EDGE LIFE

如月巽

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Case.02 雨

南都 南地区γ− 一月二十五日 午前十時三十分

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 床一面に敷き詰められた真新しい畳の色が目に眩しい。
 左右両側へ一列に並び座る男衆は、些かそわついた気配を漂わせて此方を注視してくる。
 畳の青い匂いに様々な香水や体臭が混じる異様な空気に眉を顰め、居住まいを正して右手首に嵌める腕時計を見た。
「ねーえ、ボクも来て大丈夫だったの?」
 発せられた間延び声に、緊張で静まり返っていた大部屋が、一瞬にしてどよめく。
 多人数が動き、篭っていた人熱と悪臭は掻かれて多少は呼吸が楽になる。
 詰めていた息を緩めるように吐きながら、隣に座る人物へと視線を移した。
「どういう意味だ」
 痺れたと言わんばかりに正座を崩して足先を丸める墨髪の男へ目を向ければ、小首を傾げつつ僅かに笑みを湛えている。
「いやほら、だってボク、依頼主にあんまり良く思われてないみたいだし」
「依頼自体は二人で請けたんだ。報告にお前も来なきゃ意味無いだろう」
「んー、まぁそれもそっか…と言っても、ボク大したことしてないけど…ん?」
 斑鳩は少々面倒そうに頭を掻きながら顔を上げ、何かが気にかかったのか首を傾げる。
 動き一つ発言一つで騒めく周囲を一瞥し、苛立つ感情を宥めながら正面へ向き直れば、襖が音なく滑り開いた。
「お待たせして申し訳ない。始末に手間取りましてな」
「いえ、指定していたお時間よりも早く到着してしまいましたもので。此方こそ急かしたようですみ…、申し訳ありません」
「なに、時間が守れないよりもよっぽど良いじゃありませんか」
 膝へ手を置いたまま頭を下げれば、僅かに百合の香りと性の匂いを纏った飛雅が、帯縁へ指を通しつつ乱れた着物の襟を払い直す。
 下卑た笑いを隠しもせず、組頭は高圧的な雰囲気を漂わせたまま高座へ胡座をかき、頬杖をついて此方を見下ろした。
「報告前の長口上は不要、内容だけで結構です」
 あからさまに見下す視線と口振りに思わず眉間に皺を寄せるが、制止の気配を帯びた斑鳩が僅かに首を横に振って眉を下げる。
 苛立ち任せに矢を抜きたい衝動を堪え、深く息を吐き出して、仕方なしに重くなる口を開いた。
「……音信不通と仰っていた三名ですが、東都に残る疾風より連絡がありました。残念ですが、ご依頼いただくより前に死亡していたことが確認されました」
「御宅さんらは巡回してないんですか?してれば前もって止める事も出来たはずでしょう?」
「申し訳ございません。巡回時間帯と事件発生時間帯が噛み合っておりませんでした」
「噛み合う噛み合わないは関係ないンですわ。御宅らの巡回不足で。人が。しかもウチのが、三人も死んでるんですよ。どうしてくれるんです?」
(……殴りてェ)

 巡回は自都の機関と協力して夜間を中心に行なっている。
 最初の遺体が見つかった翌日から、事件の起きたΦ地区を重点的に見回っていた。人間の目で行なっている以上、限界がある上に見落としが起きる事も確かではある。
しかし、依頼人の発言は悪意を持って此方に投げられていることは明白で、膝上に置いた手を握りしめ、湧き出る憤怒を抑え込む。

南都こっちの担当さんは儂の発言最優先に動いてくれてましたがねぇ?まぁ、頭が堅くて命云々の仕事は頑なに断られましたが」
「…それって、単に最優先の監視対象にされてただけじゃないの?」
 揚げ足を取らんとする男の発言に、潜め声の斑鳩が呆れたように呟き、思わず笑いそうになった口を一文字に締め直す。
 言葉は飛雅に聞こえていなかったのか、此方を見てニヤついたまま、次を待っている。
「お言葉ですが、いつどこで何が起こるかが把握出来るほどの万能さは持ち合わせておりません。今は亡き南都責任のお二方がどのように行動していたのか知る事は出来ませんが…少なくとも、各都管理責任者は誰一人として飛伽組専属の業務代行請負人ではありません」
 満悦に風穴を開けるように自らの思う論理を撃ち放てば、謝罪を待っていたであろう飛雅はその反論に目を見開いた。



**********
 報告の中に開いた穴を見つけ突いたつもりが、予測以上の正論を突きつけられ、憤懣ふんまんが宿る。
弱みを握り足元を掬うつもりが、此方の示そうとする盤戦の数手先を見据えて手を打たれてしまう。
「我々は依頼主との契約に基づいた上で行動しています。ご依頼前に起きていた不測の事態については責任は負いかねます」
 この数日のやり取りで青年の性質は知ったつもりであったが、それは偽りの姿だったのだろう。
 踏み込もうとした問いへ先回りの答えを返され、思うようにことを運べない状況に、飛雅は脇息きょうそくに置いた手指で木枠を打つ。

「……確かに仰る通り。すいませんなァ、気を悪くさせたようで」
「いえ。仰るような疑問があるのも当然かと思いますので」
「そう言ってもらえてありがたい」
 涼やかな顔で男に言の葉を返され、内心の苛立ちを嚙み殺しながら口角を笑みの形に歪ませる。
 組員の死を引き合いに出したのは手駒に引き込みたいが故であり、正直な所、自分の命に関わらぬ者が何人消えようと飛雅にとってはどうでも良いことだった。

しかし、この男にとってはそういう訳ではないらしい。

 これ以上、組員を種に攻め込もう物なら、機嫌を損ねるだけではなく契約を打ち切られかねない。
(引き入れるどころか、この儂がこんな奴らの機嫌伺いだと?請負屋よりも隣の男が問題だ…。何隠してるか判りゃしねェ)
 隣に座る糸目の青年は、紫髪の請負人の話す内容を肯定するように頷いている。


 初日の依頼相談の際、図っていた目論見を阻んだその男は、紫髪の男とはまた違う気配を孕んでいるのを感じ、その日以降は席を外させていた。
 経過報告ゆえに同席を許しているが、常に柔らな笑みを浮かべており、何を考えているのかを全く見せない。
 こちらの警戒と不信を知っての事なのか、言葉数は極端に少ないが、有無可否を言わせまいとする威圧感を今も静かに纏っている。


(……首取らせた後に根回しが良いか。認可持ちのモン言えど、警察に目ェ付けられたとなれば逃げ場はない。その流れでウチに来てもらえば良い)
「──。飛雅様、どうかしましたか?」
「っ!ああ、いや申し訳ない。話の続きを」
 次の一手を策していた飛雅は、新堂の問いかけに体を小さく跳ねさせて反応し、話の続きを促す。
 聞いていなかった訳ではないが、ここまで聞いてきた報告はいまいち中身が掴めない。
 能力者の存在自体は一般認識程度には頭に入っているが、自身はおろか幹部の人間・組員にはそれらしい者が居ない事もあり、「身体が食い千切られていた」「凶器は大量の水だった」などと言われた所で現実味が無さ過ぎる。
(クソ……適当なコト抜かして契約を切る気か?)
「──お三方のご遺体はどうなされますか?」
「ウチの組員に引き取らせますわ。ところで……死因と凶器が解ってるって事は、犯人の目星もついてるって事ですかね?」
「はい。既に斑鳩が特定しております」
 紫電の双眸が隣で舟を漕ぎ始めていた男に向けられ、その視線に気付いたのか、目を覚ましたのかも解らない糸目を此方に向けて、薄気味悪く思える笑みを浮かべて首を傾げた。
「御依頼主、四大元素ってご存知ですかねぇ?生きる上で絶対存在していないと困るものなんですけど」
「……火、水、土、風だろう?それがなんだ」
「そのうちの一つ、水を扱う能力者という方だけに絞り込んでみました。したら、極東国内には三名しか居なかったんですよ」
 間の抜けた苛立つ言動を見せる男が、自らの上着の内ポケットから何かを取り出し、ふらりと席を立って此方へと近付いてくる。
 生白い片手に脇息へ置いた腕を掴まれ、その異様な冷たさから不快感を覚え、反射的に振り払おうとするが動かない。
 自分よりも細い手が触れていた場所は鉛の塊を下げられたように重く感じた。
「これ、その三人のお名前をリストアップしたものです。ご自身でご確認ください」
 四つ折りの紙片が掌に乗せられ、掴まれていた手が解放されると同時に、つい、と背筋へ汗が伝う。
 なんの圧力も感じられない語調であるにも関わらず、この男の一言一動いちごんいちどうが加わる度に、で全身を締め上げられているような錯覚と息苦しさを感じる。
 高座を離れて新堂の元へと男が戻ったのを確認し、渡された紙片を開く。
 やや筆圧の弱い薄めの記名と簡略な経歴を眺め、飛雅は三人目の名に目を止め、暫しそれを眺めた後、高笑いを上げた。





**********
「いやー、今日は囲まれずに済んで良かった良かったー」
「ちっとも良かねェよ。どんだけ人の命を軽々しく見てンだあの野郎」
「そこをダシにするんだ?って話だよね。明らかに飛伽組なかに引っ張り込む気満々だし」
 車の助手席に乗り込みながらカラカラと笑う斑鳩に半ば呆れ、運転席へ座り煙草を銜える。
 馴れた手つきで火を入れ、鍵を差し込んでエンジンを掛けると、受け取った細長い紙片を取り出す。

 斑鳩の渡した紙には、個人的に請け負った ─ 否、請け負わされた依頼の対象人物と同一の人間の名が記載してあった。
 その紙面を確認してひとしきり笑った男は、異様なまでの上機嫌さで「首を取る軍資金だ」と数百万円を書きつけた小切手を寄越してきたのだ。
 断ることも考えたが、機嫌を損ねて戦闘になれば、今請けているの依頼全てが失敗に終わる可能性が大きかった。


 機関ホテルへ戻る帰路へとハンドルを切り、あまりの苛立ちに煙草のフィルターを噛み潰す。
 穏便に事を済ませたかっただけに笑って受け取ったが、内心は今でも腑が煮えくり返っている。
 備え付けの灰皿を開け、巨額の紙片に火を灯し落とせば、瞬く間に黒片へと変わった。
「もったいない、要らないならボクが貰ったのに」
の首取り資金なんぞ受け取らねェよ。なにで稼いでるかもわかりゃしねェ」
「ねー、口が悪いよぅ」
 斑鳩の間の抜けた忠告に口を噤み、濃紫の髪を片手で掻き上げた。
「悪………すまない、気をつける」
「ま、依頼主の前じゃないから良いけどね。ボクも苛立たなかった訳じゃないし」
「じゃあ何で止めたよ」
 相変わらずの読めない言動に毒が抜かれ、荒ぶっていた感情は少し落ち着く。

 金に物を言わせる方法は自分達も少なからず取ることはある。
 しかしそれは[必要で有る]と判断した時の話であり、彼の強引なやり口とは比較することは腹立たしい。

 灰の伸びた煙草を受皿へと落とし、ゆるりと紫煙を吐けば、バニラの香りが車内に広まってゆく。
 紙一枚で繋がるフィルターだけの吸殻を入れ、新たな一本を咥える。
 舌先に触れるフレーバーと鼻を掠めてゆく甘い香りに、男が高座に現れた時に花の香りを感じたことを思い出す。

 男が使うにしては些か華やかさが強すぎるそれは、予想通り飛雅の妻のものだった。
 報告を終え、退室しようと席を立ったと同時に現れた彼女は、濃紺の地色へ鮮やかなアザミと小さな藪手毬ヤブデマリが咲き乱れる和服を纏い、艶やかな藍髪には橙の百合を模した簪で留めていた。

「……ったく、アレはまいった」
「なになに?あ、奥さんのコト?綺麗だったよねぇ」
 発言の意を半分だけ掴んでいた斑鳩が頷き、ふと何かを思い出したように動きを止める。
 手を口元に当てて首を傾げる様子に、片眉を上げて問えば、更に首を曲げた。
「いや…よく考えてみたらさ、ボクが初めてココに来た時、あんなに鮮やかな着物じゃ無かったなぁって」
「だろうな。旧国のよく分からん仁義やら伝統を重んじてるってんなら、少なくともあの三つは選ばねェよ」
「三つ?着物以外にあった?」
「簪の宝飾だ。そこにあった橙の百合は【偽り】の意味がある」
 斑鳩の一問に解を説き、窓を薄く開けて外気を入れる。点灯していた停止信号が青に変わり、アクセルを踏むと同時、意外そうな顔をしている男の顔がバックミラーに映った。
「……何だ」
「いや、花言葉なんて知ってるんだと思って。全然興味なさそうだし」
「………詳しい奴が、いたんだよ」
聞いてもないのに、よく話していたから。
 首に下げた二つのロケットペンダントへ一瞬視線を落とし、すぐさま運転に集中を戻す。


仕事以外にあまり興味を示さない自分に、その人は様々な事を話してくれていた。
花言葉もその中の一つだ。
時々唐突に花束を買ってきては、尋ねもしていないそれを楽しげに一つ一つ教えてくれたのを覚えている。
何度目かの花束を貰い、何かの流れで冗談交じりに「不吉な花言葉はないのか」と聞いた時、驚いた顔をしたその人は苦笑し、一度だけ写真で教授してくれた。
その一回限りだった花が、目前に立った女の着物と装飾に描かれ模されていたのだ。


「他の花はどういう意味?」
「薊は【報復】、藪手毬は【覚悟】。百合の匂いはわざと飛雅に付けたんだろう」
「あー…[貴方に偽ってます]的な?」
「多分な。薊と藪手毬は[報復する覚悟は出来ている]って所だろう」
 崩れていたパズルピースを嵌めていくように脳内で組み合わせながら、咥えたままだった煙草へ火を入れる。
 たとえ依頼を請けなかったとしても、夫人はあの姿で自分達の前に現れた事だろう。



それほどまでに、彼女は家族から引き剥がした飛雅 剛を怨んでいる。



 三日以内に目標を刈り取れと下品な笑いを上げる組頭の横、深々と頭を下げた仮初の組頭代理の姿がよぎる。
(依頼人からあんな覚悟モン見せられて、失敗なんてのは許されねェ)


 残された時間は僅かしかない。


 絡み合う三つの依頼遂行の方法を相談するべく、端末情報を繋いだハンドルの通話ボタンへと手を伸ばした。
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