EDGE LIFE

如月巽

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Case.01 影者

東都 中央地区α+ 十月三十一日 午後五時三十六分

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 肌が切れてしまいそうな程に冷たい外気を遮断するようにカーテンを引き、簡易キッチンで淹れた温かなココアを幾つものマグカップへと注ぐ。

 一日の大半は、自身の所有物であるマンションの最上階にある部屋か、夕刻は賑やかさを持つ管理室で過ごしている。

 簡素な台所とただ広い洋間が広がる其処は、棟内の部屋と比べれば手狭ではあるが、事務処理をするには少々広すぎる。

「かーんりにんさん、早くー!」
「あー!ずーるーい、あたしが先ー!」

 時間に比較的空きが多い夕方は、近隣に暮らす子ども達が帰って来る時間に合わせ、管理室で学童保育を開き子ども達の面倒を見ている。

「ンなに慌てるなって、もうちょい待ってろ」

 聞こえる子ども達の呼び声に笑いながら返し、疾風は深めの器に菓子を入れて洋室へと向かった。

「あー!おいしいの来たー!」
「どこでも売ってるモンで作ってんぞ?」

 毛足の短いカーペットの上、座卓に広げられていたノートやタブレットが小さな手によって片付けられ、今か今かと目を輝かせて座り直す子ども達の前にマグカップを置いていく。

「かんりにんさんのココアきれい!」
「どういうこった?」
「ママも作ってくれるけどなんか変なツブツブういてるの」
「そりゃ溶かし方の問題だ」

 他愛もない質問に軽く答えつつ、座卓の角で正座したまま硬直する栗毛色の髪と目の少年 - 姫築 飛鳥の前にココアを置く。


 必然か偶然か、保護対象は三ヶ月ほど前に家族でマンションへ越してきたばかりの人物だった。
 具体的に何から守るのかを高遠本人に尋ねても、明確にはされず、特に何事も起きてはいない。
(まぁ、従姉弟いとこだって話だ…頼んでくる事自体は別におかしくはねェが…)
 依頼を受けてから間もなく三週間が経過する。
 偶然を装った事故が起きるでもなく、他の仕事をこなして戻って来ても、特に有事が起きたという報告もない。


「かんりにんさん、ボク…」
「大丈夫だ心配すんな。お前のは豆乳だから」
「ぁ…ありがと、ございます……」

「えー!飛鳥だけちがうのー?」

 自分たちと違うもので作られていることに興味を示したのか、自分達の前に置かれたカップと姫築のカップを次々と覗き込んでは疾風の顔を見上げる。

 平等に品を出す中で、一人に別の物を与えるという特別性へ疑問を抱いているのだろう。

「あぁ。飛鳥のやつは、ちゃんとした理由のあるトクベツなんだ」
「なんでー?」

 見た目ではさほど変わりのない飲料を見較べ、一様に首を傾げては少年に何故かと迫る。

「お前ホンットずるいよな」

 不服の声が上がるとほぼ同時、不機嫌そうに顔をしかめた恰幅の良い少年 - 真鶴まなづる 了平りょうへいが、姫築の前に立ちはだかる。

「そーだぞ、ずるいぞー!」
「ねーねー、なんでなのアスカー」
「ぇ、ぁ……その…」

小さな疑問が、囃し立て言葉を織り交ぜながら積み重なり連なる。

「お前いっつも、給食の牛乳も飲まねーし」
「待った、話を聞いてやれ!」

 詰問に変わったそれに疾風は慌てて割って入ろうとするも、リーダーを得た集団と化した一同の耳に届いていないらしく、好奇と侮蔑の視線に怯えた姫築が後退る。
 真鶴は疾風が置いたマグカップの一つを手に取ると、姫築のマグカップへと傾けて、飲料の池を作りながら混ぜ合わせてしまった。

「ほら、お前のだぁいすきなトクベツだぞ。両方のめるぞ!」
「ゃ…っ」

 水浸しになった座卓へ空にしたマグカップを置き、首を横に振る少年に真鶴が異質の混じるカップを持って口を開けろと強要し、面白がった数人が囃し立てる。

「ほら飲めよ、かんりにんさんとおれのトクベツな─」
「お前ら、粗末にするなら次からナシだ!」

 数枚の布巾を座卓に投げ、張り上げた声に驚いた子ども達の意識が姫築から逸れる。
 その一瞬にマグカップを取り上げて割り込み、呆気に取られて見上げてきた真鶴の頭を指を立ててわし摑んだ。

「っ!?いたいいたいっ!」
「ンなに痛くねェだろ」
「はなせ、はなせよぉ!」
「かんりにんさんいけないんだー!」
「そーだそーだ、ココアをひとじちなんてずるい!」

「ずるくねェぞ?お前たちのお父さんやお母さんが一生懸命働いて作ってくれたお金で、おやつや飲み物は買ってきてるからな。見てみろ」

 騒ぎ立てる真鶴から手を離し、その手で座卓の方を指し示す。
 つられて振り返った少年達が気まずそうに口を噤んでうつむく様子を横目で見つつ、疾風はカップから溢れかけるココアへ口を付けて量を減らすと、へたり込んでしまった姫築の目線までしゃがみ、震える背をそっとさすった。

「大丈夫か飛鳥。悪ィ、俺の言い方が悪かったな」
「へ、いき…です…」

 涙まじりに鼻を鳴らしたのが聞こえたのか、囃し立てていた子どもの一人がこちらを振り向く。

 目元を乱暴に拭う姿に戸惑ったのかしばらく固まっていたが、耐えきれなくなったらしく姫築の傍に座って頭を下げた。

「…ごめんなさい」
「ううん、いいよ」

 謝罪した子どもの頭を撫で、白茶色に染まりきった布巾を回収して水場に浸けると、落ち着きを取り戻し始めた一同を座卓の周りに座らせる。

 疾風のいる場所から一番離れた席に座った真鶴は、自分がやったことを悪いとは思っていない様子で不貞腐れている。

 様々な反応を示す彼らを見渡し、自分の方へ注目を集めるように手を一つ打った。

「もう一回ココアを入れ直す前に、お前たちに聞きたいことがある。何でさっき、あんな大騒ぎに」

「アスカが悪い!」

 疾風の問い掛けを遮り、真鶴が顔を赤らめて大声を張り上げる。

「学校でもここでもトクベツあつかいされるアスカが全部悪いんだ!!」

「っごめ…な…」


「たしかに、特別扱いってのはずるく見えるもんだよな」


 身体を竦ませて謝ろうとする姫築の口元を指先で押さえ塞ぐ。
 紡いだ返答が意外だったのか、子供たちの目が丸く開いて、隣同士で顔を見合わせたり首を傾げあう。
 その様子に疾風は口角を上げ、見上げて来た姫築に声無く「任せろ」と呟いた。

「了平、さっきのココアを飛鳥が飲んだら、どうなってたと思う」

「どーもならないだろっ!せっかくトクベツにしてやったのに、なんで─」



「あれを飲ませたら、お前は【人殺し】になってたかもしれないんだぞ」



 突きつけた剥き出しの言の刃に、返す文言を失った真鶴が目を見開いて固まる。

 東都の中でも、治安が極めて安定しているα+地域で、極めて重い罪を表す言葉を聞くとは思っていなかったのだろう。聞いていた子ども達もまた、疾風を見つめたまま声を失っていた。

「た、ただのココアで、ひとごろしなんか…」

「飛鳥は、牛乳を飲んだらいけない体質なんだ。間違って飲むと、身体中が痒くなったり、息ができなくなっちまう事もあるんだよ」

 年齢が二桁に満たない者たちに、無慈悲で残酷な現実を簡易な単語を並べて重ね告げる。
 息を潜めて話を聞いていた数人が、縮こまりながらも疾風の言葉を受け止めていた姫築を囲む。

「ぅ…」
「あすかくん、ごめんね」
「飲んじゃダメって知らなかった」
「う、うん…」

 口々に告げられる謝罪の言葉に戸惑いながらも頷き、顔色を窺うように見上げて来た少年の頭を撫で、未だ硬直しきった真鶴へと目を戻す。

 事の重大さは伝わったらしく、視線が合った瞬間、息を呑んで目をそらす様子が見てとれ、わざと大きくため息をついた。

「あの、かんりのお兄さん…」

 恐る恐る服の裾を引っ張る少女に呼ばれて視線を下げれば、屈んで欲しいと袖を引かれる。
 膝をフローリングにつけて耳を傾けると、先のココアが気になったのか「飲んでみたい」と耳打ちされ、笑いながら頷いて立ち上がった。

「いいかお前たち。特別、には誕生日みたいに本当に一番なものもあれば、何かしらの理由があってそうしないといけないってモンがあるんだ。よく覚えとけよ」

わかったかー、と全員に聞こえるように声を上げれば、細く小さい腕を目一杯にあげて返事が戻る。

 いくつかのカップを下げながら台所に戻り、先に布巾を洗おうと蛇口をひねると、背後に人の気配を感じた。

「……かんりにんさん、ごめんなさい」
「謝る相手が違うだろ、了平。俺に謝ってどうすんだ?」
「アスカにもちゃんと謝った」
「そうか、だったら良い」

 白茶色の水分を洗い流しながら、悄気たまま謝ってきた真鶴に返事を返す。
 置き忘れていたらしいマグカップを持ってきてくれたらしく、少々手狭な置き台にそれを置き、疾風の洗った布巾を簡素な物干し台へ率先して掛けてくれる。

「お、ありがとな」
「ううん、かんりにんさんこそ、ありがとう」
「何が?」
「オレ、アスカが牛乳飲めないの知らなかったから…」

うつむいて口を尖らせたまま話す様子に苦笑し、短く刈り込まれた頭を撫でながら宥める。

「大事にならなかったんだ、次に気をつければ」
「飲めるようになるようにして欲しいって、頼まれてたんだ、だから…」


「…了平、いま、何つった?」


「え?飲めるようになるように…」
「誰に頼まれたんだ、それ」

 聞き返した質問へ素直な回答した、真鶴が首をかしげる。
発言された一言に、疾風は耳を疑い眉間に皺を寄せた。
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