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Case.02 雨
東都 北西地区β 二月二日 午前十一時二十三分
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意図せぬ旅立ちを嘆く雲が覆いつくし、冷えた涙を降らせている。
(逝く日まで雨なんてな)
喪服を纏った疾風は香炉へ抹香を散らし、照れたように笑う遺影へと静かに手を合わせる。
斎場は故人を偲ぶ啜り泣きと弔う経を読む声に満ち、葬送の儀は粛々と進められてゆく。
─ 訃報を知ったのは一昨日の事だった。
テレビを消そうと画面を見ると、キャスターの後ろへ見慣れた男の姿が写っていた。
降り頻る雨で視界が悪い中、信号無視をした大型トラックが横転し、歩行者を巻き込みそうになったところで津波のような水流が現れたのだという。
水流は車両を包み込んで強制停止させ、歩行者は無事だったらしい。
しかし、現場の傍に止められていた警察車両から降り立っていた刑事が、足元の水溜りを波打たせながら息絶えていた、と報じていた。
斑鳩を経由して彼へ連絡をとったあの日、最末期症状を少しでも遅らせるため、能力使用禁止の勧告は出していた。元々強い正義感と信念を持っていた男は、目前の危機に使ってしまったのだろう。
日常へと戻った依頼人へ連絡を取るべきかと携帯端末を手に取り、画面を見つめれば見慣れぬ番号と共に着信音が鳴りだし、耳に押し当てると、涙を堪えた綾果が唐須間の逝去を告げた。
(…らしいっちゃらしいが、それ以外に無かったのかよ)
仕事に戻るつもりだろうと思ってはいたが、こんな形で別れる事になるとは思ってもいなかった。
黒無地の和服を纏う喪主へ一礼し、置かれた花々から数輪の都忘れを手に取る。
様々な色に囲まれ穏やかに眠る唐須間の肩脇へと手向けて場を離れれば、弔問に訪れた者達もまた各々の祈りを花に込め、長旅への餞を蓋の開かれた棺へ詰めてゆく。
遺族から旅立ちの花輪を入れ閉じ、弔辞が読まれると一般葬列者の退席が案内される。
遺族へと挨拶を交わす者の中、顔に見覚えのある警察関係者を見つけ、出口に詰まる人の気配が少なくなるまでは、と座り直し遺影を見つめた。
「唐須間さん…アンタ、身体残って良かったな」
内臓は変われども最期まで自身を象る肉体が残ったのは、彼の願いが代償症状に打ち勝ったからであろうか。
それが幸か不幸だったかは棺の中の本人にしか解らない。
能力の代償症状最末期を迎えた者は、能力に殉ずる末路を迎えて肉体ごと失い消えて逝く事が大半である。
疾風の妻であった伊純もまたその一人で、ゆっくりと透けていく彼女に何もしてやれ無いまま最期を迎え、自分の腕の中で笑って消えて逝った。
肉体の無い奇妙な葬送に義妹は怒り泣き、一年余りを自暴自棄に過ごしていた時期があった。
少なくとも人知れず水に還って家族を待たせ続けるよりは良いのでは無いだろうか。
胸を締め上げられるような圧迫感に息を緩めながら立ち、笑う唐須間へ一礼する。
人が居なくなった出口へと足を向けると、そこには遺族達が立っていた。
「新堂さん、今日はありがとうございます」
「いえ…旦那さんには、世話になったんで」
ゆるりと頭を下げた綾果に会釈で返せば、それに釣られた息子もまた頭を下げる。
唐須間の目元に良く似たその顔は赤らんでおり、何かを伝えようとしているのか口が動いてはいるが音になるまでには至らない。
「っお礼なんて言わなくていいじゃない!!」
兄の隣で俯き泣くのを食いしばり耐えていた娘が、声を張り上げると同時に飛び付き、上衣の襟を掴まれる。
悲涙を溜めた朱眼を細め睨みつけてくるその顔は、怒りを募らせた組頭の表情に似ていた。
「請負人に会わせてくれたら、もっと早く止めてもらえた!!お父さんの治療ももっとしてもらえた!!死んだりしなかった!!」
「美雨!お前、やめろ!!」
「あなたが悪いのよっ!!請負人に会わせてくれなかったから!」
沸き上がる感情のまま目元の水を雫に変えて流す娘に揺すぶられるまま、痛罵に胸が貫かれてゆく。
「会わせてくれてれば、あの日お父さんを止められたかもしれなったのに!!」
「っ…」
「かえして…!お父さんを、返してよ…!!」
『かえして…お姉ちゃんを、返してよぉ…っ』
投げつけられた悲痛な訴えに、過去の義妹の姿が重なり、疾風は思わず息を詰める。
あの頃も今回も、自分が捜し求めている人物だと言うことを伏せた。それは、万一の事を考えたが故の結果だった。
しかし彼女の言う通り、もしも自分が請負人だと話していれば、どちらも命を落とすほどの症状進行は無かったのかもしれない。
衿を掴んだまま泣き崩れてしまった娘を青年が宥めつつ、動くことが出来なくなってしまっていた自分へ謝罪して席を外す。
しゃくり上げて此方を睨めつけるその目に憎しみが宿っているのを感じつつ、返す言葉もないまま見送った。
「娘が失礼しました、雄吾さんの身体についての話はしたんですが、ずっとあの調子で…」
「いえ…こちらこそ、この様な事になってしまい、本当に申し訳ございません」
頭を下げようとする綾果の肩に触れて止め、困惑気味のその顔へ苦笑し、疾風は深く頭を下げる。
どんな叱咤も受け入れようと唇を引き結び、娘の言葉が重く刺さったままの体を起こして見れば、綾果は穏やかに笑っていた。
「どうかご自身を責めないでください。あの人は…雄吾さんは、自分の仕事を全うして逝ったんです。新堂さんのせいではありません。それに、お二人は私とあの人の【願い】を叶えてくれたじゃありませんか」
「願い…【依頼】では、なく?」
「ええ。確かに請負人であるお二人にとっては【依頼】でしょう。ですが、私や雄吾さんが頼んだ内容は、離ればなれになってしまってからずっと願っていたことでした」
永い眠りの旅路についた男を送り出す女は、切長の朱眼を柔らかに細めて静かに涙を流し、思いの丈を言の葉に綴る。
「私達だけではどうしようも出来なかった事を、お二人は身を挺して遂げてくださった。そのおかげで幸せな時間が過ごせたんです。ですからどうか、謝らないでください」
「……お気遣い、感謝します」
依頼人の解への困惑と、自身の不甲斐なさに対する嘲笑が入り混じり、上手く顔を作ることが出来ないまま気丈に振る舞う喪主へ再度一礼する。
此方を注視する僅かな視線を感じ、顔を上げてみれば、長く話す自分を不審に思っているのか二人が此方を見ていた。
ただでさえ娘から怨みを買っている状況でこれ以上の長居をすれば、やり場を失っている怒りの矛先は母である彼女へ向きかねないだろう。
上衣の乱れを直し、綾果の数歩前を歩き出口へと向かえば、封書の様なものを手に持つ青年と今だ睨むことをやめない娘が立っていた。
「早く帰ってよ!このひとご──」
「美雨!!」
「っ…!だ、って……」
母の一喝で興奮状態に陥っている娘が叫ぼうとした言葉が背を突く。重く胸に響く脈を感じながら、空を一度見てみれば、小降りの雨に変わっていた。
「母さん、美雨をお願い」
再度泣き出してしまった美雨の背を撫でた千尋に呼び止められ、疾風は閉まりかける自動ドアから身体を引く。
ロビーと外界の狭間であるポーチの中、緊張しているのか息を整えている綾果の息子に向き直れば、父に似た口元を引き締め、手にしていた封書を差し出してくる。
その表書きには、初めて筆を握った幼子のような字で【うけおいにんさま】と書かれていた。
「これは…」
「親父の部屋にあったんです。……どうか、受け取ってください」
「何故、俺に?」
「……【請負人さん】は俺達に一切会ってくれませんでした。でも、【管理人さん】なら、会ってくれると、思う、の…で…」
腹を決めて真摯に此方に話し掛けていた千尋は、自信が揺らいでしまったのか徐々に語尾が消えてゆく。
根の真面目さは父に似ているが、気の強さまでは受け継げていない青年に眉を下げて笑い、封書を受け取った。
「…わかった。こいつは受け取る」
「っ!」
「無理して難しく言わなくて良い。気付いてました、でも別に怒りゃしねぇから」
敬語を砕いていつもの調子で話し掛ければ、驚いて目を見開いていた千尋が困惑と照れを混ぜながらくしゃりと笑う。
遺影に映っていた唐須間とそっくりなその顔から目を逸らし、顔を引き締めて青年へ一礼し、停車車両が疎らになった駐車場へと向かう。
運転席に乗り込んでダッシュボードからナイフを取り出し封書の口を一文字に切り開けてみると、小切手と疎らに折れた便箋が一枚入っていた。
(そういや、手が上手く動かなくなってたって電話で言って…っ……)
すまなかった ありがとう
拠れ折れていた紙片いっぱいに書かれたその字は、表書きと同じように書かれている。
「……ンだよ、クソったれ…」
手紙から換金することが出来る長方型の紙に目を移せば、自分が見慣れていた唐須間の癖字て相当の金額と本人の氏名が記入されている。
「アンタ、ずっと、依頼するつもりでいたってことかよ…」
何でもっと早く言ってくれなかったんだ。
間もなく空へと旅立つであろう亡き依頼主へ、届くはずもない悪態を吐く。
この何年間もの間、理由は違えど彼は過去の自分と同じように、愛する者がそばにいない日々に苦難していたのだろう。仕事で何度となく会っていたとは言え、一言の相談も一切の連絡もされたことはなかった。
国家認可を受けている請負人とは言えども、何もなければ此方は動くことなど出来るはずもない。
「……表が解ったから、裏もわかっちまったって事かよ。マジ巫山戯んじゃねェよ…」
止みかけていた雨は疾風の心を読んだように、また強く降り始める。
悲しくも苦しくも、涙を喪失してしまった自分に、泣くことは一切赦されない。
「……コレは、辛ェわ……」
締め付ける様な胸苦しさに乱される呼吸音は、車体を叩く強雨の水音に掻き消えた。
結果報告書 (全 三件)
一.
依 頼 人 飛雅 剛
内 容 飛伽組組員の捜索 及 敵対者の排除
請負期間 一月二十一日 ~ 一月二十六日
受 諾 人 新堂 疾斗
斑鳩 和樹
報 酬 三五〇万円 ※満額報酬…九二〇万円
備 考
行方不明とされていた飛伽組構成員については、依頼受諾前に死亡していた事を確認
敵対者排除については、対象の人物特定は完了していたが、対象者について詳細を調査した結果、依頼人・飛雅 剛の暴動が主な原因だと発覚した
受諾人・新堂疾斗は職務強制破棄・依頼者拘束令を実行
そのため、報酬額は全体の4割とする
二.
依 頼 人 唐須間 綾果
内 容 飛伽組本部の解体
請負期間 一月二十三日 ~ 一月二十六日
受 諾 人 新堂 疾斗
新堂 疾風
報 酬 一二〇〇万円
備 考
本件の依頼は依頼人・唐須間綾果より一月五日の時点で相談を受けていた
しかし、最低提示条件を一部受諾拒否されていたため保留としていた
飛伽組本部は、組頭・飛雅剛を強制拘束の上逮捕となったため、事実上解体
現在は南都内の警察機構によって調査となっている
三.
依 頼 人 唐須間 雄吾
内 容 唐須間 綾果の奪還 及 一家の修復
請負期間 一月二十三日 ~ 一月三十一日
受諾人 新堂 疾風
報酬 二〇〇〇万円
備考
なし
(逝く日まで雨なんてな)
喪服を纏った疾風は香炉へ抹香を散らし、照れたように笑う遺影へと静かに手を合わせる。
斎場は故人を偲ぶ啜り泣きと弔う経を読む声に満ち、葬送の儀は粛々と進められてゆく。
─ 訃報を知ったのは一昨日の事だった。
テレビを消そうと画面を見ると、キャスターの後ろへ見慣れた男の姿が写っていた。
降り頻る雨で視界が悪い中、信号無視をした大型トラックが横転し、歩行者を巻き込みそうになったところで津波のような水流が現れたのだという。
水流は車両を包み込んで強制停止させ、歩行者は無事だったらしい。
しかし、現場の傍に止められていた警察車両から降り立っていた刑事が、足元の水溜りを波打たせながら息絶えていた、と報じていた。
斑鳩を経由して彼へ連絡をとったあの日、最末期症状を少しでも遅らせるため、能力使用禁止の勧告は出していた。元々強い正義感と信念を持っていた男は、目前の危機に使ってしまったのだろう。
日常へと戻った依頼人へ連絡を取るべきかと携帯端末を手に取り、画面を見つめれば見慣れぬ番号と共に着信音が鳴りだし、耳に押し当てると、涙を堪えた綾果が唐須間の逝去を告げた。
(…らしいっちゃらしいが、それ以外に無かったのかよ)
仕事に戻るつもりだろうと思ってはいたが、こんな形で別れる事になるとは思ってもいなかった。
黒無地の和服を纏う喪主へ一礼し、置かれた花々から数輪の都忘れを手に取る。
様々な色に囲まれ穏やかに眠る唐須間の肩脇へと手向けて場を離れれば、弔問に訪れた者達もまた各々の祈りを花に込め、長旅への餞を蓋の開かれた棺へ詰めてゆく。
遺族から旅立ちの花輪を入れ閉じ、弔辞が読まれると一般葬列者の退席が案内される。
遺族へと挨拶を交わす者の中、顔に見覚えのある警察関係者を見つけ、出口に詰まる人の気配が少なくなるまでは、と座り直し遺影を見つめた。
「唐須間さん…アンタ、身体残って良かったな」
内臓は変われども最期まで自身を象る肉体が残ったのは、彼の願いが代償症状に打ち勝ったからであろうか。
それが幸か不幸だったかは棺の中の本人にしか解らない。
能力の代償症状最末期を迎えた者は、能力に殉ずる末路を迎えて肉体ごと失い消えて逝く事が大半である。
疾風の妻であった伊純もまたその一人で、ゆっくりと透けていく彼女に何もしてやれ無いまま最期を迎え、自分の腕の中で笑って消えて逝った。
肉体の無い奇妙な葬送に義妹は怒り泣き、一年余りを自暴自棄に過ごしていた時期があった。
少なくとも人知れず水に還って家族を待たせ続けるよりは良いのでは無いだろうか。
胸を締め上げられるような圧迫感に息を緩めながら立ち、笑う唐須間へ一礼する。
人が居なくなった出口へと足を向けると、そこには遺族達が立っていた。
「新堂さん、今日はありがとうございます」
「いえ…旦那さんには、世話になったんで」
ゆるりと頭を下げた綾果に会釈で返せば、それに釣られた息子もまた頭を下げる。
唐須間の目元に良く似たその顔は赤らんでおり、何かを伝えようとしているのか口が動いてはいるが音になるまでには至らない。
「っお礼なんて言わなくていいじゃない!!」
兄の隣で俯き泣くのを食いしばり耐えていた娘が、声を張り上げると同時に飛び付き、上衣の襟を掴まれる。
悲涙を溜めた朱眼を細め睨みつけてくるその顔は、怒りを募らせた組頭の表情に似ていた。
「請負人に会わせてくれたら、もっと早く止めてもらえた!!お父さんの治療ももっとしてもらえた!!死んだりしなかった!!」
「美雨!お前、やめろ!!」
「あなたが悪いのよっ!!請負人に会わせてくれなかったから!」
沸き上がる感情のまま目元の水を雫に変えて流す娘に揺すぶられるまま、痛罵に胸が貫かれてゆく。
「会わせてくれてれば、あの日お父さんを止められたかもしれなったのに!!」
「っ…」
「かえして…!お父さんを、返してよ…!!」
『かえして…お姉ちゃんを、返してよぉ…っ』
投げつけられた悲痛な訴えに、過去の義妹の姿が重なり、疾風は思わず息を詰める。
あの頃も今回も、自分が捜し求めている人物だと言うことを伏せた。それは、万一の事を考えたが故の結果だった。
しかし彼女の言う通り、もしも自分が請負人だと話していれば、どちらも命を落とすほどの症状進行は無かったのかもしれない。
衿を掴んだまま泣き崩れてしまった娘を青年が宥めつつ、動くことが出来なくなってしまっていた自分へ謝罪して席を外す。
しゃくり上げて此方を睨めつけるその目に憎しみが宿っているのを感じつつ、返す言葉もないまま見送った。
「娘が失礼しました、雄吾さんの身体についての話はしたんですが、ずっとあの調子で…」
「いえ…こちらこそ、この様な事になってしまい、本当に申し訳ございません」
頭を下げようとする綾果の肩に触れて止め、困惑気味のその顔へ苦笑し、疾風は深く頭を下げる。
どんな叱咤も受け入れようと唇を引き結び、娘の言葉が重く刺さったままの体を起こして見れば、綾果は穏やかに笑っていた。
「どうかご自身を責めないでください。あの人は…雄吾さんは、自分の仕事を全うして逝ったんです。新堂さんのせいではありません。それに、お二人は私とあの人の【願い】を叶えてくれたじゃありませんか」
「願い…【依頼】では、なく?」
「ええ。確かに請負人であるお二人にとっては【依頼】でしょう。ですが、私や雄吾さんが頼んだ内容は、離ればなれになってしまってからずっと願っていたことでした」
永い眠りの旅路についた男を送り出す女は、切長の朱眼を柔らかに細めて静かに涙を流し、思いの丈を言の葉に綴る。
「私達だけではどうしようも出来なかった事を、お二人は身を挺して遂げてくださった。そのおかげで幸せな時間が過ごせたんです。ですからどうか、謝らないでください」
「……お気遣い、感謝します」
依頼人の解への困惑と、自身の不甲斐なさに対する嘲笑が入り混じり、上手く顔を作ることが出来ないまま気丈に振る舞う喪主へ再度一礼する。
此方を注視する僅かな視線を感じ、顔を上げてみれば、長く話す自分を不審に思っているのか二人が此方を見ていた。
ただでさえ娘から怨みを買っている状況でこれ以上の長居をすれば、やり場を失っている怒りの矛先は母である彼女へ向きかねないだろう。
上衣の乱れを直し、綾果の数歩前を歩き出口へと向かえば、封書の様なものを手に持つ青年と今だ睨むことをやめない娘が立っていた。
「早く帰ってよ!このひとご──」
「美雨!!」
「っ…!だ、って……」
母の一喝で興奮状態に陥っている娘が叫ぼうとした言葉が背を突く。重く胸に響く脈を感じながら、空を一度見てみれば、小降りの雨に変わっていた。
「母さん、美雨をお願い」
再度泣き出してしまった美雨の背を撫でた千尋に呼び止められ、疾風は閉まりかける自動ドアから身体を引く。
ロビーと外界の狭間であるポーチの中、緊張しているのか息を整えている綾果の息子に向き直れば、父に似た口元を引き締め、手にしていた封書を差し出してくる。
その表書きには、初めて筆を握った幼子のような字で【うけおいにんさま】と書かれていた。
「これは…」
「親父の部屋にあったんです。……どうか、受け取ってください」
「何故、俺に?」
「……【請負人さん】は俺達に一切会ってくれませんでした。でも、【管理人さん】なら、会ってくれると、思う、の…で…」
腹を決めて真摯に此方に話し掛けていた千尋は、自信が揺らいでしまったのか徐々に語尾が消えてゆく。
根の真面目さは父に似ているが、気の強さまでは受け継げていない青年に眉を下げて笑い、封書を受け取った。
「…わかった。こいつは受け取る」
「っ!」
「無理して難しく言わなくて良い。気付いてました、でも別に怒りゃしねぇから」
敬語を砕いていつもの調子で話し掛ければ、驚いて目を見開いていた千尋が困惑と照れを混ぜながらくしゃりと笑う。
遺影に映っていた唐須間とそっくりなその顔から目を逸らし、顔を引き締めて青年へ一礼し、停車車両が疎らになった駐車場へと向かう。
運転席に乗り込んでダッシュボードからナイフを取り出し封書の口を一文字に切り開けてみると、小切手と疎らに折れた便箋が一枚入っていた。
(そういや、手が上手く動かなくなってたって電話で言って…っ……)
すまなかった ありがとう
拠れ折れていた紙片いっぱいに書かれたその字は、表書きと同じように書かれている。
「……ンだよ、クソったれ…」
手紙から換金することが出来る長方型の紙に目を移せば、自分が見慣れていた唐須間の癖字て相当の金額と本人の氏名が記入されている。
「アンタ、ずっと、依頼するつもりでいたってことかよ…」
何でもっと早く言ってくれなかったんだ。
間もなく空へと旅立つであろう亡き依頼主へ、届くはずもない悪態を吐く。
この何年間もの間、理由は違えど彼は過去の自分と同じように、愛する者がそばにいない日々に苦難していたのだろう。仕事で何度となく会っていたとは言え、一言の相談も一切の連絡もされたことはなかった。
国家認可を受けている請負人とは言えども、何もなければ此方は動くことなど出来るはずもない。
「……表が解ったから、裏もわかっちまったって事かよ。マジ巫山戯んじゃねェよ…」
止みかけていた雨は疾風の心を読んだように、また強く降り始める。
悲しくも苦しくも、涙を喪失してしまった自分に、泣くことは一切赦されない。
「……コレは、辛ェわ……」
締め付ける様な胸苦しさに乱される呼吸音は、車体を叩く強雨の水音に掻き消えた。
結果報告書 (全 三件)
一.
依 頼 人 飛雅 剛
内 容 飛伽組組員の捜索 及 敵対者の排除
請負期間 一月二十一日 ~ 一月二十六日
受 諾 人 新堂 疾斗
斑鳩 和樹
報 酬 三五〇万円 ※満額報酬…九二〇万円
備 考
行方不明とされていた飛伽組構成員については、依頼受諾前に死亡していた事を確認
敵対者排除については、対象の人物特定は完了していたが、対象者について詳細を調査した結果、依頼人・飛雅 剛の暴動が主な原因だと発覚した
受諾人・新堂疾斗は職務強制破棄・依頼者拘束令を実行
そのため、報酬額は全体の4割とする
二.
依 頼 人 唐須間 綾果
内 容 飛伽組本部の解体
請負期間 一月二十三日 ~ 一月二十六日
受 諾 人 新堂 疾斗
新堂 疾風
報 酬 一二〇〇万円
備 考
本件の依頼は依頼人・唐須間綾果より一月五日の時点で相談を受けていた
しかし、最低提示条件を一部受諾拒否されていたため保留としていた
飛伽組本部は、組頭・飛雅剛を強制拘束の上逮捕となったため、事実上解体
現在は南都内の警察機構によって調査となっている
三.
依 頼 人 唐須間 雄吾
内 容 唐須間 綾果の奪還 及 一家の修復
請負期間 一月二十三日 ~ 一月三十一日
受諾人 新堂 疾風
報酬 二〇〇〇万円
備考
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