愛犬はブルーアイズ

雨夜美月

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9.いやよいややも

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『女子必見、イケメン留学生店員がいる人気カフェ』

 とタウン誌に写真つきで紹介されてから、どこで調べてきたのかクリスが出勤の日には店に空席待ちの女性客の列が出来るようになっていた。

「ちょっと店長、ケーキセットまだっすか?」

「うるせーちょっと待て」

 カウンターに大量のオーダー伝票を並べながら、てんてこ舞いの大場をさらに急かす。

「あーくそ追いつかねえ、誰だよイケメン留学生なんて宣伝したやつ」

「取材許可したの店長じゃないですか」

「うっせーなあんときゃこんなに混むと思わなかったんだよ。いっそあいつクビにするか」

「そんな理不尽な解雇認められないっすよ。あーまじで給料上げてもらわないと割にあわないっすね」

「ほら、ケーキセット。さっさと持ってけ!」

 ホールでは数人のバイトがせわしなく動き回っている。あまりの忙しさについ接客がないがしろになってしまうスタッフも見られるなか、クリスはいつだって思いやり溢れる接客態度だった。

 人種の違いを見せつけられる高い身長とガッチリした体つき。肘までまくり上げられたシャツからのぞく筋肉質な腕、黒のスラックスとロングエプロンの制服が誰より似合う。
 なにより彼が天然の金髪をふわりと揺らして微笑む姿には、男の俺ですら目を引き付けられた。あんな綺麗な男が俺を好きだなんて何かの間違いじゃないかと思う。

 相変わらずクリスに飯を作ってやる日々が続いていて、俺もそれが当たり前のようになってきている。

 あの日からクリスに何かされるということはないのだが、スキンシップはやたらと多くなったような気がする。

 ようやく客が引けた頃、俺はレジを閉めたあと事務所で売り上げの計算をしていた。

「この忙しさいつまで続くんでしょうね、バイトに繁忙手当でも出します?」

「あー、どうすっかなぁ」

 同じく事務所のテーブルに足を乗せて発注をしていた大場が答える。

「まじで雑誌の取材なんて許可するんじゃなかった、だりい」

 確かに雑誌の宣伝効果もきっかけにはなったと思うのだが、クリス本人の接客態度の良さが確実にリピーター獲得につながっている。

「あんた店長ですよね、客が増えてうれしくないんですか?」

「あー、そりゃまあな」

 割とすぐに他のバイト達とも打ち解けていたクリスだったが、大場だけはなぜかクリスに対して当たりがキツイと思う時がある。
 今回の事も、広告塔がクリスでなく他のスタッフだったらこんな態度はとっていないのではないかと思う。

「あんたの好きな若い娘がいっぱい来てくれてうれしいじゃないですか」

「残念ながら俺が好きな若いコはそっちじゃないんだなぁ。これ終わったら飲みにでもいくか? 給料振り込まれてただろ?」

「あんた店長の癖に俺にたかるつもりすか?」

 事務所のドアが開きお疲れ様ですと歯切れの良い挨拶が耳に入る、クリスだ。

「モリナガさん、もう少しで終わりますか?」

「ああ、もうちょっとで終わる」

 机から顔を上げると、クリスが鋭い目つきで大場を睨んでいるところが目に入ってぎょっとする。

「お、おい。すぐ行くから外で待ってろ」

 大場のクリスへの態度がキツイことへの意趣返しなのだろうか、だからといってバイトが店長にガンくれるなんてまずい。これではますます大場からのクリスの心証が悪くなってしまう。

「はい」

 クリスは素直に返事をしたわりに声が硬い。
 返事をするときはこちらを見たクリスだったが、部屋を出る前に再び大場に一瞥をくれる様子にひやひやしてしまった。
 事務仕事を終わらせた俺は、急いで身の回りを片づける。

「じゃあ俺終わったんで帰ります。おつかれさまっした」

「あ、おい森永! 飲みは?」

「すいません今日は帰ります!」

 大場の制止を無視して事務所を飛び出した俺は、店から外に出ようとして扉の前に人の気配を感じて立ち止まる。

 気配は複数で、聞き覚えのある女の声が扉越しに漏れ聞こえてくる。いつも女子バイトは早めに仕事から上がらせるのだが連日の忙しさの為今日は二、三人にラストまで残ってもらっていた、きっと彼女たちだろう。

「――に、一緒に行かない? クリスくん明日休みでしょう?」

 どうやらそこにクリスもいるらしい。また女子に囲まれているのか。なんとなく間が悪い気がして出るに出られない。

「ごめんなさい、折角ですけどこれからモリナガさんと約束があります」

「ええ、それって断れないんですか?」

「ダメだよあの人超怖いもんっ、クリスくんがまたいじめられちゃう」

「僕はいじめられたりしてないですよ」

「そうかなあの人クリスくんに冷たくない?」

「あの人感じ悪くない? いつも睨まれてるみたいで怖いんだけど」

「クリスくんよく森永さんと一緒にいるよね、無理やりパシらされてるとかじゃないよね?」

「違います。モリナガさんはそんな人じゃありませんから、みなさんが知らないだけで彼は親切でとても優しいんですよ」

 クリスの言葉に不満そうな声が上がり、流石にいたたまれなくなった俺はその場から立ち去ろうとする。

「確かに素直じゃないので誤解されやすいかもしれませんが、僕は彼ほど心優しい人を他に知りません。だから僕は好きでモリナガさんと一緒にいるんですよ」

 何てことを人前で言うのかと、クリスが変な誤解を受けないか心配になる。
 俺は足音を立てないよう気を付けてキッチンに逃げ込むと、裏口から外に出る。ここからだと通りの裏に出てしまうから、バイクの置いてある駐輪場までは遠回りになる。
 クリスはまだ女子達と一緒にいるのだろうか、エンジンを始動させながらこのまま先に帰ってしまおうかと考える。

「モリナガさーん!」

 俺はヘルメットをかぶろうとした手を止め顔を上げる、クリスがこちらに向かって走ってくるところだった。

「置いていくなんてひどいじゃないですか、店の表で待ってたんですよ?」

「お前こそ女の子たち放っておいていいのか?」

「彼女たちとは話をしていただけですよ。もしかして聞いていたんですか?」

「あーうん、聞こえた」

「モリナガさんっ!」

 いきなりクリスの腕に抱きしめられた俺は面喰う。デカい男にきゅうきゅうに締められると息が苦しい。

「彼女たちの言葉なんて気にしないで下さい。誤解は解いておきましたから!」

「は、はぁっ? 別に俺はあんなのいつものことだし気になんかしてな――」

「無理しなくていいんです、僕はあなたが誰より素敵な人だってわかっていますから!」

「お前、んなこと彼女たちに言ってないだろうな……?」

「だめですか? 僕はあなたを好きだという気持ちを人に隠すつもりはありませんけど」

「いや、そこはお前隠しとこうぜ。あいつらとの付き合いもあるだろ」

 クリスにはああ言ったが、俺も一応人の子なので少しは彼女たちの言葉に傷ついた。だけどそんなこと以上にクリスが俺を優しいだとか、堂々と好きで一緒にいるのだと宣言したことに胸が熱くなった。

 俺はどこかでクリスが他の女と親しげにしているのを嫉妬していたのだろう。彼女たちの前でクリスは調子のいいことを言うのかもしれないなんて卑屈なことも考えた。

 こんな気持ちになるなんて、俺はもしかしてクリスのことが好きなのかもしれない。
 一度そう気づいてしまうと、今までは頑なに否定していたけれどもっと前から特別な感情を抱いていたような気がしてくる。

「モリナガさんは僕に彼女たちと親しくして欲しいんですか?」

 俺を素直じゃないと言ったクリスの言葉が思い浮かぶ。どうせ素直にものが言えないことがばれているのなら、正直な気持ちを言ってみてもいいだろうか。

「俺は……お前が他の奴の前でへらへらしてるのは嫌だ」

「嫉妬してくれてるってことですか?」

「う、るさいっ」

 クリスの胸にわざと顔を押し付けて、たぶんみっともない表情をしてしまっている顔を隠す。
 嫉妬しているなんて、俺がクリスをどう思っているかわかってしまったに違いない。

「僕もオオバさんに嫉妬しています。あなたがなかなか来ないので、彼となにかあったのかと心配していました」

 背中に回されたクリスの腕にギュッと抱きしめられ、俺は完全に放せと言うタイミングを逃してしまっていた。

「いやいや、有り得ないから」

 大場と二人でいることなんて今までいくらでもあった。それのどこに心配する必要があるというのか。

「あの人は、あなたを恋愛の対象として見ています。だから僕は心配です」

 胸に顔を押し付けられていてクリスの表情は窺えなかったが、俺を抱き締める腕がなんだか必死に感じられる。

「――はっ?」

 思わず密着したクリスの身体を引きはがしてその顔を覗き込む。その思いつめたような表情に、ぎゅっと胸が苦しくなる。

「バカだな、そんなことあるわけないだろ」
「でも……」

 すがるように俺の腕を掴むクリスは、反論されて何も言い返せなくなった子供のように押し黙る。 

 クリスを見上げると、まっすぐ向けられる瞳が微かに潤んでいて、揺れる虹彩が星の瞬きみたいにきれいだった。

「お前、男の癖に泣くなよ」

「泣いてないです。泣きそうですけど」

 ぽんと掴まれた腕でクリスの腕を叩くと、クリスは俺の肩に顔をうずめてきた。

「僕はモリナガさんの犬でいいと言いました。でも本当は恋人になりたいです。大切な人を他の人に取られるなんていやです」

 胸の奥にまっすぐ届く言葉の熱にジンと胸が熱くなる。

「あのな、俺は……」

 思わず言ってしまいそうになった言葉を俺は慌てて喉元で飲み込む。
 雰囲気に流されて俺は何を言おうとしたのか。こんなことを口にするのは恥ずかしいし、それにこれを言ったら負けを認めるようでなんだか悔しい。

 でももし俺がその言葉を言ってやったらクリスは安心するに違いない。コイツのことだから嬉しいってしっぽを振って飛びついてくるかもしれない。

 クリスのそんな姿を見たいと思うこの温かい気持ちの正体は間違いなく恋愛感情だ。男同士はダメなんて、俺はなんでそんなことを気にしていたのだろう。

「なあ、クリス」

「……なんですか?」

 俺の肩がそんなに心地よかったのか、名残惜しげにクリスが顔を上げる。長い睫が揺れていて、さらにその存在感を際立たせている。

「俺は人とつるむのが好きじゃないんだ。こんな風に誰かと飯を食ったりとかしないし、そりゃお前が貧乏で可哀そうだからってのもあるけど」

 こんなことが言いたいわけじゃないのに、伝えたい言葉がなかなか出てこない。そうしているうちに、俺の足りない言葉を悪い方に受け取ったのかクリスの顔がみるみる青ざめていくのがわかる。

「だからそうじゃなくて、お前は特別だっていってんだよ」

 顔から火を噴きそうな顔をクリスに隠しようもない。本当はもっと別な言葉を言いたかったけれど、これが今の精一杯だ。

「モリナガさん……!」

 俺が照れ隠しに苦笑を浮かべると、次の瞬間には唇が奪われていた。

 一瞬でも離れたくないとでもいうような口づけに、押し付けられた唇で息継ぎもままならない。後頭部が持ち上げるように引き寄せられ、腰も腕に抱きしめられる。密着した身体が熱い。

「……ん、…………ふっ」

 息が苦しくて声が漏れる。酸欠のせいか、それともこいつとのキスがやたら情熱的なせいか、頭がくらくらする。

「トーマ……ッ!」

「お前いきなり呼び捨てとか図々しいぞ」

 長すぎるキスからやっと解放されたかと思うと、今度は痛いほど身体を抱きしめられた。

「おい、いいかげんにしろ。ここ外……」

 幸い周りに人の気配はないものの、人前でする行為ではない。

「……ダメです」

「ダメってなにが?」

 ぐっと腰を引き寄せられて、下腹部に押し当てられたものの感触にぎくりとする。

「おま、なにこんなにしてんだよ……っ」

「だから、だめですっ。あなたに特別だなんて言われたらおさまらないです」

「特別って、別にそういう意味じゃ……」

「違うんですか?」

 クリスの必死な問いかけに、俺は素直に返事をすることができない。
 男同士なんて想像もつかないと思っていたはずなのに、クリスから必死に求められて胸の奥が熱くなる。こいつのために何かしてやりたい、そんな気持ちが溢れていた。

「……早く帰るぞ。うちでそれ何とかしてやるから」
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