31 / 81
22.祭礼 ※番外 バレンタインネタ
しおりを挟む
勢いよく開いた扉から、ただいまあと暢気な声が飛び込んでくる。
次いでよろめきつつ入ってきた姿をクロスは胡乱そうに眺めやった。
「遅かったな」
夕食は先に食ったぞ、とクロスは机の上に頬杖をつき、不機嫌を露にして言う。そんなクロスの状態に気づかないはずはなかったが、今しがた戻ってきた彼の親友は締まらない笑みを浮かべた。
「ああ、よかったよ。僕はこの事態だからね……夕食はちょっと入らないかも」
手にしていたバスケットを抱え直しながら言うのは、照れ笑いを浮かべたレリックだ。
見慣れないものの出現に、クロスは軽く目を瞠る。
「どうしたんだよ。まさかソレ買ったのか?」
彼らがいるのは、銀の森に点在する小さな街のひとつである。そこで食糧の補給と、一晩の宿を借りることになり、尉官を含めた数名は「情報収集」と称して街に散らばっていた。
当然ながらクロスとレリックもその中のひとりであり、揃って酒場に出かけていた。しかし一通りの情報を集め終えたクロスが宿に戻る頃になって、レリックの姿が見えなくなった為、クロスだけが先に宿に帰ってきたのである。
よって、クロスのレリックに対する感情は心配よりも怒りの方が多い。尋ねる声は自然キツいものになる。真面目に情報を集めていた時に暢気に買物していたのかと思うと、胸の中は穏やかではない。
クロスの尖った声に臆する様子もなく、レリックは首を振って言った。
「違う違う、酒場で貰ったんだよ」
お前貰わなかったの、とレリックは逆に問い返してさえきた。そしてバスケットの中に手を突っ込むと、なにやら取り出した。
きつね色の焼き目のついた、楕円形をしたパイだ。薄くのばされた生地が幾重にも重ねられ、上部には細長い生地が編み目のように重ねられていた。その隙間から覗くのは蜜色に輝くジャムだ。スライスされた果物が蜜色のジャムの中に浮かんでいる。
それは満腹だったはずのクロスの目にも、ひどく美味しそうに映った。うっかり生唾を飲んでしまいそうになる。
「貰ったって……なんで」
王国軍は基本的に何処の町でも歓待されていた。物々しい雰囲気を纏っているとはいえ自国の兵士である。一時的ではあるが治安はマシになるし、宿場も商店もそれなりに潤う。特に銀の森にある街にとっては、大事な「客」であった。主な流通は旅人か行商人の類しかない彼らにとって、一度に大量の金貨を落としてくれる王国軍の存在はありがたいのである。
「今祭りやってるんだってさ。豊穣祈願の祭り」
「祭り……」
「よく知らないけど、なんでも親しい人にパイを贈る慣わしらしいよ、恋人とか家族とか」
「……じゃーなんでお前はそんなに……」
ここはお前の地元じゃないよな、と幼馴染でもあるクロスの一言に、レリックは軽く頷く。
「意中の人にも贈るらしいよ。女の子が好きな男に」
「……はぁ?」
「いやーいいよね。頬を染めた乙女にさあ、『食べてください』なんて渡されるんだよ? 女の子たちの可愛いことったら。この祭り最高だよね」
「ちょっと待て」
うっとりと話すレリックの肩を鷲づかみ、クロスは押し殺した声で尋ねる。
「お前こんなに……どうすんだ、返事はしたのか!」
クロスの大真面目な眼差しに、レリックは軽薄な様子でひらひらと手を振った。
「大丈夫、これ本気のアレとかじゃないんだってば。言っただろ、家族や親しい人にも贈るんだよ。見せてもらったけど、本気のパイなんてもの凄いスケールと盛り具合だったよ」
あの重さは愛に比例するね、と訳知り顔でレリックは頷いている。
「わかったかい? つまりこれは親愛の証ってやつだよ」
「何の情報収集に行ってきたんだ、お前は……」
クロスが額を押さえて天井を仰ぐ。
「失礼だな。仕事はちゃんとしてるだろ。……というか、他の皆さんも貰ってたけどね。何でお前は一個も貰ってないの」
そっちの方が不思議だとレリック。
「え?」
「あの堅物っぽい中尉……名前忘れたけど、あの人ですら2、3個貰ってたぞ。あの人照れ屋なんだな、厳しい顔して受け取ってたけど顔赤いからさ、もう丸わかりで」
バスケットに詰められたパイをひとつひとつ取り出しながらのレリックの台詞だ。
「みんな貰ってたからさあ。てっきりお前も貰ってるもんだとばかり……そういえばメリルさんたちは? お前夕食一緒だったの?」
夕食後じゃ食べないよなあ、とレリックはパイの行方に頭を悩ませている。
嬉しそうに困っているその問いかけには答えず、クロスはレリックの動作を眺めながら考える。
レリックの話から察するに「情報収集」に出た面々はほぼ貰ってるようだ。親愛の証というなら、酒場以外の場所でも貰っている可能性は高い。先ほど買物にでかけたフレイやメリルはともかくとして、案外他の兵士たちも貰っているかもしれなかった。
ただ一人、六代目勇者だけを除いて。
「……え?」
呆然と、クロスは呟いた。
思わぬ出来事にクロスが衝撃を受けていた頃。
メリルは街で食糧の補給に勤しんでいた。行軍はもうしばらくかかる。食料自体は王国軍で支給されるが、嗜好品や一部の備品などは自分で調達する必要があった。
「パイ売ってるよ」
弾んだ声にメリルが振り向くと、屋台に平積みされたパイを眺めるフレイが目に入った。
「そうね、パイを専門に売ってるなんて珍しい……でもさっきご飯食べたばかりよ」
夕食が足りなかったかとといかければ、フレイは首を振る。
「けどすごく美味しそうな匂いがして……」
一個くらいなら、とフレイ。
それに苦笑してメリルは屋台に視線を向ける。よくみればそこかしこにパイを売る店が目立つ。パイのみの店は少ないが、衣服を売るような店でも何故か店頭にパイがある。
振り返れば宿の入り口でもパイを売っていたことを思い出し、メリルは首を傾げた。
「あちこちで売ってるのね、不思議……」
この町の特産品かと思ったが、それにしては規模が大きい。旅人がそう多いはずもないだろうし、これだけの量を毎日消費するとは考えにくい。
そんなメリルの独り言を耳にしたらしい店主が、にこにこしながら教えてくれた。
曰く、祭礼の時期に当たり、親しい間柄でパイを贈る風習があると。
「昔は手作りが多かったんだけどねぇ。最近は買って渡す人も多くなったね」
お姉さんもどうだい、と店主が店頭のパイを示して言う。
「いえ、私は……」
祭りの雰囲気は嫌いではないが、今はそんな気分ではなかった。何よりこの先に待っているのは魔物との戦い。「いま」はそうでないとはいえ、祭りを楽しむだけの余裕はない。
言葉を濁すついでに彷徨った視線が、積まれたパイと凝ったディスプレイに留まる。ありがちな謳い文句がメリルの気を引いた。
「親愛の、証……」
真っ先に思い浮かんだのは、メリルに背を向けて佇む青年の姿だ。白金の髪を揺らし、視線は常にここではない遠くを見つめていた。憧れてやまなかった、彼。
けれど、贈りたいと描いたのは凛々しい姿ではなく。
メリルは思わず口元を緩ませた。
「……ばかね」
もう、相手はいないというのに。
ふとメリルが顔をあげると、フレイと目が合った。その栗色の瞳の中に気遣わしげな光をみつけて、メリルは慌てて笑みを拵える。
「少しくらいなら悪くないわね。フレイ、食べる?」
問いかけに、フレイはそれこそ首が折れそうな勢いで頷いた。
メリルとフレイが宿に戻ると、パイを頬張るレリックの姿があった。
夕食時にはいなかったから、恐らくそのパイが彼の夕食代わりなのだろう。
「レリック、それ……」
「酒場でおすそ分けして頂きまして」
よかったらどうですか、とレリックが机の上のバスケットを引き寄せる。
中には「ぎっしり」という表現がぴったりなほどに詰め込まれたパイ。どうみても「おすそ分け」のレベルではない。
若干引き気味にバスケットを見遣ったメリルが視線を転じると、レリックの向かいの席で突っ伏しているクロスが目に入った。
「クロス?」
メリルは思わず驚きの声を上げる。
普段が明るく快活なクロスである。その彼がいまや別人のように暗い表情を晒していた。テーブルに頭を載せたまま、脇に置かれたカップにどんよりとした視線を注いでいる。
「どうしたの?」
直接尋ねるのは憚られて、メリルはレリックに問いかけた。
レリックはそれに軽く肩を竦めて、
「一過性のものですから大丈夫です。明日にはけろりとしてますよ」
と、無駄に爽やかな笑みを閃かせた。そのきらきらしい笑顔に、メリルは思わず瞬きを繰り返す。レリックが爽やか青年なのはいつものことだが、今日はそれに磨きがかかっているようだ。
「? そ、そう? ならいいけれど……」
メリルは自分の目をこすりつつ、あまり大丈夫そうでもないクロスを心配げに見遣る。
「わあ、美味しそう」
一方、フレイは無邪気に喜んでバスケットの中を覗いている。
「どれでも好きなのを食べていいよ」
「ほんと? このパイ食べていい?」
はしゃぐフレイと、相変わらず爽やかな笑みを浮かべているレリックの微笑ましい光景を眺め、メリルはぼんやりと「平和だなあ」と思う。
「あ、そうだ。その前にこれがあったんだ」
フレイが思い出したように自分の荷物から紙袋を取り出した。
「あれ、フレイも誰かから貰ったの?」
レリックの声に、それまで一切無反応だったクロスが反応した。暗く沈んだ視線を、軋む音が聞こえそうなほどの動きでフレイに向ける。正確には、フレイの手に現れたパイに。
フレイはそんなクロスに気づかず、無邪気に笑う。
「うん、メリルがくれたんだ」
「そうだわ、二人にも。手作りじゃなくて申し訳ないけど」
メリルは何やら不穏な空気を感じ取り、慌てて荷物からパイを取り出した。何故か迅速に対応したほうがいい気がした。理由はわからない。
紙袋に包まれたパイをそれぞれに渡す。店主の気遣いで紙袋の口にはリボンがかけられていた。
「ありがとうございます。お気を遣わせてしまって……」
レリックが爽やかさ3割り増しで礼を述べれば、
「……あ、うわ、わぁ、いいのか? ありがとう……ありがとう、メリル!」
クロスは感動が3割り増しになっていた。
「あの、そんな大したものでもないから……」
店で買っただけだし、とメリルが言うと、クロスは先ほどの暗さが嘘のように生き生きとした表情で首を振る。
「いや! 気持ちが嬉しいんだ! メリルの優しさがもうほんと! このパイの半分以上はメリルの優しさでできてるんじゃないかってくらい、ほんとマジで感動!」
何やらよくわからないことを喚いている。
頭のねじが飛んだんじゃないかしら、とメリルは冷静に失礼な心配をする。
そして嬉しさが突き抜けてどこかにいってしまった親友を、レリックもまた冷静に眺めて言う。
「大丈夫、明日になればけろりとしてます」
パイ頂きます、とレリックはメリルの渡したパイを早速口に運ぶ。
「美味しい」
レリックがメリルに微笑む。うん、とレリックの隣でフレイもパイを頬張り笑う。
メリルは胸の中がほんのり暖かくなるのを感じた。
まるで死んだように冷たくなっていた胸の中が、温かい熱で満たされていく。
手作りすればよかったな、とメリルは思う。
そんな時間も余裕もないのはわかっていたが、心底そう思った。
誰かがこうして笑ってくれるなら。
翌日。
さんざんパイを食べたおかげで、レリックはもとよりメリルやフレイまでが軽い胸やけを起こしていた。
バスケットの中にはまだパイが残っていたが、手をつける気にならない。
「非常食確保ー!」
一人元気なクロスだけが、宣言するなりパイをざくざくと自分の荷物に詰め始める。レリックもさすがに止める気にはならないらしく、むしろ無駄になるよりはと手伝っている。
「これで3日はパイでいけるな!」
そう嬉しそうに言うクロスを前に、仲間たちはぐったりと肩を落とす。
「もうパイは見たくないな……」
遠い目をして、レリックが小さく呟いた。
次いでよろめきつつ入ってきた姿をクロスは胡乱そうに眺めやった。
「遅かったな」
夕食は先に食ったぞ、とクロスは机の上に頬杖をつき、不機嫌を露にして言う。そんなクロスの状態に気づかないはずはなかったが、今しがた戻ってきた彼の親友は締まらない笑みを浮かべた。
「ああ、よかったよ。僕はこの事態だからね……夕食はちょっと入らないかも」
手にしていたバスケットを抱え直しながら言うのは、照れ笑いを浮かべたレリックだ。
見慣れないものの出現に、クロスは軽く目を瞠る。
「どうしたんだよ。まさかソレ買ったのか?」
彼らがいるのは、銀の森に点在する小さな街のひとつである。そこで食糧の補給と、一晩の宿を借りることになり、尉官を含めた数名は「情報収集」と称して街に散らばっていた。
当然ながらクロスとレリックもその中のひとりであり、揃って酒場に出かけていた。しかし一通りの情報を集め終えたクロスが宿に戻る頃になって、レリックの姿が見えなくなった為、クロスだけが先に宿に帰ってきたのである。
よって、クロスのレリックに対する感情は心配よりも怒りの方が多い。尋ねる声は自然キツいものになる。真面目に情報を集めていた時に暢気に買物していたのかと思うと、胸の中は穏やかではない。
クロスの尖った声に臆する様子もなく、レリックは首を振って言った。
「違う違う、酒場で貰ったんだよ」
お前貰わなかったの、とレリックは逆に問い返してさえきた。そしてバスケットの中に手を突っ込むと、なにやら取り出した。
きつね色の焼き目のついた、楕円形をしたパイだ。薄くのばされた生地が幾重にも重ねられ、上部には細長い生地が編み目のように重ねられていた。その隙間から覗くのは蜜色に輝くジャムだ。スライスされた果物が蜜色のジャムの中に浮かんでいる。
それは満腹だったはずのクロスの目にも、ひどく美味しそうに映った。うっかり生唾を飲んでしまいそうになる。
「貰ったって……なんで」
王国軍は基本的に何処の町でも歓待されていた。物々しい雰囲気を纏っているとはいえ自国の兵士である。一時的ではあるが治安はマシになるし、宿場も商店もそれなりに潤う。特に銀の森にある街にとっては、大事な「客」であった。主な流通は旅人か行商人の類しかない彼らにとって、一度に大量の金貨を落としてくれる王国軍の存在はありがたいのである。
「今祭りやってるんだってさ。豊穣祈願の祭り」
「祭り……」
「よく知らないけど、なんでも親しい人にパイを贈る慣わしらしいよ、恋人とか家族とか」
「……じゃーなんでお前はそんなに……」
ここはお前の地元じゃないよな、と幼馴染でもあるクロスの一言に、レリックは軽く頷く。
「意中の人にも贈るらしいよ。女の子が好きな男に」
「……はぁ?」
「いやーいいよね。頬を染めた乙女にさあ、『食べてください』なんて渡されるんだよ? 女の子たちの可愛いことったら。この祭り最高だよね」
「ちょっと待て」
うっとりと話すレリックの肩を鷲づかみ、クロスは押し殺した声で尋ねる。
「お前こんなに……どうすんだ、返事はしたのか!」
クロスの大真面目な眼差しに、レリックは軽薄な様子でひらひらと手を振った。
「大丈夫、これ本気のアレとかじゃないんだってば。言っただろ、家族や親しい人にも贈るんだよ。見せてもらったけど、本気のパイなんてもの凄いスケールと盛り具合だったよ」
あの重さは愛に比例するね、と訳知り顔でレリックは頷いている。
「わかったかい? つまりこれは親愛の証ってやつだよ」
「何の情報収集に行ってきたんだ、お前は……」
クロスが額を押さえて天井を仰ぐ。
「失礼だな。仕事はちゃんとしてるだろ。……というか、他の皆さんも貰ってたけどね。何でお前は一個も貰ってないの」
そっちの方が不思議だとレリック。
「え?」
「あの堅物っぽい中尉……名前忘れたけど、あの人ですら2、3個貰ってたぞ。あの人照れ屋なんだな、厳しい顔して受け取ってたけど顔赤いからさ、もう丸わかりで」
バスケットに詰められたパイをひとつひとつ取り出しながらのレリックの台詞だ。
「みんな貰ってたからさあ。てっきりお前も貰ってるもんだとばかり……そういえばメリルさんたちは? お前夕食一緒だったの?」
夕食後じゃ食べないよなあ、とレリックはパイの行方に頭を悩ませている。
嬉しそうに困っているその問いかけには答えず、クロスはレリックの動作を眺めながら考える。
レリックの話から察するに「情報収集」に出た面々はほぼ貰ってるようだ。親愛の証というなら、酒場以外の場所でも貰っている可能性は高い。先ほど買物にでかけたフレイやメリルはともかくとして、案外他の兵士たちも貰っているかもしれなかった。
ただ一人、六代目勇者だけを除いて。
「……え?」
呆然と、クロスは呟いた。
思わぬ出来事にクロスが衝撃を受けていた頃。
メリルは街で食糧の補給に勤しんでいた。行軍はもうしばらくかかる。食料自体は王国軍で支給されるが、嗜好品や一部の備品などは自分で調達する必要があった。
「パイ売ってるよ」
弾んだ声にメリルが振り向くと、屋台に平積みされたパイを眺めるフレイが目に入った。
「そうね、パイを専門に売ってるなんて珍しい……でもさっきご飯食べたばかりよ」
夕食が足りなかったかとといかければ、フレイは首を振る。
「けどすごく美味しそうな匂いがして……」
一個くらいなら、とフレイ。
それに苦笑してメリルは屋台に視線を向ける。よくみればそこかしこにパイを売る店が目立つ。パイのみの店は少ないが、衣服を売るような店でも何故か店頭にパイがある。
振り返れば宿の入り口でもパイを売っていたことを思い出し、メリルは首を傾げた。
「あちこちで売ってるのね、不思議……」
この町の特産品かと思ったが、それにしては規模が大きい。旅人がそう多いはずもないだろうし、これだけの量を毎日消費するとは考えにくい。
そんなメリルの独り言を耳にしたらしい店主が、にこにこしながら教えてくれた。
曰く、祭礼の時期に当たり、親しい間柄でパイを贈る風習があると。
「昔は手作りが多かったんだけどねぇ。最近は買って渡す人も多くなったね」
お姉さんもどうだい、と店主が店頭のパイを示して言う。
「いえ、私は……」
祭りの雰囲気は嫌いではないが、今はそんな気分ではなかった。何よりこの先に待っているのは魔物との戦い。「いま」はそうでないとはいえ、祭りを楽しむだけの余裕はない。
言葉を濁すついでに彷徨った視線が、積まれたパイと凝ったディスプレイに留まる。ありがちな謳い文句がメリルの気を引いた。
「親愛の、証……」
真っ先に思い浮かんだのは、メリルに背を向けて佇む青年の姿だ。白金の髪を揺らし、視線は常にここではない遠くを見つめていた。憧れてやまなかった、彼。
けれど、贈りたいと描いたのは凛々しい姿ではなく。
メリルは思わず口元を緩ませた。
「……ばかね」
もう、相手はいないというのに。
ふとメリルが顔をあげると、フレイと目が合った。その栗色の瞳の中に気遣わしげな光をみつけて、メリルは慌てて笑みを拵える。
「少しくらいなら悪くないわね。フレイ、食べる?」
問いかけに、フレイはそれこそ首が折れそうな勢いで頷いた。
メリルとフレイが宿に戻ると、パイを頬張るレリックの姿があった。
夕食時にはいなかったから、恐らくそのパイが彼の夕食代わりなのだろう。
「レリック、それ……」
「酒場でおすそ分けして頂きまして」
よかったらどうですか、とレリックが机の上のバスケットを引き寄せる。
中には「ぎっしり」という表現がぴったりなほどに詰め込まれたパイ。どうみても「おすそ分け」のレベルではない。
若干引き気味にバスケットを見遣ったメリルが視線を転じると、レリックの向かいの席で突っ伏しているクロスが目に入った。
「クロス?」
メリルは思わず驚きの声を上げる。
普段が明るく快活なクロスである。その彼がいまや別人のように暗い表情を晒していた。テーブルに頭を載せたまま、脇に置かれたカップにどんよりとした視線を注いでいる。
「どうしたの?」
直接尋ねるのは憚られて、メリルはレリックに問いかけた。
レリックはそれに軽く肩を竦めて、
「一過性のものですから大丈夫です。明日にはけろりとしてますよ」
と、無駄に爽やかな笑みを閃かせた。そのきらきらしい笑顔に、メリルは思わず瞬きを繰り返す。レリックが爽やか青年なのはいつものことだが、今日はそれに磨きがかかっているようだ。
「? そ、そう? ならいいけれど……」
メリルは自分の目をこすりつつ、あまり大丈夫そうでもないクロスを心配げに見遣る。
「わあ、美味しそう」
一方、フレイは無邪気に喜んでバスケットの中を覗いている。
「どれでも好きなのを食べていいよ」
「ほんと? このパイ食べていい?」
はしゃぐフレイと、相変わらず爽やかな笑みを浮かべているレリックの微笑ましい光景を眺め、メリルはぼんやりと「平和だなあ」と思う。
「あ、そうだ。その前にこれがあったんだ」
フレイが思い出したように自分の荷物から紙袋を取り出した。
「あれ、フレイも誰かから貰ったの?」
レリックの声に、それまで一切無反応だったクロスが反応した。暗く沈んだ視線を、軋む音が聞こえそうなほどの動きでフレイに向ける。正確には、フレイの手に現れたパイに。
フレイはそんなクロスに気づかず、無邪気に笑う。
「うん、メリルがくれたんだ」
「そうだわ、二人にも。手作りじゃなくて申し訳ないけど」
メリルは何やら不穏な空気を感じ取り、慌てて荷物からパイを取り出した。何故か迅速に対応したほうがいい気がした。理由はわからない。
紙袋に包まれたパイをそれぞれに渡す。店主の気遣いで紙袋の口にはリボンがかけられていた。
「ありがとうございます。お気を遣わせてしまって……」
レリックが爽やかさ3割り増しで礼を述べれば、
「……あ、うわ、わぁ、いいのか? ありがとう……ありがとう、メリル!」
クロスは感動が3割り増しになっていた。
「あの、そんな大したものでもないから……」
店で買っただけだし、とメリルが言うと、クロスは先ほどの暗さが嘘のように生き生きとした表情で首を振る。
「いや! 気持ちが嬉しいんだ! メリルの優しさがもうほんと! このパイの半分以上はメリルの優しさでできてるんじゃないかってくらい、ほんとマジで感動!」
何やらよくわからないことを喚いている。
頭のねじが飛んだんじゃないかしら、とメリルは冷静に失礼な心配をする。
そして嬉しさが突き抜けてどこかにいってしまった親友を、レリックもまた冷静に眺めて言う。
「大丈夫、明日になればけろりとしてます」
パイ頂きます、とレリックはメリルの渡したパイを早速口に運ぶ。
「美味しい」
レリックがメリルに微笑む。うん、とレリックの隣でフレイもパイを頬張り笑う。
メリルは胸の中がほんのり暖かくなるのを感じた。
まるで死んだように冷たくなっていた胸の中が、温かい熱で満たされていく。
手作りすればよかったな、とメリルは思う。
そんな時間も余裕もないのはわかっていたが、心底そう思った。
誰かがこうして笑ってくれるなら。
翌日。
さんざんパイを食べたおかげで、レリックはもとよりメリルやフレイまでが軽い胸やけを起こしていた。
バスケットの中にはまだパイが残っていたが、手をつける気にならない。
「非常食確保ー!」
一人元気なクロスだけが、宣言するなりパイをざくざくと自分の荷物に詰め始める。レリックもさすがに止める気にはならないらしく、むしろ無駄になるよりはと手伝っている。
「これで3日はパイでいけるな!」
そう嬉しそうに言うクロスを前に、仲間たちはぐったりと肩を落とす。
「もうパイは見たくないな……」
遠い目をして、レリックが小さく呟いた。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-
ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。
自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。
そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。
安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。
いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して!
この世界は無い物ばかり。
現代知識を使い生産チートを目指します。
※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる