愛犬はブルーアイズ

雨夜美月

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2.新人教育プログラム

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 日本語が話せるなら初めからそう言って欲しい。

 理不尽な要求かもしれないが、こっちは必死に言葉を探して緊張していたのだから。
 言葉が通じるとわかってほっとする反面、なんだかひとり相撲を取っていたようで気分が悪い。

 外国人はそんな俺の顔を覗き込んで不思議そうに首をかしげた。不機嫌が表情に出ていたのかもしれない。

「どうぞ、入れば」

 ぶっきらぼうに招き入れると、外国人は素直に俺の後ろについてくる。

「店長、新しいバイトってコレ?」

 大場はキッチンに居るはずだが姿は見えない、返事は帰ってこなかった。

「ハイ、コレは新しいバイトです」

 まだ日本語が不自由なのか、男はコレと呼ばれても気にすることなく妙な言葉づかいで返事をしてくる。

「お前に聞いてない」

 室内の照明の下で見ると、ややウェーブがかった長めの髪は金髪だということが分かる。

 身長も高いし身体つきもがっちりしているから20代後半か30歳前後の印象をうけるけれど、無防備に笑ったときの顔は子供みたいだ。

 日本人は海外に行くと幼く見られるっていうから、そのへんを差し引くと今年28際になる自分の方が年上なんじゃないだろうか。

「あー? なんだ?」

 大場がキッチン奥の裏口の方から顔を出す、ゴミでも捨てに行っていたのだろう。

「アンタに客っすよ」

「おー、新人じゃねえか。制服合わせ今日だったか」

 エプロンの前掛けで手を拭いながら、大場は怠そうに二人の前にやってくる。

 無駄にデカくていい男の外国人を前にして狼狽えた自分とは違い、大場は全く動じていない。まあ、面接をしたのは大場なのだから当たり前といえば当たり前だが。

「こいつ、新人のえーと、なんだっけ?」

「Christophe Arambourgです」

 クリスト……アラン……? ただ名前を言われただけなのにはっきりいって半分も聞き取れなかった。


「どうぞ、クリスと呼んで下さい」

 そんな日本人の反応に気が付いたのか気づいていないのか、外国人はやんわりと笑みを浮かべてもう一度名乗った。こんどははっきりクリスと、生粋の日本人が脳内でカタカナに変換できる発音だった。

「クリスかよろしくな。こっちは森永、お前の教育係だからしっかり仕事を教わるように」

「えーと、……どうも」

 相手に日本語が通じるとわかっていても言葉が出てこない。そういわれてみればこうして誰かに自己紹介をすることも久しぶりな気がする。

「おいおい、もっとなんかないのか?」

 俺は呆れ顔の大場から目をそらしてそっぽを向く。別にバイトの外国人なんかと馴れ合う気はない。

「ったく、まあいいか。早速明日から来てもらうから頼んだぞ」



 その翌日、ランチタイムが終わり客の引けた店内で、スタッフが集められて新人ホールスタッフのクリスを囲んでいた。
 昨日の私服も悪くなかったが、制服の白いシャツを着こなした姿は異国のオシャレなカフェがいかにも似合う本場の給仕といった雰囲気だ。

「フランスから留学してきたクリスです。ガンバルますのでよろしくお願いします」

 どこで教わったのか、クリスはぺこりと頭を下げる。日本人が慣れ親しんだ所作だ。
 クリスが顔を上げると、ぼんやりと成り行きを見守っていたスタッフ一同が息をのむ。

 顔を上げて背筋を伸ばしたクリスは顔にかかった髪を流れるような仕草で少し直すと、凛とした微笑みを一同に投げかけたのだ。

 ウェーブがかった髪がふわりと揺れ、形の良い唇が持ち上がるのと同時に目元が弓なりに細められる。

 それは少女漫画の王子みたいな芝居がかった仕草で、本当に漫画だったら背景にバラでも舞っていそうだった。

「あの、年齢はおいくつなんですか?」

 女子スタッフがいつもより高い声で質問を投げかける。

「今年二十歳になりました」

 黄色い歓声が上がるのを聞きながら、俺は驚いてクリスをまじまじと眺める。自分より若そうだとは思ったがまさか八つも年下だなんて。

 趣味に好きな映画など、女子から質問攻めにあってもクリスは嫌な顔ひとつせず答えていく。
 大輪のバラが舞う王子スマイルの大盤振る舞いを俺は他人事のように眺めながら、なんだが自分が部外者になったような気がして居心地が悪かった。

「あのっ、彼女はいるんですか? もしかして母国にとか……」

「いえ恋人はいないです。でも恋人を作るチャンスはいつでも狙っているですよ」

 ふと、遠巻きに眺めていた視線がクリスとぶつかる。思わせぶりなセリフに女子達が沸き立つなか、クリスからはにかむような表情を向けられた俺はとっさに目をそらす。

 たまたま変なタイミングで目が合ってしまっただけで深い意味なんてあるはずもないのに、妙にドキリとしてしまった。

「ハハ、いかにも愛の国フランス出身って感じだな」

 いつの間にか隣に大場が立っていた。

「俺はダメっすね、ああいうの」

 一瞬だけとはいえクリスの視線に居心地の悪さを感じていた俺は、話し相手ができたことにほっとする。

 なんだかクリスは昨日の初対面とはずいぶんイメージが違う。片言の日本語と無邪気な笑顔から、派手な見た目に似合わず純朴そうなタイプかと思っていたのに。

 あの顔で愛の安売りバーゲンセールは完全にジゴロのようにしか見えない。教育係なんて押し付けられてしまったが、あんな気障な男とうまくやっていけるとは思えない。

 そのあとスタッフ一同の自己紹介が終わり、名残惜しそうに日勤チームの女子達は帰って行く。俺はというと、昨日に引き続きよろしくの一言しか言わなかった。 

 ランチタイムも終えたこの時間は一日の内でもっとも客が少なく、新人に仕事を教えるのに適した時間帯だ。俺はキッチンの片隅でクリスにメニューの説明をすることにした。

「あの……この漢字は、何て読むですか?」

「は? お前そんな日本語も読めないの?」

 キッチンの隅で椅子に腰かけながらメニューを眺めていたクリスは、乱暴な俺の言葉に怒るでもなく大きな身体をしゅんと小さくする。

「勉強不足でごめんなさいです」

 そんなクリスの姿に俺は内心首をかしげる。さっきまでの自己紹介で見せていたような自信に満ちた態度はどこへいってしまったのだろう。
「ったく、仕事以前に言葉から教えろっていうのかよ」

 俺はもとから人に親切な方じゃない。やさしくない自覚はあるがいじめているわけでもない。普通に話をしているつもりなのにクリスは必要以上に俺の言葉に落ち込んでいる様子だ。

「あの、スマートフォンを持ってきても良いですか? ロッカーに入っています」
「いらねえよ」

 乱暴な口調に困惑した様子のクリスの手元からメモ帳を奪い取ると、アルファベットが並ぶ中に漢字らしきものがいくつか並んでいる。読めなかった文字をメモしたものだろう。

「ほら!」

 俺はその漢字の上に殴り書きのひらがなでルビをふってクリスに突き返す。

「あ、これ、アリガトウございます!」

 メモ帳の中身を見て目を丸くしたクリスは、さっきまでの恐縮した様子はどこへいったのか素直にうれしそうな顔をした。

「調べる時間もったいないからな」

 お花畑の花が一斉に咲いたように笑うクリスの顔は、地味な顔を見慣れた日本人には眩しすぎる。

「モリナギさんはとても優しいですね!」

「俺はモリナギじゃない、森永だ」

「はい、モリナゲさん!」

 照れ臭くて顔をそむけていたが、名前を間違えられたことで思わず目線をクリスに向けてしまう。憎めないその笑顔に射抜かれて、なんだかそれ以上言い返せなかった。

「メニューは次回まで全部覚えてこいよ!」

「ハイ! 覚えてきますです!」

 クリスはキラキラした笑顔を手元に向けると、大事そうにメモ帳を両手でぎゅっと握りしめている。
 たかがルビをふってやっただけで大げさ過ぎやしないかとくすぐったい気がした。

「……おまえちょっとウザイ」

「ウザイはなんですか?」

 テーブルを挟んだ向こう側で、クリスがまだ目をキラキラさせたまま不思議そうに首をかしげる。

「なんでもねぇよ」

 ウザイなんてちょっと居心地が悪かったのをごまかすためについ出てしまった言葉だ。

 ぶっきらぼうな返事をしながら、ほんの少しだけウザイの意味が通じなかったことにほっとしていた。
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