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隠しごと
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なんだか、一人でいたい。そんな気分。おばあちゃんとおじいちゃんの考えは、あたしの望む反対のことばかりいうから。そう考えなきゃいけませんって言われているような気がするから。なんだか話したくなくなっちゃった。ふと、トイレのマークを見つけた。ここならせめて人は少ないだろう。ここに一人で入っていても変に思われないだろう。女子トイレに入ったあたしは、中へと進んで個室に入るわけでもなく、トイレの入り口近くで、へたれこんでしまった。急に力が抜けてしまった。だれもいなかった。いなくてよかった。
勝手に涙がこぼれてくる。目から熱い水滴がほおを流れ伝った。
もうお父さんお母さんに会うことはできないの? お父さんとお母さんはあたしを一人で置いていって、もうそばにいてくれないの?
「ゆいちゃん」
お父さんとお母さんは部屋の奥に入れられてしまった。変なものに変身してしまうらしい。お父さんのキリッとした顔もお母さんのやさしい笑顔も、もう見られないのかな。
「ゆいちゃん」
一昨日から、お父さんとお母さんはどこかに行っちゃって、会っても眠ったままでまったくしゃべれていない。でも近くにはいたから何度か起こせた。起きてはくれなかったけど。二人の姿が見えなくなって初めて、お父さんお母さんの顔が頭の中に浮かんでくる。二人がいた一昨日の朝までのあたりまえが、どれだけ楽しかったか、思い出されていく。
それが、とても愛おしくて手を伸ばしたいと思えてくる。
「ゆいちゃん、聞こえる?」
あたしははっと顔を上げた。マシューの声が、初めて頭のなかに届いた。
「マシュー」
マシューはあたしの胸にやってきた。ふんわりとした感触が服の上から伝わってくる。温かい。あたしの両手はマシューのことを抱きしめる。
あれっ、でも、なんだろう。心はつめたくてつめたくて、まるで氷のように固まってしまっている。マシューの温かさも心にはあんまり通じてこない……。
「マシュー、さむい」
ギュッと抱きしめてみる。
「全然あったかくないよ……」
お母さんに抱きしめられると、すぐに体が温まるのに。あたしより大きな体であたしのことを包みこんでくれる。そう思い出すと、よけいにさむくなった。もう会えないってことは、もうお母さんが抱きしめてくれることもないってことでしょ。
「お父さんとお母さんに会いたい……」
すりすりとほおを当ててくれるマシュー。くすぐったかった。それしか感じなかった。
「ゆいちゃん、お父さんもお母さんも、ぼくも、そばにいるよ」
「そばにいる……」
マシューはずっとそう言ってくれていた。そうだ、たしかにマシューはお父さんとお母さんが帰ってこない時からやってきてくれて、ずっとそばにいてくれた。
でも……。
あたしの中で、ある言葉がよみがえってくる。
「マシューもいなくなっちゃうんでしょ?」
ピクリと胸のなかで震えたマシュー。
「見えなくなるって、看護師のお姉さんが言ってた!」
「それは……」
消え入りそうなマシューの声。マシューも自分でわかっているのかな。本当はいつか消えちゃうってこと。お父さんとお母さんみたいに、急にいなくなっちゃうってこと。
「そうなんでしょ? マシューもいなくなっちゃうんだ!」
あたしはパッと両手を開いてマシューを離した。マシューはゆらゆらと浮き上がった。
「みんないなくなっちゃうの、いや」
「……ゆいちゃん」
マシューだって自分でわかっているんだ。いつかはあたしのもとからいなくなること。
「ずっとそばにいるのはほんとだよ」
「うそ! お父さんもお母さんもそう言ってた。あたしが悲しいとき小さい頃からそう言ってくれたもん。なのに、そばにいてくれなくなっちゃった。マシューもおんなじだよ」
マシューの表情は、あたしの言葉に納得しないような顔。その顔さえ、お母さんも同じ表情をしたことがあるのを思い出した。
「そんなの、いや……」
「看護師さんも言ってたじゃない。見えなくなるだけだよ」
「見えなくなるのも、いなくなるのも、どっちも変わらないじゃん……」
「みんないなくならないでよ」
のどがかわいて、かわりに鼻水がたまって、目が熱くなる。
トイレの扉を大きく開け広げて、あたしは出て行った。
勝手に涙がこぼれてくる。目から熱い水滴がほおを流れ伝った。
もうお父さんお母さんに会うことはできないの? お父さんとお母さんはあたしを一人で置いていって、もうそばにいてくれないの?
「ゆいちゃん」
お父さんとお母さんは部屋の奥に入れられてしまった。変なものに変身してしまうらしい。お父さんのキリッとした顔もお母さんのやさしい笑顔も、もう見られないのかな。
「ゆいちゃん」
一昨日から、お父さんとお母さんはどこかに行っちゃって、会っても眠ったままでまったくしゃべれていない。でも近くにはいたから何度か起こせた。起きてはくれなかったけど。二人の姿が見えなくなって初めて、お父さんお母さんの顔が頭の中に浮かんでくる。二人がいた一昨日の朝までのあたりまえが、どれだけ楽しかったか、思い出されていく。
それが、とても愛おしくて手を伸ばしたいと思えてくる。
「ゆいちゃん、聞こえる?」
あたしははっと顔を上げた。マシューの声が、初めて頭のなかに届いた。
「マシュー」
マシューはあたしの胸にやってきた。ふんわりとした感触が服の上から伝わってくる。温かい。あたしの両手はマシューのことを抱きしめる。
あれっ、でも、なんだろう。心はつめたくてつめたくて、まるで氷のように固まってしまっている。マシューの温かさも心にはあんまり通じてこない……。
「マシュー、さむい」
ギュッと抱きしめてみる。
「全然あったかくないよ……」
お母さんに抱きしめられると、すぐに体が温まるのに。あたしより大きな体であたしのことを包みこんでくれる。そう思い出すと、よけいにさむくなった。もう会えないってことは、もうお母さんが抱きしめてくれることもないってことでしょ。
「お父さんとお母さんに会いたい……」
すりすりとほおを当ててくれるマシュー。くすぐったかった。それしか感じなかった。
「ゆいちゃん、お父さんもお母さんも、ぼくも、そばにいるよ」
「そばにいる……」
マシューはずっとそう言ってくれていた。そうだ、たしかにマシューはお父さんとお母さんが帰ってこない時からやってきてくれて、ずっとそばにいてくれた。
でも……。
あたしの中で、ある言葉がよみがえってくる。
「マシューもいなくなっちゃうんでしょ?」
ピクリと胸のなかで震えたマシュー。
「見えなくなるって、看護師のお姉さんが言ってた!」
「それは……」
消え入りそうなマシューの声。マシューも自分でわかっているのかな。本当はいつか消えちゃうってこと。お父さんとお母さんみたいに、急にいなくなっちゃうってこと。
「そうなんでしょ? マシューもいなくなっちゃうんだ!」
あたしはパッと両手を開いてマシューを離した。マシューはゆらゆらと浮き上がった。
「みんないなくなっちゃうの、いや」
「……ゆいちゃん」
マシューだって自分でわかっているんだ。いつかはあたしのもとからいなくなること。
「ずっとそばにいるのはほんとだよ」
「うそ! お父さんもお母さんもそう言ってた。あたしが悲しいとき小さい頃からそう言ってくれたもん。なのに、そばにいてくれなくなっちゃった。マシューもおんなじだよ」
マシューの表情は、あたしの言葉に納得しないような顔。その顔さえ、お母さんも同じ表情をしたことがあるのを思い出した。
「そんなの、いや……」
「看護師さんも言ってたじゃない。見えなくなるだけだよ」
「見えなくなるのも、いなくなるのも、どっちも変わらないじゃん……」
「みんないなくならないでよ」
のどがかわいて、かわりに鼻水がたまって、目が熱くなる。
トイレの扉を大きく開け広げて、あたしは出て行った。
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