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Xtra.01 花便り
贈り贈られ送る言ノ葉
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御影石で造られた石塔へ、水を掬った柄杓を傾けて埃を落として布たわしで磨く。
合同墓所に備え付けの水場は冷水だけが汲み上げられるため、各々の墓所では手の暖を取りながら交代で掃除をする者や、持参してきた湯で清掃するものが多い。
そんな中、一人の男は体温を奪われることなど気にも留めずに新たな水を一掛けする。
「…そろそろ色入れしてもらった方が良いか」
建立主を知らせる紅と戒名の白墨がすっかり落ち切ってしまった文字を撫で、汚泥を落として石の持つ本来の色へと戻した疾風は、乾いた布布巾で水気を拭き取り、ロケットペンダントを開いて水鉢へと置く。
一対の花立てへ水を張り、温暖な気候である【南都】へ里帰りをしている都築に頼んで取り寄せてもらった花達を敷石の上へそっと広げる。
白く大振りの花である〈アングレカム〉を左右に一輪ずつ挿し、幾重にも咲き連なる〈ストック〉と〈スターチス〉の色彩を与えてゆく。
思っていたよりも多かった花量に苦笑しつつ、生前の妻が四季折々の花と共に必ず飾っていた〈カスミソウ〉を添え挿れれば、無色に等しかったその場所は華やかに変わる。
「…わざわざ取り寄せるなんて珍しい」
「選んでやりたい気分だったんだよ。自分の嫁さんに何やっても良いだろ」
疾斗に背を向けたまま返答し、飾りきれず残った花々を一つにまとめ外柵に立てかけて、線香を焚く。
一束を二つに分け渡し、膝を折り香炉へ供えて手を合わせれば、香煙が微風に流れ樹木の薫りを僅かに広める。亡き妻への想いを唱えるように一つ深い息を吐いて墓石前から立ち上がれば、双眸を眇めたまま首を捻る疾斗の姿を捉えた。
「どうかしたか?」
「いや…見れば分かる」
普段であれば端的でも回答を返す実弟が珍しく言葉を濁し、視線を外さぬまま階段を上がり、拝石の下へ身を屈める。
(見れば分かるってどういうこった?)
先程まで向けられていた視線の方向を確認して外柵沿いに歩けば、石塔の裏側に置く地蔵の側面にたどり着く。見る限りではおかしな様子はないが、何処か傷でも入ってしまっているのだろうかと顔を上げると、見慣れぬ葉茎が視界に入り反射的に掴んだ。
「………シオン?」
死角に位置する場にあったために判らなかったのかもしれない。
いつかに感じた事のあるざらついた感触に、濃黄の細かな筒状花を中心に薄紫の花弁を纏った小花が先端で咲き連なり乱れている。
空気も水も凍てつく真冬である今、秋に咲くはずの花が何故咲いているのだろう。
風でいつの間にか種が運ばれて成長していたのか、地中深くで眠っていた宿根が目覚めて狂い咲いたのか。
「この花、今までここになかったよな」
「ああ、少なくとも先月までは咲いてなかった」
毎月来て掃除はしているが、周囲の除草はこの墓地を管理する寺の住職が行っている。敷地内の至る所には緑が植えられていることもあり、わざわざ刈り取る必要はないと判断して残してくれていたのだろう。
自分もそういう物だと認知していたため全く気に留めていなかった。
「このままでいいのか?」
「んー…こんだけキレイに咲かれちゃ抜くのはな」
手折るには勿体無いほど綺麗な、季節を忘れて開いた儚い命。
今この場に伊純が居たら、疾斗の言葉に目を丸くして間違いなく説教が始まった事だろう。
─いい、疾風?花ならなんでもいい訳じゃないの。
花にも言葉があって、組み合わせが大切なのよ?
─へぇ…そこに挿したそいつらにも意味があるのか?
─もちろんよ!ちゃんと考えて生けてるわ。
私から大切な二人への手紙なんだから。
追憶の中で少し頬を膨らませる愛しい人に思わず苦笑がもれ、隣に立つ実弟に音なき問いと共に首を傾げられる。
「…ガラにもねえコト思っただけだ」
一言答えながら手桶の水を乾いた地へ撒き、背高のシオンから二本切り出す。
墓前の花へ一つずつ挿し加え、フレーバーシガレットへ火を点して香炉に供えれば、線香の香煙と共に甘い薫りが風に溶けてゆく。
腕の中で笑いながら泣いて消えて逝った妻。
逢う事も腕に抱く事も叶わなかった我が子。
失い、喪ってなお、此の世界に生きる自分。
言葉で話すことは永劫に赦されずとも、音ではない会話なら見逃して貰えるだろう。
「そろそろ帰るか」
地蔵へ手を合わせる疾斗へ声を掛ければ、僅かに頷いて寒さに収縮した身体を伸ばす。
その姿を横目に置いていたロケットペンダントを首に戻して、僅かに残していた水で水鉢を満たした疾風は、墓石に彫られた戒名を指で辿ると階段石を踏み降りた。
合同墓所に備え付けの水場は冷水だけが汲み上げられるため、各々の墓所では手の暖を取りながら交代で掃除をする者や、持参してきた湯で清掃するものが多い。
そんな中、一人の男は体温を奪われることなど気にも留めずに新たな水を一掛けする。
「…そろそろ色入れしてもらった方が良いか」
建立主を知らせる紅と戒名の白墨がすっかり落ち切ってしまった文字を撫で、汚泥を落として石の持つ本来の色へと戻した疾風は、乾いた布布巾で水気を拭き取り、ロケットペンダントを開いて水鉢へと置く。
一対の花立てへ水を張り、温暖な気候である【南都】へ里帰りをしている都築に頼んで取り寄せてもらった花達を敷石の上へそっと広げる。
白く大振りの花である〈アングレカム〉を左右に一輪ずつ挿し、幾重にも咲き連なる〈ストック〉と〈スターチス〉の色彩を与えてゆく。
思っていたよりも多かった花量に苦笑しつつ、生前の妻が四季折々の花と共に必ず飾っていた〈カスミソウ〉を添え挿れれば、無色に等しかったその場所は華やかに変わる。
「…わざわざ取り寄せるなんて珍しい」
「選んでやりたい気分だったんだよ。自分の嫁さんに何やっても良いだろ」
疾斗に背を向けたまま返答し、飾りきれず残った花々を一つにまとめ外柵に立てかけて、線香を焚く。
一束を二つに分け渡し、膝を折り香炉へ供えて手を合わせれば、香煙が微風に流れ樹木の薫りを僅かに広める。亡き妻への想いを唱えるように一つ深い息を吐いて墓石前から立ち上がれば、双眸を眇めたまま首を捻る疾斗の姿を捉えた。
「どうかしたか?」
「いや…見れば分かる」
普段であれば端的でも回答を返す実弟が珍しく言葉を濁し、視線を外さぬまま階段を上がり、拝石の下へ身を屈める。
(見れば分かるってどういうこった?)
先程まで向けられていた視線の方向を確認して外柵沿いに歩けば、石塔の裏側に置く地蔵の側面にたどり着く。見る限りではおかしな様子はないが、何処か傷でも入ってしまっているのだろうかと顔を上げると、見慣れぬ葉茎が視界に入り反射的に掴んだ。
「………シオン?」
死角に位置する場にあったために判らなかったのかもしれない。
いつかに感じた事のあるざらついた感触に、濃黄の細かな筒状花を中心に薄紫の花弁を纏った小花が先端で咲き連なり乱れている。
空気も水も凍てつく真冬である今、秋に咲くはずの花が何故咲いているのだろう。
風でいつの間にか種が運ばれて成長していたのか、地中深くで眠っていた宿根が目覚めて狂い咲いたのか。
「この花、今までここになかったよな」
「ああ、少なくとも先月までは咲いてなかった」
毎月来て掃除はしているが、周囲の除草はこの墓地を管理する寺の住職が行っている。敷地内の至る所には緑が植えられていることもあり、わざわざ刈り取る必要はないと判断して残してくれていたのだろう。
自分もそういう物だと認知していたため全く気に留めていなかった。
「このままでいいのか?」
「んー…こんだけキレイに咲かれちゃ抜くのはな」
手折るには勿体無いほど綺麗な、季節を忘れて開いた儚い命。
今この場に伊純が居たら、疾斗の言葉に目を丸くして間違いなく説教が始まった事だろう。
─いい、疾風?花ならなんでもいい訳じゃないの。
花にも言葉があって、組み合わせが大切なのよ?
─へぇ…そこに挿したそいつらにも意味があるのか?
─もちろんよ!ちゃんと考えて生けてるわ。
私から大切な二人への手紙なんだから。
追憶の中で少し頬を膨らませる愛しい人に思わず苦笑がもれ、隣に立つ実弟に音なき問いと共に首を傾げられる。
「…ガラにもねえコト思っただけだ」
一言答えながら手桶の水を乾いた地へ撒き、背高のシオンから二本切り出す。
墓前の花へ一つずつ挿し加え、フレーバーシガレットへ火を点して香炉に供えれば、線香の香煙と共に甘い薫りが風に溶けてゆく。
腕の中で笑いながら泣いて消えて逝った妻。
逢う事も腕に抱く事も叶わなかった我が子。
失い、喪ってなお、此の世界に生きる自分。
言葉で話すことは永劫に赦されずとも、音ではない会話なら見逃して貰えるだろう。
「そろそろ帰るか」
地蔵へ手を合わせる疾斗へ声を掛ければ、僅かに頷いて寒さに収縮した身体を伸ばす。
その姿を横目に置いていたロケットペンダントを首に戻して、僅かに残していた水で水鉢を満たした疾風は、墓石に彫られた戒名を指で辿ると階段石を踏み降りた。
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