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7.ご主人様、エサをください
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夜十時すぎ、仕事を終えた俺は原付バイクを引きながらクリスと二人、自分のアパートに向かっていた。
近道をするために公園の中を歩きながら、俺は何度も飲み込んだ質問をやっと口にする。
「あー、あのさ、お前ってその……」
言いかけたものの、男が好きなのかなんていくら無神経な俺でも簡単には聞けない。
大場が変なことを言ったせいで今日はぐるぐると同じことを考えてしまっていた。
クリスがゲイで、しかも俺を狙っているなんてそんなことあるわけがない。
そうだそんなことあるわけない。こいつ女に愛想いいし、女ウケがいいのもまんざらじゃなさそうだし。
うんうんと一人で納得しているところ、急に肩を掴まれ驚いて顔を上げる。
「――さんっ、聞いてますか?」
「え、ああ、ごめん何?」
クリスは俺の肩から手を放すと、外国人らしいオーバーリアクションで考え込むように頭を抱える。
「モリナガさんが何か言いかけたんじゃないですか。気になるので言って欲しいです」
「あ? ああ、そっか」
その後の言葉が続かない。途中まで言いかけてしまったものの、ゲイなのかなんて聞けない。
「ええと……」
俺は何か誤魔化せるものはないかと視線を彷徨わせる。街灯の明かりが照らす歩道の先には特に話のネタになるようなものはないし、枝が伸びた生垣はやっぱりただの生垣で、その向こう側は芝生になっている。
「――――っ!」
俺はその生垣の先の先に目をやって言葉を失う。芝生に腰を下ろしていちゃつくカップルが男と、たぶん男だったのだ。
「モリナガさん?」
名前を呼ばれてはっと正面に向き直る。
この公園で今までそういう場面を見たことがないわけではないが、男同士のカップルは初めてだ。
後ろ姿だけで顔は見えないが、あんなに肩幅が広くてガタイのいい女が世の中にいるのなら教えて欲しい。
「悪い、さっきの忘れて」
知識としてはそういう人たちがいるということは知っているが、男が男と付き合うなんて想像がつかない。
たとえば俺とクリスが付き合うことになったら、とか……。
背景に大輪の薔薇とキラキラを背負ったクリスに抱かれて愛のささやきを受ける自分の姿を思い浮かべ、思わず打ち消すように左右に首を大きくふる。
はぁ、と大きくため息が漏れる。俺はなんで自分が口説かれる方を想像しているのだ。
さっきからアホなことばかりを考えて疲れた。今日の夕飯は簡単なものにしよう、たしかインスタント麺があったからそれにあり合わせの野菜でもいれればいいか。
「やっぱり今日おかしいです。オオバさんに何か言われたんですか?」
「いや、まあ別に」
大場がお前のことをゲイで俺を狙っていると言っていたなんて本人に言えるはずがない。
ゲイだということはともかく俺を狙っているのかなんて聞いたら俺は自意識過剰の痛い奴になってしまう。
「好きだ。……と言われましたか?」
クリスが足を止めて苦いものでも吐き出すようにつぶやく。好きだという単語を聞いて、俺の心臓がドキリと収縮した。
「い、いやいやそんなことあるわけねぇから」
「じゃあなんですか、教えて欲しいです」
立ち止まったクリスの表情は街灯の明かりを背に受けているせいでよく見えないが、なんとなく思いつめているように見えて胸が締め付けられる。
「別に気にするようなことじゃないよ、ただちょっとお前の話をしてただけで」
「やっぱり僕のこと何か吹き込まれたんですね!」
「吹き込まれたって、別にそんな」
「彼に何と聞いたのか知りませんけど、モリナガさんは信じるですか? 彼の言うことは嘘です、信じて欲しくないです! 僕よりもオオバさんとの方が長い付き合いでしょうけど、僕とあなたは同じ釜の飯を食う仲じゃないですか!」
クリスは両手をギュッと握り締め、まっすぐに俺を見つめてくる。こんな風に声を荒げて必死に訴える姿はいつものクリスからは想像がつかない。
ここまでクリスがムキになるなんて、もしかして大場がクリスをゲイだと言ったことが分かっていたのかもしれない。
大場が他の連中にクリスがゲイだと吹聴してまわるような人間だとは思えないが、無駄にいい男すぎるクリスに対して趣味の悪い冗談を言うことならありそうだ。
今にも泣きだすか、それとも怒って地団駄を踏み出しそうな顔をしているクリスに対して、空気が読めると定評のある日本人としては手を取って真剣に答えてやらないといけないところかもしれない、だけど。
「……ふ、ははっ。同じ釜の飯ってなんだよそれ」
俺が声を出して笑うと、クリスは何で俺が笑っているのかわからないといった様子で困った表情を浮かべる。その顔が余計に面白くて、可愛い。
「わかった、クリスを信じるから心配しなくていいよ」
信じるも何も初めから大場の言葉を鵜呑みにしていたわけじゃない。そもそもクリスみたいな綺麗な男が俺を狙っているなんてあるはずがないのだから。
「よかった、モリヤギさん大好きです!」
よほどゲイだと勘違いされるのが嫌だったのか、クリスは表情をくしゃっと緩めて俺に抱きついてきた。
「おい、離せって。苦し、いっ」
飼い犬にじゃれつかれているみたいで楽しいと思ったのは一瞬だけで、クリスの両腕にホールドされた顔が硬い胸板にぎゅうぎゅう押し付けられて息が出来ない。
「んー、いやですこのまま離したくないです」
「なんだそれ、なんでだよ」
「今日もモリヤギさんいい匂いがします」
「ちょ、頭の臭いなんてかぐなよっ」
それでもクリスは首をかかげて熱心に鼻を擦りつけてくる。
「いい加減にしろって、ったく。臭いだなんて犬みたいなやつだな」
「僕はモリナギさんの犬ですっ」
一瞬なんのことかと思ったが、前に冗談で犬とか飼い主だと言いあったことを思い出す。
と、クリスの顔が近づいてきて、ぺろりと口の横を舐め上げられた。
「――わっ、なにしてっ!」
「あなたの飼い犬ですから」
ぺろ、もう一度同じ場所を舐められる。
「おいおい、本気で舐めるとかねえよ」
びっくりはしたが、不思議と気持ち悪いとか汚いとは思わない。俺がそれだけこいつを気に入っているからだろうか。
とはいえ、男同士でもこんなに綺麗な顔をした奴に顔を舐められている状況でドキドキするなというのは無理がある。
今まで付き合った彼女とキスとかそれ以上の経験がないわけではないが、他人に顔を舐められるなんて初めてだ。
「僕はあなたの犬です」
また顔を舐められそうな気配に思わずギュッと目を閉じると、次の瞬間やわらかで温かいものが唇に押し当てられる。
「――――ッ!」
咄嗟のことに、クリスの胸を突き飛ばすことも忘れて目を見開く。
「ご主人様、僕に餌を下さい」
「え、ああ。腹減ったよな」
キスって、あれか、親愛のキスってやつだろうか。愛の国フランスでは男同士でも挨拶代わりにキスするもんなんだろうか。っていうか、犬ごっこの延長だよな。うん、そうに違いない。たかがキスひとつで考えすぎだ。深く考えるのはやめてあいつの言う通り早く帰って飯にしよう。
ーーーーなんて考えていた俺は、ボロアパートの玄関をくぐった瞬間、靴も脱がないうちに壁に背を押し付けられていた。
近道をするために公園の中を歩きながら、俺は何度も飲み込んだ質問をやっと口にする。
「あー、あのさ、お前ってその……」
言いかけたものの、男が好きなのかなんていくら無神経な俺でも簡単には聞けない。
大場が変なことを言ったせいで今日はぐるぐると同じことを考えてしまっていた。
クリスがゲイで、しかも俺を狙っているなんてそんなことあるわけがない。
そうだそんなことあるわけない。こいつ女に愛想いいし、女ウケがいいのもまんざらじゃなさそうだし。
うんうんと一人で納得しているところ、急に肩を掴まれ驚いて顔を上げる。
「――さんっ、聞いてますか?」
「え、ああ、ごめん何?」
クリスは俺の肩から手を放すと、外国人らしいオーバーリアクションで考え込むように頭を抱える。
「モリナガさんが何か言いかけたんじゃないですか。気になるので言って欲しいです」
「あ? ああ、そっか」
その後の言葉が続かない。途中まで言いかけてしまったものの、ゲイなのかなんて聞けない。
「ええと……」
俺は何か誤魔化せるものはないかと視線を彷徨わせる。街灯の明かりが照らす歩道の先には特に話のネタになるようなものはないし、枝が伸びた生垣はやっぱりただの生垣で、その向こう側は芝生になっている。
「――――っ!」
俺はその生垣の先の先に目をやって言葉を失う。芝生に腰を下ろしていちゃつくカップルが男と、たぶん男だったのだ。
「モリナガさん?」
名前を呼ばれてはっと正面に向き直る。
この公園で今までそういう場面を見たことがないわけではないが、男同士のカップルは初めてだ。
後ろ姿だけで顔は見えないが、あんなに肩幅が広くてガタイのいい女が世の中にいるのなら教えて欲しい。
「悪い、さっきの忘れて」
知識としてはそういう人たちがいるということは知っているが、男が男と付き合うなんて想像がつかない。
たとえば俺とクリスが付き合うことになったら、とか……。
背景に大輪の薔薇とキラキラを背負ったクリスに抱かれて愛のささやきを受ける自分の姿を思い浮かべ、思わず打ち消すように左右に首を大きくふる。
はぁ、と大きくため息が漏れる。俺はなんで自分が口説かれる方を想像しているのだ。
さっきからアホなことばかりを考えて疲れた。今日の夕飯は簡単なものにしよう、たしかインスタント麺があったからそれにあり合わせの野菜でもいれればいいか。
「やっぱり今日おかしいです。オオバさんに何か言われたんですか?」
「いや、まあ別に」
大場がお前のことをゲイで俺を狙っていると言っていたなんて本人に言えるはずがない。
ゲイだということはともかく俺を狙っているのかなんて聞いたら俺は自意識過剰の痛い奴になってしまう。
「好きだ。……と言われましたか?」
クリスが足を止めて苦いものでも吐き出すようにつぶやく。好きだという単語を聞いて、俺の心臓がドキリと収縮した。
「い、いやいやそんなことあるわけねぇから」
「じゃあなんですか、教えて欲しいです」
立ち止まったクリスの表情は街灯の明かりを背に受けているせいでよく見えないが、なんとなく思いつめているように見えて胸が締め付けられる。
「別に気にするようなことじゃないよ、ただちょっとお前の話をしてただけで」
「やっぱり僕のこと何か吹き込まれたんですね!」
「吹き込まれたって、別にそんな」
「彼に何と聞いたのか知りませんけど、モリナガさんは信じるですか? 彼の言うことは嘘です、信じて欲しくないです! 僕よりもオオバさんとの方が長い付き合いでしょうけど、僕とあなたは同じ釜の飯を食う仲じゃないですか!」
クリスは両手をギュッと握り締め、まっすぐに俺を見つめてくる。こんな風に声を荒げて必死に訴える姿はいつものクリスからは想像がつかない。
ここまでクリスがムキになるなんて、もしかして大場がクリスをゲイだと言ったことが分かっていたのかもしれない。
大場が他の連中にクリスがゲイだと吹聴してまわるような人間だとは思えないが、無駄にいい男すぎるクリスに対して趣味の悪い冗談を言うことならありそうだ。
今にも泣きだすか、それとも怒って地団駄を踏み出しそうな顔をしているクリスに対して、空気が読めると定評のある日本人としては手を取って真剣に答えてやらないといけないところかもしれない、だけど。
「……ふ、ははっ。同じ釜の飯ってなんだよそれ」
俺が声を出して笑うと、クリスは何で俺が笑っているのかわからないといった様子で困った表情を浮かべる。その顔が余計に面白くて、可愛い。
「わかった、クリスを信じるから心配しなくていいよ」
信じるも何も初めから大場の言葉を鵜呑みにしていたわけじゃない。そもそもクリスみたいな綺麗な男が俺を狙っているなんてあるはずがないのだから。
「よかった、モリヤギさん大好きです!」
よほどゲイだと勘違いされるのが嫌だったのか、クリスは表情をくしゃっと緩めて俺に抱きついてきた。
「おい、離せって。苦し、いっ」
飼い犬にじゃれつかれているみたいで楽しいと思ったのは一瞬だけで、クリスの両腕にホールドされた顔が硬い胸板にぎゅうぎゅう押し付けられて息が出来ない。
「んー、いやですこのまま離したくないです」
「なんだそれ、なんでだよ」
「今日もモリヤギさんいい匂いがします」
「ちょ、頭の臭いなんてかぐなよっ」
それでもクリスは首をかかげて熱心に鼻を擦りつけてくる。
「いい加減にしろって、ったく。臭いだなんて犬みたいなやつだな」
「僕はモリナギさんの犬ですっ」
一瞬なんのことかと思ったが、前に冗談で犬とか飼い主だと言いあったことを思い出す。
と、クリスの顔が近づいてきて、ぺろりと口の横を舐め上げられた。
「――わっ、なにしてっ!」
「あなたの飼い犬ですから」
ぺろ、もう一度同じ場所を舐められる。
「おいおい、本気で舐めるとかねえよ」
びっくりはしたが、不思議と気持ち悪いとか汚いとは思わない。俺がそれだけこいつを気に入っているからだろうか。
とはいえ、男同士でもこんなに綺麗な顔をした奴に顔を舐められている状況でドキドキするなというのは無理がある。
今まで付き合った彼女とキスとかそれ以上の経験がないわけではないが、他人に顔を舐められるなんて初めてだ。
「僕はあなたの犬です」
また顔を舐められそうな気配に思わずギュッと目を閉じると、次の瞬間やわらかで温かいものが唇に押し当てられる。
「――――ッ!」
咄嗟のことに、クリスの胸を突き飛ばすことも忘れて目を見開く。
「ご主人様、僕に餌を下さい」
「え、ああ。腹減ったよな」
キスって、あれか、親愛のキスってやつだろうか。愛の国フランスでは男同士でも挨拶代わりにキスするもんなんだろうか。っていうか、犬ごっこの延長だよな。うん、そうに違いない。たかがキスひとつで考えすぎだ。深く考えるのはやめてあいつの言う通り早く帰って飯にしよう。
ーーーーなんて考えていた俺は、ボロアパートの玄関をくぐった瞬間、靴も脱がないうちに壁に背を押し付けられていた。
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