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Case.02 雨
南都 南地区γ− 一月二十六日 午後八時五十六分
しおりを挟む紅掛色から藍に変わった空は濃灰に埋め尽くされ、降り始めた春雨に濡れた外気は少々冷たい。
「金なら言い値で出してやる!儂を護れ請負屋!」
「落ち着いてください飛雅さん、焦れば差出人の思う壺です!」
「大丈夫ですよあなた、少し落ち着い」
「五月蝿い黙れ!!」
昨日までの余裕を何処かへ散らし、飛雅は若男衆達に抑えられる腕を振り払わんと捥がき、背を向けたままの紫髪の請負屋へと喚く。
─事の発端は午前中のことだった。
郵便物が届くにはまだ早い時間帯に、差出人も受領印もない封書が投函された。
入れられていたのは一枚の紙とボイスレコーダーで、藁半紙のような安紙には今日の日付と時間だけが印字されている。
幾度となく悪戯に手紙が送られてくることはあった。
しかし、あまりにも簡素過ぎる文面で全く意図の取れぬ紙面に首をひねりつつ、同封されていたレコーダーを再生した。
俺ガ 一体ナニヲ シタンダ
返シテクレ カエシテクレ
大切ナ家族ヲ 大切ナ人ヲ
酷い雑音に混じり、様々な電子音声が恨み言を撒き散らす。
その薄気味悪さに停止ボタンを押すが、一向に音声は止まらない。
底知れぬ恐怖に追い立てられ、飛雅は木製の床へと叩き付けて力を込めて踏み潰せば、足下から破砕音が聞こえ、音声が止まる。
「っ…気持ち悪ぃ悪戯しやがっ」
ザザッ……ジッ………ザッ…
「…な」
憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ
飛雅ガ憎イ 奪イ取リ笑ウ アイツガ憎イ
「ッ、なんっ!?このっ…!」
半分に割れた小型機材を幾度も踏みつけ、元の形状には戻せない状態にしてもなお、電子音は止まらない。
失ウ 辛サ ヲ 知レバ良イ
壊レル 恐怖ヲ 思イ知レバ良イ
コノ怨ミ 晴ラサデ オクベキカ
砕けている筈のボイスレコーダーの音声が止まるや否や後、飛雅はすぐさま請負屋へと連絡して護衛を依頼した。
紫髪の男からは返事はあったものの、あろうことか夕方に現れ、そばで聞いていた綾果と共に話し、「間違いなく自分を狙った犯行だ」と伝えれば、困惑とも嘲笑とも取れる表情を見せた。
(どいつもこいつもふざけやがって…!)
撥ねた雨粒の冷たさに、代理だと言っていた奇妙な男の手の冷たさと、レコーダーに残されていた地の底から響くような最後の音を思い出し、着物下で腕が粟立つ。
雨夜の門戸前に立った青年は、なにかを待つかのように動かない。飛雅は男衆を振り解きながら新堂を睨めつける。
「おい、何を待っている?」
「相手はわざわざ時間を指定してきたんです。と言うことは、奇襲はまずないでしょう」
「待つ真似なんぞせずに征けばいいだろう!向こうがやらないならこっちから」
「たとえ何からであれ、時間の指定があればそれは守ります。それが俺等の主義ですので」
髪を掻き、左手がレッグホルスターの片手銃へと伸ばされる。
銃に触れた男からは異様なまでの好戦的気配が揺らぐように沸き、飛雅は思わず息と声を呑む。
─ パシャン パチャッ
地に溜まる水が跳ねる音は、規則的に不定の調べを奏でて近づく。
上背に湿る汗の感覚に身を震わせ、向闇に現れた人影へと視線を向けると、それは門戸から数メートル離れた場所で止まる。
薄明りに浮かんだその相貌は、目前で背を向けている青年と同じ物だった。
明滅を繰り返す寿命間際の街灯が、背格好から服装、装備までもが瓜二つの姿を映し出す。
唯一の違いは髪色と話す声だけだ。
「…なんでまだそっちにいるんだ、疾斗。俺は契約を破棄しろと言った筈だ」
雨に濡れる緑髪を左手で掻き上げ、服袖を濡らす雨雫を落とすように右腕を振り払えば、その指間にゲームで使う短矢が握られる。
「一体誰の依頼だ、疾風」
「それに答える義務はない。それより何故俺の指示を聞かない?」
「俺が受けた仕事だ。指示を聞く聞かないを判断する権利は俺にある」
嘲笑混じりに言い放った新堂の言葉に、クローンの様な男は視線を一度地に落とし、肩を落とした。
「…つまり、そういう意味だな?」
「ああ」
紫髪の請負人は右足を一歩引き、獲物を狙う猫の様に体を落とす。
そうか、と短く返事をした緑髪の請負人は、左手を背に回しつつ矢を構える。
この依頼のために死ね。
重なった音が雨闇に消えると同時、瞬く間に銃を抜き矢を握る片割れへと跳ねる。
構えられたリボルバーは低い銃声と共に弾が放たれるも、跳ね飛んだ緑髪の青年を捉えきれず軌道が逸れる。
態勢が崩れた新堂の背は空き、瞬の隙を逃さずに矢が擲たれ、間髪入れず豪脚が腹へと入れられる。
緩んだ脚力では耐えきれなかった体は、明滅を繰り返していた街灯へと激突し、その衝撃に脆弱な灯は
落ち、闇に満ちる。
跳ね暴れる水。
金属が打ち付け合う共鳴。
骨肉を叩く鈍い打撃。
悲鳴も怒声も無い、打ち合う影が暴れ舞う。
「何をしてる!灯りを出せ、加勢して野郎を殺すんだ!!」
激しい闘いの音に足を竦ませていた男衆に振り払い、飛雅は醜くも愉快な勝負を近くで見ようと門戸へと駆ける。
元より灯りが少ない地域であるため、今の頼りは自分の背で燈る玄関灯だけで、暗がりの中で闘い踊る二人のどちらが護衛者なのかは判別し難い。
見分けをつけようと目を細め、身体を前にのめらせる。
若い組員達がスタンドライトを運び、電源を入れて付近を照らした瞬間、傍に立っていた青年の一人が低い呻きと共に吹き飛ばされた。
「なにっ…」
声を上げる間も無く襟を掴まれ、飛雅の眼前に深緑が写る。
僅かな反応の遅れで身を捩るよりも速く、重く鈍い音と共に鼻元から頬骨を激痛が馳け抜け、視界へ不形の光が四散する。
体が落とされ頭を振れば、鉄に似た臭いを抱いた液体が鼻奥から喉と外へ流れてゆく。
雨水に薄まる紅を拭い、忍ばせていた白鞘短刀に手を掛けるが、強烈な打撃は脳さえも揺さぶったのか、視界は定まらず立ち上がれない。
地に手肘をついて身を起こすが、応戦し蹴り飛ばされて来た組員の一人にぶつかり、再度地に転がされる。
乗り上げてきた男の下から這い出し見れば、その喉には短矢の鏃が深く突き刺さり絶命していた。
「な…っ、請負屋!何をしてる?!」
「それは、どっちを呼んでるンです?」
俺も、請負屋なモンで。
声に反応して空を見上げれば、漸く整ってきた視界には、男が静かに見下ろしてくる。見るほどに似ている顔は泥と血に汚れ、額は割れて紅が垂れているが、何も気にすることなく男は愉しげに口角を上げる。
「あ…アンタじゃねェ!新堂の兄さ」
「残念ながら俺も新堂なんだが。聞かなかったか?東都管理責任は双子の兄弟がしている、と」
左の紫電眼に照準を浮かべて、男は嗤う。
左手に握る細い何かを引けば、組員に刺さる短矢が抜けて青年の手に吸われるように収まり、針先の紅滴を振り落とす。
白鞘を握る手は震えだし、春雨か冷汗かも解らない水分に濡れ、血の気が引いていく感覚が全身に広まってゆく。
誰かが自分へ何事かを叫んでいるが、蛇に睨まれた蛙の如く、身体は一つも動かない。
口を開こうにも、男の持つ威圧感に喉が締め上げられているようで息さえも出来ない。
──コロサレル
本能に囁かれたと同時、銃声が響き渡る。
青年が眉を顰めて顔を背けた瞬間、隙を狙い澄ましたように右肩が蹴り込まれる。
その長身が傾ぐと、右眼に黒い三日月を浮かべた紫髪の請負屋が、左腕を垂らして立っていた。
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