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18.感情のフタ

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運転手付きの車で帰っていった社長を見送り、私はホテルの部屋で一人龍平を待っていた。
龍平は本当に来てくれるのだろうか、そわそわしてしまい見の身の置き場がない。

さっきのは愛の告白、だろうか……。
付き合って下さいと言われたのは聞き間違いではない、と思う。

龍平が待ちきれず、廊下に人の歩く気配のするたびドアに耳を当てて気配をうかがってしまう。
何度目かにそうしていると、目の前でドアがノックされて跳ね上がりそうになってしまった。

「宇佐美さん、開けて」
ドアの向こうから聞こえてくるくぐもった龍平の声。
ドアを開けると嬉しそうな隆平と目が合う。
次の瞬間、部屋に踏み込んできた龍平に強く抱きしめられていた。

「龍平さん、いきなり、ちょっと苦しいです」
隆平にハグされるなんて舞い上がるほどうれしい。
抱きしめ返したいが腕ごと締められているため動かせない、しかも抱きしめる力がちょっと強すぎるような。
「ごめん、まだ返事をもらってないのにこんなこと」
それはいいんですけどね、うれしいんです。このまま流されてしまいたいところではあるんです。でもその前に龍平の話を聞かなくては。
なにがどうなってこんな状況になっているのかさっぱり飲み込めない。

「あちらに行きましょうか」
私は龍平にソファーに座るよううながし、ペットボトル入りの水を差し出す。
「お仕事お疲れ様でした、お料理本当に美味しかったですよ」
龍平の隣に座るべきか迷ったが、私は結局L字ソファーの角の部分に腰をおろす。
「よかった。今日は宇佐美さん用の料理の仕込み、朝から気合入れてやってたんだ」
龍平は子供が褒めてもらえたときのような無邪気な表情でよろこんでいる。
「やっと俺の料理食べてもらえた」
「やっと……?」
やっと、という言葉にひっかかりを覚える。
以前の二人だったらいつでも料理を振る舞ってくれることはできたはずではないか、龍平はいつでも作ってくれると言ったのに一度も食べさせてもらえたことはなかった。龍平が一品でも作ったものがあるのなら、弁当屋の売れ残りだってよかったのに。
「私だって楽しみにしていたんですよ……」
浮かれた気分のなかに、以前感じた寂しい気持ちが染みのように広がっていく。
「ごめん、宇佐美さんに食べさせるならもっといいもの、もっとすごいもの食べさせたいって気負っちゃって」
「そうだったんですか? 私はあなたが私のために作ってくれたものならなんでもよかったんですよ?」
「一応料理人目指してたわけだからさ、あんまりいいかげんなものを出したら呆れられるかなって」
「そんなふうに考えていらしたんですね。私はてっきり、龍平さんにとって私は料理を振る舞う価値もないほどの存在なのかと」
「そんなわけない、逆。宇佐美さんにこの程度なのか、とか思われたくなくて、めちゃくちゃよろこんでくれるようなもの食べさせたくてなかなか……」
「そうでしたか、よかったですね、めちゃくちゃよろこびましたよ。希望が叶いましたね」

なんだろう、この色あせたようなような気持ちは。
そうだ、私はおそらく龍平の身勝手さに腹が立っている。

「約束守れなくてごめん! 楽しみにしててくれるのはわかってたんだけど焦っちゃって、悲しい思いさせて、ごめん。宇佐美さんのこと価値がないなんて思ってない」

私は約束が守られなかったことに怒っていたのか。
龍平への片思いという立場上、当時はそんな気持ちにも蓋をしていた。

「発展途上の力作は、もう食べられませんね」
必死で謝って頭を下げる龍平の姿に、胸の奥のしこりがだんだん溶けていくような気がした。
「成長途中の俺のそばにいてくれませんか?」
「そんなふうに思ってくださるならどうして今まで放っておいたんです?」
「……っ! 俺は、あんたに捨てられたんだと思って」
「たしかに私のほうが黙って出ていくような形になってしまいましたが、社長から連絡はありましたよね?」
「親父からは、もう宇佐美さんに会わせないってだけ。宇佐美さんと話がしたくて何回も会社に行ったり、親父にしつこく電話してた。なのに宇佐美さんがどこにいるのかも全然わからなかった」
「そ、そんなことなさっていたんですか? 私はあのあと社長に同伴でしばらく海外にいたんですよ」
まさか私のストーカーというのは龍平のことだったんだろうか。
「それじゃいくら会社で出待ちしてても会えないわけだよな」
「出待ち、されてたんですか」
「宇佐美さんが俺のアパート出ていって、なんでだって思ったけど、俺が年下で定職にもつかないで夢ばっかり語ってるから呆れられたのかと思った。あとから思えば、宇佐美さんのこと全然大事にしてなかったのも後悔した」
「そんなことはありませんし、むしろ夢を応援したいなと思っていましたよ。大事にだなんて、私が勝手に片思いをして家に押しかけただけですから」
「そうじゃないんだ」
龍平は膝の上で拳を握りしめる。
「ちゃんと言葉で伝えればよかったんだ、好きだって」
「……私のことを好いて下さっていたんですか?」
「ほらやっぱり、伝わってなかった。あんなこと、好きでもない相手にしないだろ」
「あんなこととは?」
「あの日、このホテルで、しただろあんなこと」
あの日、ここで?
ホテルの部屋で目覚めて、龍平がシャワーを浴びていて。

 ・
 ・
 ・

「ええっ?! したんですか、あんなこと!」
私の反応に龍平が頭を抱えてがっくりうなだれる。
「だよなあ、覚えてないんだよな。俺たちめちゃくちゃ愛し合ったんだけど」
「愛し……ええっ?! まさか……!」
そういえばあの晩は、龍平に前向きに交際を検討してもらえると言われたのが嬉しくてずいぶん飲んでいた気がする。
「それが本当なら、なんてもったいない。覚えていないなんて後悔してもしきれません」
「じゃあ、もう一回する?」
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