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16.至高の味

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「ねえ宇佐美くん、今度の金曜の夜あいてる?」
社長室で書類の確認をしていると、社長からそんなことを尋ねられた。
「その日ですと、19時からなら予定は空いているようです」
私は手帳を確認して社長のスケジュールを確認する。
「違う違う、私の予定じゃなくて宇佐美くんがあいてるか聞きたいんだよ」
仕事関係なら大抵は私を通してアポイントメントが取られる、これは社長からの私的なお誘いだろうか。

「そんなあからさまに嫌そうな顔をしないでくれ!」
「だって、金曜の夜ですよ、仕事でもないのに社長と過ごすなんて疲れるじゃないですか、私だって一人でゆっくりしたいです。私はインドア派なんです」
「頼む、大事な日なんだ! どうしても君と行きたい場所があるんだ!」

社長が私の手をとって必死に頭を下げている。
いったいなぜそこまでこだわるのか知らないが、社長にはいつもお世話になっている。
「はぁ、まあ、そこまでおっしゃるのでしたらご一緒しますが」
「よかった! 忘れないでくれよ」
「はい……?」
社長はほっと息をはくと、楽しそうに私の手をブンブン振り回す。
金曜の夜にいったい何があるというのだろう。



そしてきたる金曜の夜。
私は社長と二人、いつか龍平と泊まった五つ星高級ホテルにある最上階のレストランに来ていた。
週末の夜とあってほぼ満席のようだったが、案内されたのは夜景が見下ろせる壁面一面の窓に面した最高の席だった。
今日は天気も良く、東京湾まで見渡せる素晴らしい眺めだ。

「社長、プライベートでこんな場所に連れてきて下さるなんてどうしたんですか?」
「ふふ、もうすぐわかるよ」

高級レストランでディナー、からのホテルの部屋で身体で代金お支払いのパターンを思い浮かべたが、それはないだろうとすぐに打ち消す。
社長からセクハラのような悪ふざけを言われることがあったが、実際になにかされたことはない。
それに私が龍平のもとを去ってからは色恋の話題はさけてくれているような気がしている。

(……龍平さんは元気にしているだろうか)

このホテルにいたらどうしたって龍平のことを思い出してしまう。
酔いつぶれて寝ていただけだが、龍平とこのホテルに泊まった。
あの日は二人の関係が前向きに変わるような、確かにそんな気がしていたのに。

彼の夢は叶っただろうか、まだ夢へ向かっている最中だろうか。

恋人はいるだろうか……

そこまで考えたところで考えを必死で打ち消す。
思わずため息がもれた、こんなにいい場所に連れてきてもらったのにため息をついてしまうなんて。
社長に失礼だとそっと顔色をうかがったが、社長はなにも言わなかった。

「今日は特別なコースを頼んでいるんだよ」
それどころか社長はニコニコと私を見つめて笑っている。
気味が悪……、ではなくて社長が楽しそうでなによりだ。

美味しそうな食前酒が出され、私は自然とそれに手を伸ばしたが。
「おっと、今日はやめておこう。君、これは下げてくれ。彼にはノンアルコールのものを頼む」
「どうしてですか? 今日は取引先もいないのに、プライベートじゃなかったんですか?」
「不満そうな顔もかわいいが、すまない、今日は酔われると都合が悪いんだ」
「はあ、そうですか」
すぐにいい香りの炭酸水が運ばれてきて、前菜を一口食べると不満はすっかり忘れてしまった。

「うむ、美味いな」
さっきまでのニコニコはどこへ行ったのか、社長がなぜか神妙な顔をして料理を口に運んでいる。

私の方は落ち込んだ気分で料理の味がわかるかと心配していたのだが、タイミングよく運ばれてくる素晴らしく美味しい料理の数々に、自分でも驚くほど感動していた。
「社長、おいしいですね」
龍平と離れて以来すっかり食への関心を失っていたが、メイン料理をいただくころにはそんな気持ちはどこかへ行っていた。
胸の中にわだかまっていた重い気持ちがすっと軽くなるような不思議な感覚だ。


「デザートをお持ちしました」
テーブルに運ばれてきたのは宝石のようなデコレーションケーキ。透き通る宝石に見立てたゼリーが散りばめられ、カットフルーツで鮮やかに飾られている。
そんな夢のようなケーキに気を取られていて、私はすぐに気がつくことができなかった。

ケーキを運んできたのはさっきまでの給仕の男性ではない。
コックコートを着た、背の高い、…………。

「ハッピーバースデー、宇佐美さん」
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