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「何やってんだよ!」
「っ、」
 憎くてたまらない己の脚。自由に、蒼太の隣を歩くことが出来ない原因であるそれに刃を振り下ろそうとした時、後ろから腕を掴まれた。
「あっ」
 蒼太が一層慌てだす。彼に習って視線を落とすと、すぐにその理由を理解した。腿から赤い血が流れている。驚いて包丁から手を離してしまったのだ。でもどこか他人事だった。
「はは、痛くないや」
 乾いた声が出る。血は通っているのになんの感覚もない。
「何しようとしてたの」
 手当をしてくれている蒼太の手は冷たく震えている。太腿には大きい血管があって、そこを狙えば致命傷になる。死ぬためにめった刺しにしようとしていたなんて言えるわけがない。
「……」
「ねぇ、陽向?」
 風呂場で包丁を持っているなんて日常ではありえない光景だ。正直に暴露することはもちろん、誤魔化すことも出来ない。
「俺のせい?俺が最近家にいられない時間が増えたから、それで――」
「蒼太は何も悪くない」
「じゃあどうして」
「嫌なんだ。お前を縛るのが」
 言っている意味がわからないと言うような目線が向けられた。思っていたことが口から溢れ出して止まらなくなる。
「元々ノンケだったお前に思いを寄せて、受け入れてもらえたのに事故で下半身が動かなくなって、迷惑ばっかりかけてる。毎日毎日介護生活なんかさせて。蒼太は優しいから口には出さないけど本当はもう疲れたろ?」
「そんなこと」
「あるよ!」
 彼の顔を見ることができない。排水溝に流れていく赤を見つめながらひたすら口を動かす。
「俺はお前から一般的な幸せな未来を奪って今の生活の自由まで奪って!それでいて蒼太のためにしてあげられることなんて何もない!こんな体じゃセックスもできないんだよ!俺はお前の枷でしかない!!」
「いい加減にしろよ!」
 少し乱暴に掴まれた両腕に顔を顰める。
「何が枷だ?一般的な幸せってなんだよ!どうしてわからない?俺が、俺がどんなに…」
「…お前には沢山の可能性がある。俺から離れるべきだ」
「陽向がいなきゃ生きていけない!」
「っ…ちがう」
「違くない!怖くて堪らなかった。陽向を失うんじゃないかって。あの日と同じ。世界から音が消えて、息が上がって胸が痛くて。女々しくてごめん。……でも俺には陽向が必要なんだ」
 蒼太の頬に一筋の涙が伝った。言葉が出なくなる。
「……頼むよ。俺の側から居なくならないで」
 腕を掴んでいた手に一層力がこもる。
 大好き、離れたくない、優先してほしい、愛してほしい。俺のそばからいなくならないで。
「おれ、は、ひとりじゃ、蒼太がいなくちゃ生きていけない」
 力を込めすぎて白くなった蒼太の手を握りながら訴える。
「蒼太の幸せを心から祈った。でもそれと同じくらい手放したくなくて、ずっと俺だけを見ていてほしくて…!」
 そっと、同じ柔軟剤に混ざる大好きな蒼太の匂いと頼もしい腕に包まれる。
「こんな脚じゃ、遠ざかって行く蒼太に追いつくこともできない。でも、諦められないよ」
「俺は、陽向のことを誰よりも、何よりも大切に思ってる。遠ざかって行ったりなんかしない。――愛してるよ」
 一度溢れ出してしまった涙は止められるわけもなく、大きな背中に縋るしかなかった。
「ずっと、そばにいて」
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