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14.期待のエース村上くん

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高層ビルの上層階、廊下の突き当りの飲料の販売機が設置された休憩スペースで、私はスケジュールの確認の為に開いた手帳を閉じてため息をつく。

「どーしたの、宇佐美くん。悩ましいため息なんて吐いちゃって、襲っちゃうぞ」
高鷲社長に肩を抱かれ、私は二度目のため息をつく。
「なんでもありませんよ、今日はこれから営業の村上さんと同行で小山物産の社長と会食の予定です」
「あー、村上くんか。彼イケメンだよね、仕事もできるし、ちょっと強引なところがステキって女の子たちがよく噂してるよね。宇佐美くんもタイプだったりする? もしそうなら嫉妬しちゃうな」
「有能な方のようですね、お話したことはありませんが」
「お話しちゃダメダメ! 宇佐美くんが村上くんに取られたらオジサン泣いちゃう」
「……心がけます」

ふざけた社長の言動を受け流し、窓越しに街を見下ろす。
私は今、社長と一緒に仙台支社に出向してきている。
仙台の前はアメリカ、スウェーデン、中国に居て、久しぶりに日本に帰ってきたところだ。
龍平はどうしているだろうか、彼のアパートに居候していた頃から数年が経ってしまった。

あれから龍平とは一度も会っていないし、私達は連絡先の交換もしていなかった。
社長は龍平の連絡先を知っているから、その気になれば連絡をとることもできるのだが、私からあえてそうすることはなかった。

龍平から連絡があったのは一度だけ、社長の携帯に電話があったらしく、私が会社に戻ることにしたと伝えてそれきりだったと聞いている。

「社長、おつかれさまです!」
「噂をすれば……村上くん」
「はい? どうしてそんなにあからさまに嫌そうな顔をするんですか? 僕がなにか?」
「社長のことは気になさらないでください、今日の会食よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
 村上が目がくらむような営業スマイルを向けてくる、今の私には眩しすぎて痛いほどだ。
「宇佐美さん、初めてお話しますね。綺麗な方だなって、いつも話しかけるチャンスを狙っていたんですよ」
「綺麗だなんてご冗談を、村上さんこそおモテになるそうじゃないですか」
「あー、村上くん、宇佐美くんは私のものだから口説くのはやめてくれないか」
「私は社長の所有物になった覚えはありませんよ」
「はは、厳しいですね。クールビューティーって感じです。本社では宇佐美さんのストーカーがいたりしたんですよね?」
「ストーカーですか? なんの話でしょう」
社長がごほんとわざとらしく咳払いをする。私にストーカーがいたとは初耳だ。
「村上くん、それは宇佐美くんが怖がるから本人の耳にいれないようにしていたんだよ」
「そうでしたか、それは失言をいたしました!」
村上が申し訳なさそうにこちらに頭を下げる。
「もしそんな奴がまた現れたら僕が守りますからね」
「村上くん、私がいるから必要ないよ!」
見に覚えもないし、私は男だし、二人とも必要ないと思うのだが。


 ◇ ◇ ◇

「宇佐美さん、お疲れ様です」
食のあと、社長を乗せたタクシーを見送った私に村上が声をかけてくる。
「お疲れ様です、商談が上手くまとまりそうですよかったですね。あちらの社長もあなたの事を信頼してくださっているようですね」
「我社の社長が直々にお話して下さったからですよ、僕だけの力ではありません」
「ご謙遜を」
「参ったな、宇佐美さんにそう言われると今まで頑張ってきたかいがありますよ」

 彼は仙台支社の若きエースとも呼ばれていて、本社でも話題にのぼることがある。噂は伊達ではないようだ。

「宇佐美さんは歩いて帰るんですか?」
「コンビニで明日の朝食を調達してからタクシーを拾おうと思います」
「良かったら乗せていきますよ、車で来てるので」
「私ならタクシーでけっこうですよ」
「遠慮しないでください! すぐ来ますから、そこのコンビニで待ってて下さいね」
「え? いや、村上さん……!」
私が断るのも聞かずに小走りで行ってしまった、これでは待たざるを得ないではないか。


私がおにぎりと水を買ってコンビニを出ると、ハザードランプを点灯して待っている車があった。落ち着いた赤色が印象的な国産セダンだ。私が近づくと助手席の窓が開いた。

「宇佐美さん、どうぞ乗ってください」
ここまで来たら断る訳にもいかない。せっかくなので好意に甘えることにした。私は村上に大体の家の場所を伝える。今は街の中心部から少し離れた場所にマンスリーマンションを借りている。

「間に合ってよかった、遅れたら帰っちゃうんじゃないかと思って急いで来ましたよ」
村上は車を発進させながら、うれしくて仕方がないとでも言いたげな顔をしている。
「そんなことは、ありませんが……」
「あ、ちょっと考えましたね。やっぱり早く着いてよかった」
「あなたは強引なところがありますね、でもわざわざありがとうございます」
「いえいえ、宇佐美さんともっと話したかったんで。コンビニのご飯は何を買ってきたんですか?」
「昆布おにぎりと水です」
「え? それだけで足りるんですか?」
「ええ、まあ」

龍平の側を離れてから、食べ物を食べることが苦痛になってしまった。料理人を目指す彼のことや、私には振る舞われることのなかった彼の手料理のことを思い出してしまうせいだ。

もちろん食べないと体を壊してしまうからできるだけ三食は食べるし、今日のような会食の席に同行することがあれば失礼にならない程度にはいただく。

最初の頃ほど食事が苦痛ではなったが、数年たった今でもふとしたときにチクリと胸が痛むし、以前と比べあきらかに量は食べられなくなった。

「だからそんなに華奢なんですね」

村上が一人で納得している。
男の自分に華奢という表現はどうかと思うが、そう言われることが多くなったということはきっと自分は痩せてしまったのだろう。

「自炊とかはしないんですか?」
「しませんね、必要もありませんし」
「俺もですよ、料理とかしたことないです。一人暮らしだし、自分でできるようにならなきゃなぁとは思うんですけど、大変そうで」
「あなたならその気になれば料理上手の奥さんがすぐに見つかるんじゃないですか?」
「いやあ、好きになった相手が料理上手だったらうれしいですけどね。でも料理の為に奥さんがいるわけじゃないですから」
「意外と真面目なんですね」
「え? いや、参ったな。好きな相手なら料理上手じゃなくてもいいって話ですよ」
「そうですか。そういえば……仙台は美味しいものが多いですね、社長のお土産購入予定リストが大変なことになっていますよ」

恋愛の話から話題を変えると、運転席からちらりと視線を感じた。私はそれを無視して窓の外を眺める。
車の窓から牛タン屋や、銘菓の看板が次々目に入ってくる。

「旨い店色々知ってますよ、今度一緒にいきましょうよ」
「仕事以外では外食はあまりしないんです、あまり食べられませんし、残してしまうとお店の方に悪いので」
「そうですか。……宇佐美さんランチはどうしてるんですか?」
「社長と一緒でないときはだいたいこんな感じですね」
私は膝の上のコンビニの袋を軽く持ち上げてみせる。
「毎回それじゃ体壊しちゃいますよ、そうだ、弁当作って持ってくるんで食べてくれませんか?」

手作り弁当と聞いて、龍平が約束した手料理のことを思い出して胸の奥がずきりと傷んだ。
ここまであの頃の憂鬱な感情をはっきりと思い出したのは久しぶりだ。

「……あなたは、料理をしないのでは?」
「宇佐美さんの為なら作りますよ、味は保証できませんけど善処します」
「なぜ私のためのそこまでしようとして下さるんですか?」
「宇佐美さんの体が心配だからです。そんなに細いし、それにいつ見てもしんどいの我慢してるみたいだなって思ってたんです。食生活が改善したら元気になるかも」
「ご心配には及びませんよ」
「心配させてください」

村上がぎゅっとステアリングを握り直して、私の方を見る。

「宇佐美さんが好きなんです、一目惚れしました」

普段は朗らかではつらつとした印象の村上が、真剣な眼差しを向けてくる。唇が一瞬震えて、それを抑えるためにか真横に引き結ばれた。

「村上さん」
「はい」
「前見てください、危ないです」

村上があからさまにがっくりと肩を落とすのがわかった。

「……すいません」
「あなたの気持ちには答えられません。お弁当も、私は人の作った手料理のようなものが苦手で食べられないんです」
「そ、そうですか。いきなり変なこと言っちゃってすいません」
「いえ、せっかくのお気持ちをお断りしてしまい申し訳ありません」

気まずい雰囲気の無言が続く中、村上が再び口を開いた。

「もしかして恋人とか、いました?」
「いえ、そういうわけでは」
「やっぱ男は無理ですかね?」
「そういうわけでも、ありませんが……」
「それならどうして俺はダメですか? 他に好きな相手がいるんですか?」

私はすぐに答えられなかった。
村上といると感情をえぐられるようなことばかりだ。だが、本気かどうかはともかく真剣に好意を伝えてくれた相手には誠意を持って返事をしなくてはいけないだろう。

「……諦めなくてはならないのに、忘れられない人がいます」

小さくそうですか、と寂しそうにつぶやく声がして、村上は軽くアクセルを踏み込んだ。


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