上 下
17 / 81

13.帰還

しおりを挟む
『西の真珠』と讃えられる王国、パールディア。
 大小の国がひしめく大陸にあって、唯一海を望む王都をもつ。
 王都バルカイトは、その周囲を六つの高い塔で囲んでおり『六塔の都』とも呼ばれる。
 その中心部に聳えるのが、国王ロンギオンⅡ世の居城『白翼城』である。
 白を基調とした美しい城は、パールディアが『西の真珠』と譬えられる所以のひとつだ。
 一際小高い丘に立てられた美しい城。広大な城内には贅をつくした美しい部屋が幾つも存在し、風情ある庭園が作られている。
 その最も奥まった場所に作られた小庭園。
 数本の木々と美しい季節の花々、四方を囲まれた小さな箱庭を、慌ただしい足音が行き交う。

「あら」

 ふと、そこを行く少女が足を止めた。
 ふんわりとした大人しいつくりのドレス。くるぶしのあたりで断ち切られた裾から、ブーツが覗く。
 城の侍女に与えられる、いわば制服のようなものである。

「どうしたの、虫でもいた?」

 隣を歩く、こちらも侍女と思しき娘が問いかける。年の頃は少女より幾らか上だろうか。

「いいえ、落ち葉が」

 掃除しなきゃ、と続ける少女に、相手は笑って言う。

「いいのよ、今日は放っておきなさいな。それよりこれを届けることが優先よ」

 その両腕に抱えているのは大量の布だ。
 前方が見えるぎりぎりの高さにまで積まれた布は、傍目にも結構な重量感がある。綺麗に折りたたまれた、シーツのようなそれ。

「これだけ忙しいんですもの。葉っぱのひとつやふたつ、誰も気付かないわよ」

 ちらりと周囲をみやる。
 普段は静寂に支配される回廊。
 さまざまな装飾を施された天井や壁に、それらを支える柱にも美しい模様が描かれている。
 複雑な装飾がそれでも華美に映らないのは、そのすべてが白を基調としているが故だろう。
 真珠と謳われる白翼城。その中に誂えられた小庭園を望む、美しい回廊のひとつ。
 侍女たちもそう滅多に通らないそこを、今日は忙しく人々が行き交う。
 走り回る者こそいないものの、荷物を抱えた侍女や様々な立場の使用人が過ぎていく。
 彼女たちもまた、その中のひとりであった。

「でも、何だって今日はこんなに」
「仕方ないわ。客室をいつでも使えるように、とのご命令なんですもの。……戻っていらしたんですってよ」

 ため息ついてぼやく少女に、わけ知り顔で娘が話す。
 戻った? と未だピンと来ないらしい相手に、更に顔を寄せて声を潜めた。

「勇者さまよ。ほら、あの凛々しいお方」

 まぁ、と少女は喜ぶ様子だが、続く娘の言葉に顔を曇らせた。

「でも不思議なのよ。勇者さまはいないみたい。戻ってきたのは仲間だけで、しかもたったの二人ですって」
「……なんだか妙ね、嫌だわ」
「ねぇ、不吉よねぇ」

 勇者さまはどうされたのかしらと、明日の天気でも憂えるような風情の侍女たちだ。
 血生臭さや戦いとは無縁の、彼女たちがそっとみつめる先には、豪奢な扉。
 明るい小庭園を経て、回廊の先、一際美しい扉がある。
 そこは『双翼の間』と呼ばれる、来賓を迎えるための謁見室だ。
 普段は使われないその部屋には、いま、国王ロンギオンⅡ世と数名の重臣がいるはずである。
 謁見に訪れたのは、国境付近の小さな街、カディスからの帰還者。
 "勇者の仲間"であるメリル・ファガードとフレイ・マルセナ、ただ二人であった。


「援軍をお願いに参りました」

 お決まりの口上を述べたあと、恭しく頭を垂れてメリルは言った。
 メリルとフレイが佇むのは、玉座よりかなり離れた場所である。
 その間には重臣の列。その後方に王室お抱えの魔法使いの一団が控えている。
 水を打ったような静寂。そうでなければメリルの声など国王の耳には届かないだろう。

「援軍、ですと」

 反応したのは王ではなく、重臣のひとり、メヌキア公。
 西方に領土を構える、国内でも5本の指に入る有力貴族だ。王家とは姻戚関係にあり、当然ながら発言力も影響力も大きい。王ですら無視できない存在の、重臣。
 メリルは、失礼にならない程度にそっと視線を向ける。
 髭を蓄えた恰幅の良い姿が目に入る。
 その鋭い眼光、若々しい風貌からは、彼がそろそろ壮年に差し掛かる年齢だとは想像しがたいものがある。けれど良く見れば、綺麗に整えられた髪や、雄々しさを際立たせる髭にも白いものが混じっていた。
 メヌキア公は己の顎に手をやり、重々しく尋ねる。

「それは人手が必要ということですかな。それとも、陛下の剣が必要と?」

 勇者の「仲間」か、或いは王国軍の兵が必要なのか。
 メリルはひっそりと息をつく。
 後者となればそれは国を挙げての戦争につながる。
 メリルにはそれを進言する勇気も、またその権限もない。まして、メリルはただの「勇者の仲間」であり、任を解かれれば庶民に戻る身の上。
 任を解かれても貴族に次ぐ力を得られる「勇者」とはわけが違う。
 メリルなりに、分はわきまえているつもりだった。

「――それはお任せ致します。
 お恥ずかしながら、私たちは敗れました。彼の地の脅威はいまだ取り除かれてはおりません」
「……なるほど、敗れたと仰いましたな、メリル・ファガード」
「はい」
「他の仲間はどうされた?」
「故あって離れ離れに」
「皆が皆殉死というわけではないのですな?」

 故あって、とはどういう意味。
 言外に匂わせた問いかけに、メリルは用意していた言葉をつむぐ。

「不測の事態が起きました。カディスに着く前に勇者が負傷したのです。そのため何日も足止めとなり――彼らには一度離脱して貰いました」

 信奉者の多かった「勇者」。
 この城を出立する際には、勇者を含め17名の大所帯だった。
 それが帰還したのはたったの二人となれば、当然問われる内容だ。それが初めからわかっていたからこそ、メリルはすらすらと嘘をつくことができた。
 これはひとつの賭けだ。
 勇者の下から去った仲間たちが、報告している可能性は捨て切れない。
 即ち、勇者が記憶喪失になったと。
 既に報告されていれば、メリルの嘘は意味のない物になる。
 ただ、「己の意思」で勇者の元を去ることは「脱走」とみなされ、場合によっては死罪となる。
 彼らがそのリスクを冒して報告に戻るとは思えなかった。勇者を見限った彼らが。
 だからこそ、メリルは嘘をつくことにした。
 誰も脱走なんてしていない。彼らは、離脱したのだと。
 この嘘が露見すれば、勿論メリルもただでは済まない。
 だがメリルには真実を告げる気などなかった。
 勇者を見限った仲間たちを許せない気持ちはある。
 けれどその気持ちも、理解できてしまうから。

「なるほど。しかし少数での討伐とは、無謀だったのではありませんかな」
「今となれば、申し開きようもございません。ですが、魔物の長の姿は確認できました。――カディスにあるあの城が脅威であることは確信しています」
「魔物の長まで辿りつきながらの敗退ですか。勇者はどうされた?」

 最も知りたかったであろうことを、メヌキア公はさりげない口調で尋ねた。最前、仲間の行方を尋ねた時と同様に。

「勇者は」

 鉛を呑んだように、胸が重い。
 告げなければならない事実。嘘偽りのないそれを、言葉にするのが苦しい。

「今も魔物の城に」

 違う、と脳裏で冷静に指摘する声がする。
 わかっている。これは逃避でしかない。フレイのように一途に信じるだけの純粋さも、無垢な心もない。

「城に? ……それは、勇者が捕えられたと?」
「……はい」

 メリルの僅かな逡巡に、何かを感じたらしいメヌキア公は黙って首肯した。

「それではメリル・ファガード。援軍の要請は勇者救出のため、と」

 は、と見上げた先、鷹のように鋭い双眸とぶつかった。
 試すような、疑うようなその視線の意味がわからないほど、メリルは愚かではない。
 救出。
 それが可能ならどんなにいいだろう。
 そのつもりだと、真っ直ぐに頷けたらどんなにいいだろう。
 メリルは深く呼吸をする。
 視界の端に、怪訝な表情のフレイが映った。

『どうして躊躇うの』

 そう、問うような視線。救援のためだと彼を説き伏せたのはメリルだ。彼はきっとメリルの言葉を信じている。

「いいえ」

 その視線を振り払うように、メリルは力強く言った。

「最優先は彼の地の脅威を取り除くこと。むろん勇者の救出が可能ならばそれに越したことはありませんが……カディスの脅威と私たちが目にしたことをお伝えし、魔物を討ち果たすことを――勇者も望むでしょう」
「メリル? それ……」

 あたかも、勇者は既に存在しないというような。救出など無理と言わんばかりの、その言葉。
 気付いて、フレイがメリルにぎりぎり届く声量で呟いた。
 肩越しにフレイを顧みて、その表情にメリルは胸を痛める。

「何、いってるの?」

 理解できない、と言いながら、フレイの双眸には絶望の色がある。
 フレイは聡い。メリルの言葉もその意味するところも、そしてこれから起こり得る結果も、理解できている。ただ、心が拒絶しているだけだ。
 そのまっすぐな瞳を見ていられなくて、メリルはすぐに視線をそらす。

「なるほど。勇者が捕らえられたとなれば、それは確かに脅威といえよう。何を見たというのかね」

 さあ、と促されて、メリルはほっと息を吐く。

「恐れながら申し上げます。彼の地に存在する魔物は私たちの常識を覆すものでした。長と思われる魔物は、外見はまるで人間と変わりなく、人語を操り、強力な魔法を操ります。あの城にはこれまで戦ったことのないような、膨大な数と種類の魔物が存在していました」

 周囲がざわめいた。
 だが、メリルが思っていた程の混乱や反発は見られない。
 それを不思議に思いながらも言を継ぐ。

「事前の情報通り、彼らは長の元に統率の取れた、軍隊のようなものを形成しているようです」

 二度目に訪れた「城」の光景が思い浮かぶ。
 扉からあふれだす魔物。列をなし、明らかに統率のとれた動きをしていた。

「それは魔王ではないのか」

 どこからともなく漏れた囁きに、ざわめきが漣のように広がっていく。
 違うだろうとメリルは思う。確かに対峙した魔物は強大な力を持っていたし、すべてが初めて目にする光景だった。
 だが、魔王と呼ぶには何かが違う気がする。
 あの魔物はなんといっていただろう。藍色の髪をした、人のような姿の魔物。

『今は兵力が惜しい』

 それはまるで、何かと戦うための準備のような。
 人間と? それともそれ以外の何か?
 ぞくり、とメリルの背に戦慄が走った。
 氷山の一角―――

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

真訳・アレンシアの魔女 上巻 マールの旅

かずさ ともひろ
ファンタジー
 アレンシアで、一人の少女が目を覚ます。  少女は人間にしては珍しい紅い髪と瞳を持ち、記憶を失っていた。  しかも十日間滞在した町を滅ぼし、外で五日間行動をともにした相手を不幸にする。  呪われた少女の名は、マール。  アレンシアで唯一、魔法を使う事ができる存在。  これは後に神として崇められる“魔女”の人生を綴った叙事詩である。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

2回目の人生は異世界で

黒ハット
ファンタジー
増田信也は初めてのデートの待ち合わせ場所に行く途中ペットの子犬を抱いて横断歩道を信号が青で渡っていた時に大型トラックが暴走して来てトラックに跳ね飛ばされて内臓が破裂して即死したはずだが、気が付くとそこは見知らぬ異世界の遺跡の中で、何故かペットの柴犬と異世界に生き返った。2日目の人生は異世界で生きる事になった

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...