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18.勇者たちの事情

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 赤く、暗い夜の気配を帯びていく空。
 風に揺れる木々が刻一刻と闇に塗り潰されていく。けたたましい鳴き声と共にねぐらへと飛んでいくのは漆黒の野鳥の群れだ。

「この辺りはもう銀の森プラータ・セルバですか?」

 列を成して飛んでいく野鳥の影を目で追いながら、尋ねるのはレリックである。
 首の半ばまで伸ばされた、濃い茶色の髪。暮れゆく空を見つめる双眸は、メリルのそれより幾分暗めの翡翠だ。戦場とは無縁そうな、端的に言えば女性受けしそうなその穏やかな容姿を目に留めて、メリルは同じように空を仰ぎながら答える。

「いいえ、まだね。もうすぐ近くだとは思うけれど」 
「へえ、そうなのか。どこでわかるんだ?」

 メリルの言葉に身を乗り出して反応したのは、クロスである。
 癖のある亜麻色の髪に、青い双眸。その色彩にメリルは一瞬の痛みを覚える。それはクロスに対して失礼なことだとわかっていたから、メリルは思案する様子を装いつつ答えた。

「そうね……なんとなくの雰囲気と、あと街道の具合かしら。銀の森に入ると、割と荒れ方が酷いの」

 わかりにくいかもね、とメリルは付け足して、木立の向こうに見える街道を指差した。
 そこは彼らがついさっきまで歩いていた街道である。綺麗にならされた路面に、道の左右に並べられた縁石。一見すればごく一般的な街道の姿ではあるが、よくみれば石はところどころ欠けて崩れ、路面もちらほらと草の侵食を受けている。
 それもそのはず、ここは旧街道なのだ。
 この先にひろがる森が、まだ銀の森と呼ばれていなかった頃に利用されていた街道だ。
 銀の森の拡大によって人の往来が減少し、更に大街道が整備されたことで、半ば打ち捨てられた格好になってしまった。
 銀の森は、国土の実に半分を占める大森林である。元々はコーダ山脈の裾野に広がる森林のことを指していたのだが、そこが危険な場所だったこともあり、いつしか「危険区域」という意味合いを持つようになった。そのため、魔物の出没するような危険な森はすべて銀の森に分類されるようになったのだ。
 だが危険区域とはいえ、そこには元々の人々の生活が存在している。街や村ごと移住させるわけにも行かず、結局は銀の森の中に街や村が点在しているのが現状である。そうして行われたのが大街道の整備であった。
 銀の森に至るまでの大街道をさらに延ばし、森の中に点在する街と村をつないだ。比較的安全と思われる箇所を選び森を拓いていったために、大街道はぐねぐねと曲がり、ともすれば目的地まで倍の日数がかかる場合もある。
 カディスもまた、そういった街のひとつであった。
 本来の銀の森により近い位置にあるため整備がままならず、大街道を利用すれば一月の道のりが一月半かかることになる。
 そのため、カディスを目指すメリルたち勇者一行と王国軍は、敢えて旧街道を進んでいた。
 王都バルカイトを発ったのは、一週間ほど前のことだ。勇者を総指揮官とした王国軍は、東に進路をとり大街道沿いに幾つかの街を経由して、銀の森を前に旧街道へと移行することとなった。
 そうして、うら寂しい旧街道を進む王国軍が、野営の合図をしたのがつい先ほどのことだった。殆ど人の往来のない旧街道だからと、兵士の大半は街道の上に野営の準備を始める。木立の間に灯る幾つものあかりは、街道から溢れた兵士たちだろう。
 クロスを含めた勇者一行もまた、小さな焚き火を前に軽めの晩餐を開いたところであった。
 街道に場所がなかったわけではなかったが、敢えて木立の中を選んだのだ。その理由は幾つかあったが、理由はどうあれ少なくともこの方がメリルにとっては気が楽だった。

「荒れ具合ですか……ここも結構荒れてるとは思いますが……」

 首を傾げてレリックが呟く。木々の向こうの街道を見渡す。大街道に比べれば、荒れていると思っても無理はない。

「あくまでも私の感覚だから。人によって感じ方は違うと思うわ」

 確かフレイはもっと違うことを言っていた気がする、と思い返して、メリルはふと隣に視線をやる。
そこにはいつもいるはずの少年の姿はない。泳いだ視線が捕えたのは、傍の木に立てかけられた荷物だけである。
 勿論メリルのものではなく、持ち主は奥の暗がりの中だ。
 メリルがそっと窺う先、乱立する木々の奥に細い人影が見えた。単独行動は避けるのが常識だが、フレイはこの場にいることが耐えられないらしい。野営を始めてしばらくすると、「一人になりたい」とひとけのない方に行ってしまった。
 本来ならば、仲間としてひき止めなければいけなかった。ここはまだ銀の森ではないが、決して安全ではないのだ。夜盗も出れば野性の獣も出る。最悪、魔物が出ることもそう珍しいことではない。
 だが、メリルは何も言えなかった。
 弓の名手であるフレイだ。きっと魔物が現れてもなんとかできるだろう、そうメリルは思っていた。

「違うわね……」

 思い返して、メリルは胸の内で呟いた。
 それは単なる弁解にしかすぎない。
 フレイがいかに強くとも、メリルの助けなど必要ないくらいの猛者だとしても、メリルはフレイを止めるべきだった。王国軍を含めた大所帯で身勝手な行動は許されない。一人の考えなしの行動が全員の命を縮めることだってある。まして、自分たちがこれから戦う相手はただの獣などではないのだ。
 そう、常ならばメリルも判断したに違いなかったが。
 ただ怖かったのだ、とメリルは述懐する。
 フレイに再び激しく拒絶されることを恐れた。フレイの糾弾を受ける覚悟をしたつもりだったが、それは本当にだったらしい。

「どうしました、具合でも?」

 いつの間にかぼんやりとしていたらしい。正面に座るレリックが首を傾げて問いかけてきた。

「あ、いいえ、大丈夫。ちょっと考え事をしてて」

 慌てて首を振ると、レリックは「そうですか」と微笑む。
 いつの間にか話題は別なことに変わっていた。彼らの話題に入れる筈もなく、メリルが何とはなしに二人のやりとりを眺めていると、クロスがおもむろに己の荷物を漁り始めた。
 取り出したのは少し小ぶりな乾燥パンである。
 旅人は乾燥した食べ物を持ち歩く。保存がいいことと多く持ち運べるのが理由のひとつだ。ちなみに、ついさっき夕食として食べたのも乾燥パンであった。

「お前、まだ食べるのか?」

 呆れたようなレリックの問いかけに、クロスは「育ち盛りだ」と反論する。

「育ちざかりって……食うのはいいけどまだ先は長いんだぞ。保つか?」

 目的のカディスまでは、短く見積もってもあと2週間程度はかかる。途上にも幾つか町はあるものの、これだけの大所帯が野営できるようなところはそう多くはない。自然、ここから先の野営は街道上になるのは軽く予測がついた。

「大丈夫だ、問題ない!」
「その自信はどこからくるんだ」
「ここかな」

 言って、クロスはびしっと己の胸を指す。その様子は堂々と誇らしいが、片手にパンを持った姿ではあまり様にならない。レリックが溜息をついてこめかみを揉みほぐす。
 クロスは手をかざし、更に言い募る。

「待て、ちゃんと根拠はある。途中幾つか町に寄るから足りなくなったら補給する。それでも駄目な場合は」
「……場合は?」

 レリックが促す。その顔には場違いなほど爽やかな笑みを浮かべている。

「レリックのがある!」

 クロスの高らかな宣言に、周囲の温度が2、3度下がった。クロスが笑顔を崩さないまま、パキ、と指を鳴らす。
 雲行きの怪しさを感じて、メリルは忙しく二人を見比べる。
 と、焚火にかけられたままの鍋に目が止まる。焚火を起こしてすぐ、レリックがどこかから借りてきたものである。水面から僅かに白い蒸気が出ていた。

「えーと、レリック、お湯が沸いてるわよ」

 何かするのでしょう、とメリルは首を傾げてレリックに話しかけた。気を揉むメリルの心中を知ってか知らずか、レリックは愛想のよい笑みを閃かせてメリルに向き直る。

「ああ、忘れるところでした。ハーブティを淹れようと思いまして」

 実家から持ってきたのだ、とレリックは荷物から袋を取り出す。中から取り出されるのは鮮やかな緑色をした葉だ。パンと同じく乾燥させてあるのだが、その色合いは少しも褪せていないようである。

「へぇ、ハーブ……」

 どうやら危機は回避できたらしいとメリルは安堵して、鍋の中を覗き込む。
 レリックの入れた葉が数枚、湯の中で踊っている。湯気にほんのり薬草のような香りが混じる。

「よかったらメリルさんもいかがですか?」
「……じゃあ、少し頂いてもいい?」

 にこやかなレリックに勧められ、メリルもまた自分の水筒から水を供給する。冷たい水の混入に、鍋の中が瞬間静かになる。ぐらぐらと揺れていた葉が、水に沈んでいく様をメリルは見るともなしに見ていると、クロスが話しかけてきた。

「そういえば、フレイは大丈夫なのか?」

 亜麻色の髪は焚火のために幾分明るさを増し、ところどころ金色に輝いている。メリルをみつめた青い目には、心配げな色がちらついていた。
 ある程度の事情はクロスもまた理解している。これまでの経緯や、メリルが話して聞かせた魔物の情報と共に、先代勇者の最期もまた伝えられていた。
 問いかける声にはフレイを案じる気持ちが込められていたが。
 現実に口に込められていたのはパンだった。
 折角の気持ちと言葉はパンという障害物に遮られ、ただモゴモゴという音を発するだけである。
 肝心な内容はメリルの上を通過し、メリルは首を傾げてクロスを見返すことしかできなかった。

「まったく、そんな食い方誰に習ったんだよ」

 レリックがため息と共にクロスの背中を叩く。その衝撃に咽ながら、クロスは涙目で反論した。

「うるせぇな! 腹が減ってんだよ、文句あるか!」

 しかし、その言葉もモゴモゴいうばかりで聞き取りにくい。
 レリックはクロスの言うことなど予想がついている、といわんばかりに、落ち着いてクロスの背中をさすってやっている。
 クロスの咳き込む様子に、誰かが心配してはいないかとメリルは周囲に視線を走らせる。
 何せ、今やこの王国軍の総指揮官はクロスなのである。
 本来ならばこの場に王国軍の尉官がいてもおかしくないのだが、現在クロスの周囲にいるのはメリルやレリックといった王国軍の所属でないものばかりだ。それは立場の違いという理由もあったが、クロス自身が断ったというのが大きい。
 というのも、実質軍を動かしているのは王国軍所属の尉官に他ならず、勇者の肩書きはあくまでも名目上のことなのだ。勿論、相応の権限は与えられているため、その気になれば事実上の指揮官になることも可能である。だがクロスにはその気がなかった。
 クロスは『軍人でもない人間が指揮を執るのは悪戯に混乱を招くだけ』と主張して、指揮権を尉官に渡したまま、自身は王国軍に同道しているだけという格好を取るっていた。尉官の手にした情報はすぐに入ってくるものの、それに対して命令や指示をすることはない。そのため、自然と「勇者一行と王国軍」という図ができあがり、クロスを含めた4人で固まって行動することが殆どであった。
 そうした経緯からか、クロスが盛大に咳き込んでも様子を見に来る兵士の姿は見当たらなかった。
 木々の間に見える焚き火の灯りからいっても、そう離れた距離ではない。そもそも森に入るとは言っても、街道がはっきり見える程度の距離である。微かな話し声や、時折ひそやかな笑い声が聞こえるのだから、聞こえないはずはないのだが。
 周囲を眺めて首をかしげるメリルの耳に、落ち着き払ったレリックの声が届く。

「だから、腹が減ってるのは皆一緒だってば」

 クロスの言葉を正しく聞き取ったらしいレリックが、呆れたように言う。それで初めてメリルは、クロスの言葉の内容に思い至り、

「ああ、足りないわよね。私のでよかったら……」

 何かを勘違いして、自分の荷物からもう一つパンを取り出した。

「ちっ、違う! 足りる! もう腹いっぱいだから!」

 クロスは慌てて飲み下すと、全身で否定する。しかし急いで飲み込んだために、再び咽ることになった。
 レリックが呆れ顔で眺めて、手近なマグに鍋からハーブティを注いだ。

「飲めよ、空食いしてただろ」

 言って、レリックはクロスにマグを押しつける。再び湯気がたち始めた鍋から注がれたそれは、ハーブの色見もまだあまり出ていない。お茶というよりはぬるめの白湯だろう。

「そうじゃなくて……ああ、ありがとう」

 弁解しようとしていたクロスは、温かい感触にはっとしたようでレリックに礼を言って受け取る。そのまま、まだ調子の悪い喉に流し込もうとして。
 不意に、クロスが硬直した。

「クロス?」

 驚いたメリルが呼びかける。固まってしまったクロスの隣で、レリックも不思議そうにクロスを見遣る。
 クロスはぶるりと身震いして、勢いよくレリックを振り向いた。

「おま……これ何だ! 何飲ませた! なんか苦……甘っ?」

 目を白黒させてレリックに詰め寄る。

「え? 何ってお茶だよ? 自家製ハーブティー。といってもまだ味なんてしないだろ?」

 殆どお湯だぞ、とレリックは首を傾げる。とぼけているわけではなさそうである。

「ハーブ? これが? これハーブなのか? なんか……なんか辛ぇ!」

 クロスは掴みかからんばかりの勢いでまくしたてている。
 よほど強烈だったらしい。
 まだ殆ど色のついていない白湯状態でその反応なのだから、しっかりハーブティとなったらその味や如何。メリルはうっすら寒気を覚えた。自分も、などと早まったかもしれない。
 何やら冷え切った両手をこすり合わせ、メリルは焚火で暖をとる。鍋の中身は努めてみないようにした。
 踊る炎を眺めていると、ふと酒場での話を思い出した。
 今後の話がしたい、と誘われた王都の酒場。
 下町の喧噪が、故郷を思い出して懐かしかったことを思い出す。
 案内された場末の酒場の、暖炉の炎が目の前の炎と重なる。
 店内は騒々しく、店員も客も隣が何処の誰などと気にする様子はなかった。誰もが楽しく騒ぎ、ともすれば一瞬で喧嘩にも発展しそうな、そんな危うい雰囲気が思いのほか楽しかったとメリルは記憶をたどる。
 クロスとレリックの騒がしい声が次第に遠のき、焚火の暖かさに思考がほどけていく。うつらうつらとまどろみ始めた自分を自覚しつつ、メリルは膝を抱えなおした。
 
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