愛犬はブルーアイズ

雨夜美月

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18.会いたくて

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 俺は仕事が終わってから急いでクリスに会って話をしたいとメッセージを送った。既読にはなるが返事はない。

「とりあえず帰るしかないか」

 クリスがいない毎日はハリがない。職場と家の往復で、休日は何をするわけでもなく過ぎていく。
 クリスと出会う前に戻っただけのことなのに、自分が空虚な存在になったような気がする。そのくせいつもあいつの事を考えてしまっている。

 相変わらずクリスから返信はないし、あまりしつこくしても迷惑だろうからこちらからも連絡していない。

「……別れるならちゃんとそう言えよな」

 今日は休日で、家に引きこもっていたらカビが生えそうな気がして近所の公園に出てきた。
 平日の昼間の公園は母子連れがちらほらいるくらいで平和だ。ベンチに座って見上げた空は抜けるような快晴。

 クリスは忘れられない人とうまく行ったのかな。

 俺とのこともクリスは本気だったと思うんだけどな。

 離れるけど好きでいさせてってことは、やっぱり俺のこと好きなのかな。

 だとしたら本命はどうするんだろ? やっぱり本命のために俺と終わらせたんだよな?

 やけに大場との仲を疑われたけど、俺と大場の為に身を引いた……、とかだったら最悪だな。

 俺だってクリスのために身を引くくらいしてやってもいいけど、……一発くらい殴らないと気がすまないかな。

 ここ数日、何度も繰り返したとりとめのないことを考えていると、突然すぐそばで犬が吠えた。

「キャンキャン」

 まだ若い、柴犬らしき犬が俺の足元にすり寄ってきた。

「なんだ? 迷子か? リードもつけたままで、飼い主置いてちゃったのか?」

 犬はクゥンとのどを鳴らして、ベンチに座る俺にのしかかって顔を舐めようとしてくる。

「なんだよ、俺はお前の飼い主じゃないぞ」

 キラキラ輝かせた目と、笑っているように口角を上げた表情がかわいい。尻尾の回転は飛んでいきそうな勢いだ。

「よしよし、いい子だな」

 少しだけ間の抜けた雰囲気がナナに似ている。俺が耳の後ろや頭をぐりぐりと撫でてやると、犬はうれしそうにのどを鳴らした。

 そうしていると、犬がピンと耳を立てて何かに気がついた様子をみせる。

「くぅん…………、わんっ」

 犬は俺の膝から前足を下ろすと、ひと吠えして走っていってしまった。
 犬の行き先は腕を広げて待ち構える老夫婦だった。犬を抱きしめてリードを掴み直した夫人はこの犬の飼い主だろう、俺に笑顔で会釈をしていった。

「優しそうな飼い主で良かったな」

 俺も会釈を返す瞬間、視界の端に変なものが見えた。顔をあげると、それはこっちに向かって全力疾走してきて……。

「く、クリスッ?!」

 それは確かにクリスだったけど、何故か三つ揃いのスーツにネクタイ、革靴姿だ。

「モリナガさん、探しましたっ」

 飛びかかってきそうな勢いに身構えるが、クリスは滑り込むように俺の足元に跪いた。

「モリナガさん、僕と結婚してください」

「は、はぁっ?!」

「ダメ……ですか? お願いします!」

「いや、突拍子もなさすぎ! いきなり現れてなんだよそれ、いままでどこにいたんだよ」

「フランスに帰国していました。会社に就職してきました、オオバに負けないように。ちゃんと一人前の大人になってあなたにプロポーズしにきました」

「就職って、そんなすぐ決まるもんなの? なんで? 大学は?」

「もともと家族が経営する会社を継ぐ予定でしたが、日本に来るために先延ばしにしていたです。今はまだ大学にも通っていますが」

「社長令息か、すごいな。それはおいといて、日本には忘れられない大事な人っていうのに会うために来たんだろ?」

「そうです」

「その人とのことはもういいのかよ? 俺はあとからやっぱりとか、そういう人が他にいるって思いながらお前といるのは……」

「違います、僕が日本に来たのはあなたに会うためです!」

「は?」

「僕が会いたかったのは、モリナガさんです。あなたにもう一度会うために日本に来ました」

「……はっ?」

 俺は自分の耳を疑う。俺は海外になんて行ったことがないし、クリスとはバイト先で会ったのが初対面だ。

「なんだよそれ、口説き文句か? そんなわけないだろ」

 俺が視線をそらすと、クリスはつなぎとめるように俺の手をつかんで握りしめた。

「初めて会ったのは十二年前です。店の近くの公園であなたは子供を助けた、覚えていませんか?」

 心当たりがない。その頃なら自分は高校生で、バイトに行くのに確かにあの公園はよく通っていた。十二年前といえば、ちょうど犬の面倒を公園で見ていたころだ。

「あの日は雨が降っていて、あなたは泣いていました」

「俺が人前で泣くわけないだ……」

 言いかけてふと気づく。一度だけ経験がある、公園の中、人前で泣いたことが。可哀そうなナナを死なせてしまったときだ。

「……思い出しましたか?」

 俺の顔を見ようと下から覗き込むブルーの瞳に既視感を覚える。これは、あのときナナを看取ってくれた子供の瞳の色と同じだ。
 自分の中でナナの死が大きすぎて、あのとき一緒にいた子供の記憶はだんだんに薄れていっていた。

 俺はあの後ナナの遺骸を引き取ってもらうために保健所に連絡をして、それから、いつまでもナナに傘を差してくれていた子供に家はどこかと尋ねたんだ。

「僕はあの時、家出をしてきていたんです」

 日も暮れかかっていたし、子供が一人で出歩く時間ではなくなる。俺は帰宅を促すつもりで聞いたのに、子供は家には帰りたくないと駄々をこねた。

「僕は両親の仕事の都合で日本の叔父夫婦に預けられていて、子供ながらに両親に捨てられたのかもしれないと不安に思っていたんです」

 腹が減ったと泣く子供を、しかたなく当時住んでいたアパートに連れて帰ってきて何か食べさせてやった。
 家に母が居ればまともなものを出してやることができたんだけど、うちの両親は共働きで家を空けることが多かった。

 それから俺は子供を説得して一緒に交番まで連れて行った。迎えに来た両親は二人とも子供と同じ色の髪をしていたから、クリスの話からすると遠いところから彼を心配して駆けつけてきたのだろう。

「捨てられたと思っていた自分を拾ってもらったような気でいたんです。犬が死んで泣くような人なら僕も大切にしてくれるって。それで好きになってしまうのはおかしいですか?」

 クリスに顔を背けるようにそらしていた顔が両手で掬い取られる。まっすぐ自分を射抜くクリスの瞳は真剣で、今にも泣きだしそうなほど必死に見えた。

「大人になってやっとモリナガさんを見つけて、あなたの優しさがあの頃と何も変わっていないことを知って運命の人だと確信しました」

 子供の頃のそんな出来事のためにわざわざ日本に来たって言いたいのか? だとしたら全部俺の勘違いだったっていうことなのか。いやいや、そうだとしたらあの車で一緒に帰ってきた女の人はなんなんだ?
 
「俺は他に女がいる奴とは付き合わない」

「僕にはあなただけです」

「前に、お前のホームステイ先の家でお前と女が一緒に車から降りてくるの見たんだよ」

「もしかしてカエデのことですか?」

「いや、名前なんてしらないけどさ」

 俺に好きとか言っておきながら他に相手がいるなんて絶対に無理だ。だけど、やけに似合う二人の後ろ姿を思い出すと胸の奥がつんと痛む。

 もしかして、クリスはお坊ちゃんだし彼女は婚約者だったりとかするんだろうか。親の決めた結婚で、政略結婚で、俺が好きだけど婚約破棄はできなくて……とか。

「愛しいと思うのはあなただけです、トーマ」

 今日の快晴が色あせて見えるほどクリスの瞳が綺麗で、真剣なまなざしで見つめられると素直にうなずきたくなってしまう。

 二股は嫌だ、二股でなくても他に好きな人がいるなんて絶対に嫌だ。でも、それで俺が拒否したらもうクリスには会えなくなってしまう。
 プライドとか、信念を曲げてでもこの関係を壊したくないと思ってしまう自分がいる。
 
 クリスが好きだ。一緒にいたい。でも……。

「俺も……クリスが好きだ」

 その瞬間きつく抱きしめられて、でも、と言いかけた言葉がでなかった。

「あなたにそんな顔されたら、我慢できませんっ!」

「あ、えっ? クリスどこにつれて」

 クリスは俺の手をつかむとぐいぐいと引っ張って歩く。まるでしつけのなっていない犬と散歩をしているようだが。

「近くに車を駐めていますから」

「え、あの、待て、自分で歩けるから手離せ」

「無理です」
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