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7.落ち着いて話ができる場所

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私は平日昼の都内、ある場所に来ていた。
見上げたのは高鷲ホールディングスビル、長年世話になった高鷲龍平の父の会社だ。

私は龍平の監視役として報告を怠っていたことがある。それを今から社長に報告してこようと思う。

それは自分が黙っていれば将来龍平と一緒に働けるかもしれないという身勝手な理由からいままで口をつぐんできたことだ。

私は意を決して、すでに退職した会社に足を踏み入れる。



私は社長に、龍平の料理人を目指す情熱を時間の許す限り力説していた。
何年も側で彼を見てきたのだ、本人の次に龍平の事を知っている自信がある。
そしてそれを伝えれば社長も龍平の行く先を応援してくれるはずだ。

普段ヘラヘラしている社長は、龍平によく似た顔でじっと私の話に耳を傾けていた。 
「キミの言いたいことは良くわかった」
しばし考え込んでいた社長は、気を抜くように息を吐いて表情を緩めた。
「……私も子離れしなくてはいけないか、今は口も聞いて貰えないが昔はパパ、パパって可愛かったんだぞ」

社長は椅子から立ち上がり、外の景色に視線を落とす。ちょうどこの窓からは真下に大きな公園が見える。
「跡取りがどうというか、本音はただ一緒にいたかったのだよ。子供の夢を応援するのが親の努めだろうに」

しばし公園を眺めていた社長がふいにこちらを振り返る。

「ねえ宇佐美くん、キミ龍平のこと好きなの?」
不意をつかれた質問に、顔面が肯定するようにみるみる赤く染まる。
「やっぱりそうか! 私はね、キミのことも可愛いと思ってるんだよ。もし龍平の事が理由で退職したなら戻って来てくれないか? キミの事も龍平の事も悪いようにはしないから」
社長がぐいぐいと迫ってきて、私の手を取る。
「それに、キミも私のことを少しは好ましく思ってくれていたこともあったんじゃないかな」

社長は声をひそめて龍平と似た声でささやく。
これは社長の常套手段だ。
精悍な顔立ちと円熟した大人の魅力を持ち合わせた帝王のような彼に口説くような態度を取られると、大抵の相手は無条件に屈服してしまいそうになる。

私は失礼にならないよう反対の手を添えてやんわりと社長の手を押し返す。
「恐れながら、私の想い人は龍平さんだけです。もし社長がそのようにお感じになったことがあったのなら、それは私が社長に龍平さんの面影を重ねてしまっていたからでしょう」

あいたたた、と社長は昭和のリアクションで頭を抱える。
「そうか、それは残念だ。私は跡継ぎを失なった上に宇佐美くんまで龍平に取られてしまうのか」
「残念ながらそれは違います、龍平さんにはふられてしまいましたから」
口にすると、チクリどころかズドンと胸が傷んだ。まるで重機で胸がえぐられるようだ。
「龍平はわかってないなぁ、まだまだ子供なのかな、宇佐美くんの魅力がわからないなんて」
「ありがたいお言葉ですが社長は私を買いかぶっておいでです」
「じゃあ話もまとまったことだし、宇佐美くん私の秘書に戻ってきてくれる?」
「本当は傷心の旅に出る予定だったのですが、そう仰っていただけるのならまたこちらでお世話になることも考えておきます」
「旅になんて出なくても私が癒してあげるよ」
「社長、ありがたいお申し出ですがそれはセクハラのように聞こえますよ」




「宇佐美さん」
会社のエントランスで、自動ドアをくぐろうとしたところで呼び止められる。外からではなく、ビルの中からだ。

「な、龍平さん。どうしてこちらへ?」
龍平は見なれたジーンズとシャツのラフな格好にも関わらす、一流と呼ばれる高鷲ホールディングスビルの中でも堂々として見える。

恵まれた体格のおかげか、
精悍な顔立ちだからでしょうか、
それとも着こなしに清潔感があるからか。
一瞬休日出勤に私服を着てきた社長かと錯覚してしまった。

「あの……?」
龍平は無言で私との距離を詰めてきて、私はその威圧感に思わずたじろぐ。

「宇佐美さん、話がしたいんだけど」
「は、い。なんでしょうか?」

いまさら私に龍平が何の用があるというのか。
すっぱりフラれたわけですし、私はさっさと日本、というか龍平から離れて南の島でバカンスなりプロヴァンスの風に吹かれるなりしてすべてを忘れてしまいたいのですが。

「いや、そうじゃなくて。ゆっくり話せるところに行こう」

なぜ会社から彼が出てきたのだろうか。
まさか社長との話を聞かれていた?
ゴクリと喉がなり、私は思わずメガネを押し上げる。

私が龍平の監視役をしていたことを知られてしまったのだろうか。
直接的ではないとはいえ彼の夢を妨げるような真似をしたことも。
社長命令とはいえ私のしたことは軽蔑されてあたりまえのことだ。
好かれてもいない上、軽蔑までされてしまったら私はこの先どう生きていったらいいのか。

会社から数分歩き、私は龍平をある場所に連れてきた。
「……ホテル?」
 海外からの賓客をおもてなしすることも多い伝統ある高級ホテルを前にして龍平が足を止める。
「いえ、あの! 馴染みのバーがこちらに! ゆっくりお話できますから」
場所柄なにか誤解をさせてしまったかと慌てて否定する。
今さら龍平の家におじゃまするわけにもいかないし、陽も落ちかけていることから会社から近いこの場所へ彼を案内したのだ。

社長づきの秘書をしていたので、会合や商談でホテルラウンジを利用するのは慣れている。
ついでに部屋をとって今夜の寝床も確保できることから、この場所はいろいろと都合が良い。

「ああ、そう。馴染みね」

私達は落ち着いた雰囲気のバーで、片隅のなるべく端のテーブルに席をとった。
他に客は多くないが、話をするなら少しでも周りと距離をとったほうがいいだろう。

灯りを抑えた照明と、心地よいゆったりとしたジャズの演奏を聞きながら、私はコーヒーを、龍平はマティーニをオーダーする。

「飲まないの? 馴染みのバーなんだろ?」
「私は遠慮しておきます、もうご存知でしょうが私はあまりアルコールに強くはないので。また龍平さんにご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」

アルコールで記憶をとばして龍平におそらく愛の告白してしまったことを思い出して胸の奥が重苦しくなる。
お酒は好きだがここで飲んだら龍平に何を言ってしまうかわからない。
泣いてすがってしまうかもしれない。

「あの、それでお話とは」
私は黙ってしまった龍平を促す。

きっと話の内容は、私がいままで龍平を監視していたことに対する苦情だろう。
罵声を浴びせられて謝罪を求められるなら早くすませてしまった方がいい。
今の状態では蛇の生殺しだ。

「さっき親父と話してるの、聞いた」
やはりそうかと、わかっていても思わずびくりと肩を揺らしてしまった。
「ガキの頃から監視されてるなぁとは思ってたんだけど、あんただったんだな」
「はい、正確には14歳から18歳までですが」
「ちなみに俺の監視役って他にもいたの?」
「私の知る限りではいないかと……。私は途中で役目を降ろされてしまいましたので、私の知らないところで後任がおられたかもしれませんが」
「ふうん」
龍平はそう言うとまた黙り込んでしまって、テーブルに届けられたマティーニに口をつけていた。
「監視をしていたこと、申し訳ありませんでした」
「いや、それはいい。まあ良くはないけど、逆に馬鹿な親父がくだらない仕事させて悪かったよ」
いいんですか、と私は目を丸くする。
「では、私があなたの就職の妨害に加担していたことをお怒りで話をしたいと?」
「あれは親父がやらせたんだろ? さっき親父に向かってあんなに俺のこと応援してくれてたし」
「ですがあれは……もっと早く社長に強く申し上げていれば妨害をやめさせることができたかもしれないですし」
「ん? どういうこと?」
「私はあなたが料理人の夢をあきらめたら一緒に働くことができるかと、そうなったらいいと思っていたのです。なので社長の妨害も見てみぬふりをしていました」
向かい合った龍平は不思議そうに首をかしげている。
私はコーヒーをすするふりをしてうつむいた。
「なんで俺なんかと?」
「監視している間に、あなたの人柄に惹かれておりました。あなたなら将来高鷲のトップに立つリーダーにふさわしいと、その下で働きたいとそう思いました」
「ただの学生になんでそこまで思うかな」
「あなたは人の心を掴む才能があります、あなたの周りには常にあなたに好意的な人がたくさんいました。それはあなたの他人を思いやる心や、正義感、責任感を感じ取るからです」
「なんか褒めてもらえるのは嬉しいんだけど、俺は会社を継ぐ気はないんだよね」
「龍平さんの人生ですからもちろんそれでいいんです。ただちょっと惜しいな、将来高鷲ホールディングスを率いるあなたの姿をみたかったなと思うだけです」

龍平はうーんと唸ると、そのまま考え込むように黙ってしまった。
「あの、でも、龍平さんの作った料理も食べたいです!」
そういえば結局龍平の買ってきてくれた弁当を食べそこねてしまった。今朝食べるはずだったのに本当に残念だ。

「お弁当、食べたかったです……」
「いや、そんなにしゅんとしなくてもいつでも食えるから」
いつでも、ということは龍平のアルバイト先に弁当を買いに行くのは許可してもらえるということだろうか。
「あの、では、その話ではないのなら、話というのはなんでしょう?」
「ん? ああ、それは……」
龍平は少しためらうような仕草を見せてからポケットから何かを取出す。

龍平が取り出したのは見覚えがある、あの時龍平に渡そうと思ったラブレターだ。
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