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2.残されて
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たった3人だけで乗り込んだ魔物の城。
メリルとフレイの活躍で、どうにか『長』たる魔物を引きずり出すことに成功した。
この魔物さえ倒せば城は瓦解する。
その後のことは考えていなかった。
生きて帰れないかもしれないという気持ちが少なからずあったのか、誰も「倒した後」を話題にしなかった。
だから、まさか撤退するとは思わなかったのだ。
当初から腰の引けていたスノウはともかく、「勇者の仲間」という自覚のある彼らが撤退も考慮にいれていたとは――スノウは全く想像してもいなかった。
大人であるメリルがそれを考えなかった筈はないと、こうして一人漆黒の空間に残された今になればわかる。
自分は、以前の勇者ではないのだから。
「あー……と、勇者?」
呆然としていたスノウの耳に、困惑気味な声が届く。
視線を向ければ、黒尽くめの長身。
大剣を床に突き立て、怪訝そうな眼差しでスノウを見据えている。その背に広がっていた翼は、いつの間にか消えていた。出し入れは自在らしい。
「……はい」
呼びかけられたので、スノウはひとまず頷いて応じる。
自身は『勇者』だと思ったことはないが、肩書きは肩書きである。
「お前、俺と一対一で戦う気は?」
「……全くないです」
魔物の言葉に、スノウは首を振る。
戦えるはずがない。スノウの腰に、武器はないのだ。
「となると……逃げそびれたってやつなのか?」
「……そうですね」
スノウには他にどう答えようもない。そのまま、それが事実だ。
重苦しい沈黙が横たわった。
魔物もさすがに絶句しているようだ。
それはそうだろう、とスノウは思う。
どこの世界に、仲間に置いていかれて逃げそびれ、あまつさえ帯剣すらしていない丸腰の勇者がいるというのだろう。
冗談のような、だが洒落にならない事態である。
「武器は?」
「えっと、来る途中で折れて……今のところこれだけ」
低く問いかけられて、スノウは恐る恐るポケットから石を取り出す。
メリルが持っていたものと同種の白い石だ。
ただしこちらの石は純粋な白ではなく、ところどころに黒い斑が入ったあまり見栄えの良くない代物である。
「魔法石……なるほど、魔法剣士か」
「メリルはね……」
呟いて、スノウはちょっと遠い目をした。
剣士として名高いメリルは、元々魔法の資質が高かったらしい。
本来は仲間内に魔法専門の人間を入れるのが定石だが、当の魔法使いが逃亡してしまったためメリルに白羽の矢が立った。そのため、メリルには当人の意志とは関係なく『魔法剣士』の肩書がついている。
「あの女か。道理でただの剣士にしてはおかしいと思ったが……」
顎に手をやり、考える素振りで魔物が呟く。
正直、何がおかしいのかスノウには全く見当もつかない。
魔法が使える者同士、何か通じるものがあるのだろうか。
「それで、お前はどうするつもりだ?」
どうする?
スノウはぱちりと瞬く。
まさかそんなことを尋ねられるとは思ってもいなかった。
それ以前にこんな事態になることすら、想定していない。
普通の勇者ならば、ここで玉砕覚悟で戦うのだろう。何せ相手は憎き敵。背中をみせておめおめと逃げ帰ることなどできない――普通ならば。
だが、スノウはそういう意味においては普通ではなかった。
「帰りたいです」
暫く考えた後、スノウはあっさりと希望を口にした。
「――そう簡単に帰すと思ってるのか」
魔物の声が、獰猛さを滲ませて響く。
明らかな脅し文句に、けれどもスノウは「脅し」と取っていなかった。
軽く首を振った後、
「帰る方法が分からない」
と答えた。
「……その石使えば、帰れるだろ?」
魔法石は魔力を増幅させる。大した魔力がないものでも、魔法石の加護さえあれば転移などたやすいことだ。
スノウのあまりにもズレた発言に思わずといった様子で助言をして……魔物は不快そうに表情を歪める。
しかしそんな相手の反応を気に留めることなく、スノウは再び首を振った。
「困ったことに、魔法のかけ方自体知らないので」
確かに、困ったことである。
再び沈黙が落ちた。
スノウは石を握りしめたまま必死に脳を振り絞る。
すなわち、この窮地をくぐり抜ける方法を。
思いつく限りの言葉を脳内で組み立ててみる。さらに石に念じてみる。
何の反応も感じない手のひらにじっとりと汗をかきつつ、スノウは忙しく頭を巡らせた。
唯一の武器である剣は手元にない。
魔法が使えるならば武器になりえた魔法石も役に立たない。
拳一つで魔物と渡り合えるほど肉体派ではなく、かといって頭脳で切り抜けられるほど賢い訳でも話術に自信があるわけでもない。
考えれば考えるほど『勇者』とは名ばかりの凡庸な、下手をするとそこらの子どもより劣っていそうな自分が浮き彫りになってくるだけである。
丸腰以外の何物でもない勇者など、魔物にとっては赤子の手を捻るよりたやすいはずだ。まして、相手は魔物の長と呼ばれる存在である。
もしかしなくても、大ピンチかもしれない。
この期に及んで、ようやくそこまでの認識が生まれてきた。
青さを通り越して白茶けた顔色で呆然としているスノウに、魔物は判断つきかねている様子でなにやら考え込んでいたが。
暫くして、緋色の頭を乱暴に掻き毟りながら、魔物が言った。
「お前、俺をどうこうするつもりは?」
どうこうなどされそうにもない堂々たる態度で言われ、スノウはぼやっとした表情のまま首を振った。
「無理です」
さもあらん。
完全な丸腰では、相手が魔物であろうとなかろうと無理だろう。
「もしその右手に聖剣があったらどうする?」
「それは……ここから帰りますけど」
「ほう、どうやって? 俺を倒してか?」
口の端から鋭い牙を覗かせて、魔物が笑った。真紅の双眸は切れそうな光を孕んで輝いている。
「いえ、聖剣でそこの窓を割って……割れる素材かな……? まあいいか、それからカーテンをロープ代わりにして下に」
「……」
「あ、でも無理かな……ここどのくらいの高さあります? さすがにカーテン足りないかも」
「……あー……いや、もういい」
脱力した口調で、魔物がひらひらと手を振った。
その黒く塗られた爪が、まるで頭痛を堪えるかのようにこめかみに添えられている。
「わかった、もういい。まぁ……これがウソだってんならそれはそれで面白いしな。
勇者、おまえ名は?」
魔物は皮肉げに苦笑して、尋ねる。
スノウは意味がわからず首を傾げ、戸惑った表情のまま口を開いた。
「スノウ」
「ふむ、スノウ。お前を助けてやろう。お前は人間にしては面白いし、勇者だからといって殺すのは惜しい。
だから、ネコになれ」
「………は?」
たっぷり5秒の沈黙の後、スノウは間抜けな反応しかできなかった。
ネコとは当然、あの四足歩行の獣のことだろう。
村や町でよく見かけた、お馴染みの動物の姿がスノウの脳裏に蘇る。
しなやかな姿の、優美で愛らしい動物。
スノウの周囲の人間はネコを可愛がっていたが、正直なところスノウはネコが苦手だった。
別に何か忌まわしい記憶があるわけではない。触ろうと思えば触れるし、抱き上げることも、世話をすることも恐らくできる。ただ何となく何を考えているか分らない様子が、苦手なだけで。
突然の話題についていけず、この事態と関係のない出来事がぐるぐると脳裏を巡る。
間抜けな表情を晒したまま硬直しているスノウの正面で、ひとり魔物だけが機嫌よさげな笑みを浮かべていた。
メリルとフレイの活躍で、どうにか『長』たる魔物を引きずり出すことに成功した。
この魔物さえ倒せば城は瓦解する。
その後のことは考えていなかった。
生きて帰れないかもしれないという気持ちが少なからずあったのか、誰も「倒した後」を話題にしなかった。
だから、まさか撤退するとは思わなかったのだ。
当初から腰の引けていたスノウはともかく、「勇者の仲間」という自覚のある彼らが撤退も考慮にいれていたとは――スノウは全く想像してもいなかった。
大人であるメリルがそれを考えなかった筈はないと、こうして一人漆黒の空間に残された今になればわかる。
自分は、以前の勇者ではないのだから。
「あー……と、勇者?」
呆然としていたスノウの耳に、困惑気味な声が届く。
視線を向ければ、黒尽くめの長身。
大剣を床に突き立て、怪訝そうな眼差しでスノウを見据えている。その背に広がっていた翼は、いつの間にか消えていた。出し入れは自在らしい。
「……はい」
呼びかけられたので、スノウはひとまず頷いて応じる。
自身は『勇者』だと思ったことはないが、肩書きは肩書きである。
「お前、俺と一対一で戦う気は?」
「……全くないです」
魔物の言葉に、スノウは首を振る。
戦えるはずがない。スノウの腰に、武器はないのだ。
「となると……逃げそびれたってやつなのか?」
「……そうですね」
スノウには他にどう答えようもない。そのまま、それが事実だ。
重苦しい沈黙が横たわった。
魔物もさすがに絶句しているようだ。
それはそうだろう、とスノウは思う。
どこの世界に、仲間に置いていかれて逃げそびれ、あまつさえ帯剣すらしていない丸腰の勇者がいるというのだろう。
冗談のような、だが洒落にならない事態である。
「武器は?」
「えっと、来る途中で折れて……今のところこれだけ」
低く問いかけられて、スノウは恐る恐るポケットから石を取り出す。
メリルが持っていたものと同種の白い石だ。
ただしこちらの石は純粋な白ではなく、ところどころに黒い斑が入ったあまり見栄えの良くない代物である。
「魔法石……なるほど、魔法剣士か」
「メリルはね……」
呟いて、スノウはちょっと遠い目をした。
剣士として名高いメリルは、元々魔法の資質が高かったらしい。
本来は仲間内に魔法専門の人間を入れるのが定石だが、当の魔法使いが逃亡してしまったためメリルに白羽の矢が立った。そのため、メリルには当人の意志とは関係なく『魔法剣士』の肩書がついている。
「あの女か。道理でただの剣士にしてはおかしいと思ったが……」
顎に手をやり、考える素振りで魔物が呟く。
正直、何がおかしいのかスノウには全く見当もつかない。
魔法が使える者同士、何か通じるものがあるのだろうか。
「それで、お前はどうするつもりだ?」
どうする?
スノウはぱちりと瞬く。
まさかそんなことを尋ねられるとは思ってもいなかった。
それ以前にこんな事態になることすら、想定していない。
普通の勇者ならば、ここで玉砕覚悟で戦うのだろう。何せ相手は憎き敵。背中をみせておめおめと逃げ帰ることなどできない――普通ならば。
だが、スノウはそういう意味においては普通ではなかった。
「帰りたいです」
暫く考えた後、スノウはあっさりと希望を口にした。
「――そう簡単に帰すと思ってるのか」
魔物の声が、獰猛さを滲ませて響く。
明らかな脅し文句に、けれどもスノウは「脅し」と取っていなかった。
軽く首を振った後、
「帰る方法が分からない」
と答えた。
「……その石使えば、帰れるだろ?」
魔法石は魔力を増幅させる。大した魔力がないものでも、魔法石の加護さえあれば転移などたやすいことだ。
スノウのあまりにもズレた発言に思わずといった様子で助言をして……魔物は不快そうに表情を歪める。
しかしそんな相手の反応を気に留めることなく、スノウは再び首を振った。
「困ったことに、魔法のかけ方自体知らないので」
確かに、困ったことである。
再び沈黙が落ちた。
スノウは石を握りしめたまま必死に脳を振り絞る。
すなわち、この窮地をくぐり抜ける方法を。
思いつく限りの言葉を脳内で組み立ててみる。さらに石に念じてみる。
何の反応も感じない手のひらにじっとりと汗をかきつつ、スノウは忙しく頭を巡らせた。
唯一の武器である剣は手元にない。
魔法が使えるならば武器になりえた魔法石も役に立たない。
拳一つで魔物と渡り合えるほど肉体派ではなく、かといって頭脳で切り抜けられるほど賢い訳でも話術に自信があるわけでもない。
考えれば考えるほど『勇者』とは名ばかりの凡庸な、下手をするとそこらの子どもより劣っていそうな自分が浮き彫りになってくるだけである。
丸腰以外の何物でもない勇者など、魔物にとっては赤子の手を捻るよりたやすいはずだ。まして、相手は魔物の長と呼ばれる存在である。
もしかしなくても、大ピンチかもしれない。
この期に及んで、ようやくそこまでの認識が生まれてきた。
青さを通り越して白茶けた顔色で呆然としているスノウに、魔物は判断つきかねている様子でなにやら考え込んでいたが。
暫くして、緋色の頭を乱暴に掻き毟りながら、魔物が言った。
「お前、俺をどうこうするつもりは?」
どうこうなどされそうにもない堂々たる態度で言われ、スノウはぼやっとした表情のまま首を振った。
「無理です」
さもあらん。
完全な丸腰では、相手が魔物であろうとなかろうと無理だろう。
「もしその右手に聖剣があったらどうする?」
「それは……ここから帰りますけど」
「ほう、どうやって? 俺を倒してか?」
口の端から鋭い牙を覗かせて、魔物が笑った。真紅の双眸は切れそうな光を孕んで輝いている。
「いえ、聖剣でそこの窓を割って……割れる素材かな……? まあいいか、それからカーテンをロープ代わりにして下に」
「……」
「あ、でも無理かな……ここどのくらいの高さあります? さすがにカーテン足りないかも」
「……あー……いや、もういい」
脱力した口調で、魔物がひらひらと手を振った。
その黒く塗られた爪が、まるで頭痛を堪えるかのようにこめかみに添えられている。
「わかった、もういい。まぁ……これがウソだってんならそれはそれで面白いしな。
勇者、おまえ名は?」
魔物は皮肉げに苦笑して、尋ねる。
スノウは意味がわからず首を傾げ、戸惑った表情のまま口を開いた。
「スノウ」
「ふむ、スノウ。お前を助けてやろう。お前は人間にしては面白いし、勇者だからといって殺すのは惜しい。
だから、ネコになれ」
「………は?」
たっぷり5秒の沈黙の後、スノウは間抜けな反応しかできなかった。
ネコとは当然、あの四足歩行の獣のことだろう。
村や町でよく見かけた、お馴染みの動物の姿がスノウの脳裏に蘇る。
しなやかな姿の、優美で愛らしい動物。
スノウの周囲の人間はネコを可愛がっていたが、正直なところスノウはネコが苦手だった。
別に何か忌まわしい記憶があるわけではない。触ろうと思えば触れるし、抱き上げることも、世話をすることも恐らくできる。ただ何となく何を考えているか分らない様子が、苦手なだけで。
突然の話題についていけず、この事態と関係のない出来事がぐるぐると脳裏を巡る。
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