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13-2.帰還

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「メリル・ファガード」

 不意に響いた声に、メリルは我に返る。
 ずしりとした重みのある声。さして大きな声ではなかったが、他を圧倒してその場に重く響いた。
 誰もが息を呑み、口を閉ざす。
 仰ぎ見る先には、玉座のロンギオンⅡ世。

「はい」

 居住まいをただし、メリルは頭を垂れる。

「よくぞ無事戻った。カディスからの道程、決して易くはなかっただろう。余はそなたらの働きに満足している。
……勝敗の行方は時の女神の掌、そなたらの責だけではない」

 ロンギオンⅡ世は、まずはそう労ったあと、言葉を継ぐ。

「実に興味深い報告であった。これで、余も確信がもてたぞ」

 僅かな間を置いて、低く呟かれた言葉。
 確信、とは何の。

「……は」

 思わずメリルは息を詰める。冷静さを取り繕おうとして、失敗した。

「魔法使い」

 ロンギオン二世の呼びかけに、大臣たちの後方に控えていた魔法使いの一団が動く。
 白い衣服に身を包んだ20人程の集団。目深に被ったフードのため、どの人物の顔もよくわからない。その中から、一人の魔法使いが静かに進み出た。
 足元まで覆う長い衣に、指先まですっぽりと隠れる広い袖。両肩から垂らされた青い布は、王室お抱えの魔法使いの証だ。他の魔法使いと目立った違いはみられない。
 痩せた体を低く屈め、深く腰を折る。体の前で組んだ両手を頭より高く掲げると、魔法使いの頭部は広い袖の向こうにすっかり隠れてしまった。

「この者は遠見の力を持つ。そうだな、キュステ」

 問われて、キュステと呼ばれた魔法使いはゆるゆると頭を上げた。
 それでも目深に被られたフードに遮られ、容貌は判然としない。僅かに覗く薄い唇が、うっすらと笑みのようなものを象った。

「仰せの通りにございます」

 落ち着いた、中性的な声。

「その目で見た事を再度申せ」

 促されて、キュステは再び頭を下げると、恭しく語りだす。

「人とよく似た形の魔物が、龍を駆る姿が見えました。天空を幾つもの巨大な龍が飛翔し、その下には漆黒の城と不毛の土地。そこには数多の魔物が集い、血の饗宴を繰り広げております」

 答える声には淀みがない。まるで今しがたその光景を見てきた、と言わんばかりのその口調。
 メリルは息を呑む。
 人に似た魔物と言った。それは先だっての戦いでメリルたちが直面した現実に他ならない。そして、たったいま報告したばかりの、事実。

「そしていまひとつは、巨大な岩山」

 びくり、とメリルの肩が強張った。

「真紅の魔物、その足元に横たわるは白金の髪の若者――」
「っ!!」
「嘘だ!」

 馬鹿なと叫びかけたメリルの背後で、フレイが絶叫する。

「違う! スノウは……違うっ」

 幼い顔を今にも泣き出しそうに歪めて、フレイは首を振り続ける。
 その取り乱した様子に、メリルははたと我に返った。
 知らず呼吸を止めていたことに気付き、密かに深呼吸をする。
 冷静にならなければ。
 ここに戻ったのは、打ちのめされて泣くためではないのだから。

「フレイ、落ち着いて。陛下の御前よ」

 だから、フレイの肩にそっと手を置いて宥めようとした。
 その手は、予想もしない激しさで弾かれる。
 メリルをまっすぐ射抜いたフレイの目は、燃えるように激しい。
 怒り。焦り。
 飾ることのない一途なその感情が、メリルの胸を抉った。

「――申し訳ありません、陛下」

 一呼吸置いて、大人びた口調でフレイが謝罪した。

「いや、よい。そなたには、辛すぎたかもしれぬ」

 ロンギオンⅡ世は言って、深く息をついた。

「余はこの遠見を7日前に聞いたのだ。俄かには信じがたい話だったが、こうしてそなたらの報告をきくとそうもいっておれぬようだ」

 王の合図で、大臣が進み出る。
 緊張した面持ちで手にした羊皮紙の巻物を解く。

「審議の結果、5代目勇者スノウ・シュネーは殉死と認定。その功を称え爵位と報奨金――」
「お、お待ちください!」

 咄嗟にメリルは口を挟む。
 本来ならば許されない行為だったが、それを気にする余裕はない。
 確かにスノウが生きている可能性は低い。だがその遺体も確たる証拠も確認しないうちに、こんなに早く「殉死」にされてしまうとは。
 反面、仕方ないと思う気持ちもある。だが心が付いていかない。冷静な部分では確かに理解しているのに、心がうまく理解できないでいる。
 内心の葛藤に躊躇いが生まれる。勢い込んで言ったものの、言い淀んだ。

「まだそうと決まった訳では」
「決まったも同然でしょう」

 メリルのぎこちない訴えを遮ったのはメヌキア公だった。

「魔法使いの言葉もさることながら、勇者が捕えられたということが何よりの証ではありませんかな」
「――ですが、生きてます!」

 力強く反論したのはフレイだった。
 メリルを押しのけるような勢いで叫ぶ。
 メヌキア公の目が僅かに細められた。

「魔物の特性は、一番わかっておられるだろう。魔物は狂暴にして残忍、捕えられた勇者がいつまでも無事でいると?」

 無事なはずはない。
 これまで散々染みついてきた戦いの記憶が、冷静にメリルに宣告する。

「生きてるにきまってる。スノウが、スノウが死ぬはずなんかないんだ!」

 拳をぎゅっと握り、フレイは力強く言い切る。
 魔物がどんなものか、フレイにわからないはずはなかった。それでも、自分に言い聞かせるように、支えにするように、フレイは言う。

「信じたい気持はわかる。だが現実は受け止めねばならん。そなたは、本当は勇者の死の報告にきたのだろう」

 憐れむようなメヌキア公の眼差しが、メリルを捕える。
 ずきりと胸が痛んだ。
 そうだ。
 救援なんて、口実。
 仮に要望が通ったとしても、援軍を率いて再びあの城に戻る気など、メリルにはなかった。
 あの城にあっては、半端な援軍など無意味。無駄な屍を増やすだけ。
 救出は難しく、かといって自分ひとりで死ぬ訳にもいかない。
 だからメリルは「救援のために」と嘘をついた。フレイを、あの場から帰途につかせるために。
 ことの全てを誰かに委ね、フレイの身を安全なところに委ねよう、そう思った。
 それでメリルの責務は終わる。ほんの一部ではあるけれど。

「嘘……だってメリルは、スノウを助けるために、援軍を」
「……勇者さまはきっともう、生きていない」
「メリル!」

 フレイが悲鳴に似た声を上げる。

「あの状況では……もう無理よ。わかってるでしょう」

 罪悪感にきりきりと胸を締め付けられながら、メリルは言う。
 フレイはメリルから視線をそらし、大理石の床に視線を落とした。悔しげに歪んだ唇は小刻みに震え、顔色は青さを通り越して白い。

「……っうそつき」

 苦しげに、フレイの唇から洩れる。
 予期していた筈の非難に、メリルの胸に痛みが走った。わかっている。こんなものでは済まない。
 フレイには、メリルを糾弾する権利がある。メリルはその全ての糾弾を受けなければならない。
 わかってはいたが、ほんの少しの短い言葉だけでメリルの胸は押しつぶされそうだった。
 フレイの顔がまともに見られず、視線を外して押し黙った。
 重苦しい沈黙が両者の間に流れ、大臣は慌てたように文面を読み上げ始める。
 報奨金の額。支給先。勇者の葬儀から埋葬に至るまでを滔々と読み上げ、最後に言った。

「――よって、これに新たな勇者を選任、6代目勇者としてクロス・エセルを任命するものとする」

 つかの間、時間が止まる。

「な……」

 声が出ない。
 6代目の、勇者?
 メリルは呆然と大臣を仰ぐ。役目を終えた大臣は、ちらりと憐れむようにメリルを一瞥し、羊皮紙を元通り巻き直してするすると下がっていった。

「勇者……?」

 フレイがぽつりと呟く。

「そんな」

 意味もなく喚きたい衝動を、メリルはどうにか飲み下す。
 報告に戻っただけのつもりだった。誰かに役目を押し付けて、後はどうなっても関係ない。
 勇者の死の可能性は、いずれ次代の勇者の選出へと繋がるだろう。
 だがそれは、メリルには関係のない話の筈だった。
 次代の勇者の選出の時、メリルは既にいない、そのつもりだった。
 スノウ以上の勇者など、考えられなかったから。
 スノウはメリルにとって尊敬できる唯一の勇者。
 だから。
 責務を誰かに託して、そのまま単身とって返すつもりだった。
 救出など愚か。犬死など愚か。けれど、愚かだと分かっても止められない。救出できないのならせめて殉死したいと。
 なのに、これはどういうことだろう。
 この場で次の勇者の名を聞く事になろうとは、思ってもいなかった。
 勇者が戻らないと報告したこの場で、新たな勇者が用意されていようとは。
 ぎこちなく視線を彷徨わせるメリルに、ロンギオンⅡ世が優しく告げる。

「案ずることはない。そなたに仇討ちの機会をやろう」
「仇……」

 空回りする思考で、言葉を反芻した。状況をうまく処理できないでいる「勇者の仲間」たちの前で、事態は着々と進んでいく。
 幾人かの兵士が動いた。は、と視線を転じると入口の扉がゆっくりと開くところだった。
 その先には、見慣れない人影がある。
 大臣や兵士たちとは違い、正装らしい正装もしていない。貧しさはないが、至って簡素な服をまとった青年。
 自分たちと大差ないその装いに、メリルの中で予感がむくりと首をもたげた。

「勇者クロス・エセルとともに、カディスへと向かえ」

 ロンギオンⅡ世が声高に告げる。
 見慣れないその青年が、深々と腰を折った。


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