愛犬はブルーアイズ

雨夜美月

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11.アフターデイ

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 トラックで店の裏口から搬入されてきた食材コンテナの山を前にして、俺はどうしたものかと内心冷や汗をかいていた。

 とういうのも前日の夜に男として生を受け初めて男を受け入れるという荒業を成し遂げたことで、通常は出す機能しかないはずの俺のそこがえらいことになっているからだ。

 どこか傷がついているのか少し動いただけで裂けるような痛みが走り、それでなくてもまだ何かはさまっているようにジンジンと熱を持っている。

「くっそ……クリスのやつ好き勝手しやがって……」

 口では悪態をついてもクリスだけを責めるわけにはいかない、だってそのときは俺もその気だったのだから。

 昨晩の出来事を思い出すと顔から火が出そうになる。一晩経ってみるとあれが自分の身に起こった事だなんて信じられない。

 クリスに組み敷かれて、好きだとか愛してるとか脳みそが溶けそうになるほど言われながら抱かれた。

 相手がクリスだから許したのだ。あいつがあんまり俺とやりたがるから、バカみたいに俺を大事に扱うから、ついその気になってしまっただけだ。

 ーーモリナガさん。好きです。

「あー、くそ!」

 感極まったように俺の名を呼ぶクリスの声が耳によみがえり、平静を取り戻すためにわざと大きな声を出して床に置かれたコンテナに手をかける。これを厨房まで運んで片付けなくてはならない。

 両手を広げるほどの大きさのそれは、いつもは二段重ねで持ち運びすることもある。今日は尻への負担を考えそっと一段目を抱え上げる。

「――――ひッ」

 コンテナを腰のあたりまで持ち上げたところで、尻の入り口の皮膚に裂けるような鋭い痛みが走る。
 前かがみの無理な体勢のまま、俺は次の動作でさらにそこが裂けてしまうのではないかという恐怖感から身動きがとれなくなってしまった。

「……だ、だれかっ」

 多少の腰のだるさ、尻の穴の痛みで仕事を休むなんて何かに負けた気がするからと出勤してきたものの、結局誰かに助けを求めなきゃならないなんて男として情けなさすぎる。

 そんな気持ちから始め助けを求める声は小さく控えめだったが、この体勢でいるのはつらすぎる。しかもコンテナの中身はどうやら牛乳か何か液体らしい、重い。

「…………っ、クリスいないのか!」

 もうだめだとギュッと目を閉じ、俺をこんなにした張本人の名前を呼んだ瞬間、ふいに俺の両腕と腰からコンテナの重みが消えた。

「おまえ何してんだ?」

 俺の手からコンテナを受け取ったのは咥えタバコの大場だった。
 尻にかかる負荷から解放された俺は情けないほどほっとしていた。

「裏口からお前の声がすると思って来てみたら……。あいつならホールじゃねえか?」

「や、別にあいつじゃなくても……。つかすいません、腰痛めたみたいでちょっと休まして下さい」

「別にかまわねえけど。大丈夫か?」

 手を貸そうとした大場を制止して、俺はのろのろと事務所兼休憩室に戻ってソファーに横になる。

「おーい、大丈夫か?」

 ソファーの背に顔を向けて横になっていると、少し時間を置いて大場が戻ってきた。もしかしたらコンテナを片付けてきてくれたのかもしれない。

「……うっす」

 返事をするのが面倒で適当な返事をすると、椅子が軋む音がして大場が自分の机の前に座ったことがわかる。

「夕べ彼女と盛り上がりすぎたか?」

「違いますよっ。つーかそういう質問しないでください、セクハラで訴えますよ」

「ほう、セクハラか。それもいいな、よし俺が尻を揉んでやろう」

 びくりと全身が硬直し顔が引きつる。そこだけは今絶っ対に誰にも触られたくない。

「やめて下さいっ!」

 キャスターの転がる音を立てながらヘラヘラと近づいてくる大場に、俺は思わず大きな声で怒鳴ってしまっていた。
 よく考えれば大場が本当に俺の尻を揉むなんてあるはずがないのだが、尻と聞いて過剰反応をしてしまった。

「お前デカい声だすなよ、びっくりするだろ」

「すいません」

 俺が謝ると同時に、なにかが勢いよく駆け込んでくる気配がした。
 叩きつけるような音を立てて事務所の扉が開き、俺と大場は驚いて目をやる。そこにいたのは血相を変えて飛び込んできたクリスだった。

「なんだよお前まで」

「モリナガさんっ! 無事ですか?」

「おい、俺は無視か?」

 もしかして俺が大きな声を出したから何かあったのかと心配して来てくれたのだろうか。

「……いや、悪い。マジでなんでもない」

 俺と大場の距離を見比べたクリスは落ち着きを取り戻したようだった。

「モリナガさん体調がすぐれないんですか?」

「おお、腰が痛いんだと。コンテナ抱えたまま動けなくなってたとこを俺が助けた」

「……そうですか」

「森川は俺が介抱してやるから心配するな。お前は店で媚でも売ってろ」

「ちょっと店長、媚なんて言い方はあんまりじゃないですか?」

 いくら温和なクリスだって不快に違いない。俺だって一生懸命仕事をしているクリスに対してそんなことを言われるのは悔しい。

「客商売なんて客に媚売ってなんぼだろ」

 ソファーの上で身体をよじって振り返ると、にやけた顔で馬鹿にしたような表情を浮かべる大場と、感情をうかがわせないクリスが視線だけでやり合っているところだった。

「おい、二人ともいい加減にしろ」

 俺が言うとクリスがちらりとこちらを見て苦い顔をする。

「勤務中でした、失礼します」

 クリスが慇懃無礼な態度で事務所を出ていくと、大場は面白くなさそうにフンと鼻を鳴らす。

「おい森永、今のは何なんだ。お前らデキてるのか?」

「は、はぁ? デキてるって何がですか、俺ら男同士なんっすけど……っ」

 いきなり図星をさされて内心飛び上がりそうになる。
 デキているかデキていないかでいれば、それは……デキている方だと思う。だけどそれを言葉にして認めることはまだ早いような気がしたし、デキていたとしてもわざわざ大場に宣言する必要はない。

「ただの男同士が相手に飯作って食わせてやったりするのか?」

「それは……アイツが金がないって言うから可哀そうでやってるだけですよ」

「ふうん、アイツね。ずいぶん親しげな呼び方するんだな。金がないって?」

 大場にクリスとそれ以上の関係があるなんて口が裂けても言えない。絶対に面白がって根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。

「留学してアパート暮らしだから大学通いながら家賃払うの大変なんだと思いますけど」

「……アパート?」

 ふいに大場はあご髭に手をやりながら考え込むような仕草を見せる。

「履歴書の住所はアパートじゃなかった気がするけど。面接のときもホームステイだって言ってたぞ」

「引っ越したんじゃないですか?」

 記憶をたどってみても、クリスは確かにアパートに一人暮らしだと言っていた。クリスが自分に嘘をつくとは思えないし、何かの間違いか面接の後に事情があって引っ越したのだろう。

「ふうん、おフランスから留学してくるようなお坊ちゃんがアパート暮らしで金がないねぇ」

 クリスの住所の件は気になるが、そろそろ起きて仕事をしないとランチタイムの準備が間に合わない。

「じゃあ俺ホール戻ります」

「帰らなくて平気なのか? 無理はするなよ」

 俺は尻をかばいながらよろよろと起き上がる。ふとした動きで痛みが走りそうで身体が強張ってしまう。
 やっとのことで事務所のドアに手をかけると、厨房の向こう側で女性客に囲まれるクリスの姿が目に入った。

「おい、顔色悪いぞ? 本当に大丈夫か?」

「え、ああ、はい……」

 やはりクリスは女にモテる。昨日の件があったからか、スタッフの女の子とは以前よりも距離を取っているように見えたが、接客中はそういうわけにもいかないだろう。
 ああして女に囲まれて王子スマイルを振りまくクリスを見ていると、なんであんな綺麗な男が俺を好きだと言うのか不思議に思える。
 何度も思い出しては恥ずかしいと思っていたクリスの口説き文句や恋人と過ごすような甘い雰囲気も、ああしてどの女の子にも優しくしているクリスを見ると何かの間違いだったような気がしてくる。
 自分以外の人間にやさしくするクリスが許せないわけじゃないけど、クリスの隣は自分よりも女の方が似合うと思ってしまうのだ。

「おー、やってるね。私生活でも女に困らないんだろうな」

「そうでしょうね」

「あいつがそんなに金が無いっていうなら、もしかしてあの高そうな時計は女からのプレゼントか?」

「――は? 時計なんていつもしてないじゃないですか」

「そうか? こないだからいつもしてるじゃ……。あっ、ほんとだ今はしてねえな、今日も出勤してきたときはつけてたぞ」

 大場が身を乗り出し俺の横からホールを覗き込む。大場はそう言うが、俺はクリスが腕時計をしているところなんて見たことがない。
 まさかクリスに高級時計をプレゼントしてもらうような相手が他にいるとは思えない。バイトのある日の夜はほとんど一緒に過ごしているし、他の相手がいるなんて疑ったこともない。だけど考えてみればそれ以外の時間をクリスがどんな風に過ごしているのかよく知らなかった。
 たとえば昔の恋人からのプレゼントだったとしても、クリスはそれを俺の前で身に着けるような無神経な奴ではない。
 もしかして、だから俺の前では身に着けないのだろうか。その時計が高価だからとか、すごく気にいっているとか。――それともそれをくれた相手のことが忘れられないとか。
 ふとクリスが言っていた言葉を思い出す。

『ある人に会いたくて日本に来ました。忘れられない大切な人です』

 もしかしたら腕時計はその人との思い出の品なのかもしれないと思い当る。

「え、ちょっと店長なにやってんすか? そこクリスのロッカーじゃ……」

 ふいと背を向けた大場がどこへ行くのかと思ったら、ためらいもなくクリスのロッカーを開ける。

「ほら、見ろよコレ」

 大場は勝手に腕時計を取り出し、俺に見えるように差し出してくる。
 黒い文字版に、上品な光沢のあるステンレススチールの腕時計。自分には縁のない落ち着いたデザインの時計だったが、確かに大場の言う通り高そうに見える。

「んー、……これ超高級ブランドじゃねぇか?」

「そうなんですか? 俺はわかりません、それより人のもの勝手に触るなんて非常識ですよ、早く戻してください」

「このジャケットも本革っぽいし、金持ちの女社長にでも飼われてるんじゃないのか?」

 確かに飯も食えないほど貧乏だと言う割にはいつも良い服を着ているとは思っていた。母国では家が金持ちなんだろうか、でもそれなら仕送りをすることもできるはずだ。

「――いい加減にしてください!」

 人の持ち物をベタベタと触る大場を押しのけ、俺は勢いよくロッカーの扉を閉じる。
 急に動いたことで尻が痛んだが、これ以上大場にクリスの持ち物を好き勝手されたくなかった。

「悪かったよ、調子に乗りすぎた」

「ったく、クリスもなんでちゃんと鍵かけてないんだよ。店長もこれ以上アイツに嫌がらせみたいな真似したら俺も黙ってませんから」

「別にあいつにちょっかいかけようと思ってるわけじゃない」

「ああそうですか、そうは見えませんけどね」

 俺は大場に背を向けホールに向かう。頭に血が上っていたからまともな接客ができるか心配だったのに、なにも知らないクリスが俺の姿を見つけて無邪気に笑いかけてきたおかげで少しは落ち着きを取り戻すことができた。

 それでもさっきの大場の言葉を聞いたせいか、華やかな女性客に囲まれて過剰にも思えるサービスを提供するクリスの姿を見ていると、ざわざわと落ち着きなく胸が騒いだ。
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