EDGE LIFE

如月巽

文字の大きさ
上 下
14 / 80
Case.01 影者

東都 中央地区α+ 十一月二日 午前八時四十六分

しおりを挟む
 冷えた外気から身を守るように、大判のストールを肩へと羽織り、カードキーをカードリーダーへと滑り通してエレベーターへと乗り込む。
(なんでこんな面倒くさいのよ、ココ…)
 生体認証用スリットへ指を滑らせ、最下階へのボタンを押せば、重い音を立てて動き出す。
 階数表示を見つめ、【1】と表示されたと同時に開いた扉から出入口へと足早に向かうと、緑髪長身の顔立ちが整った男が背を曲げて玄関先を掃いていた。
「おはようございます、姫築さん」
(管理人か……)
早朝から此処にいるのか、若く見える男は柔和に笑い眼を細める。
 無視する事は簡単だが、彼を知る者が多いこの場所で不自然な行動を取るわけにもいかず、渚 ─高遠は苛立ちを胸に抑えつつ口角を上げた。
「おはようございます、目の片方、どうかしたんです?」
「あぁこれ?どうもになったらしくて。子ども達にも聞かれましたよ」
 眼鏡の下の眼帯を指し示しながら苦笑し、手にしていた箒と塵取りを管理室の扉の中に入れる。
 硝子張りの自動ドアの向こうを見るも、呼んだタクシーはまだ来ていないのか、足早に通り過ぎる人の姿が見えるだけだ。
「そうなんですか、大変ですねぇ」
「お気遣いどうも。ま、数日で治るらしいんで」
 来ぬ車に苛立ちつつ、立ち塞がる管理人と雑談を交わし、本来の肉体の持主である姫築 渚を演じ続ける。
「そういや、飛鳥はどうかしたんです?昨日今日と見て無いんですが…」
「あの子なら熱出してるので、部屋で寝させてます」
「子どもってのは変化に敏感らしいですからね。姫築さん達には初めての冬ですし」
まだ慣れないか、と笑う男に薄く笑みを返しつつ玄関を再度見れば、呼んでいた車両が滑りこんで来るのが見えた。
「すみません、タクシー来たみたいなので」
「おっと、そりゃ失礼」
 自動ドアの前から体を引いた男が頭を下げ、それに軽く答えて歩みを進める。
「どーぞ、お気をつけて」
「ありがとうございます」
 気のない礼を述べつつ男を横切り、二重の自動ドアを抜けると同時に足早に車両へと乗り込む。
 自身の家の住所を告げ、乱暴に鞄を座席へ投げ置くと、流れてゆく景色に目を眇めた。
(管理システムは厳しいのに、肝心の管理人は馬鹿なのね)


 一昨日、父親の帰宅を待ちたいとぐずった従弟を叩き、煩わしさから冷え込んだ深夜に体ひとつで外へと追い出した。
 マンションの構造上、エレベーターで降りるにはカードキーが必要だが、彼の数少ない貴重品は全て取り上げてある。
 朝に通路を確認するも少年の姿はなかったのを考えると、普段使われぬ非常階段で降りたのだろうが、暮らしているのは八階だ。
 闇の中降りているうち足を滑らせ落下でもしていれば、絶命しているのかもしれない。


 管理人が夜間に起きた事を知る由はなく、先程も現実味のある虚言を鵜呑みにしている様子だった。
(…それならラッキーよ。ただの事故死扱いになるし、戻れば叔母さんの責任)
 互いを本来の肉体へ戻し、実母である渚が急いで帰宅したとしても、愛する子は既に居ない。
 何も知らず答えられない渚は、後から帰ってくる父親に事が知れれば、二人の関係性も完全に破綻するだろう。
 渚を無責任な親として世に知らしめ、翔を独りにする事が出来れば、後はしめたものだ。
(我ながら完璧)
 自身の計画を称賛し、自然と弛む口許を手で覆う。
 流れゆく景色は緩やかになり、わずかな振動とともに玄関先へと停められた。
「千二百六十円になります」
 鞄から渚の財布を開くも小銭はなく、カードを取り出し運転手へと渡す。
「…少々お待ちください」
 声は低いが、バックミラーに映る横顔はまだ若く、新人なのか慣れぬ手つきでカード精算を行う。
 手間取ったことを謝罪しつつカードを返され、高遠は口角を上げて車を降り、家屋を見上げた。



**********

(請負屋さん、任せろって言ってたけど……)
 開けていた窓の外から、エンジン音が近づいてくるのが聞こえる。
 家の付近に停まったのか、車の扉が開く音が微かに聞こえ、渚は深呼吸を繰り返し、緊張に早鐘を打ち続ける心臓を落ち付ける。


 二ヶ月前、自身の実家でもあるこの家で、姉夫婦の法事を執り行い、帰路につくために車に乗るまでは何事もなかった。
 しかし、車が発進したとほぼ同時、自身の視界は助手席から見える景色から一瞬にして夫の車を見送る景色に転換し、その日から【高遠静瑠】として暮らしていたのだ。


 昨夜、請負屋である兄弟と夫が息を潜める中で通話をした相手は、渚の声で話す高遠だった。
体が入れ替わった二ヶ月前から、連絡は三日に一度のペースで入っていたが、昨夜の電話は実に二週間ぶりの物で、その内容は自身の実家でもある高遠の家で待機していろというものだった。


(飛鳥…ごめんね……)
 昨日まで中身が替わっている事を知らずにいた息子は、自分の姿をした彼女にどれ程傷付けられていたのだろうか。
 どのような方法で自分達を入れ換えているかは判らないが、彼女の指示に大人しく従っていれば、何もされないものだと信じていた自分が無性に腹立たしい。
 彼女が入っている渚の表情は酷く冷たいもので、激情のまま怒鳴り散らしている時の顔を思い出すだけで胸が苦しくなる。
「鍵くらい開けときなさいよ!」
 玄関の扉が開けられると同時に、聴き慣れた自分の声が耳をつんざき、フローリングの廊下を乱暴に踏み歩く音が聞こえてくる。
(…お二方を、信じよう)
 偶然に出会えた請負屋は、情報量など皆無に等しかった拙い依頼を引き受け、命の危険に晒された飛鳥を助けてくれた。今はそれだけでなく、他人であるはずの自分達さえも守ろうとしてくれている。
 その男達が「任せろ」というのであれば、信じて行動をとるべきだろう。

 リビングの扉が開かれると同時、渚は己の姿をした高遠を睨んだ。



**********

 家主が帰ることが判っているというのに、玄関の扉は閉まっている。
誰も居ないのかと庭の方へ回れば、雨戸の役割を担うシャッターは開いており、人の気配はある。
 新たに生まれる苛立ちを蓄え、鞄の底へ入り込んだ鍵を探り出して鍵穴へと差し込み開けた。
「鍵くらい開けときなさいよ!」
 玄関ポーチに入るなり靴を脱ぎ捨て、かりそめの家主へ聞こえるよう怒鳴り散らすが、返答はない。
 フローリングの廊下を進み、リビングへ繋がる引き戸を勢い任せに開くと、渚が怒りを露わにした様子で睨み上げてきた。
「なんだ、返事しないから逃げたかと思った」
「…私が貴女の連絡や指示に応じなかった日はないはずよ」
「そーね。叔母さん、私のいう事聞いてくれてたもんね……飛鳥ができる前までは」
忌々しい従弟の名を出せば、己の身体に閉じ込めた渚が目を見開く。
「みーんなそうだった。父さんも母さんも叔母さんも翔さんも、私の言う事は全部聞いてくれてた」
一歩、また一歩と歩みより、互いの影を重ねて蹴りつける。

「あぁ、叔母さんは全部じゃないわ……翔さんを私にくれなかったもの」

 視界が黒に染まり、次の瞬間には彼女の見ていたであろう視界が映る。

「くれなかった、って…」
「子どもの時に言ったじゃない。[翔お兄ちゃん、私にちょうだい]って」


なのに、くれなかった。


 心底に燻り続けていた嫉妬の炎が、言葉の酸素を得て燃え上がる。
 先刻まで借りていた体の主は苦々しく顔を歪め、言葉を捜して閉口する。
その瞳は驚愕と哀れみを宿しているようにも見え、高遠は渚の頬を平手で打った。
「痛…っ」
「これぐらいどうって事ないでしょ!私はもっと痛かった!!」
 声を上げた叔母の身体を突き飛ばし、仏壇がわりの座卓へと倒れた渚に馬乗りになる。
 抵抗しようと身をよじる叔母を再度平手で打ち、金属製の香炉から零れた灰を掴むと、それを顔に向けて振りかけ、目を一時的に封じた。
「っあ!?」
「あんなにちょうだいって言ったのに!私の心の方が痛かった!!」
 香炉を掴み上げ、目の灰を拭う渚へ打ち付けようとその腕を振り下ろす。


─ ピンポーン
「っ!?」


 突如鳴り響いた玄関チャイムに驚き、腕が慄き止まる。
 目前に映る叔母以外に親族が居ない訳では無いが、元々疎遠であった上に、両親が亡くなって以降は一切の連絡を取っていない。

─ ピンポンピンポーン

 最初の呼び出しから間を空ける事なくチャイムが鳴らされ、怒りが音の煩わしさによって更に過熱してゆく。
「…ぅるっさいわね……」
 勧誘業者が人の居る気配を捉えたのだろう。
 舌打ちを響かせながら渚の体から降りると同時、自身の影を蹴りつけて足元の闇を拡げる。
風呂敷のように伸びた大影は、高遠の意思のままに蠢き、逃亡出来ぬよう叔母の身体を包み床へと縫い止めた。
「逃げようと思ったら、すぐ殺すから」
 憤怒に歪んでいるであろう顔を両手で撫で、床で悶え動く渚に笑みを落として玄関へと向かう。
 脱ぎ捨てていた渚の靴を靴箱へと隠し入れ、チェーンを掛けつつドアスコープを覗くと、黒のスーツに渋皮色の厚手のコートを羽織った黒髪の男が立っていた。
「あのぉ、どちら様ですか?」
 あからさまに怪しい姿に警戒して扉越しに声を掛ければ、コートの内ポケットからパスケースの様な物を取り出し、スコープ前にかざされる。
 小さな覗き穴越しに見える紋様には、銃と矢の様な物が描かれており、その下には【極東国公式認可証明】と銘打たれていた。
(国家、認可証…!?)
「すいません、国民調査を行っておりまして。家主様でございますか?」
「…はい」
 チェーンを掛けたまま、僅かに扉を開ける。
 太陽光を背に浴びているせいか、高い位置にある顔はよく認識が出来ず、重苦しい印象を感じながら男を見上げる。
「あぁ良かった…書面確認によるアンケート調査になっております。直筆でお願いしているんですが、お時間を…」
「今、来客中なので…また後ほど来ていただけませんか?」
 見せられた公的許可証に怯み、高遠は声を上ずらせて保留を提案する。

─ 玄関から外に出てしまうと、自身の使える領域を超えてしまい、叔母の拘束が解けてしまう。

 回避するには男を帰す必要があるが、目前の人間は提案へ首を傾げるだけで、動こうとしない。
「ほんの数分で終わるんですが…」
「お客さん待たせたくないんで、後にしてください」
 語調を強めて断り、扉を閉めようとドアノブを強く引くも、僅かに揺れて動かない。
「っ、なん、…」
「…つかぬ事をお聞きしますが」
 力を込めて何度も引くもビクともせず、怒りと焦りを抱いて男の顔を見上げる。
空へ掛かる雲が陽光を遮り、影に隠されていた表情が顕になると、その口許は笑みが溜められている。
「な、に…?」


「その【お客さん】と言うのは──姫築 渚さん、でしょうか?」


 男の問いに思わず視線を外し、ドアノブから手を離したその瞬間。



─ ガシャン!



 硝子の割れる音が、家中へ響いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

奇妙な日常

廣瀬純一
大衆娯楽
新婚夫婦の体が入れ替わる話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...