレオス大佐が執ることになっていた。
夜明け前には所定の場所に布陣し、攻撃に移る算段だ。
「けど、それじゃ味気ないだろ」
不意にクロスが意味ありげに笑った。
「は?」
レリックが何を言い出すとばかりに眉根を寄せた。
「だから考えたんだ。折角だから黒鷺の方に合流しようって」
『黒鷺部隊』は先の奇襲攻撃で痛手を負った部隊である。現在は、更なる攻撃を警戒して以前より少し離れた場所に布陣し、待機中との報告がきている。
「……確か、黒鷺は別行動じゃなかったっけ?」
彼らの元々の役割は諜報や工作である。今回の作戦でも、本隊の補佐が中心であった筈だ。以前聞いた計画を脳裏に浮かべ、レリックは首を傾げる。
勇者が軍部の補佐とは。軍と絡めばそれが現実なのだとは思うが、それではあまりにも外聞が良くない気もする。
「ああ。だから俺たちはそっちに入るんだ。一緒に、城内に」
「お前……」
嬉々として言うクロスに、レリックは二の句が継げなくなる。
つい先だって、どう判断すべきかと頭を悩ませていた相手と同一人物とは思えない態度である。
既に軍部との打ち合わせは終えているのだろうが、それにしてもあまりの吹っ切れようだ。感傷的な気持ちを返して欲しい、とレリックは思った。
「だが表面上は、おれ達は夜明け後しばらくして本隊に合流、ということにする」
「どういうこと?」
首を傾げるメリルに、クロスは口角を弓なりに上げ、非常に"悪い顔"をした。
周囲を憚り、声量を落として囁く。どう見ても悪巧みにしか見えないが、これはれっきとした会議である。
「おれ達の扮装をした兵士が、勇者も合流してると見せかけて本隊に加わるんだ。その間おれ達は、黒鷺部隊と一緒にこっそり城内に侵入する。中から引っ掻きまわして奴らの勢いを削ぐんだ」
侵入経路は調査済みだぜ、と語る顔は実に悪人面だ。とてもではないが勇者のする表情ではない。
「混乱を引き起こす……というのは建前だよね」
ため息をついてレリックが言う。
「ああ。騒擾なら黒鷺だけでも十分過ぎるだろ」
頷くクロスは口元に笑みを浮かべた。
「おれは、獲りにいくぞ」
気安い口調で言われたその言葉の意味に、メリルはさっと顔色を変えた。
動揺もあらわなその口から制止の言葉が出る前に、クロスはさらりと言う。
「元からそのつもりだろ、メリル、フレイ」
「当然!」
息巻いてフレイが宣言する。その双眸は興奮にきらきらと輝いている。
「……ええ、クロスの言う通り……」
機先を制されてしまったメリルは、そう頷くしかない。
クロスの言うことは事実でもある。そもそもの初めからメリルは仇討ちに来ているのだから。
もちろん、軍の方針にもクロスの方針にも逆らうつもりはない。だが、魔物と刺し違えてもという気持ちは確実に存在する。
「でもクロス、あなたはそんな、」
「おれは一応勇者だからな」
命を落とすことない、と続けようとしたメリルを遮り、クロスが笑う。
「代理の勇者だって今でも思ってるけどな。求められたらいつでも勇者は返上するさ……でも、今はまだ勇者だろ? 勇者が魔物を前に尻尾巻いて帰れる訳がない」
メリルをまっすぐ見つめたその青い目には、迷いの色は見受けられない。彼の言葉に嘘は含まれていなかった。
「おれはおれの大切なものを守る為に、魔物の首を取りにいく」
その覚悟に、メリルはクロスもまた『勇者』たる人物なのだと痛感する。彼が言うように、代理というのも間違いではないだろう。あまりにも早すぎた決定と展開が、それを裏付けている。けれどそれと同時に、勇者たる資質もまた彼は備えているのだ。
「まったく、なんだかんだ言ってクロスは勇者だよね」
メリルと同じことを思ったはずもないだろうが、レリックがため息をついてそんなことを言った。
「なんだよ、ここにきて逃げる気か?」
「逃げるわけないだろ、呆れてるんだよ。変なとこでカッコつけなんだからさ、単にメリルさんたちの仇討を手伝ってあげたいだけでしょ?」
「ばっ、馬鹿。違ぇよ! おれが倒したいんだよ! じいさんになってから孫に自慢できるだろーが!」
「孫って……女の子口説くことすらできないのに、そんな先の話」
「お前が口説きすぎなんだ! ってかそれ関係ないだろ、今!」
相変わらずの口喧嘩が始まる。それを眺めて、メリルは微笑んだ。
「メリル、今度は大丈夫だね」
こそりとフレイが囁いて寄越す。
「……え、何?」
「仲間がいる……きっと倒せる。帰れるよ」
メリルを見上げたフレイは、随分と大人びた表情をしていた。大きな栗色の瞳は、不思議と透明さを増して、戦いの先に待ち受ける全てを見通しているかのようだった。
フレイは覚悟を決めているのだ。
子供らしい幼さが薄れ、大人の顔が見え隠れしていた。フレイもまた、勇者の死を乗り越えることで"変わった"のだろう。
「そうね。皆で帰りましょう」
固い決意を込めて、メリルは呟いた。
カディスは銀の森に点在する街の中では比較的大きな部類に入る。煉瓦の家が立ち並び、街の中心部は石畳が敷かれ、洗練された景観を備えていた。度重なる魔物の襲撃でどことなく疲弊した空気が漂ってはいるものの、街の往来は変わらず活気に満ちている。
クロスとレリックは、尉官数名と共に町長の元を訪ねた。
街の滞在許可を得るためである。本来ならば、王国軍の旗の力は絶大であり、滞在に許可など必要ない。けれどこの街が現在一番に魔物の害を被っている街だと思えば、一言断るべきだという気になる。何しろ、せいぜい滞在したところで一日二日とはいえ、その間の物資は街から調達せねばならないのだ。
簡単な挨拶を済ませ、具体的な話をまとめる。町長は特に反対することもなく鷹揚に頷いて、最後に人懐こい笑みを浮かべた。
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞいくらでもご自由にお使いください」
「ありがとうございます」
安堵して、クロスは心からの礼を述べる。
「私たちでできることがあれば遠慮なくおっしゃってください。前の勇者さまの時はあまりお手伝いできませんでしたから……」
その言葉に、クロスとレリックは視線を交わした。
「こちらにお見えになったのですか?」
「ああ、いいえ。先をお急ぎのご様子でしたので」
会ってはいないのだと町長が言う。
「なんとも残念なことです。勇者様があのようなことに……惜しい方を亡くしました」
残念でならないと、しきりに首を振る。
それに当たり障りない相槌を打って、クロスは町長の屋敷を辞した。
勇者一行と尉官含め数名は街の宿に、残る兵士は街の郊外に野営することになった。クロスは事の次第を伝えに戻るという尉官たちに、メリルとフレイへの言付けを頼み、レリックと共に先に与えられた宿へと向かった。
大通りから歩き始めてすぐ、レリックは隣の親友へと声をかける。
「なあ、ちょっとやり過ぎじゃないか?」
「何が?」
そう不思議そうに問い返すクロスは、必要以上に顔を隠している。
顔の上半分をすっぽりと被ったフードで隠し、口元を草臥れた色合いのストールのようなもので覆っている。外からはクロスの鼻部分しか見えないという徹底ぶりだ。
それもそのはず、クロスの顔は国中に知れ渡っているのだ。しかも勇者到着の知らせは、あっという間に街に広まっていた。あれだけの規模の兵士が現れればそれも当然だろう。
「それじゃ逆に不審者だぞ」
レリックの方は、対照的に軽装である。
フードも被らず、ごく普通に素顔を晒していた。初めて訪れる街を好奇心と共に観察し、更に目が合った女性には愛想よく手など振っている始末である。
「……お前は気楽だな」
それをフードの下から胡乱そうに眺め、クロスが這うような声で答えた。
「そりゃ、僕は有名人じゃないし。それにさ、少しは気楽に構えてなきゃやってられないだろ。お前も神経質になりすぎだよ」
それは自分もだけど、とは胸のうちで呟いて、レリックはクロスのフードに包まれた頭を軽く小突いた。
「仕方ないだろ。あんなに出回ってるとか思わねえし!」
カディスの街では、あちこちで勇者の似姿を見ることができた。他の街ではせいぜい、宿や酒場、人の集まる場所に掲示してあるのが普通で、本人を前にしてもすぐにわかる者は少なかった。しかし、ここカディスでは、町長の屋敷にたどり着くまでの間に両手では足りないくらいの似姿に出会うことになったのである。
銀の森に程近く、魔物被害に悩まされているとなれば、新しい勇者にかかる期待も相当なものがあることは想像に難くない。しかも勇者一行は王国軍を率いて魔物討伐にかかるという噂が王都から流れてきている。勿論、そう仕向けたのは王国軍であり勇者たちでもあるのだが、それによってカディスの期待は高まる一方であった。
「大丈夫だって、犯罪者じゃないんだからさ。堂々としていればいいだろ。むしろ必要以上によくしてくれるし、顔出ししてた方が得だと思うけどな」
どうせ目立っている訳だし、とは口の中で呟くにとどめた。やたらと顔を隠すクロスが目立っていないはずもなかったが、必死な様子の親友を思い、指摘するのはやめておく。
一方クロスは、レリックの言葉に不機嫌そうな表情を崩さないまま、フードを更に深く被りなおす。
「そんな気分じゃない」
勇者だと胸を張る気分にはなれないのだ、とクロスがごちる。
「……ああ、まぁその気持ちもわかるけどね」
肩を竦めて、レリックは同意を示す。
その原因にレリックは心当たりがあった。むしろ自分も同じ気持ちだと言ってもいい。
というのも、街に入ってすぐ別部隊から連絡があったのだ。王国軍より数日早く隣街ローディウスに到着した『白翼部隊』である。指揮官のガレオス大佐いわく、行軍は概ね順調であり魔物の妨害は思っていた程ではなかったという。当初の計画通り「城」に近づき総攻撃に向けての準備をする――その予定だった。
ところが勇者一行がカディスに到着する前日の夜、事件は起きた。
「まさか奇襲なんてね」
予想もしなかったよ、と軽い口調の割りにレリックの表情は険しい。
聞く所によると一昨日の夜に『黒鷺部隊』――魔物の城近辺に展開しているザラク率いる部隊が、奇襲攻撃を受けたというのだ。
全滅の事態は避けられたが、半数の兵を失ったらしい。
何より、精神的ダメージの方を思うとレリックは気分がふさぐ思いだった。彼らがどれだけ魔物の生態に精通していたかはわからない。メリルたちから生の声を聞いていた筈のクロスやレリックですら、衝撃を隠せないのだ。もし彼らがこれまでのようなただのケダモノ相手だとしか思っていなかったとすれば。
ガレオスは最後にこう結んでいた。
『最早こちらの動向は掴まれていると思った方がいいだろう』
撤退も攻撃も、クロスの判断にに委ねられている。しかし撤退などできないのが現状だ。いくら裁量があるとはいえクロス個人の判断ではない。王国軍としての判断、ひいては国としての判断となる。色々なしがらみの手前、下手な決断はできない。
「考えたら頭いてぇ。こんな格好悪いとこ連中に見せられないだろ」
だから隠れるしかない、とクロスは更にこそこそとした様子で通りを歩いていく。その不審すぎる態度が、余計注目を集めていることに本人だけがいまだ気づいていない。
「じゃあなるべく早いとこ宿に行こうか」
レリックは殊更軽い口調で相づちを打ちながら、思う。
選択肢がないことは、クロスもよくわかっているのだ。
撤退か攻撃かと問われたら、撤退を選ぶことはできない。だからこそもっともらしい"理由付け"にクロスは難儀しているのだろう。即ち、攻撃を選ぶ、自分と他人を納得させるだけの理由を。
ガレオスからの情報を聞いた時の、メリルの反応がレリックの脳裏に蘇る。
驚愕を隠し切れなかったレリックやクロスと違い、メリルは淡々としたものだった。軽く眉を顰めて、驚きよりも納得に近い表情を浮かべていた。メリルが見てきた「現実」は、彼女に納得しうるだけの材料を与えたのだろう。
それだけで、これまでの情報とメリルのそれがいかに隔てられているかがわかろうというものだ。
それを思えば尚更「撤退」でいいじゃないかとレリックは言いたくなる。どんな結果であれ、命がなくては意味がない。そう声高に叫ぶだけの勇気も力も、彼の親友は持ち得ているはずだ。
地面を見つめて黙々と歩く親友をみつめ、レリックは重い息をつく。
その決して逞しいとは言い難い双肩に、似合わない重荷が乗っているような気がした。
「予定通り、夜明けを待って開始する」
宿での簡素な食事の後、クロスはそう切り出した。
何を、などと聞く必要がないことはこの場の誰もがわかっていた。まだ片付いていない机の上、己のマグを手のひらで弄びながら、クロスは世間話でもするような口調で言う。
「幾つかの計画変更はあったけど、あちらの方は準備万端。おれ達も夜半すぎには移動するつもりだ。用意は大丈夫だよな?」
本来ならクロスたちが到着するより以前に行われるはずだった『白鷺部隊』による幾つかの作戦は、奇襲を受けたことにより中止となっていた。クロスの元にはその変更の旨と、ローディウスを発ち既に「城」近くで部隊を展開しているとの連絡がきている。こちらに駐留する王国軍も、夜半すぎには移動を開始する手筈である。
三人が力強く頷くのを見遣って、クロスはさらに言葉を重ねた。
「おれ達は本隊に合流する……予定では」
勇者一行と共に在った王国軍。ここにガレオスの騎兵隊『白鷺部隊』を加えたものが『本隊』だ。こちらも総指揮官はクロスであるが、事実上の指揮はガレオス大佐が執ることになっていた。
夜明け前には所定の場所に布陣し、攻撃に移る算段だ。
「けど、それじゃ味気ないだろ」
不意にクロスが意味ありげに笑った。
「は?」
レリックが何を言い出すとばかりに眉根を寄せた。
「だから考えたんだ。折角だから黒鷺の方に合流しようって」
『黒鷺部隊』は先の奇襲攻撃で痛手を負った部隊である。現在は、更なる攻撃を警戒して以前より少し離れた場所に布陣し、待機中との報告がきている。
「……確か、黒鷺は別行動じゃなかったっけ?」
彼らの元々の役割は諜報や工作である。今回の作戦でも、本隊の補佐が中心であった筈だ。以前聞いた計画を脳裏に浮かべ、レリックは首を傾げる。
勇者が軍部の補佐とは。軍と絡めばそれが現実なのだとは思うが、それではあまりにも外聞が良くない気もする。
「ああ。だから俺たちはそっちに入るんだ。一緒に、城内に」
「お前……」
嬉々として言うクロスに、レリックは二の句が継げなくなる。
つい先だって、どう判断すべきかと頭を悩ませていた相手と同一人物とは思えない態度である。
既に軍部との打ち合わせは終えているのだろうが、それにしてもあまりの吹っ切れようだ。感傷的な気持ちを返して欲しい、とレリックは思った。
「だが表面上は、おれ達は夜明け後しばらくして本隊に合流、ということにする」
「どういうこと?」
首を傾げるメリルに、クロスは口角を弓なりに上げ、非常に"悪い顔"をした。
周囲を憚り、声量を落として囁く。どう見ても悪巧みにしか見えないが、これはれっきとした会議である。
「おれ達の扮装をした兵士が、勇者も合流してると見せかけて本隊に加わるんだ。その間おれ達は、黒鷺部隊と一緒にこっそり城内に侵入する。中から引っ掻きまわして奴らの勢いを削ぐんだ」
侵入経路は調査済みだぜ、と語る顔は実に悪人面だ。とてもではないが勇者のする表情ではない。
「混乱を引き起こす……というのは建前だよね」
ため息をついてレリックが言う。
「ああ。騒擾なら黒鷺だけでも十分過ぎるだろ」
頷くクロスは口元に笑みを浮かべた。
「おれは、獲りにいくぞ」
気安い口調で言われたその言葉の意味に、メリルはさっと顔色を変えた。
動揺もあらわなその口から制止の言葉が出る前に、クロスはさらりと言う。
「元からそのつもりだろ、メリル、フレイ」
「当然!」
息巻いてフレイが宣言する。その双眸は興奮にきらきらと輝いている。
「……ええ、クロスの言う通り……」
機先を制されてしまったメリルは、そう頷くしかない。
クロスの言うことは事実でもある。そもそもの初めからメリルは仇討ちに来ているのだから。
もちろん、軍の方針にもクロスの方針にも逆らうつもりはない。だが、魔物と刺し違えてもという気持ちは確実に存在する。
「でもクロス、あなたはそんな、」
「おれは一応勇者だからな」
命を落とすことない、と続けようとしたメリルを遮り、クロスが笑う。
「代理の勇者だって今でも思ってるけどな。求められたらいつでも勇者は返上するさ……でも、今はまだ勇者だろ? 勇者が魔物を前に尻尾巻いて帰れる訳がない」
メリルをまっすぐ見つめたその青い目には、迷いの色は見受けられない。彼の言葉に嘘は含まれていなかった。
「おれはおれの大切なものを守る為に、魔物の首を取りにいく」
その覚悟に、メリルはクロスもまた『勇者』たる人物なのだと痛感する。彼が言うように、代理というのも間違いではないだろう。あまりにも早すぎた決定と展開が、それを裏付けている。けれどそれと同時に、勇者たる資質もまた彼は備えているのだ。
「まったく、なんだかんだ言ってクロスは勇者だよね」
メリルと同じことを思ったはずもないだろうが、レリックがため息をついてそんなことを言った。
「なんだよ、ここにきて逃げる気か?」
「逃げるわけないだろ、呆れてるんだよ。変なとこでカッコつけなんだからさ、単にメリルさんたちの仇討を手伝ってあげたいだけでしょ?」
「ばっ、馬鹿。違ぇよ! おれが倒したいんだよ! じいさんになってから孫に自慢できるだろーが!」
「孫って……女の子口説くことすらできないのに、そんな先の話」
「お前が口説きすぎなんだ! ってかそれ関係ないだろ、今!」
相変わらずの口喧嘩が始まる。それを眺めて、メリルは微笑んだ。
「メリル、今度は大丈夫だね」
こそりとフレイが囁いて寄越す。
「……え、何?」
「仲間がいる……きっと倒せる。帰れるよ」
メリルを見上げたフレイは、随分と大人びた表情をしていた。大きな栗色の瞳は、不思議と透明さを増して、戦いの先に待ち受ける全てを見通しているかのようだった。
フレイは覚悟を決めているのだ。
子供らしい幼さが薄れ、大人の顔が見え隠れしていた。フレイもまた、勇者の死を乗り越えることで"変わった"のだろう。
「そうね。皆で帰りましょう」
固い決意を込めて、メリルは呟いた。
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※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

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